老人から受け取った籠の薬草に対価を払い、ウルフは半エルフたちを連れて村を後にした。まだざわついてはいるが、決して嫌な雰囲気ではなかった。
 それがウルフには嬉しかった。折に触れてサイファの話をしてきただけのことはあるのかもしれない。ささやかだけれど、ちっぽけな村の中だけではあるけれど、ここから広がっていけばいい。
 シャルマークの大穴が塞がって、大陸は多少は平和になった。そのいま、こうして旅の途中であった半エルフたちと再び巡り合うというのもなにかの縁だろうとウルフは思う。
 以前、彼らが暮らした隠れ里を破壊してしまった。人間を殊の外、憎んでいた彼ら。敵対する意思はなかったけれど、結果として彼らの住む場所を奪ってしまった。
 隻腕の半エルフは、そのときにいた魔術師だった。一度見たきりだから確たることは言えなかったけれど、ウルフは弓をかけたもう一人はあの時の指導者ではないか、と思っている。
「その薬草は、リィ・サイファ殿がお使いになるのか」
 塔への道の半ばであった。ウルフがなにを問いかけても返事はするものの、そこから先の会話が進まない。諦めて歩いていたウルフは、だから隻腕の半エルフの言葉に少し驚く。彼はわずかに首をかしげてウルフを見ていた。両脇で細く編んだ髪が顔の横で揺れている。
「ううん、違うよ」
「そうではないか、と思いはしたのだが」
「友達がさ、神官なんだ。ほら、あの時もいたでしょ。あいつから頼まれてね」
 朗らかにウルフは言う。話しかけてもらえたのが嬉しかった。別段、もう過去のことは気にしていない。と言うよりむしろあのとき非があったのはサイファだろうと思っている。いくらなんでもやりすぎだったのだから。
「もっとも、俺はただのお使い。こういうのってさっぱりだからさ」
 ウルフはあからさまに顔を顰めて見せ、サイファがわざわざ紙に必要なものを記してくれた顛末を多少潤色して彼らに話す。思いがけないことでも聞いたような顔をして首をかしげたのは隻腕の半エルフだった。
「変かなぁ、そんなに?」
「意外と言ったほうがいい」
「そうでもないよ。サイファ、優しいから」
 それに太陽が西から昇ったとでも聞かされたような顔をして隻腕の半エルフが驚く。たしなめるよう、もう一人の半エルフが片手を彼の背に当てた。
「はい、ついたよ」
 ウルフたちはいつの間にか塔の前に立っていた。軽く扉に手をかけただけでそれは軋みも立てずに開く。
「どうぞ」
 堅苦しく言って見せ、似合わないね、とウルフは笑う。それにつられて半エルフたちの口許にも笑みが浮かんだ。
 塔を入ったそこは、来客のための部屋なのだろう。テーブルや椅子が並べられてはいるのだが、ほとんど使った形跡がない。
「リィ・サイファ殿にお目通りを願えるだろうか」
 改めて、隻腕の彼が言う。ウルフはうなずき、ちょっと待ってて、と手で椅子を示した。
「あ……」
 声を上げたウルフに二人が体を強張らせる。ウルフは気づいた様子もなく、首をかしげて階上を見上げていた。
「どうぞ、上がって」
「いいのか?」
「うん。サイファ、どっかで見てたんじゃないかな、お客さん用のお茶淹れてる」
 あっさりと言ったウルフに半エルフは顔を見合わせた。目を瞬き、それでも黙ってウルフの後ろについて上がる。
「ちょっと我慢してね。平気かもしれないけど」
 言いつつ、ウルフは階段を上がり、廊下を歩く。半エルフたちは最初、彼が何を言っているのかわからなかった。すぐに理解した。複雑な魔法空間に、眩暈がする。
「ごめん」
 謝った彼に、隻腕の半エルフが何かを答えているのがウルフの耳に届く。
 それでウルフはもう一人の半エルフは魔法に馴染みがないらしい、と見当をつけた。自分も、そうだった。ここに住みだしたころは廊下で倒れ、階段でうずくまり、それは嫌な思いをしたものだった。半エルフも同じだと思えば少し嬉しい。やはり人間と半エルフと、それほど差はないのだと思えば。
 実際の所、ウルフの想像は半分ほどしか正解ではない。半エルフは元々が魔法的な存在だ。魔法を体系として習っていなくとも、多少の魔法ならば生来使えるもの。それは人間との決定的な差異だった。
