先に半エルフたちの微笑に目を留めたのはアレクだった。相変わらず目敏い、そうサイファは思う。どうするかと興味深げに見守れば、アレクは黙って笑みを浮かべただけだった。
 はっとしてサイファは半エルフたちを見る。彼らもまた何も言わなかった。ただ、何か通じ合うものがあったことは確かなようだ。そのことに深い安堵を覚える。
「さて、と。そろそろ大臣たちが痺れを切らしている頃でしょう」
「爺どもなんか放っておけばいい」
「そう言うわけにも行かないでしょ、国王陛下」
 茶化して言うシリルにアレクがあからさまに嫌な顔をしてみせる。
「あなたがたの部屋に案内しましょう。当分は僕も王宮にいますから、何か聞きたいことがあればいつでもどうぞ」
 シリルが半エルフたちに言えば彼らは揃ってうなずいた。そしてシリルにつられるよう立ち上がる。
「シリル、頼んだ」
「はい、兄上」
「よせって」
 また嫌な顔を作り、それからアレクは笑う。半エルフたちはすっかりくつろいだ表情でそんな兄弟を見ていた。
「相談ごとがあれば、いつでも乗る。何しろおかしな兄弟だ」
「サイファ、それはないでしょう」
「どこがだ?」
「僕まで一緒にしないでください」
「お前込みでおかしい」
 はっきり言い渡せばシリルが肩をすくめる。自分でもわかっているのだろう、すくめた肩は震えていた。笑いに。
「リィ・サイファ」
「うん?」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。彼らに慣れるに従って後悔することになるだろう」
 メロールをサイファは少しからかってみる。が、彼はそれでもいいのだとばかり微笑んでは首を傾げるだけ。
「俺も、なんかできることがあったら言ってね。たぶん、あんたよりアルディアだと思うけどさ」
「そうだね。よかったら人間の武器の使い方を教えて欲しい」
「了解。あ、でもそれだったら絶対シリルのほうがいいよ、強いから」
 気負いなく言うウルフの言葉にアルディアが目を剥いた。シリルが武器を扱うような人間には見えないせいだろうとサイファは思い、ひっそりと笑う。
「そうすると俺にできるのってなにかなぁ」
「お前にできるのは、殴られることと蹴られることだ」
「あんただけだって。俺に暴力振るうのは」
 呆れ顔のウルフにサイファは向き合う。他の誰からも表情が見えないのを確認し、サイファはそっと微笑んだ。
 知らず腰が引けていたウルフの顔がぱっと明るくなる。だから、サイファのしたことは無駄なのだ。背後で兄弟の忍び笑いが聞こえた。
「さぁ、行きましょうか」
 シリルが半エルフたちを伴って部屋を出て行く。ちらりと向けた視線の先で彼らはサイファに頭を下げていた。それから思い出したよう、彼らが今後仕える王にも。
「サイファ」
「なんだ」
「アンタ……」
 話しかけてきたくせ、アレクはそこで言葉をとどめた。訝しげにサイファが彼を見れば苦笑している。
「なにか言いたいことがあるのではないのか」
「あるさ」
「言えばいいだろう」
「まぁね。坊主、茶を……」
「私がやる」
 今度アレクが言葉を切ったのは、うっかりとウルフの淹れる茶がどのようなものかを忘れていたせい。サイファが苦笑する番、とばかり立ち上がっては茶を淹れた。
「それで?」
 あの頃からそうだった。ウルフはサイファとアレクが話している間は口を挟まない。黙って聞いている。あの頃と違うのは、彼が暗く沈んではいないこと。
 シャルマークの旅の間、ウルフは何かにつけリィやアレクと自分を比べた。そして劣る自分を卑下しては目をそらす。
 今は違う。真っ直ぐな目を持った少年は、そのままの目を持った青年になった。サイファの隣に立つに相応しい男になりたいと、いまも鍛錬を重ねている。何より心が強くなった。
 ウルフはいまはもう誰とも自分を比べない。確固たる自己がある、と言えるほどではなかったけれど、それでもサイファの側にいていいのは自分だということくらいは理解した。
「アンタ、よくあいつらを許したな」
 ぽつり、アレクが呟くよう言う。そのことにウルフがまず驚いた。時には自分よりも親しいように見えるアレクが、サイファの根幹をわかっていない。ほんの少し、嬉しかった。
「もう済んだことだ」
「本気か?」
「そうは見えないか?」
 サイファのはぐらかしにも似た言葉にアレクはじっと彼の目を見つめる。透き通る青い目が苦笑する。
「アンタが、坊主を殺そうとした相手を許せるとはちょっと考えにくい」
 追い詰めるよう、きっぱりとアレクは言う。生半な返答ではそれこそ許さないとアレクの目が言う。だからこそ使った殺す、と言う強い表現。同時にそれはアレクが想像したことの確認でもあった。
「私は彼らに対して酷い仕打ちをした。そのことで相殺だ、と思っている。本音だ」
「仕打ち?」
「隠れ里を破壊してしまっただろう? 彼らは流浪を余儀なくされた、いま、この大陸で。半エルフにとっては住みにくい世界に」
