人は忘れるものだとラウルスは思う。楽しいことも悲しいこともみな、少しずつ忘れ薄れていく。そうしていかなければ、生きていくことができないから。
 それは多少変わってしまったとは言え同じ人の身。わからないわけではない。理解もできる、想像もできる。
「だがな、かといってはいそうですかってわけにも行かんよな」
「なに言ってるんですか」
 相変わらずの旅の途中だった。すでに妖精はいない。サティーたちもいない。だから二人が混沌を集める理由ももうない。逝ってしまったヘルムカヤールは言った。いずれこの世界そのものが聖性も瘴気も浄化する、と。
 だから旅をする理由そのものがないはずだった。どこかに定住してもいい。もっとも、姿形の変わらない二人だ。ある程度の時間で移住することになるだろうけれど。
 しかし二人は旅をやめなかった。何かに突き動かされるよう、旅から旅へとこの世界の空の下、歩き回った。
「いやなぁ。あれから、どれくらい経ったかな?」
 歩きながらぼんやりと言うラウルスに、アケルは少しばかり顔を顰める。また何事かを悩んでいるのだろう。何事もない顔して、けれど深く悩む彼のことをいい加減嫌でも理解していた。
「あれから、ですか? みんながいなくなっちゃってから……そうですね、五年くらい経ちましたっけ?」
「いい加減なやつだな。もうちょっとちゃんと覚えてろよ」
「だったらあなたが覚えててください!」
「そりゃもっともだ」
 からりとラウルスが笑った。それでアケルは彼の悩みが深くはないことを知る。ただ、やはり何かを考えているらしいことはわかったが。
「それで、ラウルス? いい加減に白状したらどうなんですか」
 少し先に村が見えてきた。今夜はあの村に宿をとることにしようか。アケルは爪弾いていたリュートを構えなおす。
「白状? なんのことだかなぁ。俺にはさっぱりだね」
「ラウルス!」
 声を荒らげると共にリュートの弦を弾く。ラウルスが打たれたよう、顔を顰めた。
「お前な、それ。やめろよな。けっこう痛いぞ」
「そうなんですか?」
「おうよ。後ろ頭をぶん殴られた気分だ」
「……気づきませんでした。ごめんなさい」
「いや……まぁ。それほどでも?」
 殊勝に詫びられてしまったラウルスこそ、戸惑ってしまう。痛いのは確かではあるし、不快でもある。ただ、そこまで詫びられるようなことか、と問われれば違うような気もする。
「あー、その、な。アケル。あいつらがいなくなっちまって、ちょっと寂しいからな」
「えぇ……」
「まぁ、今日はあそこに泊まるか」
 支離滅裂具合に、ラウルスの気持ちが伝わってくるようだった。アケルはそっと微笑み、ラウルスの肩先に頬を寄せる。
「そうしましょう」
 言えば喉の奥でラウルスが小さく笑いを噛み殺した気配。アケルはぱっと飛び離れ、彼を睨み据える。その拍子に赤毛が見事にひるがえった。
「違いますから! 僕はそんなこと、考えてない!」
「ん? なに考えたんだ? 俺の可愛いアケル? 愛してるよ」
「滔々と流れるように言うの、やめてください! 信憑性がまるでない!」
「信じろよな」
「疑います、心の底から、思い切り!」
 憤然とそっぽを向き、アケルは足を速める。背中で赤毛が彼の感情のよう揺れ動いていた。ラウルスはそれを眺めつつ笑みをこぼす。
 軽く五年、とアケルは言った。妖精たちがこの世界からいなくなってしまって五年。ヘルムカヤールが逝ってから五年。
 アケルとて、沈み続けていたわけでも目的を失って呆け続けていたわけでもない。それでも以前とは少し、変わった。
 なにが変わったのかは、ラウルスにはわからない。だから自分も変わったのだ、とラウルスは思う。流れていく月日から取り残されていく自分たちの行く末は、いったいどうなるのだろうと思わないでもない。ただ、考えても無駄だ、とも思う。いずれ、何物かに流されて行かざるを得ない自分たちだ、と。だからせめて、行き着くまでは楽しく過ごしたい。
 ラウルスの心を知ってか知らずか、アケルは彼のことなど忘れた顔をして村へと入っていく。とっくに吟遊詩人の到着が知れていたと見えて、村の広場は大賑わいだった。
「これはこれは皆様方、よくぞお集まりで!」
 朗らかな吟遊詩人の態度もすでに堂に入ったものだった。昔は本職ではない、と常にラウルスには言っていたのに、最近では言わなくなっている。どこをどう見ても本職なのだから、言うだけ虚しい、と気づいたらしい。
 ラウルスはアケルが興行を打つのを彼の背後で眺めていた。護衛戦士連れの吟遊詩人、と言うのは珍しい。村人の視線が多少は痛いが、気にすることもない。いずれ、忘れられていく自分たちだった。
「覚えてますか?」
 歌の途中で、歌いながらアケルはラウルスに語りかける。その声も、観衆には聞こえていない。実に器用な真似ができるものだ、と感心しつつラウルスはそっとうなずいた。こうして歌っているアケルは、背後の気配を読み取るなど造作もないこと。それで充分伝わるとラウルスは知っていた。
