不思議なままに辺りを見回していたメロールは、はっとしてサイファの元へと行く。手伝おう、そう思った。おかしなものだった。隠れ里で抱いた敵意が嘘のように消えてしまっている。それは彼から魔法を習ったせいかも知れないし、自分が多少なりとも変化したせいかもしれない。
「手伝います」
「かまわんよ」
 あっさりとサイファは言う。薄く微笑んでいるから拒絶ではないのだろう。手持ち無沙汰になってしまったメロールは改めてサイファを見つめた。
「あなたが神殿に部屋を持っているとは思いませんでした」
 神を信仰する半エルフがいないわけではない。だが、神人の子らである彼らは人間に比べると信仰心に欠けるようだ。無理もない。好むと好まざるとに関わらず、神の一族と呼ばれる者たちなのだから。
「私の部屋ではない」
 だから、サイファがそう答えたとき、反ってメロールはほっとしたのだった。
「と言うと?」
「ここはマルサド大神殿。司祭の執務室だ」
「マルサド神……」
「王の弟がマルサド神の神官でな」
「……あの男、ですか」
「そうだ」
 隠れ里で見た彼の姿を思い出しているのだろう。メロールがうなずいている。香り高い茶を持ってアルディアに渡せば彼もまた理解したとばかりうなずく。
「サイファ。シリル、呼んでこようか」
「いい。もうくるだろう」
 首を振ったサイファに二人の半エルフは不思議そうな顔をした。それからメロールは少し耳を澄ますような仕種をする。
「もしかしてここは結界内ですか」
 不意に顔を上げてメロールは言った。サイファは黙ってうなずく。その顔には笑みがある。
 飲み込みがよかった。サリムの弟子、と言うのが若干気に食わないが、サリム本人の性格はともかく弟子の素質を見抜く目はあったということか。
 ふとサイファは思う。彼が半エルフの最後の旅に出るのはまだ遠い先だろう。少なくとも自分よりは遅いはず。ならばリィの、そして自分の蔵書をメロールに残すのも悪くはない。
 彼ならば、きっとリィの魔法を大陸に広めてくれるだろう。いままで自分が為したよりたくさんのことを人間に教えてくれるだろう。そう思えば頼もしかった。
「そうだ。元をただせば侵入者の排除用だろうが、誰が結界内に入っても部屋の持ち主にはわかる」
「そっかー、それでいつもシリルがすぐくるんだ」
「お前、気がついていなかったのか?」
「気づくわけないじゃん。俺、魔法とかよくわかんないんだって」
「よく?」
「ごめんなさい、全然わかんないです」
 いたずらに睨んだサイファに笑ってウルフが頭を下げる。
 半エルフたちは興味深げに彼らを見ていた。半エルフが、人間と深いかかわりを持つこと自体、信じがたい。サイファはリィと言う魔術師を師と仰いだ。それをメロールは師であるサリムから聞いている。そしてサリム自身、リィの弟子だった。
 だから、師弟関係ならばまだ、わからなくはないのだ。けれど彼らは違う。半エルフと人間が愛情の絆で結びつくことがあるとは。その目で見なければ決して信じなかったことだろう。
 いまさらながら、サイファと言う同族に会えた僥倖をメロールは喜ぶ。出会いは最悪の形だった。にもかかわらずサイファはこうして気遣ってくれる。同族として、年長者として。それはなぜか心安らぐ思いだった。
「探しに来て、よかったね」
 ふっと心にアルディアが接触してくる。メロールは黙ったままうなずいた。憎しみから始まったこと。世界が変わったのを感じる。
「すべてを、悪魔のせいにするつもりはない。でも私は……」
「わかってるよ、メル。これから借りを返せばいい」
「借り?」
「王の側にいて彼のために働く。それがリィ・サイファの願いだから」
 心の中でアルディアの笑い声が響く。だからそれが言葉の上だけのものであることがメロールには知れた。
 貸しも借りもない。アルディアはただ、ここにいる理由をくれた。あるいは彼はすでに自分がサイファの元に留まりたがっているのに気づいているのかもしれない。
「習ったらいいんじゃないのかな。それともそういうのっていけないことなのかな」
 心の声にメロールは黙る。サイファを師と仰ぐ。考えたこともなかったとは言わない。けれど彼が受け入れてくれるものか惑う。
「ねぇ、どうしたの。つまんない?」
 そんなメロールの思考を破ったのはウルフの声だった。驚いて顔を上げる。彼にはわからないのだろうと悟った。精神の中での会話は彼には理解できないもの。おそらくは、人間だから。
「彼らは話しをしている最中だ。邪魔をするな」
「え、サイファ。だって、黙ってたじゃん」
「それでもだ」
「ふうん、そうなの?」
「そうだ」
 すまないな、と詫びるようなサイファの視線にメロールは目を伏せた。反ってつらくなってしまう。このような会話の方法がわからない人間と暮らすと言うのは、どんな気持ちなのだろうと思ってしまう。
「無駄話と言うものも、面白いものだ」
 突然、聞こえたサイファの声。紛れもない心の声にメロールは驚いた。ウルフの前で、それをするとは思ってもいなかった。
