あれから百年。大異変の直後に生まれた子もそろそろ老境に差し掛かる。 「早いもんだよなぁ」 これと言ってするべき義務もない二人はやはりあちらこちらと旅して周っていた。アケルですら、自分を吟遊詩人と認めたくなるほどに。 「本当ですね」 だがラウルスの慨嘆は違うことを示唆している。アケルはそちらにこそ、うなずいてみせる。ゆるりとリュートの弦をかき鳴らした。 それにラウルスが少しばかり面白そうな顔をした。本当にそう思っているのか、と問われたような気がしてアケルはちらりとそちらを見ては溜息をつく。 「神人の子のことでしょう?」 「まぁな」 あっていたなと言いたげにラウルスは唇を尖らせた。アケルには聞き取る耳があるにもかかわらず、ラウルスは平気でこういう仕種をする。 それがたまらなくありがたかった。常人とは違う二人。そして二人の中であってすら、アケルはラウルスとは違う存在に成り果てている。同時にそれは、ラウルスもアケルとはまったく違う生き物である、と言う意味でもあるのだけれど。 この世に互いに二人だけ。それなのに違う。それが時には寂しくもなる。もっとも、それを口にすればラウルスは言うだろう。いずれ常人であろうとも、まったく同じ人間などどこにもいないと。 そしていま、アケルの予想通り、人間とは違う種として存在をはじめた神人の子がいる。 「あれ、可愛いもんだよな?」 最初の子が生まれてのち、見る見るうちに神人の子は増えた。神人の箍が外れたのだとしか、ラウルスには思えない。 神人は、天の御使い。かつて出会った天使長が彼らの同種だと言うのならば、以前ヘルムカヤールが言った通り本来の彼らに肉体はないのだろうとラウルスは思っている。 だからこそだ、と想像する。神人はおそらくヘルムカヤールの予測のまま、人間の女に惹かれたのだと。ある意味でそれは堕落でもあるのだろう。 そう言ったとき、アケルはラウルスに向けて首をかしげた。堕落ではなく、この世界の浄化作用が始まっただけだと。それを堕落ととるか同化ととるかは立場による、と。 たしなめられた気がした。どうしてもラウルスは神人とは合わない。むしろ、この世からさっさと消え去れとも思っている。合わないと言うより、存在そのものが嫌いだ。 だからきっと、堕落だと感じるのだろう。所詮神人も完全な正義であったり完璧な清らかさを持ったりするものではない、と侮蔑したくて。 アケルの言葉は、だからラウルスの堕落を救ったものだった。それをラウルスは口にはしない。言わなくともアケルはわかってくれている。この年月、思い続けている。共にあるのが彼でよかったと。 そして脳裏に浮かぶ神人の子。彼らは確かに美しかった。人間とは別格の美を持つ。常人には恐怖すら感じさせる美だ。アケルとは違う。心和ませる美しさではない、ラウルスはそう思う。 「可愛いですか、あれ?」 「だってあいつら、子供だろ」 ラウルスは肩をすくめる。神人の子は、やはり異種族だった。人間の子ならばいかに成長が遅くとも十歳にもなれば一端の口をきくようになる。だが神人の子は。 「最初の子供がそろそろ五十近くか? なのに物の見事に子供だろうが」 成長の速度が違うのだろう。神人の子らはいずれもまだ赤子同然。体こそ、成長している。人間と同じよう、二十年ほどでほぼ成体となる。しかしその心はいまだ幼児のもの。 「面白そうなもんを見つけてずーっと見てるとか、泉で水面叩いて遊んでるとか。やってることはガキのそれだろうが」 「子供であっても長閑な遊びですけどね」 「お前、何して遊んだ?」 「僕ですか? 基本的に山を駆けまわっていましたよ。木登りしたり虫捕りしたりもしましたけどね」 「俺と一緒か」 なるほど、とうなずくラウルスがどうかしているのだ、とはアケルは言わなかった。大公家の後嗣がいったい何をしていたのだ、と言えば言うだけどことなく虚しい。 「あいつらが大人になるのはいつなんだろうなぁ」 「あの調子だと百年単位で先のような気がしますよ」 「俺たちは、それを見ることがあるのかな?」 寿命、というものをたまにはラウルスも考える。ラウルス自身の、ではない。アケルのだった。 ラウルスは王家直系の血を引く。つまりいまだ寿命と言うものを考える年齢ではない。だがアケルは違う。青年期の美しさのまま時が止まってしまったかのようなアケルではある。だが彼は本当ならばそろそろ命の時が止まる。呪われていなければ、の話だが。 ラウルスは、呪いというものについて考えているのかもしれない。呪詛を受けた理由がいまだ二人には明らかではない。考えるだけ無駄ではあるのだけれど、こうもすることがない時間が長くなるとたまには考えてしまう。 「見てもよし、見なくてもよし。考えても無駄ですからね」 あっさりと肩をすくめたアケルに逞しさを見る。