唇に、小さな笑いの震えを感じてアケルは離れた。何がおかしい、とばかりラウルスを見据える。それでも甘い目のままでは威力は弱かった。
「いや、な……」
「言いたいことがあるならはっきり言ったらいいじゃないですか!」
「お前なぁ」
「なんですか!」
「この体勢で、よく怒鳴れるよな?」
 圧し掛かられているのか、それとも自ら引き込んでいるのか。アケルの上には覆いかぶさるラウルスがいる。呆れる彼にアケルはそっと笑う。
「それでも?」
「お前が可愛くってしょうがないと思う俺はつくづく趣味が悪い」
「本当にそう思いますよ、僕もね」
 言いつつちゅ、と音を立ててくちづけた。それにもまたラウルスが小さな笑い声を漏らす。何がそんなにおかしいのだろうか。ここまで笑われると少しばかり不安にもなろうかと言うもの。
「いやなぁ」
 くつくつと笑いつつ、ラウルスはアケルの頬を撫でていた。滑らかで、柔らかい、とても旅を続けているようには思えない頬。カーソンの屋敷のありがたさか、とも思う。
 かつてカーソンは、混沌を鎮めに訪れた王をいずれ歓待責めにする、と笑った。まるで覚えてもいないのにその言葉を実行しているかのようなカーソンだった。
 温かい風呂、と言うだけで旅人には充分すぎるほどありがたい。そこに香料を入れる、となるとこれは流れ者への施しではなく、貴賓への接客だ。
「ラウルス」
 思考が流れそうになったのをアケルが笑って止めた。再び頬に手を滑らせれば、感謝と伝わったのだろう。甘い微笑み。
「カーソン卿はね」
 ふ、とアケルの声がラウルスに忍び込む。それなのに、驚いた。まるで、思いを聞き取られていたかのよう。そんな気がして。
「聞こえたか?」
「喋ってないのに聞こえるほど都合のいい耳はしてませんよ」
 少しばかり早すぎる答えだった。だからたぶん、聞こえたのだ。ラウルスの気配か、それとも仕種か。その動きからアケルは聞き取った。それでも聞いていないふりをしてくれたアケル。ラウルスは礼の代わりに額に唇を落とす。
「もう……。ですからね、カーソン卿は、あなたのことを忘れてはいないと思うんですよ、本当の、心の、魂の、かな。その大事な部分ではね」
「そんなことが……」
「あなたも、見たでしょう? 一瞬、ほんの一瞬だった。でも卿は、あなたに王を見た。彼の王を」
「よく似た他人だと思ったのかもしれない」
「違いますよ」
 根拠は、とはラウルスは聞かなかった。アケルが言うならば、そうなのだと思う。思うのではない、知っていた。信じるのですらなく、ただラウルスは知っていた。
「そうか」
「はい」
 微笑んだアケルが唇を寄せてくる。柔らかな甘さに、わけもなく胸を衝かれた。理由ならば、たぶんある。
「また、笑いましたね?」
 くちづけの合間に睨むなどと言う器用な真似をしてのけたアケルにラウルスは詫びるより先、くちづける。
「……騙されませんから!」
「さっきの続きだ。初めてのときには、触るだけでびくびくしてたような男なのになぁ、と思えば、ちょっとな」
 自分からくちづけて来るようになった。積極的に触れてくるようになった。言葉の外側で言えば髪より頬が赤くなる。
「……ですから!」
「ん? 悪い、聞こえなかった」
「だから、僕をこんな風にしたのはあなたですって言ったんです!」
 一応は室外にいるかもしれない召使をはばかっているアケルだった。小声ではあるけれど、怒鳴られていることに違いはない。それなのにラウルスは、嬉しくなってくる。
「しまった。ついに頭がおかしくなったか」
「あなたがですか、よもや僕が、とは言いませんよね!」
「言わん言わん。お前に怒鳴られてて、ちょっと嬉しいかもしれんと思ってなぁ」
「……頭、大丈夫ですか?」
「それ、いま言った」
 ラウルス、と怒鳴るつもりのアケルの唇がかすかに動く。それより先に彼の口を塞いだ。舌先で唇をたどれば、とろりと開く。絡んだ舌に背筋がぞくりとした。
「アケル」
 呼んだ言葉に意味はない。けれどアケルはその声に意味を見出すだろう、ラウルス本人ですら知らない意味を。
「ん……」
 頭の後ろに手を回し、結んでいた髪を解けば、敷布に見事な赤が広がった。それだけで、どれほど華やかな美貌になるのか、彼は気づいているのだろうか。知らない、とラウルスは思う。その純が愛おしい。
 静かに襟に指をかければ、アケルは自分から脱がせやすいよう、動いた。肌に触れる手を導きさえした。それもこれも、かつては考えられなかった仕種。
「……ラウルス」
「うん?」
「いやだったら、言ってください」
