どう話を続けようか迷う、そんな表情のまま隻腕の半エルフは言葉を続ける。結局、こういえば通じるのではないか、そんな口調だった。 「まだ……名乗っていませんでした。私はサリム・メロール。彼はアルディア」 サイファはもう一人の名など、聞いていなかった。思わず額に手を当て、頭痛をこらえる。 「あのとき、名乗らなくて良かった……」 溜息まじり、漸うに言ったサイファに苦笑したのはメロールだった。 「もしも私が名乗っていたら、あなたはどうなさったのだろう」 メロールの問いにサイファは首をかしげる。 「さて。どうしたかな」 「敵対した?」 「それはない」 「なぜ?」 「お前はサリムではない。よい印象を持つことはなかったとは思うが」 サイファの言葉に莞爾としたのはアルディアと呼ばれた半エルフだった。 「ほら、言ったとおりだったね」 「本当だな」 「あなたの名を知る以前から、決してあなたが悪い存在だとは思っていなかった」 そう、サイファに向けて彼は言う。あのときはただ、人間がいたことが堪えられなかったのだろう。ウルフにちらりと視線を向け、それにウルフは何食わぬ顔をして笑って見せる。 「サイファ。どういうこと?」 成り行きがわからないウルフの問いにサイファは苦笑する。説明の方法がないわけではないがいささか面倒なことになるかもしれないと懸念する。 「私の正式な名は」 「リィ・サイファ」 「なぜ」 「お師匠様の名前もらったから」 「正解だ。ならば彼は?」 「んー、そっか。お師匠様がサリムさんって言うんだ?」 そうだよね、確認するようウルフは彼を見る。メロールがうなずくのに意を強くしたよう口許を緩め、けれどそれがどうしたのかと疑問を浮かべる。 「サリムはリィ師の弟子だった」 一瞬、言いよどむ。サイファは彼がリィの名をもらったのかどうか知らない。自分がリィの塔を出た後、戻った時にはサリムはもういなかった。それだけのことだったがウルフはわずかに唇を引き締める。 「私は彼がリィの名を持つのか知らない」 誤解だ、とばかりウルフの肩を軽く叩いた。ほっとした気配に半エルフたちがかすかに笑う。咎めるよう視線を向ければそっと二人で笑っていた。 「じゃあ、サイファとは仲間だったんだ?」 「同じリィ師の弟子ではあった」 薄く笑ったサイファにウルフもおおよそのことは察しただろう。 「あなたとはあまり巧くいっていなかった、とサリム師から伺っています」 そっと言ったメロールにサイファは声を上げて笑った。そのことにウルフが驚く。 「そんな婉曲な言い方だったかな、サリムは?」 「あんたと仲、悪かったの?」 「とにかく彼とは気があわなかった。唯一お互いに理解しあえたのは一点だけだな」 「んー、聞くの怖いけど、なに」 「私もサリムも相手が大嫌いだった。気があったのはそこだけだ」 「それって気があうっていうのかなぁ」 ぼやくウルフに半エルフたちは顔を見合わせる。サイファは知らぬ顔をして茶を飲んでいた。 「サリム師は、あなたを憎んでいると言ってよかった……」 沈黙に耐えかねたよう、メロールは言う。サイファはそのくらいのことは弟子に言っているだろう、と想像していただけに驚きもしない。 「変なの。なんで?」 とぼけてでもいるのだろうか。ウルフはあっけらかんとそんなことを言う。呆れ顔で見れば浮かんでいるのは純粋な好奇心。だがサイファはそこに淡い疑念を読み取っていた。 「サリム師は、あなたに嫉妬していた」 メロールの罪のない言葉にはっと緊張したのはウルフ。サイファは座れと言うよう彼の肩を叩く。それでようやく腰を浮かしかけていたと気づいたウルフはばつが悪そうに笑った。 「なにか、悪いことを言ってしまっただろうか」 「気にしなくていい。この若造は何度言っても物を覚えない。私とリィ師はなにもない、と言っているにもかかわらず何度でも疑う。頭が悪いとしか思えんな」 「酷いよ、サイファ!」 「どこがだ」 「だってさー」 「明確にどこが酷いと指摘するなら改めよう」 嘯いたサイファにメロールのみならずアルディアまでもが目を丸くする。隠れ里でのサイファからは、このような軽口を叩くとは想像もできなかったに違いない。 「あれは……リィが悪い。サリムとリィの関係は聞いているか?」 「師弟と言う以上だった、と」 あっさりと話を戻したサイファにメロールは目を瞬きながらも答える。けれどそれ以上に驚いていたのはウルフだった。 「え! サリムさんって、サイファのお師匠様の恋人だったの」 「それほど驚くようなことか」 「だって……」 「言っているだろう。