眩しいような眼差しで彼を見やれば、偉そうな物言いに自分で照れたのだろうアケルがそっぽを向いては赤くなる。 「ほんと、不思議だわ」 「なにがですか!」 「お前と出逢って百年か? 大体そんなもんだよな? それなのに俺にはわからん」 「だから、なにがですか!?」 「お前が何に照れるのかがだよ」 ふふん、と鼻を鳴らせばものすごい勢いでアケルが振り返る。ひとつに結んだ赤毛がラウルスの肩に当たっては痛みをもたらすほどの勢いだった。 「それもわからんな」 怒鳴ろうとしたアケルの気勢を制するようにんまりと笑ってラウルスは言う。 「なにがですか!」 案の定、別のことを怒鳴らされてしまったアケルの眼差しが険を帯びる。が、口元が裏腹に笑っていた。 「なにに怒るのかが、さ。ほんと、お前の感情の幅ってのが俺にはよくわからんよ」 「でも――?」 アケルが今度はにやりとした。冗談のよう、リュートを鳴らす。音楽にまでからかわれた気分のラウルスは、それでも怒らず笑っていた。 「あー、はいはい。愛してるよ、アケル」 「なんですか、その投げやりな態度は!? 本当に愛されてるのか、たまに僕は疑います!」 「愛してる愛してる。本当だぞー? と言うかな、アケル? 疑いたいのは俺だぞ?」 「どこがですか。どうしてですか! 僕はこんなにあなたが好きなのに、あなたに疑われるなんて心外です!」 「……いや、そう見えなくてな?」 ぼそりと言えば目が悪い、とまた怒鳴られた。怒鳴られて、けれどラウルスはくつくつと笑っていた。他愛ないこんな会話と言うよりも怒鳴りあいと言ったほうが正しいような言葉のやり取り。それがどうしてこんなにも楽しいのだろうか。 「まぁ、それだけ惚れてるってことかな?」 「訂正を要求します!」 「なんだよ?」 さすがにむっとした。アケルに聞き取れていないはずはないのだから、あえて多くは言わなかったけれど、アケルの考えていることがわからないことがラウルスは寂しくなる。 「あなたが僕を愛しているだけ、と言うのは聞き捨てなりませんね」 言ってアケルは鼻で笑った。同時にそっぽを向いているのだから、やはり照れたのだろう。今度は大変にわかりやすくてラウルスは笑いをこらえかねる。 「愛し合ってるから何をしても楽しい。それはそれで麗しい話だがな、アケル」 笑いながら足を進めれば、足元で緑の匂いがする。あれほど破壊の限りを尽くされた大陸だった。その景色を知っているものが刻々と少なくなっていく。ラウルスは切ないとは思わない。それでいいとこそ思う。 「なにが言いたいんですか!?」 「いや、ただの惚気だろ、と思ってな」 「あなた相手に惚気てどうするんですか」 「どうするんだろうなぁ?」 にんまりと笑ったラウルスにアケルは呆れて見せる。それから背伸びをして軽く彼の唇をついばんだ。 「可愛いことするよ、お前」 「なに照れてるんですか。僕まで恥ずかしくなるからやめてください」 「やったのお前だろ!」 言い返しつつラウルスは笑っていた。その視界に飛び込んでくるもの。 「お、神人の子だ」 話題にしたばかりの神人の子が、遊んでいた。たぶん、遊んでいるのだろうと二人は思う。何をしているわけでもないのだけれど、神人の子は楽しげに歩いていた。 「不思議ですよね」 「うん?」 「何人ももう生まれてるのに、男の子しかいないでしょう?」 「あぁ……」 うなずいたものの、ラウルスにはわからないことだった。不思議ではある。だが神人が父親なのだ。親のこともわからないのに、子のことなどわかりようがない。 「そう言うもの、なのかも知れませんけどね。ただ、ちょっと可哀想かなって」 「可哀想? なにがだ」 「だって、あの子たちが大人になったとき、もしも同族に女の子がいなかったら恋もできませんよ、きっと」 「……物凄く俺を否定されてる気がするのは気のせいか」 「別に僕らがどうこうなんて言ってないじゃないですか!」 「要するにあれか。同族間で子供が生まれる余地がないってことを言いたいわけだな?」 わかっているのならばわざわざ恥ずかしいことを言うな、とアケルはラウルスを睨みはした。が、彼はどこ吹く風とこたえた様子もない。 「母親は人間ですけど、神人の子が人間との間に子を儲けることができるのか、それもまだわかりませんしね。なんだか……神人の肉欲の犠牲になっているような、そんな気がして。それが、可哀想だなって」 「……優しいやつだよ、お前は」 「考えても僕がどうこうできるような問題じゃないんですけどね。気にはなるじゃないですか。それに、あなただってそうでしょう?」 アケルはほんのりと笑った。いかに神人を嫌い憎んですらいてもラウルスはその子を迫害しようとは決してしない。父に存在を忘れられている子を哀れみさえする。父とは別に、どうか幸せになれとラウルスが祈っているのをアケルは知っていた。 |