抗議の声を上げているサイファを、まだ人間たちは笑っている。どうやらウルフは殊の外、丈夫なようだ。あれほど殴られたにもかかわらずけろりと笑っていた。 「ひとつ、伺ってもよろしいか」 ひとしきり彼らの笑いが収まるのをまってメロールはおずおずと言葉を発した。 「うん、なに?」 気さくに答えるのはアレク。人間の王と言うものはこういうものだろうかと内心で首をひねりはするが、狷介よりはよほどいい。 「先程、彼をカルムと。それから……」 「あぁ、それか。カルムってのはウルフの本名。シリルも愛称みたいなものかな。本当はサイリル。私のことも仲間たちはアレクと呼ぶけれど、アレクサンダーが正式」 「そう言うことでしたか」 何が疑問なのかをすぐに看破されたのが中々に楽しい。そして同時に答えをもらえたことも。この王に仕えるのは、楽しいことかもしれない、そうメロールは思い出す。 「アンタのことはなんて呼べばいいんだ」 「正しくはサリム・メロールですが……メロールでかまいません」 「わかった。そっちのアンタはアルディア以外呼びようがないな」 そう言ってアレクはにやりと笑う。半エルフたちは同時に赤くなる。シリルがたしなめるようアレクの腕に手を置いた。 「そうだ、アルディア」 ふと思い出したようサイファが呼ぶ。何のことかとアルディアがそちらを見れば彼は薄く微笑んでいた。 「宮廷の中であからさまに武装をするわけにもいくまい?」 「そりゃそうだ」 「やはりな」 答えたのはアレク。もっともだ、とばかりサイファがうなずき返す。そして軽く手を閃かせた。その手の中、一瞬にして現れたのは細い刃を持ったナイフ。 「お前にやろう」 「いいの……ですか」 「魔法で多少、強化してある。役に立つはずだ」 目を丸くしつつ、アルディアはそれを手に取る。取り落としそうになった。見た目より遥かに軽い。そしてナイフには魔法の気配があった。 「見せて」 横からもどかしげにメロールが取り上げる。じっと目を凝らすような仕種。そして呆然とした表情が浮かんだ。 「付与魔術……」 呟き声がぼんやりと浮かんで消えた。 「あなたは……付与魔術を使えるんですか……!」 驚いたのは、人間たちだった。そのことに半エルフたちは驚く。サイファが使えるのだから、当たり前に使えるのだと思っていたらしい。 そのようなはずはない。魔法の中でもことに詳細を極めるもの。生半なもので行使はできないのだ。 「使える」 「教えてください」 「サリムは……」 「我が師がお使いになった所を見たことはありません」 遠まわしな言葉。メロールはサリムが使えなかった、とはさすがに言い難いのだろう。サイファはそのことに微笑んだように見え、しかし本当は違うことに笑みを浮かべた。 リィがサリムに教えなかったこと。それがサイファの心を温めている。我が儘だとは思う。けれどリィが自分を選んで難解な魔法を授けたことがやはり、嬉しい。 「あとで、理論書を届けよう」 リィが知ればどんな顔をしただろうかとサイファは思う。サリムの弟子にサイファが教える。不思議なことだと笑ったかもしれない。 「……師と仰がせては、いただけないのですね」 メロールの一大決心だった。彼を師と仰ぎたい。それは付与魔術を使えると知ったせいではなく、心から彼を敬うことができると理解したせい。しかしサイファには拒まれた。 「なに?」 「リィ・サイファ。私は」 「お前は一人前の魔術師だろう、メロール? いくらでも助言はしよう。友人として、な」 ひっそりとサイファが笑う。驚いた顔から、一転して和らいだ彼の表情。彼に師礼を尽くしたい。そう思うのは決してサリムへの裏切りではないはずだ。 彼もまた、そうは思ってはいないだろう。けれど拒絶された。メロールは肩を落とし、しかしそれでいいのだと思いなおす。 「私の塔には、リィ師が残した理論書も私が注釈した物も、いくらでもある。気になることがあるならいつでもくればいい」 「……はい」 少しばかり、距離をとられた。やはりそれでいいのだとメロールは思う。性急に関係性を構築するのは、半エルフのやり方ではない。どうやらこの旅の間にいささかなりとも人間の影響を受けたらしい。それに気づいて苦笑すれば、サイファもまたうなずいていた。 「そうだ、シリル。忘れる所だった」 「なんです?」 「ウルフ」 「あ、はいはい。あれね」 それだけでわかるのだろう、ウルフは懐から何か小さな箱を取り出してはシリルに差し出す。 「なんです、これは」 「頼まれていた、例のあれだ」 「あぁ……! 嬉しいな、ありがとうございます」 「礼は見てからにしろ」 困ったよう言いつつも、満更ではないサイファだった。シリルの手許を興味深げにウルフが覗き込んでいるところを見れば、彼も中身を知らないのだろう。 「素晴らしい……、ありがとうございます」 「ちょっと、なんなのよ?」 