耳まで深紅に染めてうつむくアケル。笑えば笑うだけ、赤くなっていく。それをずっと眺めているのも悪くなかった。このまま笑っていれば早晩アケルは恥ずかしさのあまり泣き出すかもしれない。そう思えばこそ、笑い続けたいと思う自分がいる。ラウルスはそんな自分に内心で苦笑して、笑いを収めた。
「アケル」
 この声は彼に、いったいどのような思いとして聞こえているのだろう。自分のいまの醜い惨さも、彼には聞こえているのだろう。
「なんですか! ……それと! 僕は、そんなあなたでも好きなんです! 本当に、自分で頭がどうかしたんじゃないかと思いますけど!」
「あー、念のために聞いておくと?」
「別にいじめられて喜ぶ趣味はありません!」
 くつくつと笑うラウルスにアケルは言い返す。残念ながらこれが本心かどうかわかってもらう術はない。アケルとしては紛うかたなき本心なのだが。
「あなたがどんなに最低の大馬鹿者でも、僕はあなたが好きだって言うだけですから! でも、あんまり酷いことすると、別れます」
「真顔で言うな、真顔で」
「真剣に言わなきゃわかってくれないじゃないですか! それと!」
「なんだよ、まだあるのかよ。はいはい、わかったわかった。さぁ言えよ。どうぞ?」
 投げやりな態度にアケルは鼻を鳴らす。が、目はずいぶんと和んでいた。こんなやり取りで心温まるアケルと言う男はなんなのだろう、と思わなくもないが、自分も同様だと思えば口を慎むのが賢明。にやりと笑ってアケルを見やった。
「なんですか、それ! だから! カルミナ・ムンディがなんだって言うのか、あなたは見当がついたから話してくれるって言ったじゃないですか!?」
 あぁ、そのことだったか。そんな様子でラウルスはうなずいた。本当に、いまこの瞬間に思い出したといわんばかりに。アケルはそっと溜息をつき、リュートをかき鳴らす。苛立ちを抑える、と言うよりは照れくささを隠すように。
「あれか」
「それですよ」
 ふん、とそっぽを向いて再びアケルは歩きはじめる。ゆるゆるとした、彼らの通常の歩調。アケルがもう照れていないこと、それどころかかすかな緊張すら、ラウルスは足取りから読み取っていた。
「あれな、たぶんだぞ? メイブ女王の仕業だろうな。仕業って言ったら、あれか。おかげって言ったほうが、いいのか?」
「……ティルナノーグの女王の? どうして」
 呆然として、歩きはじめたばかりの足が止まってしまう。リュートに置いた指すら動かない。そんなことは願っていない、アケルは思う。自分のことなどより、歌などより、もっと祈ることが他にある。
「だからな、アケル。俺はいいんだって」
 柔らかなラウルスの声だった。からかうのではない、冗談でもない。たぶんこれは、アケルしか知らない彼の声。彼の最愛の娘も、最も身近に置いた寵臣も、長く仕えた彼の将軍も知らない、アウデンティースではない、ラウルスの声。
「そんな声で言うから」
 心が弱ってしまう。頼りたくなってしまう。本当に、それでいいのだと信じてしまう。そのようなはずはないのに。
「お前は自分の歌を俺が聞くからいいって言ったのに、俺は違うって言うのか、うん? それはずいぶんと見くびってくれたものじゃないか」
 笑いながら言う。それ以前に、声に表れた彼の心。紛れもない、彼の本当の気持ち。アケルは黙って首を振る。
 自分の歌はそれでいい。それが本心。けれどラウルスは、それでもなお残って欲しい、覚えていて欲しいと祈ってくれる。ならば、同じこと。
「本当に、お前ってやつは。どこまで純なんだか」
 小さく笑って、地面に視線を落としたアケルの頬に手を添える。上目遣いにわずかに見上げ、そのまま目を閉じたアケル。ラウルスがくちづけようとした正にその瞬間。
「うふふ。いいことしてるの。お邪魔しちゃったの。でも、いいもの見ちゃった、うふふ。楽しい」
「いいな、いいななの。ずるいの、可愛くちゅってして欲しいのなの。キノもして欲しいの、ちゅって、ね? ピーノ、ちゅってしてなの」
「うふふ。いやん、キノきらーい」
 足元で、聞こえないはずの声。慌ててラウルスの腕から飛びのくだろう、普段のアケルならば。いまはあまりにも呆然として、動きを止めていた。
「俺にもその気持ちはよーくわかるよ、アケル……」
「なんで、どうして。ピーノ! キノ!」
 最後は絶叫だった。本人曰く意識は狩人、だそうだが現状では彼は吟遊詩人なのだ。その豊かな声量が胸元から響き渡り、ラウルスは顔を顰める。
「うふふ、気がついちゃったの? 気にしないで? 続けて続けて。うふふうふふ」
「いやん、見せて見せて、やめちゃいやんなの!」
「誰が続けるか!」
「見せてあげるなんて、とんでもない! 人間はこういうことは隠れてするものなの!」
 口々に言ったものの、どことなく相手の答えがずれている気がして互いに首をかしげた。そして見つめあい、そっと溜息をつきあう。
「ちなみに?」
「俺の溜息はお前の回答がどこかおかしいな、と思ってのことだ」
「気があいますね、僕もです」
 再び見つめ合う、と言うには今度はいささかきつい眼差し。サティーが足元でくすくすと笑っていた。