「なにがだ?」
 心底から、アケルの言葉が理解できない、と言う経験はラウルスにとって多くはない。これは珍しい機会だった。
「僕が……その、こうやって……」
「お前を仕込んだのは俺だからな、アケル? 純情可憐な狩人をこんなにしたのは俺だ。嫌がるわけないだろ?」
「……誰が!」
 可憐なのか。言おうとした言葉は途中で途切れる。ラウルスの指が、すでに素肌となった脇腹から一息に胸まで上がってきた。快楽に尖ったところを弾かれれば、声などでない。
「お前は、世界を歌う予言の導き手。だったら、そのお前を弾く俺は、なんだろうな。アケル?」
「……いやらしい!」
「なんだよ?」
「言いかたが、いやらしいって。言って、るんです!」
 途切れた声を隠すよう、声を荒らげて言い切るアケル。ラウルスは笑って取り合わなかった。わざわざ肌をぴったりと重ねあわせ、彼の耳許で囁く。
「いやらしいことは、一人じゃできないぞ、アケル? それとも、一人でするところを俺に見せたいか?」
 声もなく悶絶する愛しい人にラウルスは微笑む。口で何をどう言おうとも、アケルの純情は本物だ、とラウルスは思う。
 だからこそ、責めたくなる。壊したくなりそうで、自分が怖くなる。息を飲み、舌先だけで胸を弄ったのは、だから恐怖だ。
 唇を寄せれば、歯を立てたくなる自分と知っていた。貪り食らいたくなるとわかっていた。そっとかすかに触れるだけの舌。アケルが身悶えた。
「つらいか?」
「わかってるくせに……!」
 ほんのりと赤くなった目許。睨む眼差しにも強さではなく艶がある。ラウルスは微笑んで、心が静まるのを覚えた。もう、壊したいとは思わなくなっていた。
「なにが?」
 口先でからかえば、息を飲み、そっぽを向くアケル。視線が外れたのを幸いに、ラウルスは一気に彼の足を押し広げた。大きく、さらすように。
「――な。やめてください!」
「と、言われてやめる男はいない、と」
「ラウルス!」
 羞恥に抵抗を見せるアケルの足首を軽く持っているだけだった、ラウルスは。それなのに、ぴくりとも動かせない。
「本当に、無駄に強いんだから、あなたって人は!」
「無駄ってなんだよ、無駄って?」
「あなたは――」
 太腿の付け根に舌を這わせた。そのまま眼差しでアケルを射抜く。わずかに動いた唇。それから彼は唇を噛んだ。言葉を発しようとして、できず、そして息を飲んだ彼。
「なんだよ、アケル。言いたいことがあれば言えって」
 いま口を開けば、あられもない嬌声になる。知っているアケルはラウルスのからかいに声もなく唇を噛みしめる。
「声。聞かせろよ」
 言いながら、アケル自身に手を伸ばす。やめて、あるいはだめ。言いそうになったアケルはやはり唇を噛んだまま。
「アケル」
 ここが好きだろう、そう言うようにラウルスは手を動かす。
「ほら、噛み切っちまうぞ」
 きつくかんだ唇に、唇で触れれば、ほどけた。血の色を透かせたそれがたとえようもなく美しくて、ラウルスは貪りたくなる。
「な。こっちも」
 だから、耐えた。まだ早い。まだだと自分を律せば小さくアケルが笑った気がした。ラウルスもまた、目だけで微笑む。それから。
「や……だめ……!」
 アケルの後ろに指を伸ばしたとき、その指先にはとっくに香油が塗されていた。鼻先に香ってくるそれにはじめて気づいたアケルが頬を赤らめ、身をよじる。
「でも、ほんとはいやじゃないんだよな、アケル? だって、俺が教えたんだものな?」
 ここを使う愛し合い方も。そもそも、こうして体を重ねる方法も。すべて一からアケルに教えた。
「あなたって人は……本当に……! そんな風にするなら、僕にだって、考えがあるんですからね――!」
 ぐい、とアケルがラウルスの肩を押しやった。そのまま自分の体重を乗せるようにして、ラウルスを寝台に押し倒す。
「おい」
「僕だって、やられっぱなしじゃ。ないんですからね!」
 北の青の目が笑みを浮かべ、そして見えなくなった。代わりに視界いっぱいに広がる赤。ラウルスの腰に顔を埋めるアケル。
「ちょ……っと。待て、アケル!」
「言われて待つ馬鹿はいません」
 無情に言い切り、アケルがラウルスを含んでいた。わざとらしい上目遣いをしてラウルスを見上げるその眼差し。それだけで、背筋を這い上がるもの。
「まだ、いかせませんからね」
 にこりと笑うアケルの髪にラウルスは指を絡め、喉の奥まで突き込んだ。




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