隣でウルフの地を這う機嫌を感じている。だからサイファは知らぬふりをし続けた。リィとは、ウルフが思うような関係ではない。それをどうこう言われるのは嫌だった。 「ところで。何の用だったんだ」 メロールは、話を変えられたと気づいただろうか。おそらく気づいただろう、サイファは思う。けれど理由まではわかるまい。 ウルフが不機嫌だから。そう思ってくれればそれでいい。リィの話をするのはいまだに心を切り刻まれるかの痛みを伴うことだった。 「はじめは……あなたに恨み言を言うつもりでした」 「ではないか、と思ってはいたが」 ためらいがちなメロールの言葉にサイファは笑って見せる。それにあわせるよう、ウルフが笑みを浮かべ、サイファは安堵する。 そっと視線を向けてくるウルフにサイファは目も合わさない。けれど黙ったままわずかに彼の手に触れた。緊張を解いたのが伝わってくる。そんなウルフが好きなのだと、言っても伝わらないからサイファは言わない。 「人間の間に出ざるを得なくなって、私たちはずいぶん色々なものを見ました」 遠い目をしてメロールが言う。サイファには己がことのよう、理解できた。遥か昔、同じ体験をしたのだから。 「今日まで、良いものを見たとは言えません。人間は、軽蔑に値する種族。そうとしか思っていなかった。けれど……」 「あの村、楽しかったでしょ?」 ウルフの声に夢想を覚まされたようメロールが瞬きをする。隣でアルディアがうなずいていた。 「あんな人間がいるとは、思ってもいなかったよ」 「サイファがいるからね。俺、サイファが嫌われんのってやだからさ、あの人たちに色んな話したんだ。ちょっとだけでも役に立ったみたいで、よかった」 「君の、おかげだったのか……。礼を言わなくてはならない。私はあのとき君を殺そうとしたのに」 「その話はもうしないって言ったじゃんか。ね、メロール?」 以前の彼だったならば、人間ごときが気安く呼ぶな、そう言ったのだろうとサイファは思う。しかしメロールはただ頼りなげに笑っただけだった。 人間との、異種族との交流に慣れていない彼が見せた初めての歩み寄り。それがウルフであったことがサイファは誇らしい。 あるいは、ウルフであったからこそ、メロールはそうできたのかもしれない。彼はそういう人間だった。 「いまは、もう少し人間を見たいと思っています」 言ったのはサイファに向けて。はじめの一歩はささやかなものかもしれない。それでも踏み出せたことがサイファは嬉しい。こうして踏み出してくれたことが、嬉しい。あの時の後悔がすべて消えるわけではないけれど、それでも自分が彼らにしてしまったことが悪いことばかりではなかった、そう思える。 「さしあたっては、どこに?」 「決めていません。どこかに行ってみようかとは思っていますが。かまわないだろう、アル?」 「メルのいいように」 肩をすくめて見せたアルディアが、一転してサイファに目を向け照れくさげに笑った。 「おわかりになりましたか」 「そうだな、これ以上ないほど明確に」 ぶっきらぼうに言うのは照れたせい。それがなぜなのかウルフにはわからない。ただ、ほんのりとサイファの耳許が赤らんでいたから照れたのだ、と知れただけ。 「サイファ、どういうこと?」 「そんな恥ずかしいことが言えるか!」 「あぁ……そういうことか! 兄弟かと思ってた」 違ったんだ、と言いたげな目をして半エルフたちを見れば、彼らこそ驚いたようウルフを見ている。 「だって、似てるじゃん」 「似ているだろうか?」 「んー、似てるように見えるんだけどなぁ」 「それはお前が人間だからだ」 埒があかない会話にサイファは口を挟む。サイファの目には彼らは似ているようには見えていない。ウルフは人間だから、半エルフの区別がつきにくい、それだけなのだろう。 「そうかな。だってさ、あんたはちゃんと違うのわかってるよ?」 サイファが言わなかった言葉をきちんと彼は補完し咀嚼して問うてくる。サイファは少しばかり嫌な顔をしてウルフを見据えた。 「それはお前に原因がある」 そんなことも言わなければわからないのか、そう言いたい。ここに半エルフたちがいなければ、言ったかもしれない。 「そっか。そうだよな。俺、あんときもそうだったもん。あんなにたくさん半エルフがいたのにさ、あんたが一番――」 皆まで言うより先にサイファの拳が飛んだ。珍しく、鳩尾に決まったそれにウルフが呻く。 「リィ・サイファ殿……」 「気にしなくていい。よくあることだしこれは丈夫だ」 溜息が漏れたのは、どちらの半エルフの口からだったのだろう。思わずつられてサイファも溜息を漏らし、それからおかしくなっては笑い出す。 「兄弟、か……」 ウルフが言った見当違いの一言が、よいことを思いつかせた。 