 もっとも、接触自体は魔法を習ったときよりもまだなお軽いもの。心の交流と言えるようなものではなく、単に意思の伝達手段に過ぎない。だからこそサイファはアルディアに断らずにそれをしたのだとメロールは理解している。
 そして彼の警戒心の強さを思う。サイファは決して深くまでは入らない。それは心の交流の深い充足を知っている証左だと言えた。ならば、彼とその交流を持ったのは誰か。おそらくはリィなのだろうとメロールは想像する。そして苦く笑うのだ。サリムが嫉妬した理由を思って。
「あ、来たよ」
 満面に笑みを浮かべてウルフが立ち上がり、サイファに言葉の意味を聞く機会は失われた。メロールはアルディアと顔を見合わせどこか苦笑めいた笑みをかわす。
「来たか?」
「うん、足音がする」
 まだ扉の前にさえ立っていないのに、ウルフには誰かが来たのがわかるらしい。人間の勘なのか、戦士の勘なのか、それはまだ半エルフたちにはわからなかった。
「お待たせしました。やっぱりサイファでしたね」
 扉を開けたのは、冴えない茶色の髪をした人間の男だった。神官服をまとっているところを見ると彼がサイファの言う王の弟なのだろうと半エルフたちは見当をつける。よく見れば確かに見覚えがある。
「お客様ですか、サイファ」
 ちらり、半エルフたちを見て彼は言う。驚いていないところを見れば彼は結界内に何人入ったかまで感知できるらしい。中々の力の持ち主、とメロールは見た。
「アレクに、な」
「なるほど。……あぁ、一度お会いしてますよね?」
「隠れ里で会っている。よく覚えていたな」
「あのときは瀕死でしたからね。反って記憶が鮮明で」
 そんなことを笑って言う人間が不思議で半エルフたちは思わずまじまじと彼を見てしまった。
「片腕の方がサリム・メロール。魔術師だ。もう一人はアルディア。まぁ……ウルフのようなもの、と思えばいい」
「なるほどね。もちろん、あなたにとってのウルフ、と言う意味もあるわけですね、サイファ?」
「……お前がアレクの弟だと言うのをごく稀に失念する」
 にっこり笑って恥ずかしいことを言ってのけるシリルにサイファは天を仰いでは溜息をつく。
「あまり似てない兄弟ですからね」
 言ってシリルは笑った。
「彼が王の弟。サイリル王子、マルサド神の司祭だ」
 気持ちを切り替えることに専念してサイファは半エルフたちに彼を紹介する。彼らはシリルに興味を持ったのだろう、緊張を隠せない顔をしてはいたがゆっくりと頭を下げた。
「あ、シリル。これ薬草」
「うん? あぁ、ありがとう。いつもすみません」
「なに、取りに行ったのはウルフだ」
「そうなんだ、君がお使いに?」
「シリル! お使いはひどいよ」
「私はシリルがあっていると思うがな」
「サイファまで!」
 憤然と立ち上がったウルフに半エルフたちは体を固くする。が、何も起こらない。三人で笑っているだけだった。奇妙とも言える関係に目を瞬く。そしてこれが仲間だと言うことを知った。
「ところでサイファ」
「なんだ」
「具体的にアレクになんの御用です」
「魔術師を一人紹介しようと思ってな」
「宮廷魔導師に?」
 言ってちらりとメロールを見る。不信の眼差しではない。それがあまりにも信頼にあふれていて、逆にメロールは身の置き所がないほどだった。
「腕の方はあのときに見たとおり、いま私が保証してもいい」
「あなたが紹介する、と言うなら信用しますよ。もちろん、歓迎します」
 後半は半エルフたちに向けてだった。これほどあからさまな好意を向けられるとどう振舞っていいのか、半エルフたちは迷うだろうとサイファは思う。案の定彼らは困ったよう、互いに顔を見合わせていた。
「彼らは人間に慣れてない。困ることもあるだろう。時間が許す限り……」
「僕が案内役を務めますよ、安心してください」
「頼む」
 そう言って頭を下げたサイファに、半エルフたちは慌てた。そこまでしてもらっていいものか、迷っているのだろう。ウルフは彼らと視線を合わせ、大丈夫と言うよう笑って見せる。
「では、王宮に参りましょうか」
 立ち上がったシリルにサイファが続き、慌てて半エルフたちも倣う。最後まで残っていたのは茶を飲んでいたウルフだった。
「置いて行くぞ」
「待ってよ!」
「知らん」
 子供のようなことを言う男だとメロールは思う。こんな人間のどこが良くてサイファは共に生きているのだろうかとも思う。まだまだ人間のことを知らないのだと、痛感した。
「アレクはどうしている」
「会議中です。機嫌悪いですよ」
「……だろうな」
「今朝も当り散らされましたから」
「くるのではなかったな」
「そう仰らず」
 密やかに笑うシリルにサイファが天を仰いだ。ウルフまでもが忍び笑いをしているところを見ると、なぜか不安になってくる半エルフたちだった。




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