だから、アケルは歌っていた。妖精郷を出て旅の途次。まるで吟遊詩人の興行宣伝。町から町へ、村から村へと渡り歩く吟遊詩人の、その到来を知らせるかのようアケルは歌いながら歩いていた。
「疲れないか?」
 時折ラウルスが問う。けれどアケルは笑って退けた。ゆるゆるとした歌は決して疲労は誘わない。世界がそこにあるように、アケルの歌もそこにある。
「ティルナノーグで友達が待ってますからね、僕らの助けを」
 リュートを爪弾き、歌声を奏で。誰一人いない荒野ですら、アケルは歌い続ける。世界の破壊は、二年を経たいまでもなお深い傷跡を残している。
「本当に器用だよなぁ」
 ラウルスが小さく笑った。混沌を探す歌を口ずさみつつ、アケルはそれなのに会話をしている。いったいどうやっているのか見当もつかない。
「なにがです?」
「歌いながらよく喋れるよ、お前は」
「慣れですよ、慣れ」
 なんでもないことのように言ってアケルは肩をすくめた。それにラウルスは思い出す。はじめて出逢ったころのことを。
「最初は鳴らないの我がまま言うリュートだのさんざっぱら文句垂れてたくせにな」
「それは僕のせいじゃありませんから!」
「だったら誰のせいだって言うんだ、うん?」
 からかうよう言い、ラウルスは知らず剣の柄を握り締めていた。気づけばアケルの歌も変わってる。
「話は後です、見つかりましたよ」
「どこだ。というか、あるか? 俺は感じん」
 あの禁断の山の跡地に感じた肌が怖気たつような感覚がいまはなかった。不思議にも思う。が、アケルが言うのならば事実だ。
「小さいですからね。ほんの少し、と言うところかな」
 だから感じないのだろうとアケルは言う。それだけ彼が世界と同調している証とも言えるのかもしれない。
 少しだけ、アケルが恐ろしくなる。あるいは、悲しくなる。アルハイド王国の民を救うのは自分の義務であったのに、なんの間違いかうっかり自分などを愛してしまったがために巻き込まれたアケル。
 あの日あの瞬間。御使いの剣を取ったあの刹那。自分が書き換えられた感覚。一人で済むはずだったはずが、アケルまで。いまなお思い出せば胸がかきむしられそうになる。
「ラウルス、気づいてます?」
「……何がだよ」
「余計なこと、考えてるでしょ。それ、混沌のせいですから」
「ほんとかよ!?」
「……まぁ、多少は。そう思っておいたほうがいいんじゃないですか?」
 にやりと笑われてしまった。ラウルスは軽い溜息とともに物思いを吐き流す。新たに息を吸い込めば、世界が鮮やかだった。
「僕は後悔してませんからね? 大体、僕がただの狩人だったら、あの日に死んでますけど? それでよかったんですか、ラウルス」
「よくない!」
「だったらその話はここまでですよ。いずれどうあろうと今は今。ここにあるんです。致し方のないことを悩んで時間を無駄にするのは賢明ではないのでは?」
 メイブに言ったことを忘れたのかといわんばかりの言葉。けれど声は笑っていた。肩をすくめて回答に代えればアケルがリュートを構えなおす。
 なにと言うこともないただの森だった。否、以前は森だった場所。今は木々の多くが倒れ伏し腐れている。
「行きますよ」
「ちょっと待て。俺はどうすりゃいいんだ。それを言ってからにしてくれ」
「僕が知るわけないじゃないですか。とりあえず、混沌はこっちに向かってきますよ? 僕らは餌のようなものかもしれませんし。だから向かってきたら、切ってください」
「切って、いいのか?」
 剣身に同化させるのなんのと言っていた気がするが。首をかしげたラウルスだったが、アケルが言うのならばとりあえず従おう、と決める。考えてわかることではない。そもそも世界の歌なり剣の声なりが聞こえているのはアケルであって自分ではない。
「わかった、とりあえず切ればいいんだな?」
「あなたのその思い切りのよさが僕はけっこう好きですよ」
「そこだけか、うん?」
「僕をからかってる暇があるんですか! もう来ましたけど!?」
「おい!」
 今まで話していたではないか、と言いかけて、この男は話しながらでも歌えるのだと思いなおす。実際、混沌はそこまで来ていた。
「相変わらず気色悪いな!」
 目に見えるものではないのに、そこにあるのを感じる。暗くはないのに闇を覚える。どろりとした、淡い空気。背筋が粟立つ感覚に、ラウルスはにやりと笑う。
「ほら?」
 アケルの言葉はラウルスへのものではなく、混沌への誘い。おいしいものがここにあると誘惑するかの。
「まったく、どっちが悪魔だかな!」
 古来、物語に言う。悪魔とは巧言令色をもって人を誘うのだと。
「どういう意味ですか、それ!」
 アケルの声に反応したかのよう、混沌の塊がラウルスめがけて飛び掛る。眼前、ラウルスは剣を立てたまま、再度笑う。
