ラウルスが抜き身の剣を振っていた。すらりとした刃の漆黒の輝き。あの村の結婚式で剣舞を披露させられてからすでに数日を経ている。
「どうしました?」
 道を行きつつアケルはいつもどおり歌っていた。リュートの音色が好天に豊かに響く。小鳥のさえずりのようであり、小川の流れのよう。大異変ののち、ラクルーサは小川の多い国になっていた。ラウルスには彼のリュートがまるでこの国の音色に聞こえる。
「いや……なんと言ったらいいかな?」
 アケルは首をかしげつつ待っていた。そもそもラウルスが簡単に抜身をあらわにすること自体が珍しいのだ。彼の剣は魔王の剣。人は否が応でも惹きつけられずにはいられない。
「なんだか剣が重い気がしてな」
 今度首をかしげるのはラウルスの番だった。それでアケルははたと気づく。今更ではあるが、しまったとすら思った。
「ごめんなさい、僕のせいだ」
「おい、アケル」
「もうちょっと早くに気がつかなくちゃいけなかったのに」
 唇を噛みしめて、いまはリュートを弾く手も止めた。だからこそラウルスは慌ててしまう。急いでアケルをなだめようとして、不意に落ち着いた。
「お前な、アケル。言うべきことがあるならちゃんと言えって。俺はいったい何度お前にそう言うんだ、うん?」
 からかう声にアケルが目を上げた。多少のわざとらしさはアケルでなくとも感じるだろう。だが彼は世界の歌い手。ラウルスの声にあったものなど聞きたくなくとも聞こえてしまう。
「慰めてくれるんですか、ラウルス?」
「そう聞こえてなかったんなら残念この上ないな。で、どうしたんだ?」
「いえ……昨日も混沌を吸ったじゃないですか」
 メイブ女王の示唆を受けて旅をしてみれば、いたるところに混沌の欠片があった。二年もの間、何をしていたのかと思ってしまうほど。
「あぁ、それで?」
 だがメイブに言われたからこそ、気づいたのだろうとラウルスは思う。本来、人間には聖性も瘴気も必要なのだろう。どちらが多すぎても少なすぎても人間は生きてはいけない。そうだろう、とラウルスは思う。以前、竜のヘルムカヤールと交わした言葉だった。
 だからこそ、少々の混沌の欠片には気づかない。あるいは、気づけない。いまは必要があって探しているから、見つけられる。もっとも、それはラウルスの想像だ。アケルも似たようなことを言うけれど、彼の言葉は世界の言葉。ラウルスにはわかり難いところがあったし、アケル本人ですら自分も理解が及ばないと言う。
「だから、剣が重いんですよ、ラウルス」
「そのだから、の内訳を話せって言ってるんだってーの」
「だって!」
「だってもでももない。怒らないからちゃんと言えって」
「……そうやって子供扱いして」
「実際、俺の息子の年だしな?」
「ラウルス!」
 思い切り冗談だとの意思をこめて言ったのに、やはりアケルは怒った。顔を真っ赤にして怒鳴っているものだから、ラウルスはおかしくなる。
「なにがおかしいんですか、まったくもう! そうですよ、僕はどうせあなたの子供の年ですよ! やだな……」
「おい――」
「どうして自分の息子と年が変わらないような僕に手を出すような男を選んじゃったんだろう……」
「お前な、真顔で言うな真顔で」
 うっかり慌ててしまったラウルスの、負けだった。くつくつとアケルが笑う。そして思い出す。確かに容姿こそは三十代も半ば程度。だが自分はいささか若いにしてもアケルの祖父の年と言ってもいいはず。ならばアケルとて、かなり趣味が悪いと言わざるを得ないということに。
「結局似たもの同士じゃねぇか」
「だと思いますよ? 趣味が悪い同士、趣味があってよかったですね」
「重畳だな。で、アケル。本題からずれてる。そんなに言いたくないか?」
「違います! あなたがわけのわからないこと言うから!」
 俺のせいかよ、とラウルスは目つきだけで文句を垂れた。言わなくとも通じてしまうのはわかっている。アケルは聞こえた証に眉を上げ、そして溜息をつく。
「ちょっと移動しましょう。道の真ん中じゃ人の迷惑だ」
 たいして人通りなどないのだが、確かに話し込んでいては通行の邪魔、とも言える。ラウルスは黙って従い、ふと眉を顰める。
 道を外れる、と言うよりは人気のない方向へと向かっていた。まるで万が一にも誰かの目に留まったりしないように。そのラウルスの思いは当たっていた。
「シルヴァヌス、聞こえますか?」
 ラウルスがはっと息を飲む。妖精郷の境の守り手を、アケルは呼んでいた。ざわりと辺りの気配が変わる。か細い木々の木立のその梢、小鳥の歌は聞こえず、風すら止んだ。
 そして木立の足元、ほんのりと光るものが現れた。宵闇に光る茸の一叢。いまはまだ、真昼だったが。茸の描く輪をなんと呼ぶのかラウルスは知っていた。
「妖精の輪……」
 りん、とリュートが鳴った。リュートの音色だとわかるのに、なぜか奇妙なほど鈴の音に似る。アケルを見やれば、悪戯に片目をつぶっていた。