「そうじゃなくて! ピーノもキノもどうしたの、こんなところで!?」
 少しばかり照れの混じる声をしていた、アケルは。微笑ましく見つめていたはずなのに、なぜかアケルからは厳しい眼差し。
「うっとり見つめるのは後にしてください。僕はサティーたちがここにいる理由を知りたいんです!」
「俺が教えようか?」
「うふふ、知ってるの?」
「王様のお客様なら知ってると思うのなの。きっとわかるって女王様も言ってたのなの」
「なるほどなぁ。――と言うことは、だ。つまり俺の想像はあっていて、女王はそれを証明するためにお前たちを寄越した、と言うわけか?」
「うふふ、当ったりー」
「いやん正解なのなの。つまんなーい、なの!」
 いつもならばサティーたちの可愛らしいお喋りは笑みを誘うものなのだけれど、こうも置いていかれると少しばかり苛立ちと頭痛を呼ぶ。
「おっと、可愛いアケルがお冠だぞ。怒らせると楽しい歌を聞かせてもらえないぞ、お前たち」
「いやーん、悪いのキノじゃないのなの。ピーノが悪いのなの!」
「ピーノ悪くないもん。ね? うふふ、悪いのはキ、ノ、だもん!」
「わかったから! どっちも悪くないから! 悪いのは王様のお客様だから!」
「お前までつられるな。俺も頭が痛くなってくる」
「うるさいです! ちょっとした言い間違いです! で。ラウルス。白状してください。証明ってなんですか証明って」
「だから! お前も飲み込みの悪い奴だな! さっきの話だ、さっきの。カルミナ・ムンディはお前だ。誰がそう仕向けた? メイブ女王だ。女王はお前を世界の歌い手って呼んだよな」
「それは前からだったと思いますけど? 前は、世界を歌う予言の導き手、とも呼んでた気がしましたけど」
 足元でサティー二人がじゃれていた。笑いながら踊り、踊りながら輪を描く。彼らの足元に、ぴょこりぴょこりと茸が顔を出す。うっすらと光る茸。妖精の輪。現れては消え、消えては現れるサティーたちの踊りの軌跡。
「違う。人前で、だ」
 ラウルスの真剣な声にサティーたちが足を止めて彼を見上げる。それから互いにくすくすと笑いあい、また踊りだす。
「人前……。あ――」
「そうだ、ティリアの前で、女王はお前を世界の歌い手って呼んだよな? たぶん、だからだ。カルミナ・ムンディってのは古い雅語で世界の歌い手って言っただけだ。お前は禁断の山の生まれだ。古い言葉がわかるだろうが」
「知りませんよ、そんなの」
「なに言ってやがる。お前の名前も、亡くなったご両親の名前も古い雅語じゃねぇか」
「え――」
「俺を含めて王家の名前も大概はそうだがな。ラウルスってのは――」
 辺りを見回し、彼は何かを探す。そして見つけたのだろう。ある大木の枝を指し示し、葉を一枚引きちぎってアケルの鼻先に突き出した。
「わかるか?」
「あ、月桂樹」
「それがラウルスの葉だ」
 にやりと彼は笑った。今更名前の由来を知るとは思ってもいなかった、と言うより考えたこともなかったアケルは呆気にとられる。
「お前の名前もそうだ。アクィリフェル。鷲の運び手、とでも翻訳すればいいのか? 偶然か運命か予言か、そんなものは知ったことじゃないがな。俺は金の鷲とも言われてたわけだ」
 あるいは、だからこそ予言は鷲を導くもの、導き手としてアケルの名を記したのかもしれない。予言に記されているから、誰も気づかぬうちにアケルはその名を与えられたのかもしれない。そんなことは誰にもわからない。
「だからティリアの前で女王は俺を鷲の方だの雅語でアクィラだのって呼んだわけだ。わかったか?」
「……やっと納得が行きましたけど。でも、釈然としないな。僕の生きてきたこれまでが、何者かに操られているような不快さ、とでも言うんでしょうか」
「お前はお前だ。気にするな」
 あっさりとラウルスは肩をすくめた。考えても仕方ないことならばそのまま頭の隅に追いやったほうがいい、彼がそう言っているのはわかっていた。
「本当にあなたって人は。僕にはそう言うくせに、自分はどうなんです?」
 かすかな笑みでからかえばラウルスがいやな顔をした。それなのに目が笑っているから、アケルも小さく笑い返す。
「――女王が人間に向かって世界の歌い手と呼んだ。わかるか? 俺たちのことを忘れない、妖精の女王がそう呼んだんだ。ティリアの記憶になにが残る? 世界の歌い手だ。悪魔の呪いと、妖精の女王の記憶が拮抗した。結果、ティリアはカルミナ・ムンディと言う吟遊詩人がいる、とだけ覚えた」
 想像だがな、とラウルスは結んだ。間違いではないだろう、とアケルは思う。耳を澄ませば世界が語りかける声。小さく溜息をついた。
「漠然とした曖昧な記憶だ。それだけ、悪魔の呪詛はものすごいということなんだろうがな。だからカルミナは姿形も曖昧な伝聞になっていく。そう考えれば納得がいく」
 独り決めしてうなずいているラウルスに、アケルは溜息をつくしかなかった。どうしてそれで納得できると言うのだろう。何がどうなっているか、さっぱりだった。ただアケルはそれでもよかった。ラウルスがそう言っているのならば信じる。それでよかった。




モドル   ススム   トップへ