遠いどこかを見つつ考え事をしていたラウルスの眼差しが戻り、アケルに向かって微笑みかける。どうだ、わかったか。そういわんばかりの顔。
「全然わかりませんけど。とりあえずはそれでいいです。納得も行かないですけど、現状その想像が正解かどうか確かめる術はないわけですし。あなたがいいならそれでいいかなって」
「要するに、丸投げしたな? 正解かどうかは俺が探せって?」
「別にそんなことは言ってません! それより!」
 ふとアケルが足元に視線を向ける。そこではサティーたちが踊っていた。長い話に飽きてしまったのだろう、楽しげに遊んでいる。
「キノ、ピーノ。聞きたいんだけど、いいかな?」
 子供相手にするような優しいアケルの声。彼らが魔族と知ってもアケルは変わらない。変わらないことが嬉しい、とラウルスは思う。
「うふふ。なぁに?」
「いいこと教えたら、おいしいものくれるのなの? くれるんだったら教えてあげるのなの」
「だったらピーノに聞こうかなぁ」
 茶化してアケルは言い、腰をかがめてサティーの目を覗き込む。そんな時ラウルスは思わなくもない。もしもあのまま世界が健全にあったのならば。アクィリフェルは狩人として山にあり、そしていつかはよき父になったのではないかと。
「いやん! キノも教えてあげるなの! なぁに、聞きたいことなぁに?」
 揃ってきゃっと飛び上がり、サティーたちは宙を踏むようにして両手を打ち合わせる。それすらもまるで舞踏。
「だったら二人ともに聞こうかな。ねぇ、キノもピーノも、なにをしにきたの?」
 言われてみればそのとおり、とラウルスは小さく笑った。サティーたちがこちらの世界に出てくることはいまとなっては珍しい。確かに妖精郷はアルハイド大陸の内にある。決して別世界ではない。だが、ここではないどこか、でもある。
 あの大異変の折、この世界の混沌と秩序の均衡が崩れたらしい。影響を受け易い妖精、また混沌がなくては生きていけないサティーたち魔族は、だから人の世に現れることが少なくなっている。
「まぁ、言われてみればそうだよな。用もないのにこっちにはこないか」
 まさかカルミナ・ムンディの真相を告げるためだけに現れた、とも考えにくい。それならば遠からず妖精郷を訪れたときにメイブ自ら言えばよいだけのこと。急用ではないのだから。
「うふふ。そうなの。用事があったの。うふふ。なーんだ?」
「ずるいずるい、キノが教えるのなの! あのね、会いたかったの。王様のお客様とね、赤毛のお客様にね、会いたかったのなの」
 無邪気な子供の眼差しで、二人のサティーが彼らを見上げた。そのまま抱き上げて頬ずりしたくなる愛らしさ。だがしかしアケルは。
「それって……」
 意味もなく会いたがったとは、思えなかった。何か不安を呼ぶ声音。魔族の彼らの声の意味は、さすがのアケルにも汲み取りがたい。もどかしい気がした。
「なんだ? ついこの前、妖精郷で会ったばっかじゃないか。お前たちに会えるのは嬉しいがなぁ」
 くすりと笑ってラウルスは、両腕でそれぞれのサティーを抱えあげる。きゃっきゃと笑うサティーたち。ラウルスの金茶の髪に指を絡ませ、頬に擦り寄り。あるいは、彼の息子たちが幼かったころの情景。
「うふふ。会いたかった。王様のお客様、ピーノのこと、忘れない?」
「忘れる? なんでだよ。そんなわけないだろうが」
「ずるい、いやんなの! キノはキノは! キノのことも覚えててくれるのなの?」
 差し上げていた二人を少しばかり下ろし、ラウルスは腕の上に座らせてしまう。小さなサティーだ。そうしていても少しも重くはなかった。
「だから忘れるわけがないだろうが。いまだって俺もこいつもお前たちのために頑張ってるぞ、うん?」
 彼らが生きていく混沌を集めるために大陸中を旅している。一所に留まることなく、次から次へと。そして妖精郷を訪れては旅に戻る日々。ラウルスは苦になど思ってもいなかった。助けてくれた相手だから、今度は助ける。それが当然だと思っている男。サティーはそんな彼にもう一度頬を寄せた。
 きゅっとしがみついてくる小さな手に、ラウルスは胸の奥に温かい思い出が甦るのを感じた。子供のように熱い、サティーたちのぬくもり。
「キノ、ピーノ……」
 ためらうアケルの声音に、ふと嫌な予感を覚えた。こんなにもサティーたちは温かいのに。こんなにも側にいるのに。
「あのね、王様のお客様――」
 どちらの声か。けれどそれは途切れ、二人が揃って背後を振り返る。何もないと言うのに。けれど、何かがあった。否、いた。
「いやん、お迎えなの。パーンなの。ずるい、もうちょっとなの!」
 そこに現れたのはもう一人のサティー。彼らのすべてと親しいわけではなかったけれど、アケルにもラウルスにも見覚えのないサティーだった。
「だめなのだめなの、だめなの、ね? だってもうそろそろなの。だからお迎え、ね?」
「いやん、いやんなの! もうちょっとなの!」
 バーンの言葉に言い返すキノとは反対に、ピーノはラウルスにしがみついたままだった。小さなサティーの手が、ラウルスの襟を掴んで離さない。まるで恐怖だ、とアケルは思う。
