重厚な木の扉だった。聳え立つようなそれの前、二人の衛兵が立っている。彼らはシリルの姿を認めると黙って一礼した。 「陛下の友人、リィ・サイファとカルム王子がお見えです。開けてください」 「はい殿下。ですが、そちらは……」 「リィ・サイファの友人です」 衛兵の視線がサイファに向けられる。サイファは黙ってうなずいた。それで納得したのだろうか。衛兵は扉へと向きを変える。 「シリル」 小声でウルフが彼を呼ぶ。 「何度も言ってるけどさ。それ、やめてよ」 小さな声ではあったが、明確な抗議だった。半エルフたちは厳しい語調にはっとする。 「ごめんね」 シリルがわずかに振り返っては詫びるのをサイファは苦笑と共に見ていた。 「いつもの繰り返しだけど。ラクルーサとしてはね、君の追放と身分剥奪を認めるわけにはいかないんだよ」 「でもさ」 「陛下の意思、と思ってね」 その言葉に含まれた意味にウルフは怯み、サイファは声を上げて笑い出しそうなるのを必死でこらえる。 「アレクに逆らうのはやめとく」 「賢明だね」 渋々言ったウルフにシリルが笑ったとき、扉がゆっくりと開きはじめた。 室内は扉ほど重々しい装飾ではなかった。むしろ簡素だ。通常の会議に使用されているものなのだろう。不機嫌そうなアレクが座る大きなテーブルを彼の重臣たちが取り巻いては座している。 「陛下」 シリルが率先して頭を下げ、一行はそれに倣う。家臣たちが怪訝な顔をしているのは当然かもしれない。半エルフが三人もいればそのような顔つきにもなるというもの。 視界の端で半エルフたちはラクルーサの王を捉えていた。短い金髪が頭の周りを彩り、後ろの長い部分はきつく編まれて胸の前にまわっている。頭上に戴くは、彼のためにあつらえたような華麗な王冠。 華やかで美しい王だった。まるで美貌の女のようではあるが、そこにいるのは紛れもない男。しかし王と言うには人間としてもまだ若すぎるほど、そう思う。 「あーら、珍しい。サイファったらどうしたのよ?」 「陛下!」 臣下が血相を変えて声を荒らげる。サイファは知らず顔を片手で覆っていた。 「やめろ、と言っているだろう。それを」 「なに、昔を懐かしんでみただけさ。何の用だ?」 「魔術師を一人、紹介しにきた」 「アンタ推薦の魔術師なら信用できる。その男か……。あれ、会ったことあるよな?」 にやり、笑ったアレクに半エルフたちは思わず腰が引けていたのをあわてて立て直してはサイファを窺う。サイファは苦笑しつつ、こういう男だから、と肩をすくめた。 「隠れ里で」 それだけを言えば最初から通じていたのだろう、アレクも黙ってうなずく。 「なるほどねぇ、アタシに力を貸してくれるわけ?」 「陛下! それはおやめくださいと何度も申し上げて……」 「わかっている。いいからお年寄りは黙ってなさいって」 「なんですと、私はまだ……!」 年寄り扱いされるにはまだ早い家臣が顔色を変えるのにアレクはひらひらと片手を振る。唇を引き結んだ家臣はシリルを見たが彼は彼で処置なし、とばかり天を仰いでいた。 「アレク」 「なによぉ」 「お前のせいで話が進まないのは私の気のせいだろうか」 「気のせいじゃないな」 にたり笑ってアレクは男に戻る。久しぶりに酷い頭痛がするサイファだった。 「んー、じゃさ。どっか場所変えて話さない?」 「これはこれはカルム王子。よくおいでになった」 「アレクサンダー王もご健勝で何よりのことと存じます……ってだから、話が進まないって言ってるじゃんか!」 「あらぁ、サイファ。ちゃんと坊やを躾けたのねぇ。ご挨拶ができるようになったじゃない。偉いわ」 うっとりと微笑んで言うアレクに、半エルフたちは言葉もなかった。サイファの願いだから、と安請け合いしすぎたかもしれない。一抹の不安と後悔が彼らを襲う。 「アレク。僕も忙しいんだけどな?」 「はいはい、わかってるわよ。行きましょ」 「全然わかってない」 シリルのぼやきにサイファは溜息をつき、同情の視線を送り出す。ちらりサイファを見たシリルは力なく笑っていた。 「王様は友人とご歓談だ。戻ったときには道路整備計画が出来上がっていることを期待する」 「陛下、そう簡単に仰いましても」 「諸君は有能だ。きっと出来るとも」 「殿下、何か仰ってください。私どもには」 「頑張ってください。あなたたちならきっと出来ます」 穏やかに笑って家臣を励ますシリルだった。彼らはシリルと言う男を理解していない。彼はあのアレクの弟なのだ。国王の前でなかったならば罵り言葉の一つや二つ口にしたいであろう表情の臣下を残し、一行は会議室を出てはアレクの私的な居室へと移動した。 「さて、と。まだ名前も聞いてなかったな」 部屋に入るなりアレクは面倒そうに王冠を外しては放り出す。部屋の隅に転がっていくそれを慌ててシリルが追っては拾いアレクを軽く睨んだ。 「大臣たちが見たら目をむくよ」 「見なきゃいいだろ」 「そう言う問題?」 「お説教なら後で聞くから。