「だから、それはやめなって言ってるでしょ。大臣が……」 「いないんだから、いいでしょ」 「まったく。癖って出ちゃうもんだよ」 「だったらもう無駄ね」 にたりと笑って言ったアレクにシリルは溜息をついて見せ、それから大きな笑い声を上げた。 「それもそうだね」 「でしょ? それで、なんなのよ」 「ひとつは、アレクに」 そう、シリルが小箱を差し出した。途端、アレクの目が見開かれた。 「アンタ……これ」 「シリルから頼まれていた」 「アタシ聞いてないわよ」 「言っていないだろうからな」 「ちょっと、シリル! なんで黙ってたのよ」 「アレクを喜ばせたくってね」 食って掛かるアレクをシリルは上手にかわしてそんなことを言う。懐かしい言葉だった。リィが何度もそう言ったのを、今もサイファは覚えている。そのことが少し、おかしかった。 「へぇ、これってラクルーサの紋章だよね」 ウルフが言って手に取りそうになる。それをアレクが一撃で払い落とす。 「アレク!」 「アタシの。触んないで」 「酷いなぁ、もう」 「いまのはお前が悪い」 「あんたはいつでも俺が悪いって言うじゃんか」 「言われないよう努力しろ」 あっさり言われてウルフは肩を落とす。けれどめげもせず、サイファの目を覗いてはあれは何かと問うていた。 「アレクの即位の祝いと言うところだな」 「祝い? 嫌がらせじゃないの?」 うっとりと小箱の中身を見つめていたアレクが辛辣に言う。よほど、嫌だったのだろうとサイファは同情するが、半エルフたちは何のことかわからず互いの顔を見合わせていた。 「そう言うな、シリルから贈られるのだと思えば腹も立つまい」 「まぁね。でもこれって……」 そう言って、アレクは小箱の中身をひとつ、取り上げた。それは銀の指輪だった。半エルフたちがはっとする。 「真の銀……」 「そうだ。集めるのに時間がかかってな。思ったよりないものだな」 「ですから普通の銀でいいと言ったんですよ、僕は」 「なに、時間はかかっても満足のいくものを作りたかったのでな」 「もしかしてアンタが作ったの」 「そうだが?」 「シリル」 アレクが彼を呼ぶ。心得たよう照れ笑いしつつシリルはアレクから指輪を受け取る。そして彼の指にそれを嵌めた。そしてアレク自身、シリルに対して同じことをする。 ちらりとサイファは横を窺う。珍しくウルフが赤くなっている。意味くらいはわかったらしい。 「あ……」 上がった声は誰のものだったのだろう。指輪が彼らの手の上で、輝いていた。ほんのりと、淡い温かい光。ラクルーサの紋章である二頭の牡鹿が浮かび上がった。 「生命力を感知して光るようになっている。綺麗だろう?」 「えぇ、本当に」 「簡単なものだが、護身呪がかけてある。役には立つが過信はしないことだ」 「サイファ」 指輪に見惚れていたアレクが不意に彼を呼ぶ。 「ありがと」 何度か瞬いた紫の目。サイファは何も見ないふりをしてさりげなく目をそらす。 「礼なぞ言うな、気色悪い」 茶化してそっぽを向いたふり。アレクが大声を上げて怒るのも、ふり。シリルが止めに入るのもわかっていてしたこと。 半エルフたちは気づかない。いつか、それを知ることがあるかもしれない。仲間の間に通う情愛と言うものは、よいものだと。 「いいなぁ、アレク」 「なにがよ、坊や」 「だってさー、俺。サイファがなんか作ってくれたことなんかないよ?」 「なに言ってんのよ」 笑うアレクにサイファは彼が平静を取り戻したのを知る。だから、ウルフをからかうことに決めた。 「作って欲しかったのか?」 「うん!」 喜びも露に彼が言う。サイファは首を傾けそっと笑った。 「ならば作ってやろう。そうだな、ミルテシアの紋章でも刻んでやろうか?」 「……それって物凄い嫌がらせ」 「わかっているなら愚かなことを言うな、馬鹿!」 「だって馬鹿だもん」 「少しは物を考えてから言え、馬鹿」 「だから、馬鹿だからわかんないですー」 わざとらしくへらへらと笑ってウルフは言う。サイファは思わず溜息をついては天を仰いだ。 「どうせだったらサイファのがいいな」 「私のなんだ?」 「紋章」 「あるわけがないだろう」 「なんで? あんただったらありそうなのに」 「半エルフにそのような習慣はない」 「そうなんだ。残念」 言ってウルフは首をかしげる。サイファは途端に嫌な予感がした。知らず視線がさまよってはシリルに止まる。彼はあらぬ方を見ていた。予感が確信になる。 「じゃあさ、あんたが俺の紋章つけるってのは?」 咄嗟に声もなかった。サイファは口を開け、閉め。物も言えずに固まった。アレクとシリルのやり取りを見てなお言うのだから、意味がわかって言っているはずだ。そのような恥ずかしいことがよくぞ言える、そう思う。思ったときには手を振り上げている。それを笑いながら止めたのは、意外にもアレクだった。 |