「もしも滞在先が決まっていないならば、紹介したいところがある」 「あなたの言うことならば」 「多少、面倒ではあるはずだが?」 からかうよう言ったサイファにメロールが顔を赤らめる。すっかり信用されてしまったらしい。そう思えば悪い気持ちではなかった。 あのサリムを師と仰いだ彼がよくぞこれほど素直であるものだと感心する。あるいは真っ直ぐすぎるのかもしれない。だからこそ、人間を恨む気持ちを捨てられなかった。それは自分自身以上に同族をも裏切る行為に思えたのかもしれない。 「私たちの仲間にもう二人いたのを覚えているだろう?」 「人間が二人。覚えています」 「あれが兄弟でな」 軽い驚きの気配にサイファは満足する。 「ほんと似てないもんね」 その驚きの内容を誤解したウルフが言えば半エルフたちは揃って首をかしげた。 「違う。我々は、兄弟と言うもの自体がほとんどいない。少なくとも私は兄弟のいる半エルフを知らないが、お前たちは」 「俺たちも知りません」 「へぇ、そうなんだ。少ないってサイファから聞いてたけど、ほんといないんだ」 妙なことで妙な感心をするウルフに三人の半エルフは呼吸を合わせたよう、溜息をつく。 「その兄のほう、金髪の男。あれが少しばかり苦境に陥っていてな。私にできることはしているが、彼は魔術師が側にいれば心強いだろう」 「あなたがそう仰るなら。ですが、なぜあなたが行かないんです?」 「若干、私が行くには問題がある」 「と、言うと?」 好奇心あふれる問いに思わずサイファは苦笑した。それから顎でウルフを指し示す。 「これがミルテシアの出身でな。とても想像できないことではあるが、王族だ。その関係から、ミルテシア国王より、宮廷魔導師の職をと依頼されたことがある」 「受けなかった?」 「いささか個人的な問題で」 視線を外したサイファにメロールはそれ以上を問うことはしなかった。今ここにウルフがいるというだけで、あらかたは察したのだろう。 「その私がラクルーサの宮廷魔導師になったりしたら、二国間で紛争が起きかねない」 「二国間……?」 不思議そうなメロールに、ようやく話を飛ばしてしまったことを知る。どうにも調子が狂っていけない、と内心で苦笑した。 「例の兄弟はラクルーサの出身でな。あとはこれと事情は同じようなものだ」 言って再びウルフを指した。 「人間の王族と言うものは、あのような旅をするものなのですか?」 怪訝そうに問うアルディアの疑問は当然だろうとサイファも思う。 「あれもこれも例外だと考えたほうがいい」 「なるほど」 よくわからないなりに、アルディアはうなずいた。彼らはサイファから見れば、ようやく大人になったばかりの半エルフたちだった。けれどアルディアはまだ若いうちからそうしてメロールを、ひいては仲間たちを守ってきたのだろう。 「一応、面倒ごとと言うのを伺っておきます」 やはりアルディアはそう続け、サイファの想像を確信に変えた。 「去年、だったかな。ラクルーサ王が死んだ」 「違うよサイファ、一昨年」 「そうだったか?」 「一昨年の終わりごろに死んだの。まぁ……だから、去年とたいして変わんないけど」 「だったら別にかまわんだろう」 「大雑把だなぁ」 「私とお前の違いのひとつだな」 「一年一年、考えても仕方ない?」 「そう言うことだ」 言ってサイファは肩をすくめる。半エルフたちは同意するようサイファに向けてうなずいていた。 「ねぇ、あんたの区別がつく時間ってどれくらいなの」 「子供の頃だったらいざ知らず、いまは人間にも慣れた。一年の区別がつかないわけではない」 「でもさ」 「感覚的には、そうだな……人間にとっての一年は我々には百年程度か?」 問いかければ半エルフたちは黙ってうなずく。もっとも、そう単純に換算できるものでもないことくらいはわかっているだろう。 サイファとウルフは、わざとらしく会話をしていた。ただ半エルフたちに聞かせるために。彼らが人間の世界に慣れていかれるように。 そのような相談をウルフにした覚えはない。けれど理解したウルフが嬉しかった。相変わらず、妙なところで勘の鋭い男だと誇らしい。 「話がそれてしまったようだな」 半エルフたちが疑問を持つより先にサイファは話しを続けることにする。そ知らぬ顔でウルフは菓子をかじっていた。 「まだ若いラクルーサ王が死んで問題が持ち上がった」 「後継問題ってやつね」 ウルフがまるで茶々でも入れるような口調でそう言えば、人間世界の知識だけはあるのだろう、彼らは黙ってうなずいて先を促す。 「ラクルーサ王の跡継ぎはまだ幼い。幾つだった?」 「王子様は御年五歳だってさ」 「だから、中継ぎの王が立つことになった」 「それがあの金髪ね」 |