怒りに震える王の姿に竜は何を思うのか。ヘルムカヤールは、わずかに痛ましげな顔をしたのみ。表情の読みにくい竜の顔から、アケルはそれを見取っていた。
「それでだな、話は戻るが。おい、聞いておるのか、ちっこいの!」
 吼える竜にラウルスは正気に戻る。今更だった。いまになって事実が明らかになったからと言ってどうなるのか。どうにもならない。あの大異変の日に失われた命は返らない。
「あぁ、聞いてるよ。続きを頼む」
 静かなラウルスの声にアケルは王の怒りの激しさ痛みの強さを聞く。彼にとっていまだ人々は彼の民。守るべき命。たとえその頭上の王冠などなくとも。たまらなく、誇らしかった。
「まったく! だからな、神人たちの聖性に関しては問題ないと、そう言うことだ」
「おい、でっかいの! 話を端折るな、話を!」
「なんだ、ちゃんと聞いておったか、え? 怒るのも落ち込むのも後にせい。人の話はちゃんと聞く。それが礼儀だぞ?」
「だから聞いてるだろうが!」
 声を荒らげつつ、ラウルスは感謝していた、竜に。こうして励ましてくれる異種族の友。何より尊くありがたかった。
 そのラウルスの目を竜は見ていた。ゆっくりと息をしたかと思えば、急に晴れやかになった男の目を。決して心楽しく聞いていられる話ではないはず。それでも見事に気持ちを切り替えて見せた人間。この世も悪くはない、不意にそんな気分になった。
「端折った部分はだな、ちっこいの。この世界にはなにがいる?」
「なに? そう言われてもな。人間もいるし妖精もいる。あんたみたいなうるさいドラゴンもいる」
 肩をすくめたラウルスに、アケルがそっと笑った。口では酷いことを言いながら、どれほどラウルスが竜と会話をするのを楽しんでいるか、アケルには嫌と言うほどよくわかる。
「まぁ、人間、と区切っていい。人間は何種類いる?」
「……それはいい人間と悪い人間なんていう抽象的なものではなく、と言うことだな? まぁ、だったらそうだな、大人と子供……それも違うか。あぁ、男と女。それでどうだ?」
「――お前、本当にどういう頭のつくりをしておるやら」
「どういう意味だよ!」
「ヘルムカヤールは褒めてるんですよ、たぶん」
「褒めてるように聞こえないっての」
 文句を垂れるラウルスの肩先にアケルは寄り添う。天の御使いに対する怒り、竜と話す快さ。ラウルスの心に渦巻く様々な感情が手に取るように聞こえていた。
「またそれだ。すぐにいちゃつきよる。まぁ、いい。ちゃんと聞いておれよ? だからな、天の御使いから、ある意味で離反したのが神人だ。御使いは守らぬと決めたのだからな、たぶん。我こそは人間の守り手、と地上に降りた御使いが、神人だ。それは理解したか?」
「本気で守ってくれる気があるなら俺に文句はないがな」
「そうは思えんか? あながち間違いでもないような気が我にもするが、まぁ、それは以後のこと。いまはわからん。まずその神人がはじめて目の当たりにしたものがある。それがさっきの話だ」
「そうか! 御使いは、初めて人間の女を目にしたんですね!」
「言うなれば男も、だろうがな。守るためには男の姿を取る必要があったのか、神人はいずれも男の形をしているだろう?」
「……ん? 天の御使いに性別はない、と言うことか?」
「そもそも根本的に、だ。なぜ肉をまとう必要がある? 御使いにそんなものは必要ないぞ? あれは地上に降りた仮の姿、と言うところだろうな」
「ヘルムカヤール。僕はちょっと頭痛がしてきました」
「だったら後で世界に聞くか? 小さいのにはそっちのほうが話は早いかもしれんの」
 ぱちりと片目をつぶる竜にアケルは虚しい笑いを漏らした。何を尋ねればいいのかわかっていれば世界に問うこともできようけれど、なにがなんだかわからないのでは問いようもない。
「なるほどな。男の姿をしているから、女に惹かれる、と?」
「お前らみたいにひねくれた神人がいないとは限らんが、性と言うもののありようを考えたとき、それが自然だろうよ」
「言ってくれますね! でもヘルムカヤール。御使いが、この世界の自然に縛られるものなんですか?」
「当然縛られるよ。なんといっても地上に降りたのだからな。地上に降りて、地上の肉をまとった。ならば地上の自然に縛られるのが当然」
 長い首が緩やかに動いては当たり前のことを語る。が、アケルにはそれが当然のことなのかどうか判断をつける根拠がない。あるいは、友が語ることだからこそ信じるしかない。ある意味では、それ以上の根拠などなかったけれど。
「聖性の問題だったよな? それと女に惹かれるのになんの問題が?」
「おい、ちっこいの。考えろ。天の御使いに肉はない。わかるか? 肉に縛られず、性欲を覚えないのが天の御使いだ。だったら、神人は? そもそも規範から逸脱して地上にある。肉をまとって性欲を知った神人は、ならば天の御使いとして正しいか?」
 ヘルムカヤールの言葉にアケルは意表を衝かれたよう仰け反った。世界の声が耳の中にこだまする。鳴り響いて、他の音が聞こえなくなりそうなほどに。だからそれは、真実だった。
