握り締められた手首が、アレクの熱を伝えて温かい。彼を見れば紫の目が笑っている。
「アレク。離して」
 当然のよう言ったのは、ウルフ。半エルフたちが目を丸くしているのをサイファは頭痛と共に眺めていた。
「なんで坊やが言うのよ? サイファは嫌がってないじゃない」
「サイファが嫌じゃなくても俺が嫌なの」
「あら坊やってば可愛い」
「アレク。いい加減にしてくれ」
 思わず止めに入ってしまった。その途端、アレクがにんまり笑う。握っていた手を離してはわざとらしくひらひらと振って見せる。
「ほんと坊主は可愛いな?」
「……よせと言ってるだろう、それ」
 額に手を当てサイファは溜息をつく。
「でも可愛いだろ」
「うるさいぞ、アレク」
「たまには素直に言ってやれって。なんでだろうなぁ、俺はアンタにずっとそんなことばっか言ってる気がする」
「……頼むから放っておいてくれ」
「わかってるのか?」
「なにがだ」
 尋ねながら、サイファにはアレクの言いたいことがわかってはいる。ちらり、視線を外して別の方向を見れば彼もまた視線だけでうなずく。
「わかってんだったら」
「対処はする。後で。ここではなくて。お前がいないところで」
「どうして俺限定なんだよ」
「話が面倒になるからだ」
「きっぱり言うな!」
「言われるような言動を取るな!」
 言い合いが、苦笑をかわすことで収まってしまう。いつものことだった。だからこそシリルが介入しないのだ。
 それを思えば楽しくなってくる。あの旅の途中であったならば、もっとずっと早くにシリルが止めていただろう。今は違う。半ば二人の言葉遊びだと、シリルは理解しているから笑って見ている。
 ちらりとサイファはウルフを窺う。シリルと似たような顔をして笑っていた。信用ならない顔。本心はまったく違うことを考えているくせに、平然と彼は笑える。
 内心でサイファは溜息をつく。素直でないのはどちらだろうと思う。ウルフだとて、不満があるなら言えばいい。はっきり言えば、彼のためにいくらでも何でもしてやると、そう思うのだ。
 そしてそのこと自体にサイファは苦笑した。それこそが、アレクが自分を素直ではないと言う理由。
「サイファ、よく決心してくれましたね」
 シリルが茶化すよう、口を挟んだ。彼に感謝の眼差しを送れば、横から肩を殴られる。無論、アレクがしたことだった。
「なにをだ」
「彼らを、よくぞアレクのところに置く気持ちになったと思って」
「いま、甚だしく後悔しているところだ」
「でしょうねぇ」
「ちょっと、シリル。どういう意味よ」
「別に。そのまんまだけど?」
 笑顔で言う彼にアレクは不満顔のまま、それでも口答えをしないのはどこかずれている自覚があるせいだろう。
「おかしな人間たちだが、信用は出来る」
 半エルフたちにサイファは改めて言えば、彼らは真剣な顔をしてうなずいた。
「まぁ……ことごとく人間の例外のような男ばかりだが」
 男と言ってから思わずアレクを見てしまった。それを予期していたよう、アレクは握った拳でサイファの肩を打つ。痛みはなかった。あたる直前、乾いた音がしてウルフの掌が止めたのを知る。
「多少、腕が上がったか、坊主」
「まぁね」
 以前、旅の間はアレクの手を止められた例などなかった。塔に住み暮らすようになってからも、鍛錬に鍛錬を重ねている。回りくどいやり方であってもそれを褒められるのは嬉しかった。もっとも、褒めて欲しい人は別にいるのだけれど。
 サイファは視線を感じ、けれどそちらを見ることもしない。アレクのかすかな溜息が聞こえる。サイファは黙ったままウルフの手に触れ、離す。そのまま話しを続けた。満足げな吐息が聞こえた。
「少なくとも、ラクルーサはミルテシアよりは半エルフに対する風当たりが厳しくはない。安全だと言える」
「王があなたの友人だからですか」
「それが最大の理由だが。むしろこれのせいで私自身がミルテシアの宮廷で嫌われていると言ったほうがいいな」
 サイファが指したウルフを見ては半エルフは首をかしげ、この茫洋とした青年がミルテシアの王子と言われたのを思い出す。二国間の紛争が起きかねない個人的な理由だと聞かされてはいたが無論、事の詳細を知りはしない半エルフたちは考え込んでしまう。サイファ自身がミルテシアの王宮で排斥される理由とは何か、と。おそらくあのときサイファが語った宮廷魔導師の職を拒んだことなどは表面的な理由のひとつに過ぎないのだろう。そもそもサイファともあろう者が、紛争の火種を撒き散らしてまで拒んだ訳はなんであろうかといまさらながらに不思議だった。
「あれは凄い騒ぎだった、うん」
「アレク、やめろ」
「本当に、大変な騒ぎでしたからね」
「シリル!」
「だろうと俺も思う」
「……若造、お前までが何を言うか!」
 あの話をここでされるのだけは耐え難い。いずれ話す機会があるかもしれないが、こんな人前で話すような話ではないはずだ。
「ミルテシア王が半エルフの魔術師に宮廷魔導師の職を提示したとき、王子殿下と魔術師は痴話喧嘩の真っ最中」
