ゆるりとヘルムカヤールが目を上げた。竜の目は緑の大地の甘い色。ラウルスは黙って見つめ返す。 「なぁ、ちっこいの。気がついてるんじゃないのかね」 竜の言葉にアケルがそっと身を離し、その目を見つめた。不安ではない。寂寥でもない。ならば歓喜か。それも違う。竜の声音は量りがたく、アケルにとっても容易に窺えなかった。 「なんだ。でっかいの」 「ほうらな、気がついておるわ!」 「なんのことだかわからないだろうが、それじゃ!」 笑って言い返したラウルスだったが、竜の勘のよさには舌を巻いていた。その彼に気づいたのだろう、アケルがじっとラウルスを見ていた。 「ラウルス。何か話してくれませんか」 答えを言いたくないのならばそれで推し量るから。そうとでも言うようなアケルの声にラウルスはただ微笑むだけだった。一言でも声を出せば、すべてを知られてしまう。 「ヘルムカヤール。ラウルスは、言いたくないみたいです。だから――」 「なんの、我に言えってことだろうさ。そうだろうが、ちっこいの」 ラウルスが言いたくないことならば聞かない、と言ったアケルに竜は長い首を振って見せた。だから悟ってしまう。 いま必要なことだった。いましか、聞く機会のないことだった。アケルはじっと唇を噛む。それから静かに竜を見上げた。 「そうだ、それでいいんだよ、小さなアクィリフェル。では話そうかね」 一度ヘルムカヤールは伸び上がった。天まで届けといわんばかりに首を伸ばし、翼を広げ。雄大な翼に天地が映っていた。 「なぁ、小さいの。サティーたちは行ってしまったなぁ」 「えぇ……。でも、命にかかわるなら、仕方ない。寂しいけど。会いたいけど。でも」 わかる、と言うよう竜が首をうなずかせる。ラウルスは黙ってアケルの隣に行き、その腕を引く。腰を下ろせば長い草が潰れて香った。 「妖精族も、同じだよ、小さいの」 「え?」 「妖精族も、そのうちに堪えられなくなるだろうよ」 混沌と秩序の均衡が崩れているから。人間より少しばかり混沌が多くなくては生きていかれない妖精たち。ならばその先は。思ってアケルは青ざめた。 「妖精は……サティーの故郷には、行けないですよね?」 「魔界には、そうだな。ちと無理だろうな。あちらはあちらで純粋な混沌の地。妖精族には、秩序のもたらす聖性が足らん」 「だったら……!」 「どうなるかは、その時になってみなければわからんよ、小さいの。だが、妖精がアルハイドの大地から姿を消すのは、確実なことだろうなぁ」 変わっていく世界への愛惜が竜の声音に色彩を添えていた。アケルは青ざめた顔を更に青白くさせていく。 「だったら……だったら、あなたは――!」 魔族のサティーは混沌の少なさに生きていくことができなくなった。妖精族もいずれそうなる。ならば、竜は。 アケルの問いにヘルムカヤールは答えなかった。だからそれが答えだった。ぎゅっと拳を握り締め、アケルはラウルスを見つめる。 「あいよ、了解」 にやりと笑うラウルスに、アケルは体が崩れそうになる。それほど安堵した。なぜそんなに簡単にうなずいてくれるのだろう。愛だけでは理由のつかないこと。 「お前と俺とは一心同体。同じ運命を生きるんだ。お前の考えてることがわかる。お前と同じ夢を見る。お前のしたいことを俺も叶えたい。それじゃ、だめか?」 眼差しの問いに、ラウルスはあっさりとそう言った。ありえないものでも見ているかのような。それなのに、声だけは紛れもない現実。アケルは力なく笑うだけ。 「せめて魂をわかちあった伴侶、くらい言えないんですか、国王陛下?」 からかいの声にラウルスはそっと笑って見せた。アケルの気が晴れるのならば、いくらでも言わせてやろうとばかり。 「生憎と狩人ごときに修辞が理解できるとは思わなくってな」 「言いましたね!」 「あぁ、言ったがどうした?」 「ラウ――」 「いい加減にせんか、小僧どもが!」 言い合う二人、あるいはじゃれあう二人の間に竜の怒号が割って入る。が、それも多分に笑いを含んでいた。 「まったく。場もわきまえずにいちゃいちゃと!」 「誰がだ? 俺はそんなことしてないよな、アケル?」 「えぇ、僕もしてませんよね?」 「こういうときだけ息を合わせるな! それでなんだ。何をしたくて何をするんだ、お前らは!」 急に気の合うところを見せて無邪気に笑いあう二人の人間が始末に負えないと竜が笑う。メイブがここにいたならば、三人で遊んでいるだけではないかと言ったことだろう。 「たいしたことはできないかもしれん。あるかどうかもわからん」 「いいから言えと言っておるわ!」 「だからな、でっかいの。あんたも妖精たちも、アルハイドには住めなくなるのかもしれないんだろうが。だったら、どこかに行くんだろうが」 「……どこかとは……どこだ。そんなどこかがどこにある。我々は――」 「あるかないかなんか問題じゃないんですよ、ヘルムカヤール。