それから二人は旅の間に悪戯を繰り返した。それはまるでいなくなってしまった友を偲ぶかの行為。それでも二人は楽しげに悪戯をした。 ある時は馬の鬣を編み、尻尾まで編み込み。別のある時には搾りたての乳に酢を入れたりもした。長い草を結んで人の足を引っ掛けたり、どこからともなく聞こえる声を出してみたり。 「やっぱりこれは外せないよな!」 土まみれになったラウルスが満足げに胸をそらす。何事か、とアケルが見やればそこには植え替えられた茸。 「あぁ、妖精の輪ですか。確かに」 きれいに植えられた茸は輪の形になって、見つけた人はこれを妖精の輪と呼ぶだろう。けれどこの茸の輪は光りはしなかったし、ここからサティーが顔を出すことももうない。 「ちょっと懐かしいですね」 「ピーノとキノの大騒ぎも、今となっちゃ可愛かったもんだと思うよ。もうちょっと遊んでやりゃよかったな」 茸の輪を見つつラウルスは楽しそうに呟いた。その声に忍ぶものに気づかないアケルではない。だからそっと寄り添った。 「ちょっと、ラウルス!」 「なんだよ!? 寄ってきたのはお前だろ!?」 「だからと言って土まみれの手で抱き寄せないでください! 汚れるじゃないですか!」 「お前な!」 笑って彼は言い、わかったとうなずいては思い切りアケルを抱きしめた。抗議の声も何のその、ラウルスの笑い声のほうが遥かに遥かに大きかった。 そうやってした悪戯の数々は、見つかることもあればそのまま朽ちてしまうこともあった。どちらでも二人にはよかった。 「だからこういうことになるんだなぁ」 しみじみとラウルスが呟いたのは、ラクルーサの酒場でのことだった。なかなかいい葡萄酒を安い値段で飲ませる酒場で、以前来たときに気に入っていた店だ。今回もまたいい酒だった。しかも食事まで旨くなっている。 「なんです?」 演奏の合間にアケルが顔をそちらに向けて首をかしげれば、ラウルスがにやりとする。あとで、と言うことだろうと思ってアケルは酒場の人々の会話に耳を傾ける。そして何を言わんとしていたか、理解した。 「だからな、絶対そうなんだって!」 「偶々だろ?」 「違うって! カルミナ・ムンディ現れるところに妖精あり、だぜ!? だからカルミナは妖精なんだよ!」 「いやいや、俺が聞いた話ではだな。カルミナは妖精の女王に愛された詩人だって話だぞ」 「そりゃ昔話だろうが。その詩人は妖精郷から出してもらえなかったって話だろ?」 「違う違う。だから出てきたのがカルミナなんだって」 口々に言い合う客に、アケルの口許がほころびそうになる。どうやら各地で悪戯を繰り返すうち、カルミナ・ムンディことアケルは妖精、あるいは妖精の女王の吟遊詩人、と言うことになってしまったらしい。 「な?」 ラウルスが目配せをして葡萄酒の杯を掲げて見せた。アケルは溜息まじり、リュートの弦をかき鳴らす。 まさか妖精扱いされるとは思ってもみなかった。自分は何者なのだろうと思う。狩人であるはずなのに、吟遊詩人だ。人間であるはずなのに、尋常ではない時間を生きる羽目になった。妖精の友であったはずが、妖精と呼ばれるようにもなった。 「そのうちカルミナはドラゴンだ、なんて言われるようになったりしてな」 側に寄ってきたラウルスがこそりと言う。アケルは軽く睨もうとして、しかし自分の唇が笑っているのを感じた。 「それ、悪くないですね」 「……だろ」 「ちょっと、今の間はなんですか、ラウルス? もしかして妬いてたりするんですか、あなた」 「別にー。お前がヘルムカヤール大好きでも全っ然妬いてなんかいないけどなぁ」 鼻を鳴らすラウルスに、アケルは小さく吹き出した。人目も忘れて寄り添えば、酒場の客が口笛を吹く。慌てて離れれば、客たちが大笑い。話題を提供してしまったというのに、悪い気分ではなかった。 「おいおい、あんた! 仕事中だろうが。ここはひとつ馴れ初めなんぞを希望して、だな!?」 「そうだそうだ! 歌え歌えって」 精悍で逞しく、少しばかり近づきがたいほどの男でもあるのに笑うと人懐こいラウルスは、酒場の男たちの人気を集めてしまっていた。慎ましやかに微笑む美貌の吟遊詩人がその恋人だとなれば、酒の入った客たちには格好の餌と言うもの。 「馴れ初めなぁ。歌うか?」 にやにやとしつつラウルスが言えば、アケルは思い切りよく溜息をつく。 「なんだ、あんた。照れてるのか! いやぁ、可愛いなぁ。おいおい、どこで見つけたんだよ、え!?」 客のからかいにラウルスは悠然と微笑むばかり。そもそも、これはアケルの演技であって、本来の彼でないことはラウルスのみが知ること。 「ま、可愛いことは可愛い……かな?」 「なんですか、その不思議そうな言葉は。寂しいことを言いますね、ラウルス。僕はあなたに気に入ってもらおうと精一杯努力しているのに。悲しいな」 にこりと笑うに至って、ラウルスは背筋が寒くなる。客向けの言葉はどうしてこう肌が粟立つような恐怖感を呼ぶのだろう。 それは彼が狩人だからだ、とラウルスは思う。