リィ師は私を溺愛しはしたが、そのような関係ではない。何度言ったらわかる、この鳥頭!」 思わずかっとして、ウルフの頬を張り飛ばしてしまった。上がった二つの声に、サイファは半エルフたちの存在を思い出しては天を仰ぎたくなる。 「私は、恋人とは聞いていない」 言い難そうに、メロールが呟く。サイファは黙ってうなずいた。 「うわ……」 沈黙が支配した場にウルフの間抜け声が響いてしまった。慌てて口許を押さえ、サイファから睨みつけられるより先に目をそらす。 「リィはサリムを愛してはいなかった。本人からそう聞いている」 「どちらの?」 「リィから」 「やはり……」 「たまたま、何と言うか、その……現場を見てしまったことがあってな」 だから恋人ではない、とリィが釈明に来たのだとサイファは言う。が、うなずくメロールを見つつもウルフは顔を強張らせている。 「サイファ、ちょっと聞いてもいい?」 はっとして、ようやく口を滑らせたことを知った。 「なんだ」 けれどいまさら口をつぐむこともできない。サイファは渋々といった体でウルフに目を向ける。 「なにを見ちゃったの」 「言えるか、そんなことが!」 「んーとさ、言えないようなことをお師匠様がその辺でしてたとは俺、思えないんだけど」 意地の悪い問いかけにサイファは言葉を詰まらせる。己の迂闊さを呪ってももう遅い。 「当然、寝室でだが」 諦めて言ったサイファにウルフは厳しい視線を向けた。 「サイファ」 「私は当時、まだ子供だった。困ったことがあれば夜中でもリィの所に行ったし、嫌な夢を見れば隣に潜り込んで眠りもした。繰り返す、私は子供だった!」 「……幾つくらいだったの」 「五百歳かそこらだ。半エルフとしては子供も子供。人間に例えれば少年よりまだ幼い」 いささか誇張してサイファは言う。実際、それほど幼いとは思っていなかった。せいぜい、最も過少に見積もっても少年と言うところだろう。 けれど人間でもそうかもしれないが、長い年月を生きるだけあって、半エルフは個体差が大きい。百年や二百年の差は、差とは言わない。大人びた五百歳もいれば幼児同様の五百歳もいる。それほどに激しい差異を持つ。 「私はとりわけ幼いほうだった」 そのようなことを多少の隠し事をまじえつつサイファは言う。それからよい例がいるとばかり二人の半エルフを見ては同意を促す。 「確かに」 うなずいたのはアルディアだった。 「俺……私は早熟でした」 妙に親近感が湧いてしまったのだろう、わずかに口調が乱れた。それにサイファは密やかな笑みを向ける。 「気にしなくていい」 「では、遠慮なく。俺は早熟で、周りの誰より目覚めも早かったんです。メロールは遅かったね」 「お前が早すぎただけだ、と思う。私は……普通じゃないかな」 首をかしげて言う彼にアルディアは笑う。どうやら正しいのはアルディアらしいとサイファは思う。だからこそ、彼はあの隠れ里の指導者になっていたのだろう。 「でもさー、いくら子供でもベッドに潜り込んだり、する?」 「する。した。悪いか」 「悪いって言ったら怒るくせに」 「だったら言うな」 「ほんと無茶言うよなぁ」 「どこがだ」 「だってさ、お師匠様に妬いたって俺、無駄じゃん」 「妬く必要がどこにある」 「ないかな?」 「ない」 きっぱりと断言したサイファにウルフはやっと晴れやかな笑みを向ける。そしてようやく気づいた。言わされたことに。サイファは苦笑し、腹立ち紛れに軽くウルフの頬を打つ。 「サリム師は自分より、その子供のあなたを選んだリィ・ウォーロックが許せない、と」 「不穏当な発言は控えてもらおう」 「失礼」 ひっそり笑ったメロールに、わざとやっているのではないかとサイファは疑問を持つ。案の定、ウルフの機嫌はまた下降している。 「私が知る限り、リィは恋人と言えるほど誰かを愛したことはない。いれば私に話したはずだ」 「あなたでもない?」 「リィは薄情な因業爺ではある。けれど子供に手を出すほど非道でもない」 サイファは知らず視線を伏せていた。あの頃の思い出が蘇る。懐かしく、鋭い痛みを伴う過去の情景。 「それでもあなたは彼をリィ、と呼ぶのですね」 はっとして目を上げた。同族の気安さなど持ち合わせないはずだった。けれどウルフの前では決してしないことをしていた。 「ずっと、そう呼んでいたのでな」 たいしたことではない、軽い口調で装った。けれどメロールは淡く笑うのみ。それでやはりサリムは彼をリィとは呼んでいなかったことを知る。いまさらながら、千年も前に死んで終わってしまったことなのに、サイファはそれが例えようもなく嬉しかった。 |