二人の半エルフが呆気に取られるのをウルフが面白そうに見ている。サイファも彼らが驚くだろう、と思ったからこそ、そのような話し方をしたのだ。 「驚いたか」 だから、そう尋ねたのはただの確認のようなもの。半エルフたちは呆然とうなずくだけだった。 「そんなに驚くんだ?」 ウルフがさもおかしげに言う。 「それは……驚いた……」 「俺、その反応のほうがびっくりだな」 「どうして?」 「だってさ、一回だけだよ、あんたたちと会ったの。あんとき、そんなにしっかり見てたっけ?」 「半エルフとは、そういうものだから」 「そうなんだ?」 「人間に比べると記憶が薄れない、らしい。よくはわからない」 それほど人間のことは知らないから、そうメロールは付け加える。 「ふうん、そういうもんなんだね」 言ったウルフがちらり、サイファに視線を向けた。 ようやく、サイファが常々言っていたことが理解できたような気がする、ウルフはそう思う。彼が無自覚に見せる師への執着。気づいてもいないのかもしれないけれど、サイファは時折、いまでもリィが生きているような話し方をする。 それは半エルフ特有の記憶のせいなのかもしれない。いまでも彼にとってリィは懐かしむ対象ではなく、教え導いてくれる師なのだろう。 「だから、お前たちにはよかったら彼の側にいてやって欲しい、と思う」 ウルフが何かを考えているらしいことは見当がついた。だからサイファは話を戻してしまうことにする。いまここで、同族の前で話したいようなことではきっとないはず。 「あなたの……仲間だったのだから……」 まだ驚きから覚めないアルディアが言えばメロールは同意をこめてうなずいた。 「突拍子もない男ではあるが、あれは良い男だ」 「リィ・サイファ殿。人間と言うものは、あのような者を王に戴けるものなのですか」 「敬称は要らない。あの男ならば大丈夫だ」 「お言葉に甘えて。でも、なぜです」 「なんと言うのかな。他者を惹きつける能力と言うのだろうか、彼にはそれがある」 「ほんとさ、アレクが王にって決まったときのラクルーサは凄い騒ぎだったみたいだよ」 「とんでもない男ではあるが、民からの人気は高い。王としての能力も問題はなかろう。そもそもあれは第二王子だ。前王の嫡子を除けば最も王位に近い」 だからアレクは拒めなかった。それをサイファは知っている。拒否すれば王冠はシリルの元へ。弟にこれ以上の重荷を背負わせたくなかったアレクに王位を拒むことはできなかった。 「それにしても、リィ・サイファ」 そのような事情を知らない彼にはわからないことだらけだろう、とサイファは思う。まだあの時の面影がメロールには明確に残っているのならば不思議に思うのも無理はない。彼が知るアレクは弟の怪我を心配して取り乱す女の姿をした男なのだから。それを思えばサイファはおかしくてならない。思わず笑って言う。 「この私の面倒がみられたんだ、国ひとつまとめるくらい大したことではあるまい」 唇を歪めて言うサイファに、半エルフたちは絶句し、ウルフだけが大笑いする。それを睨みつけ、けれどいたずらにしたものだから反ってウルフの笑い声は止まらなくなる。 「いい加減に黙れ、馬鹿」 「だって、自分で言う、そういうこと?」 「うるさい」 「はいはい」 苦しげに手を振るウルフにアルディアが苦笑していた。気恥ずかしくてたまらなかった。 ウルフと過ごすようになって、ずいぶん慣れたと思ってはいたのだけれど、やはり同族に対してこのような関係をあからさまにするのは恥ずかしい。 「本人は王であることを嫌がっているというか、渋々王位についたからな」 「そうだよね、それで一騒動あったもんね」 「それはまた、どうしてですか」 騒動、と聞いた途端、アルディアが口を挟んだ。 「なに、あの男には恋人がいてな。それと静かにすごしたいと思っていたら兄に死なれて王位が空いてしまったから」 「人間は、結婚と言うものをする、と聞いていますが」 突然、ウルフが笑いだす。それに向かってアルディアが不服を申し立てるより先にメロールが軽く腰を浮かした。 「メル。いいから」 「よくない」 「違うよ、俺を笑ったんじゃない。そうだね?」 なにが起こったかわからなかったのだろう、ウルフはきょとんと彼らを見ていた。 「うん、そうだよ。あんたを笑ったつもりじゃなかった。ごめん、気に障った?」 「いや……」 言葉を濁したメロールに、サイファはそっと微笑む。ずいぶん穏やかになったものだと思う。ここに辿り着くまで嫌な目にもあってきただろうに。 不意に悟った。これがシャルマークの大穴が塞がった、と言うことなのだ、と。悪魔は去り、大陸を覆っていた邪悪の一端は霞となった。決して消えたわけではない。けれど確実に薄れてはいる。 人間の間にも、この淡い希望が広がっているのかもしれない。それは当然のよう半エルフにも作用し、メロールの中で凝り固まっていた憎しみは溶け始めている。 サイファはそれを知った。期待ではない。確信だった。そうでなければ、メロールの変わりようが説明できない。