「行きますよ」
「……そう言うことか」
「ですよ」
 言いつつアケルの目は、わかっているのか本当に、と疑いもあらわ。思わずラウルスは大きく笑い、そしてアケルとともに輪を超えた。
 そしてそこはもうラクルーサではなかった。妖精郷のうち。アケルが呼びかけたシルヴァヌスが、すぐそこで手を振っていた。手だろう、とラウルスは思う。ひどく樹木に似る種族である彼らの腕は、やはり太い枝のようだった。
「要するに、だ。混沌を吸い込みすぎて剣が重くなった。だから妖精郷に置きにくるべきだったのにお前はすっかり忘れてた、とそういうことだろ?」
「別に忘れてたわけじゃないですから! まだ平気なのかな……と」
「なるほど。ちゃんと言うべきことを言わなきゃならなかったのは俺だったか」
 からからとラウルスは笑った。実際、村の結婚式のあとから多少は剣の重さが変わっているのに気づいていた。慣れない剣舞の疲労かと気にも留めていなかったのだが、やはりその時点で言うべきだった。
「あなたって人は……」
「なんだよ?」
 シルヴァヌスに手を振り返し、二人は歩きはじめる。そのうち誰かが迎えに来るだろう。
「どうしてそうやっていつもいつも、僕を許すんですか。悪かったのは、僕なのに」
「そうか? 俺だったと思ったがな」
「だから!」
「お互い様だったんだからこの辺でやめないか? 結局は俺とお前、どっちも悪かったってところに落ち着くぞ?」
「問題はそこにたどり着くまでの過程だと思いますけど!」
「それなら何度も繰り返したからもういいだろうが」
「いいはずないじゃないですか!」
 大きく声を荒らげて、けれどアケルは笑い出していた。こうしていつも懐柔されてしまう。しかもラウルス本人は懐柔しているつもりなどまるでない。ただ素直に思うところを言っているだけ。だからこそ、貴重な言葉だった。
「喧嘩は済みましたか、二人とも」
 どこからともなく声が聞こえ、二人ともぴたりと止まる。そして微動だにせず、待った。
「まぁ、面白くない。少しくらい驚いて見せるべきですよ、アルハイド王。例えば振り返ってみるなど?」
「そうしたらあなたはまた背中に回って私を驚かすのだろうが、メイブ女王?」
「そのとおりですとも」
 にこり、妖精の女王が笑っていた。先日別れたときより、少しばかり元気そうに見えるのはラウルスの剣のせいかとアケルは気づく。
「そのとおりですよ、世界の歌い手」
「それは重畳ですね。まだまだ足りないでしょうけど、すぐ始めましょうか」
 ラウルスの戯言に似て、しかし真剣なアケルの言葉だった。抱えていたリュートの首をぎゅっと握り締めて、最近ではしなくなっていた緊張の仕種と気づく。
「えぇ、そういたしましょうか」
 こくりとメイブもうなずいた。ラウルスが口を挟む間もない。が、それでよかった。アケルがする、と言うなら見守るのみ。
「……いや、たまに口は出したくなるな」
 どうにも放っておけないアケルだから。そのままにして置けばどこで何をしでかすかわかったものではない。本人、真面目なだけに危うくてかなわない。
「ラウルス。何か言いましたか」
「言ってないけどな、アケル。どうせ聞こえたんだろうが」
「いけませんか!」
「悪いとは言ってない。一々照れられると独り言もいいにくいなぁ、と一緒になって照れてるところだ」
「その顔のどこが照れてるんですか、どこが!」
「うん? 全面的に照れて真っ赤だぞ、俺は?」
 平静な顔色のまま、飄々と言ってのけたこの男をどうしてくれようとアケルは思う。肩を落とすにとどめた。
「本当に、どうして僕はあなたがいいんだろう。時々わからなくなりますよ。……いや、頻繁に、かな?」
「そりゃお互い様だ」
 肩をすくめてラウルスも言い返す。賢明なのか、それとも悪戯を仕掛ける暇もなかっただけか、メイブは黙って歩いていた。
「そこですよ、世界の歌い手」
 アケルは息を止めた。ラウルスは目をみはった。妖精郷は、アルハイドの大地にありながら、この上もなく美しい景色が広がる地。
 それをラウルスはよく知っていた。アケルもお伽噺で聞きもし、自分の目で見もした。だがここは。あまりにも美しかった。涙が出そうなと言うけれど、そんなものではとても足らない。だから、アケルはリュートに触れた。かき鳴らすなどできはしない。そっと、爪弾くだけ。
 小さな泉を中心に、ほんのりと可愛らしい木立。生き生きとしていて、けれど千年の時を経たかのよう。それでいてなお今この瞬間に生まれでたかの。泉を作る湧き水が、水中でころころと小石を転がす様がアケルの耳に聞こえた。
 こんなにも美しい景色なのに、泉の周囲には点々とサティーが眠っていた。彼らを守るよう、翼を休めていたヘルムカヤールが片目を開けた。




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