「アレク、やめろ!」
「おかげで高名な魔術師を得そこなったミルテシア王は大変なご立腹というわけです」
「王子殿下は王位よりも魔術師を取って出奔。国王としては追放と言う形を取るのが最善でね」
「アレク、それちょっと違う。俺、王位なんか要らないから、本気で俺を王太子にするつもりなら国王殺して即位して、んでそのままラクルーサに全部渡すって言ったの」
「……よく追放で済んだなぁ」
「うん、追っ手がかかった。ちょっと殺される所だった」
 あっけらかんとウルフは言う。もう少し深刻な状況だったはずだが、彼にかかると認識が軽くなってしまう。そこまで思ったところでアレクは不意にサイファが半エルフを連れてきた理由を悟った。人の悪いことをする、内心でアレクは苦笑し、それならそれでとばかり嫌がらせを完遂することに決めた。
「そんな理由だから、当然だがミルテシア国王はサイファが絡むとだめなんだ」
 にんまりと、明かされたくもない話を全部笑ってアレクは話してしまった。サイファは唇を噛みしめる。
 半エルフたちが、同族がどう思うことか。否、そのようなことはどうでもいい。どう思われようが知ったことではない。ただ、ただ恥ずかしくてならない。
 茶化すよう、アレクとシリルが大仰に語った話は、表面的にはなんら間違ってはいないのだ。王子殿下だのなんのとからかってはいるが、事実としては嘘ではない。
「サイファ」
 不意に呼ばれた声にサイファは答えない。黙ってうつむく頭に手が置かれる。振り払おうとしたけれど、止まってしまった。
「ごめん、ちょっと調子に乗りすぎた。あんた嫌だったよね。ごめんね」
「うるさい」
「後で好きなだけ殴っていいからさ」
「足りない」
「んー、蹴り三発おまけする」
「五発」
「それは多いよ、飯が食えなくなる」
「うるさい。お前が悪い」
「んじゃ、えーと。いま一回気晴らしするのはどう?」
 不器用に髪を梳いていた指に促されてサイファは顔を上げる。あの頃からサイファにだけ見せてきた顔をしていた。
「悪くはないな……」
 ゆらり、サイファは立ち上がり薄く笑みを刷いては片足を引く。
「サイファ、待てって。坊主は悪くないだろ」
 止めにかかったアレクをなぜかシリルが止めた。気にせずサイファはウルフの腹に膝を叩き込む。声もなくうずくまったウルフに視線も向けず、疾うに冷め切った茶を飲んだ。
「アンタなぁ……!」
 食って掛かりかけたアレクの手を後ろから握った者。ウルフだった。さすがにアレクは目を丸くしている。
「丈夫ねぇ、坊や」
「まぁね」
 苦笑するウルフは、事のからくりを知っていた。サイファは本気で蹴っていた。けれど、蹴りと同時に治癒魔法も一緒に叩き込んでくれるのだ。だから痛いのは一瞬で、あとはすぐに治ってしまう。痛いと知覚する間もないほどだ。
 感情のやり場がなくなってしまったときのサイファのやり方にももうウルフは慣れている。そんな彼が見たくてわざと怒らせることも、たまにはある。もっとも、サイファがそれに気づいていないはずはなかったが。
「リィ・サイファ。なぜそのような面倒なことを……」
 メロールが不思議そうに言った。うっかりとしていた。シリルはおそらく事情を知っているだろうからかまわない。
 が、もう一人魔術師がいるのを忘れていた。メロールにはいまの治癒魔法が視えただろう。知らず舌打ちをするサイファだった。
「黙れ、メロール。それ以上言ったら消し炭に変えてくれる」
「サイファは照れているだけですよ。気にしなくても大丈夫です」
「シリル」
「なんですか? あなたに慣れていない方にそのような脅し文句は感心しませんよ」
 おっとりとシリルが笑う。わざとらしくて笑えない。首を傾け胸に下げた聖印に触れてなどいるものだから余計わざとらしさが際立つのだ。
「こんなおかしな人間たちだが、反って苦労は少ないはずだ」
 改めて半エルフたちに言えば殊勝げにうなずく。特別、本気で怒ったわけではなかったのだが、どうやら薬が効きすぎたらしい。
「どうかしらねぇ、アタシに仕えるのは大変よ?」
「ほんとにねぇ。もうちょっと真面目に国王陛下をやってくれるとお仕えしがいがあるんだけど」
「ちょっと、シリル。そこはそんなことないよって言うところじゃないの」
「言えると思う?」
「全然」
 よく似た表情で兄弟は顔を見合わせ笑い出す。呆れ顔でウルフが彼らを見ている。それからサイファを振り返っては肩をすくめて見せた。
「凄く大変だと思うけど、でもきっと毎日が楽しいよ?」
 ウルフが半エルフたちに言うのがなぜかサイファの心にまで染みとおる。毎日が楽しい。妙に新鮮な言葉だった。
 半エルフたちは互いを見つめ、それから兄弟に視線を向ける。子供のようじゃれている国王陛下と王子殿下をじっと見ているうち、初めて彼らの口許に朗らかな笑みが浮かんだ。




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