あると信じて探す、とラウルスは言ってるんです」 「探す?」 不審そうな竜の眼差しに、アケルはくすくすと笑った。自分でもとても信じられない。あるはずがないとも思っている。けれどラウルスがいるのならばあるいは、とも思う。 「アルハイドから、ただ消えていくだけなんですか? 消えるって、どういうことなんです、ヘルムカヤール?」 それは言葉を変えた死でしかないのではないか。アケルは問う。ラウルスの目も厳しくそれを問うていた。 「サティーたちは、故郷に帰りました。だったら、あなたがたに新天地があってもいいはず。そうですよね?」 「お前らは……」 「そんなものはどこにもないかもしれない。それは言ったな? でもな、でっかいの。俺もアケルも友達を無駄死にさせたくないんだよ。混沌の侵略を受けたのは、アルハイドのせいではないのかもしれない。そうなのかもしれない。所詮、俺はただの人間だ。深遠な理由なんぞわからん。だがな、結局そのせいであんたたちが姿を消す? 遠いどこかに行くならともかく、消えて無くなるのか? 冗談じゃないね」 まるでヘルムカヤールに食って掛かっているかのようだった、ラウルスは。アケルはそんな彼を微笑ましげに見ている。うっとりと。それからうなずいて、どうだとばかり竜を見る。 「僕らには、何もできないのかもしれない。それでも、ただ見捨てるだけなんてことは、したくないんです。ヘルムヤール。わかってくれますか」 口々に言う人間の言葉が、不意に理解できなくなった気がした、竜のヘルムカヤールは。小鳥のさえずりのほうがまだ意味がある気がするほどに。 「そんなところは……」 「ないならないって、諦めがつくまで探したい。だって、友達のことですから」 「だが……」 「いい加減にしてください、ヘルムカヤール! 僕らに何もさせないつもりですか。黙って死ぬつもりですか!? なに考えてるんですか、あなたは!」 「いや……まぁ、特に何も考えていなかった、と言うのが正しいかのう」 「考えてください、今すぐに!」 「なぁ、でっかいの」 にやりとラウルスが笑う。組んで座った足の上、肘をついては頬杖の姿勢。その顔でにやにやとするものだから、非常に人が悪く見える。 「アケルがこういう態度に出たときには、言うこと聞いたほうが楽だぞ? ちなみに経験談だ」 「ラウルス! あなたまでなに言うんですか! やる気、あるんですか!?」 「あるある。充分にある。わかってるから気にするな、俺は気にしてない」 「気にしてください!」 「……きゃんきゃん吼えるな、人間ども! まったく、偉そうなことを言ったかと思えばすぐにこれだ!」 「でも、そんな僕らが好きでしょ、ヘルムカヤール?」 にこりと笑ったアケルに、さすがの竜も言葉を失う。腹を抱えて笑ったのはラウルスだった。 「いずれにせよ、俺たちは混沌を集めてまわってるんだ。その途中で色々見てまわることはできるさ」 所詮、その程度しかできないのだ自分たちには。それでもいいからやらせてくれと言っている二人の人間に竜は言うべき言葉を見失う。 「ないとわかっているものを……」 「ないと思って探すとないもんだ。あると決めて探せば、あるかもしれんよ、でっかいの」 「たまにはラウルスもいいこと言いますよね。そのとおりです。だから、ね?」 わかったと言うまで、人間たちは何度でも言うことだろう。竜は希望など持っていなかった。世界の変革に連れ、消え去るのが定めと思っていた。だから、何も思わない。ただ、好きなようにしてもらおう、そう思う。それが彼らのためになるのならば。せめてもの友情に。 「あぁ、わかったよ。頼もうかね」 気軽に、二人の熱意に諦めたといわんばかりの竜の声。不思議とアケルには竜の真意がはっきりと聞こえた。 だから今は、何も言わなかった。信じてもらえなくとも仕方ないこと。自分自身、あるはずのない地を探そうとしている。そんな気がした。 「まぁ、それはそれとしてだな、二人とも」 「なんだ、他に用があったのか?」 「そもそもそっちの用事で呼んだんだ!」 吼え猛る竜に二人は驚きもしなかった。人間ならばもう少し恐れおののくべきだ、と思わなくもないが、友人ならばこれが正しいのかもしれない。ヘルムカヤールは思って小さく笑った。 「我はどうなるか、現状ではわからん。そうだな?」 否定はできず、アケルはむっつりとうなずく。絶対に見つけて見せると言い切れないのが無性に悲しかった。 「だから、こうしている間に助言をしよう。そう思っておったのに。まぁ、二人とも余計なことばかりずらずらと。おまけに気を抜くといちゃいちゃと!」 文句を垂れだした竜に、アケルはそっぽを向く。同時にラウルスもあらぬ方を見やっていた。時を同じゅうした仕種に竜が憤然と息を吐き、二人の体は座ったまま草地の上を転がっていった。 |