ね、シリル? お茶淹れてちょうだい」 女の言葉で彼は言い、それから一転、男に顔に戻っては笑い出す。 「それで、サイファ?」 「……お前に紹介していいものかどうか、いまさらだが悩んでいる」 「ほんといまさらだな。悪いようにはしない。信用しろって」 「信用できるのはわかっている」 「じゃあなんでだよ?」 「お前の性格に彼らが耐えられるか疑問になってきた」 あからさまな溜息をついて見せるサイファにアレクが盛大に笑った。シリルはそ知らぬ顔で茶を運び、ウルフはどこでもないどこかを見ては聞かぬ顔。 だから半エルフたちはこれが彼らの普通なのだと理解する。人間の規格に外れた人間たちだった。けれどそうであるからこそ、半エルフを受け入れることが出来るのだろう。サイファの友人であるのだろうとおぼろげながらに思う。 「リィ・サイファ。私たちならば大丈夫です」 小さな声で彼に告げれば、困り顔でそれでもサイファは微笑んだ。 「だめならばいつでも逃げてくれてかまわん」 「あら、酷いわぁ。アタシを見捨てるの?」 「物凄く見捨てたい」 「そう言うなって」 ころころと変わる口調に早くも半エルフたちは眩暈がしている。だが大丈夫と言った手前、ここで逃げ出すわけにもいかなかった。 「まぁいい。彼が魔術師のサリム・メロール」 諦めたのだろう、サイファは肩をすくめてメロールを示す。 「もう一人はアルディア。メロールにとって……そこの若造のようなもの」 「なるほどね。二人ともよろしく」 メロールはサイファを窺う。仄かに頬に赤みが差していた。半エルフははっきりと恋情を露にすることも関係を明らかにすることも好まない。けれどサイファの羞恥心は一般的な半エルフに比べても強いようだった。なぜかそれが微笑ましい、そうメロールは思う。 「こちらこそ、よろしくお願いします」 何をどう言ったものか迷う。人間の間の礼儀作法など、知らないに等しい。あっていたのかどうかさえ、彼らの反応からは探れなかった。 「腕の方は私が保証する。安心してくれていい」 「了解。わかったわ」 「それはよせ、と言っているだろう」 「アンタが嫌がるからな」 「わかっているなら……」 「わかってるからやりたくなるんじゃないか。なぁ、坊主?」 「そりゃそうだけどさ。でもそれやっていいのは俺だけだから。アレクはやめてね」 ウルフが余裕の顔で言った途端、サイファが無言で立ち上がる。それを目に留めたウルフが咄嗟に逃げ出そうとした。が、背後は壁。追い詰められたウルフの前、サイファは莞爾とした。 「若造」 「ごめんなさい、俺が悪かったです」 「わかっていないようだな」 「もうわかりました、ごめんなさい。もうしません」 「お前は少しも学習しない。言って聞かせてわからないなら体に叩き込むまで」 笑い顔のままサイファは足を振り上げ、思い切りよくウルフの腹に膝を打ち込む。呻き声も上がらなかった。 「ほんと手加減なしだな、アンタは」 「手加減? しているが」 「どこがだよ、ちょっと坊主が可哀想になったぞ、いまのは」 「全力を尽くすなら、魔法を使う」 あっさり言ってサイファは席にと戻り、香り高い茶を口にしては微笑んだ。 「そんなことされたら俺、消し炭だって」 あっという間に回復したウルフが、それでもよろよろとサイファの側へ戻った。まるで気にもしていない、そんな顔を取り繕いながらもサイファは黙って茶を渡してやる。それをアレクとシリルが忍び笑いをしつつ眺めていた。 「だから、お前に魔法を叩き込むことはしていない。つまり手加減はしているということだ」 「あんまり加減されてるって気がしないんだけどなぁ」 ぼやくウルフにサイファは答えず、代わりにアレクたちが声を上げて笑い出す。 見ていると不思議な人間たちだった。どう考えてもおかしな人間たちであるはずなのに、なぜか居心地がいい。ちらりメロールはアルディアを見る。彼もまた、同じことを考えているらしい。ならば、きっと大丈夫。二人して笑みをかわしあった。 その二人を視界の端にサイファは収めていた。ほっと安堵する。元々アレクとならば巧くやっていかれるはずと睨んでいたからこそ連れてきた。彼の性格は折り込み済みだ。むしろ、こんなアレクだからこそ彼ら同族は気兼ねなく過ごせるだろうと。 そうでなければ連れては来られなかった。サイファはサイファでひとつ計画を立てている。それは半エルフたちを確実に巻き込む。彼らがここにいること自体が計画の一部となる。半エルフたちに危険はない。それはわかってはいるけれど、だからこそサイファは彼らにはある程度以上幸福でいて欲しかった。罪悪感を薄めたいのだと思えば多少忸怩たるものがあるが。 安心したサイファの気配にウルフは気づいた。そっと髪に手を滑らせる。よかったね、そんな囁き声がサイファの耳に届く。恥ずかしさに、思わずサイファはウルフの手を払い落とし、ついでとばかり腹に拳を叩き込む。そんな彼らをアレクたちが盛大に笑っていた。 |