 その笑みに吸い込まれるよう、混沌は滑らかに進んでくる。アケルは一瞬の半分ほどぞっとした。危うく混沌をとどめる歌声を発するところだった。
 だがしかし。剣を立てたラウルス。小さな笑み。その猛禽の目がアケルを向いた。
 咄嗟にどうやって反応したのか、アケルにもわからなかった。剣に歌いかけ、声を聞く。聞いた声を歌いなおす。淡く薄く、かすかなものから濃密なものへと。世界の歌へと滑り込ませる。
「……うまく行った、のか?」
 ほう、とラウルスが長い吐息を漏らしたとき、混沌はそこにはなかった。ゆっくりと剣に触れてみる。冷たいような熱いような剣身。鋼と似た感触でいながら、まったく違うもの。
「そのようですね」
 アケルが覗き込むように聞いていた。混沌の塊だという魔王の剣に、更なる混沌が加わったことを聞くのだろうか。
「どうでした?」
「俺はたいして何も感じなかったな。あれか、混沌を討つときとは違って核を作ってない、そういう感じなのか?」
「……よくわかりますね。さすがだな」
 にっこりとアケルが笑った。その目許に薄い疲労の影。ラウルスはそっと頬に触れて北の海の目を覗く。
「僕は平気です。世界が守ってくれているから。僕よりあなたですよ、ひどい顔をしてる」
「……そう、か?」
「気づいていないんですか。真っ青ですよ。世界が僕を守ってくれてる。僕はあなたを守っている。でも、所詮は間接的なものですからね」
「まぁ、大事ない。平気だよ」
 肩をすくめたラウルスをアケルは厳しい目で見据える。すぐさまそこに座れ、と言われそうな目つきだった。
「あなたは自分の体調というものをどう思っているんですか。体調だけじゃないかな。精神的なことだってそうだ。言いたくないですけど、姫様に忘れられてつらくって、もう思い切ったから平気って、あれ、嘘ですよね。それくらいは僕だってわかってる。そう言うしかないこともわかってる。わかってるけど、平気じゃないですよね。いったいどこがどう平気なんだか、僕にきっちり説明してもらおうじゃないですか!」
「……お前なぁ」
「なんですか!?」
「よくそれだけ顔色悪いのにまぁ滔々と文句を垂れられるもんだと、呆れた」
「呆れられる――」
「俺が悪いんだってのは先刻承知。その辺は諦めて付き合ってくれよ」
「……そうするしかないですしね」
 ふん、と鼻を鳴らしてアケルはがくりと座り込む。その様のほうがよほど心配でラウルスは手を伸ばす。伸ばした手は確かに、とられた。そのまま引き摺り下ろされはしたが。
「少し、休みましょう」
「剣、いいのか」
「ほんの少しでしたからね。もう少しくらい集めてからのほうがいいでしょう」
 メイブ女王との話し合いの結果だった。混沌を剣によって集め、そして妖精郷へと届けると。問題があるとするならば、頻繁に行き来しないと集めすぎた混沌でこちらの身が持たないと言うところか。
 だからいまはまだいいとアケルは言う。それはラウルスも感じていた。アケルが世界と繋がっているのならば、ラウルスは剣と繋がっている。アケルのように聞く耳こそなかったけれど、だいたいは感覚として掴むことができた。
「……なぁ、アケル。これは質問であって、俺がやめたいと思っているわけでも、やめさせたいと思っているわけでもない。対処法があるのか、と言う疑問だな。それを前提に聞くか?」
「話が面倒くさいですよ、ラウルス」
「最初に言っとかないと話の途中でお前が怒鳴るのが目に見えてるからだろうが。話が面倒になるのはどっちだよ」
 からからと笑うラウルスの声に、アケルはおおよそのところを察した。けれどラウルスは語るだろう。自分の意を通したいからではなく、アケルが彼の声を聞きたがるから。
「剣に触れてみれば俺でもわかる。本当に、些細な混沌だったな? それでお前はここまで疲労してる。この先、どうにかできる当てはあるのか。ハイドリン城級とは言わんが、それなりにでかいのが見つかると、難儀だぞ?」
 禁断の山の跡地のような混沌が見つかったとき、とラウルスは言わなかった。彼の念頭にあの地があったことをアケルは聞いた。けれど言わなかったその思い。そっと微笑む。
「対処法ですか。えぇ、大丈夫だと思います」
「例えば?」
「あからさまに疑わないでくださいよ」
 くすりと笑ってアケルはリュートを撫でていた。息を胸に吸い込んで、吐き出す。それすら彼は歌のよう。
「僕だって最初は緊張するんです。それだけですよ」
「あぁ、なるほどな。まぁ、確かにがちがちになってたからなぁ」
「ちょっと待ってください、ラウルス! いつの、なんの話をしているんですか!」
 ラウルスが答えるまでもない。アケルには聞こえているのだから。仰け反って笑うラウルスの厚い胸を叩けば、気づいたときには抱きすくめられていた。




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