「キノ――」
 問おうとしたときだった。そのパーンとは、君の友達なの、用事があるの、そう問おうとした正にそのとき。アケルは口をつぐむ。ラウルスはサティーたちを抱いたまま緊張を漲らせる。
 すう、と何かが変わった。空気か、温度か。それとも世界そのものか。瞬きをした瞬間、それはそこにいた。
「久しいな、二人とも」
 アケルは一歩を下がった。ラウルスはそのまま動けなかった。
「黒き御使い――!」
 ひどく美しい男だった。惨さが美貌の裏づけとなっているかの。髪も目も衣装すら黒一色の中、一点だけの深紅。この瞬間に流された血かの赤い耳飾り。魔王の剣を授けてくれた御使いが、なぜ今ここに。
「ほう。まだ御使いと呼ぶか。真相はとっくに知れていたと思うがな」
 からりと笑う。けれどねとりと。艶で妖で美しい。その足元、パーンと呼ばれたサティーが絡みつく。
「真相などとっくに知ってはいるが。だがしかし、我々に手を貸してくださったのは、人間にご助力を賜れたのは、あなただ。あなたが悪魔だとしても」
 あっさりと、なんでもないことのようにラウルスは言った。それこそ世の人々がこの事実を知れば暴動のひとつやふたつ、起こるのではないだろうかとアケルは思うが。けれど実際問題として、人間を助けてくれたのは、悪魔だったこともまた事実。
「我が君の遊び場のひとつを壊したくない、それだけのこと」
 以前、アケルはラウルスを陛下、と嘲って呼んだ。尊称を、蔑称のように発音した。だがこれは。我が君と呼ぶ相手がラウルスの腰にある剣の本来の持ち主、魔王なのだろうことは想像に難くはない。君主であるはずの魔王を呼ぶ声音にあるのは、蔑みか、冗談。あるいは情事のほのめかし。アケルがそっと頬を赤らめた。
「黒き御使いよ、お尋ねしたい。此度は、なぜここにお出でだ」
「以前、言った。我が従者の一族がここにいる。それを迎えに来た。この二人が、最後でな」
「迎え?」
「わかっているのではないのか。この世界は――」
 黒き御使いの眼差しが周囲を巡る。それだけで。世界が隈なく見つめられたのだとアケルは知る。
「もう限界だ。サティーは、もうここでは生きてはいけん」
「だが!」
「お前たちが、これらによくしてくれていたことは知っている。だが、混沌の絶対量がもう足らん。実際は少々違うが……まぁ、人間の理解としてはそういうことだ」
「迎えって……。そんな。キノ、ピーノ?」
 いまだラウルスの腕にいるサティーたちだった。アケルがそっと覗き込めば、目をそらさずキノが顔を歪めた。黙ったまま、ピーノが目に涙をためた。
「いやん……会えなくなるの、いやん……なの」
 ぽろりぽろりと大粒の涙がこぼれる。そっと腕を伸ばしたアケルの胸に、キノが飛び移ってきた。
「王様のお客様、もうさよならなの。もう会えないから、最後に会いたかったの。うふふ、さよなら、なの――」
 泣きながら、ピーノがラウルスの髪に顔を埋めた。言葉がなかった、二人とも。こんなに唐突に、なぜ。先日、妖精郷を訪れたときには、元気そうではなかったものの、それでもサティーたちは全員目覚めていたものを。
「これでも連れて行くか、パーン?」
 ふと御使いが足元のサティーに尋ねた。きゅっと唇を噛むサティー。すれば、彼が御使いに仕える従者、なのだろう。
「――このまま置いて行ったら、どうなるの、どうなるの」
「死ぬよ」
「だったらだめ、だったらだめ。寂しくっても、連れて行くの。連れて行っちゃ、だめ、だめ?」
「俺はかまわんよ。だから、迎えに来ている」
 そっと笑って黒き御使いはパーンの頭を撫でていた。きゅっと声がした。嬉しさがこらえきれない、けれどいまここで楽しげな声は立てられない、そんなパーンの漏らした音。アケルは静かにキノを離す。
「いやん、いやん! 赤毛のお客様と一緒にいるのなの! いやんなの!」
 ゆっくりと、アケルは足を進める、御使いの元に。正面で、足を止めた。
「キノ」
 一度だけ、きつく抱きしめた。それから、キノの面影を瞼に焼き付けるよう、見つめる。黙って、御使いに渡した。
「いやんなの――!」
 泣き叫ぶキノに続いて、ピーノも。ラウルスが、大切なものを預けるよう、御使いに抱かせていた。
「確かに、預かった」
 御使いの言葉に、アケルは驚く。こちらの、たかが人間の心を汲んでくれるとは、思いもしなかったものを。
「パーン、だったね。キノもピーノも僕の大事な友達なんだ。だから、二人を頼むね」
「お友達、お友達? キノとピーノのお友達? 変な人間、変な人間! でもいいよ、キノもピーノもパーンと仲良し、仲良しなの、ね?」
 パーンはその場でくるりと回り、きゃっきゃと笑った。まるで小さな友達を励まそうとでも言うように。
「ではまたいずれ――」
 黒き御使いが背を向ける。踊りながら従うパーン。パーンの足が宙を駆け、御使いが滑るよう動き。そして彼らは見えなくなった。キノの叫び声と、ピーノの涙をこの世界に残して。




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