「前に、来たことがありますよね。どれくらい前だったかな。ずいぶん大きくなったなって、思います。ほら、あの子。覚えてますか? あのときはまだちっちゃな坊やだった」
 アケルの声が示すほうを見やれば、彼を取り巻く村人の中程に、壮年の男がいた。よく日に焼けた肌、がっしりとした肩。ちらりと振り返って手招いたのは、幸福そうに太った似た年頃の女とその子供。男は彼らの肩を抱き、あるいは手を引き。そうしてアケルの音楽に耳を傾ける。
「病気ばっかりしてる子だって、お母さんが嘆いてたの、覚えてるな」
 くすくすと笑いながら、アケルはリュートを爪弾き続ける。小さな子供が大人になり、そして当時の彼と同じ年頃の子供がいる。不思議で、楽しい。そして切ない。だからかもしれない。アケルは次の曲に妖精を選んだ。悪戯ばかりして叱られて、それでもめげずに新たな悪戯をする妖精たちの楽しげな曲。ラウルスの足が思わず拍子を刻む。
 見れば、彼だけではなかった。アケルを囲んだ村人が、次々と踊りだしていく。女たちは大らかに、男たちは照れくさそうに。そして子供たちが無邪気に駆け回り、飛び跳ねる。
「サティーたちみたいですね」
 振り返って、アケルはラウルスにそう言った。今度は誰にでも聞こえる声で。けれど村人は誰も聞いていなかった。アケルの音楽で踊るのに夢中だった。
「踊ったらどうです、ラウルス?」
「冗談はよせよ。俺は苦手なんだよ」
「あなたが?」
 アケルの目が笑った。かつてのアルハイド王ともあろうお方が踊りが苦手とは何の冗談だ、とばかりに。
「あぁ、こういう素朴な曲はお気に召さない? だったら、もうちょっと荘厳で形式ばったのを今度作ってみましょうか」
「よせって!」
「だって」
「俺はお前の今の曲が好きだ。ほんとだぞ? 言い逃れじゃなくってだな、お前のこの曲調、楽しいだろ。気分が晴れるだろ。だからこのままがいい」
「物凄く、言い訳っぽいですよ」
 くつくつと笑いつつ、アケルはリュートを弾き指先に神経を行き渡らせる。曲がいっそう速まった。くるくるまわる子供たち。笑い出す女たち。足がもつれて倒れた男が頭をかいた。
 りん、とリュートが鳴る。弦楽器の音ではないのに、誰も気にしていなかった。それほど楽しんでくれたか、と思えば吟遊詩人冥利だ、と思ってアケルは内心で顔を顰める。自分は何者だろう、と。していることは吟遊詩人でも、アケルの意識はいまだ狩人。狩るもののない狩人。
「いやぁ、楽しかったねぇ。こんなに笑ったなぁ久しぶりだよ」
「なぁ、あんた、もう行っちまうのかい。泊まっていきなよ! うちの村の宿屋は自慢なんだぜ!」
「そうそう、部屋はたいしたことないけどエールが自慢!」
「なんだとコラ!」
 からから笑う声に言い返したのが、おそらくは宿の主人だろう。アケルはラウルスを振り返り、小首をかしげて見せる。無論、見せたのはラウルスに、ではなく村人に、だ。
「あぁ、泊まっていこうか」
「ありがとう。嬉しいな」
「喜んでもらえて何より」
 ラウルスは大袈裟な宮廷式の礼をして村人の笑いを誘った。これで護衛戦士、と言うよりは吟遊詩人の連れに見えるだろう。
「そっちのお人はなんかするのかい?」
 宿へと歩き出した二人だった。そのアケルに村人のひとりが声をかける。アケルは心の中でそっと笑う。ラウルスはいつも吟遊詩人の連れに見て欲しがるけれど、うまく行った例がない、と。
「なにするように見えます?」
 からかうように言えば村人は肩をすくめ、それでも吹き出した。アケルはつられて笑いラウルスを見やれば、彼は彼でむっつりとしていた。
「大道芸人ってわけでもなさそうだしなぁ。楽器ができるようにも見えない。歌が上手? いやいや、あんたの前で歌う度胸はないだろうさなぁ」
「だよなぁ。昔この村にカルミナがきたことあるんだぜ!」
「そうそう、カルミナ・ムンディ!」
 知ってるだろ、と尋ねてくる村人にもちろんだ、とアケルは答える。それから村人はそっちの人は、と言いたげにラウルスを見た。
「あぁ、よく知ってるよ」
「どんな人だ!?」
 勢い込んでくる村人に見えないよう、アケルはラウルスを小さく睨む。こたえた様子など微塵もなかった。
「そうだな……。歌は飛び切り、楽器は最高。振るいつきたくなるような美形――ただし、気が短いから殴られる危険性大ってところだな」
 うっかりアケルはラウルスを蹴り飛ばすところだった。ぴくりと動きかけた足に彼が面白そうな目をしたのに気づき、危ういところで思い留まる。
「おいおい、こっちの兄さんがすごい顔してるぜ」
「あぁ、妬かれたかな?」
 問う村人も答えるラウルスもまとめて張り倒してしまいたい。ぜひとも部屋で二人きりになる前に。二人きりになったら間違いなく懐柔される。
「全然妬いてなんかいませんから!」
 けれど、気づいたときには怒鳴っていてラウルスに微笑まれる始末。もっとも、これでラウルスが何者でどういう連れなのかを説明する手間が省けたのもまた事実だった。




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