「そうか……。住みにくい、か」
 ふと何事かを考えるよう、アレクがそっと視線を落とし唇に指先を当てる。本人は嫌がっているものの、その顔は紛れもない王の顔。だからこそ、サイファは彼に半エルフたちを委ねられる。
「人間はいまだ半エルフを恐れてもいる」
「世界は変わらないな」
 ほんの数日前、ウルフが言った言葉をいまアレクが言う。そのことにサイファは知らず微笑し、ウルフに視線を向ける。
「ほんとだよね。俺ももうちょっと良くなるかと思ってたんだけどさ」
「人間ってのは、だめだな」
「そうでもない」
「どこがだよ、サイファ。アンタいま……」
 そしてアレクはサイファの笑みを見た。ゆったりと満ち足りた顔。
「アレク。世界の変化を感じないか?」
「どこがだ?」
「私が彼らを許せるか、と言うならば彼らにしても同じこと。彼らに敵意があっただろうか。アレク、世界は変わっている。少しずつ、変化を感じ取れないほどではあったとしても」
「どこが……」
「彼らにあった憎しみが、人間に対する憎悪が薄れている」
「そうか、あの悪魔が――」
「おそらくは。だが、その世界を良くするも悪くするもこれからは人間の役目」
「半エルフたちは」
「旅に出る。いずれ、世界から我々は姿を消すだろう」
「サイファ……」
「もっとも。人間の時間で言えば何世代もあとのことではあるはずだがな」
 喉の奥で何かをこらえるようなアレクの声など、聞きたくはなかった。そのような声で呼ばれるのは嫌だった。だからサイファは茶化して笑う。まるでアレクのようなやり方だとわかっていても。
「まったく。長生きって嫌よねぇ」
 突然、女になってアレクは笑う。喉を鳴らして笑うのは、何かを飲み込んだせい。サイファは頭痛をこらえるふりをして額に手を当て、その陰で密やかに笑った。
「彼らはあの里の、指導者のようなもの。彼らが人間をどう考えるかによって、半エルフたちは今後を決めるだろう。責任は重大だな、陛下」
「やめろってば、それ」
 心底、嫌そうな顔をしてアレクが目の前で手をひらひらと振る。もう元の彼に戻っていた。
 そしてアレクはにやりと人の悪い笑みを浮かべてサイファを見た。サイファがくれた手札を使わない手はない。嫌がって見せようともアレクはラクルーサの王だった。それが友のためにもなるものならば、アレクはそう思う。
「あ。サイファ。アタシが半エルフの保護政策を打ち出したりしたら、ミルテシアは物凄く嫌がるわよねぇ?」
 わざとらしい口調にサイファがまたもっともらしくうなずく。それでアレクは知るのだ、ウルフはこのことになんら関与していない、と。
「当然だな」
「サイファ!」
 驚いて叫ぶウルフにサイファは口許を歪めて笑うのみ。サイファは昔のことより、今のことを思う。ウルフを殺しかけた半エルフたちはきちんと謝罪した。だからもういいのだと笑顔でアレクに知らせる。同時に違うことをも。
「俺を利用する気か」
「なにを言うか、我が友よ」
「アンタの性格は最悪だな」
「お褒めに預かって光栄だ」
「褒めてない!」
 呆然とするウルフを残し、二人の男は話を決めてしまったらしい。憎まれ口を叩きながらもアレクはサイファの提案に乗る気だった。
「そんなことしたら、サイファ……」
「若干、ここで話すようなことではないような気がするが」
「サイファ、はぐらかさないで」
 ゆっくりとウルフが近づいてくる。サイファの両手を取ってはそっと自分の手の中に包み込んだ。
「あんたが危険になる。それはだめだ」
「坊主、俺の心配は?」
「アレクは自分で何とかできるでしょ、シリルもいるし」
「なら、サイファにはお前がいるだろ」
「俺……」
「余計な心配と言うものだ。矢面に立つのはラクルーサであって私ではない。そもそも人間の間では私やお前たちは英雄とやらになっているらしい。まともな国王ならば私を攻撃して民意が離れるのを嫌うだろう」
「サイファ、問題がひとつ」
「なんだ」
「あの王のどこがまともだと、あんたは思うの」
 ウルフの言い分にはさすがにサイファも笑えない。決して親密とは言い難い親子ではあっても、ミルテシア王は彼の父。考えていることはある程度理解できるはずだ。
「坊主は多少、目が曇ってるな」
「どこがだよ」
「血の繋がりってのは考えを鈍らせるもんなんだよ。あの王は、王としてはそれほど馬鹿じゃない。サイファに対する攻撃なんて悪手を打つことはないはずだ」
「はず、はずってね!」
「いざとなったらお前込みでラクルーサが面倒見てやるさ」
 にやり、アレクが笑う。サイファもうなずいている所を見ればどうやらその程度のことは折込み済みらしい。相談もなしに、とウルフはわずかに不機嫌になる。だが、気づいた。いまの短い会話で彼らはそれを決めてしまったのだ、と。ほんの少し、アレクが羨ましくなってはウルフはかすかに首を振る。まだまだ足りない、もっとサイファが頼れるだけの強さが欲しい、と。




モドル   ススム   トップへ