大陸の平和より、それは遥かに嬉しいものだった。 「んー、とね。笑ったのはあんたじゃなくって、誤解って言うか、アレクって言うか」 なんとか自分の思いを伝えようとウルフが努力しているのはわかる。けれどあまりにも稚拙な言葉で少しも彼らには理解できないらしい。 不思議なものだった。サイファ相手にはあれほど明確に自分の感情を伝えるくせに、それ以外の他者相手ではウルフは少年時代同様、言葉を巧く選ぶこともできない。 知らずサイファの口許に笑みが上る。自分だけが特別。そう思って嬉しいのは人間だけに限らなかった。 「アレクは恋人と結婚することは難しいな」 埒があかない、とやっとサイファは介入を決めた。真剣な顔をして聞いている同族の二人を見ていたら気の毒になってしまう。 「それは、なぜです」 「結婚と言う制度は男女が双方の同意によって愛を誓い生活を共にするもの、と定義すればいいのだろう」 「それは理解できます」 「アレクの場合、問題は男女、と言うところだな」 微笑んだサイファにようやく半エルフたちは理解できたらしい。はっと顔を上げ、互いに見合わせていた。 「彼の恋人は、弟だ。あの場にいただろう、あの神官だ」 「……なるほど。そういうことでしたか」 「だから、好都合でもあるわけだ」 サイファの不可思議な言葉にメロールが首をかしげた。 「中継ぎの王、と言っただろう。アレクは先王の王子が大人になるまでの代理だ。彼が王妃を迎えて子供を儲けると話が面倒になる」 「あぁ……」 うなずいたのは、けれどアルディア。不満そうにメロールは唇を噛んでいる。 「人間の、繁殖の速さはよくわからない……」 ぽつり、呟いたのは誰に聞かせるためのものでもなかったのだろう。半エルフが感じる、孤独だったのかもしれない。 世界が変わってしまうことへの。言葉をかわした人間が瞬きほどの間に死んでしまうことへの。 そのことに気づいたか、はっとして目顔で詫びるメロールに、サイファは答えなかった。目許を和らげて、微笑んだだけ。 「さて、と。どうする、行ってくれるか」 「勿論です。興味深い」 「それは助かる」 軽く頭を下げたサイファに、慌てて半エルフたちは倣う。少しばかり、メロールのほうが深い礼だった。若干の企みごとのあるサイファはわずかばかり胸が痛む。が、彼らにとって危害を加えるものではない、と内心に言い聞かせた。 「んじゃ、サイファ。馬で行く?」 黙ってやり取りを見ていたウルフがそう言っては外へと視線を走らせる。彼の馬は塔の外にいる。久しぶりに駆けさせたいのだろう。 「いや」 言ったものの、サイファは少し考えメロールを見つめた。口にしたのは、しばらくしてからだった。 「転移呪文は使えるか」 「えぇ、なんとか。距離は、出ませんが」 「なぜだろうな。呪文を暗誦してみろ」 言われたとおり、発動しないよう単に音の羅列としてメロールが転移呪文を口にする。それを聞いていたサイファは首をかしげ、もう一度同じことをさせた。 「そこだ」 ある個所に差し掛かったとき、サイファが中断させた。 「そこの発音が違う」 言ってサイファは正しい発音をメロールに教える。魔法の素養のないウルフには、なにを言っているのか、そもそも言葉なのかすら理解できない。アルディアも、実のところ似たようなものだった。 半エルフは天性で魔法を行使する。だから、メロールのよう、習い覚えなければならない真言葉魔法にはアルディアも縁がなかった。もっとも、半ば言葉の意味くらいはわかる、と言うところがウルフとは違うが。 「ありがとうございます。ようやくわかった……」 自分でもなぜ距離が出ないのか、疑問だったのだろう。晴れやかに笑うメロールにサイファまでもがつられた。 いままで弟子と言うものを持ったことがなかった。リィが感じた喜びは、こういうものだったのかもしれないといまさらながらに知る。どこか切ないような感情だった。 「ですが、私が覚えても仕方ない。彼は……」 ちらり、アルディアを見る。言いたいことが端からわかっていたサイファはにやり笑って彼らを見ていた。 「いいことを教えてやろう」 「どんな?」 「複数転移」 あっさり言った言葉に絶句したのは当然、メロール。呆然として首を振っている。こう何度も驚かされるとは、思っても見なかっただろう。 サイファは彼らにたくさんのことを考えさせたかった。だから次々と、彼らを驚愕に落とし込んでいる。そして世界と言うものを知ればいい、と。 「ありえない……」 「私もそう思っていた」 「と、いうと」 「完成したのは最近だ。もっとも、理論を構築したのはリィだ。私は組み上げただけに過ぎない」 書庫で見つけたリィの理論書。ウルフと共に暮らすようになって、それを完成させてみる気になった。いまここで、他者に伝えるのも悪くはない。 「私にとって、真に偉大な魔術師と呼べるのはリィ一人。いまなお、これからもおそらく」 婉曲な言い方だった。サイファにとってそうであるならば、この世界においてと言うに等しい。感嘆の眼差しを向けてくるメロールに微笑みながら、サイファはリィが誇らしかった。 |