「そうか……。御使いは、御使いではなくなった。正に、神人と言う別の存在になった。そうですよね、ヘルムカヤール? だから、聖性は発しない。少なくとも、天の御使いほどは発しない。だから、人間にとっても世界にとっても問題になるほどではない。そういうことですよね?」
「そういうことだ。ほれ見ろ、ちっこいの。小さいのの方がずっと頭がいいの。可愛い小さいの、こんな男なんぞやめてしまえ」
「ヘルムカヤール。褒めるか貶すかどっちかにしてくださいよ」
「お前を褒めて、ちっこいのを貶しておる。問題はなかろ?」
「大有りです。僕とラウルスは……美しく表現すれば魂をわけあった? 実際は一蓮托生みたいなものですから。彼を貶されれば僕を貶したのと一緒ですよ」
「お前なぁ、アケル。どうして美しい表現をそこまで嫌そうに発音するんだよ」
「だってそんなに綺麗なものじゃないでしょう! 四六時中喧嘩して、四六時中罵りあってるんですよ?」
「それでも愛してるよ、アケル」
 にこりと微笑まれて、自分がどれほど竜の言葉に動揺していたのかアケルは知る。笑顔ひとつで自覚させ、静めて見せた男からアケルは顔をそむけた。
「なに照れてんだよ、可愛いやつ」
「うるさいです! ヘルムカヤールに怒鳴られたくなかったら黙ってください!」
「だってよ、でっかいの。どうする、怒鳴るか?」
「ちょうど吼えようかと思っておったがなぁ。どうにも気が抜けるわ。本当にお前らときた日には、まったく。この二人に世界の命運が懸かってるかと思うと肩が凝って仕方ないわ」
「ちょっと待て、ドラゴンの肩ってどこだよ?」
「あるだろうが、立派な肩が! ほれ、ちゃんと見ろ。どうだ、美しいだろうが。このなだらかな線! この鱗の輝き!」
「あー、はいはい、わかったわかった。生憎申し訳ないが俺にはドラゴンの審美眼がないらしい。全然わかんねーわ」
「投げやりなやつだ! なんという不遜な! えぇい、小さいの、お前は――聞くまでもなさそうだな?」
 がっくりと肩を落として見せたヘルムカヤールに、アケルは竜の肩というものを発見していた。だがくすくすと笑うのに忙しくて、それを伝える暇がない。
「まぁ、いいわい。それでだな、非常に話が長くなったがな、二人とも? 要するに我は聞きたいわけだ。お前たちは、自分たちの務めというものをどう考えておるのだ、とな」
 アケルの笑い声が止まった。ラウルスが何かを言いかけ、口をつぐんだ。竜のまっすぐな眼差しに射抜かれて、二人ともただ竜の目を見つめ返す。
「俺たちは――」
 口を開いたのはラウルス。だがすぐに戸惑ったよう言葉を切りアケルを見やる。アケルの指がリュートの弦を弾いた。が、首を振る。なにを聞き取ることもできなかったのだろう。
「混沌を追い払うのが務めだと思ってましたけどね……違うことはヘルムカヤールの解説でよくわかりましたし」
「だったら、なぜだ? 何のために俺たちは呪われている?」
「この際、呪いと務めは別問題としておきましょう。同じでもいいですけど、務めにだけ集中したほうがわかりやすい、そんな気がします」
「だがな、アケル。同一の問題だった場合どうする」
「ですから、それは僕ら人間には判断のしようがない問題では、と言ってるんです。務めがあるから呪われているのか、それとも呪われているから務めがあるのか。わかりますか?」
「なるほど……。一理ある。だったらどうするべきだと思う」
「個人的にはこのまま続けていくよりないと思います。いずれにせよ、するべきことと言うのが何かわからないうちにあがいても仕方ない。黒き御使いが僕らにさせたいことがあるのか、それとも関係がないのかすらわからないのですから」
「もう一度は会いそうだな。そんなようなことをほのめかしていたしな」
「かと言ってご本人がこれをせよ、と告げに来るとも限らない。でしょ? 使いなら、それこそ一時的にサティーを寄越してもいいわけですし」
「サティーに使いが務まるかは微妙だがな。なるほど、わかった。当面は、このまま続ける、その方針で行こう」
「了解です」
 にこりと笑いあう人間たちに竜は唖然としていた。いままで茶化しあいふざけあっていたのと同じ人間か、これが。
「不思議なものよなぁ、人間と言うのは」
 誇り高く、同時にどうしようもない愚か者。それが人間というものなのかもしれない。少しだけ、後悔をした。もっと早くから人間と関わりあっていれば、もっと面白いことを知ったはずだろう。
「と言うわけでヘルムカヤール。あんたはどうするんだ?」
「どう……とは?」
 きょとんと目を丸くした竜に、人間たちが笑いあう。今のいままで真剣な顔をしていた様子など微塵もなかった。
「あんたは一人きりってわけでもないんだろうが」
「僕たちが旅する間、もし探し当てることができたら、お仲間にティルナノーグを訪れるよう伝えましょうかって、ラウルスは言ってるんですよ」
 アケルのからかう口調に、ラウルスはよけいなことを言うなとばかり顰め面をした。ヘルムカヤールは、その人間には計ることもできない長い人生の中、初めて涙しそうになっていた。




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