狩人である自分が客商売をしている、そうアケルが思っている限り客向けの言葉は本当のものではない。だからラウルスは本来の彼を知っている分、その落差が恐ろしい、と言うところか。 「俺の目には可愛いさ。お前がどう思っていようとな。愛してるよ、俺のアケル」 「よしてください、恥ずかしいな……。もう」 その言葉にわっと客が沸いた。ラウルスはとことん感心する。どうやったら自分は狩人、と思っている彼がこのような演技で頬を染められるのか理解ができない。見事なものだった。 「腹芸を褒められても嬉しくないんですけど?」 客には届かない声でアケルがぼそりと言う。それにラウルスが思わず吹き出し、客はまた沸く。何事かこっそり言われた、と思ったらしい。 「腹芸だったら、あなたのほうが得意でしょうに、我が王?」 「まーな」 「やっぱりね」 ふん、と笑ってアケルがリュートを爪弾いた。また新しい曲を奏でようと言うのだろう。そのときだった。酒場の扉が乱暴に開かれる。 「おい、大変だ!」 入ってきた男は顔面蒼白、脂汗を流して震えている。さっと立ち上がった客たちが男に手を貸して座らせたり水を飲ませたり。しかし息をつく間もなく男は話し出す。 「大変だ……大変だよ! お屋敷が壊されちまう……!」 「おい、それじゃわかんねぇって!」 何があったんだ、どうしたんだと言う客たちの耳にも男の耳にも聞こえなかった、アケルの歌声は。けれど男の息遣いが格段に楽になる。 「どうしたんです?」 はじめて吟遊詩人に気づいた男の目が訝しそうに細められ、隣の戦士に目を留める。そしてすがりつかんばかりにラウルスの腕を取った。 「あんた、頼む! 助けてくれ!」 「まぁ、できることならするけどな? そのためにはまず何があったのか聞かせてくれんと」 にこり、ラウルスが笑った。それだけで周章狼狽していた心が静まるかのような、そんな笑み。アケルは隣でそれを見つつ、さすがだと思う。男は知らない、客も知らない。それでも彼は王だった。 「俺は……領主様のお屋敷の、庭師なんだ。今日も、庭の手入れ、してたんだ、仕事だからな。そしたら……」 ごくりと男が唾を飲む。彼の目は恐ろしいものを見ているかのよう。アケルは静かにリュートの弦を弾く。アケルにはすでに事の顛末が聞こえていた。ゆっくりと、支度をする。その間にラウルスは話を聞き終えるだろう。 「庭に……庭に……」 男の目が、そのときの情景を見るのだろう、上に向いた。天井か、否、空。ラウルスは同じよう、上を向いてみる。何かが聞こえる気がした。外の騒ぎだ、と気づく。 「おい、大丈夫か。話せるか。なんか、外はすごい騒ぎになってるみたいだが」 「あぁ……大丈夫だ」 「もしなんだったら、俺が勝手に外見てきたほうが早いみたいだが」 「そうして……いや、ちゃんと話すよ」 言って男は手に持っていた水を一息で飲み干した、その大半が喉へとこぼれてしまっていたけれど。ラウルスはちらりとアケルを見やる。のんびりとしていた。ならば焦ることはないのだ、と腰が定まる。最低限、早急に対処しなければ人命に危機が及ぶようなことはないはず、と。 「お屋敷の薔薇は、自慢なんだ。お館様が大事になさってるからな。俺も、だから丹念にお世話してる。今日も、虫食いの葉っぱをとったり、傷んだ枝を払ったり」 そして男はまた上を見上げた。まるで屋根が抜けて何者かが襲い掛かってくるのではないかと恐れるよう。ラウルスはその仕種にようやくぴんときた。 「我ながら鈍いな……」 ぼそりと呟けば、男がびくりとする。それに静かに微笑みかけてラウルスは言う。 「ドラゴンが来たってことか?」 その言葉にか声音にか。男は体を震わせて大きく何度もうなずいた。そしてついには気を失う。 「――こいつ、逃げてきたんだ。お屋敷ほっぽらかして」 客の一人が小さく言う。アケルはなにも言わなかった。ラウルスは肩をすくめた。 「そりゃあ、なぁ。あんなでかいもんがいきなり降りてきたらびびるだろ。逃げても誰も責められないさ」 「ですよね。ラウルス?」 「おう、行くぞ」 何事もないかのよう出て行こうとする二人に客たちは呆気に取られる。逃げるのだと思った。当然だとも思った。 「で、お屋敷ってのはどこにあるんだい?」 扉の前、ラウルスが振り返って問う。問われて客は言葉の意味がわからなかった。 「あなた、場所も知らないで行くつもりだったんですか。意外とお茶目さんですね」 「うるせー。ほっとけよ」 二人はなんでもないことを語っているようだった。まるでちょっと綺麗な花が咲いたから眺めに行くといわんばかりの態度。 「ちなみに。お屋敷の場所なら僕が知ってますけど?」 「なんだよ、早く言えよ、お前」 「あんなに大きなお屋敷の前を通って気づかないあなたが変なんです!」 言い合いながら出て行く二人を客たちはぽかんと見送っていた。そして二人の影が消えると共に、客たちは慌てふためいて男の介抱をする。吟遊詩人と戦士の面影は去り、当たり前の毎日がそこにあった。 |