「ただいま、サイファ。お客さん」
「知ってる。珍しいこともあるものだ」
「だよね。どうぞ、入って」
 偉そうに言うウルフをサイファは微笑ましげに見ていた。きっと村でもいいことがあったのだろう。そこに偶然、来合わせた半エルフたち。昨日の今日だけに、サイファにとっても嬉しい来客だった。
「会っていただいて感謝します」
 頭を下げたのは隻腕の半エルフ。サイファは黙って椅子を指す。困ったように弓を外した半エルフにウルフが手を差し伸べ、微笑んで受け取っては彼の手の届く場所にと立てかける。
「遠来の来客に歓迎を」
 言って、手ずから茶を淹れたカップを彼らの前に置けば体を縮めて恐縮する。それをウルフは意外そうに見ていた。
「サイファ、ケーキ出していい?」
「いま頼もうと思っていた」
「やった。ちょっと待ってて、サイファのケーキ、おいしいからさ!」
 嬉々として駆けていくウルフに半エルフたちは視線を向けていた。
「驚くだろうか」
 見れば歴然の二人の関係を、サイファは微笑んで彼らに問う。
「少しは」
 答えたのはもう一方の半エルフだった。隻腕の彼は黙って視線を落としている。
「はい、お茶請けにどうぞ」
 殊勝なことを言ってウルフが戻ってきた。それに隻腕の彼がほっと救われたような顔をするのはなぜだろうか。
「ウルフ」
「なに?」
「自分の分だけ大きく切るな」
「気のせいだって」
「どこがだ?」
 一見して大きさの違うケーキをサイファはじろりと見やり、溜息をつく。それから物言いたげに来客を見つめた。
「元気そうで、ほっとしました」
 言ったのは、一方の半エルフ。隻腕の彼は言葉もなくうつむいていた。
「もしかして、あのときのことまだ気にしてた? 俺は元気だし、それにあん時はサイファ、絶対やりすぎだし。お互い様ってことで忘れようよ、ね?」
「それをお前が言うな」
「サイファってばー」
「まぁいい。別にあのときのことならば私も気にしてはいない。むしろこれが言ったよう、気にかかっていたのはお前たちのこと」
「あなたが……」
 驚いた彼らにサイファは皮肉に笑う。
「いまのこの世の中を見るがいい。暮らし易いとはとても言えない。人間を知れば多少なりとも考え方が変わることもあるかもしれない、と思ってしたことだったが。裏目に出たと後悔してもいる」
 言葉に、半エルフたちは揃って首を振った。それこそにサイファも、ウルフもが目を見開く。決して楽な旅ではなかったはずだ。ここに辿り着くまで侮蔑や嘲笑を浴び続けてきたはずだ。それでも彼らは首を振るのか。
「世の中を見たことはいいことだったと思っています。もっとも、今日まではそうは思えなかったけれど」
「本当に。あのような人間たちもいるのだとは、知らなかった」
「あの小さな村の人間たちは、私たちを恐れも嫌がりもしなかった……」
 小さな隻腕の半エルフの呟き。サイファとウルフは言葉もなくそれを聞いていた。ウルフが軽く自分の手を握り締めたのをサイファは見た。そっとその手に自分のそれを重ねる。
「良かったな」
 ウルフのためにサイファは喜ぶ。彼がしてきたことは無駄ではなかった、と。ウルフは何かを言えば涙が零れる、そんな顔をして無理に笑ってうなずくだけ。
「一度、あなたにあって真意を質したいと思い続けた旅でした」
 目を上げた隻腕の彼の視線の激しさ。それが旅のつらさを物語る。サイファは黙ってうなずくのみ。
「人間など滅びればいい。そう思っていた」
 それから少しウルフに向かって頭を下げ、そしてサイファにも詫びるよう同じことをする。それにサイファは薄く笑う。
「なにか?」
 笑みが癇に障ったのだろうか、隻腕の半エルフが視線を上げた。
「いや……私もそう思っていたことがあると、知ったら驚くだろうかと思ってな」
「え……」
「人間のすべてを滅ぼしてくれようと思ったことがあった」
「あなたが。いつ、どんな」
 急き込んで尋ねるのは、若さだろうか。ウルフは思い出す。あの隠れ里の半エルフたちは若いのだと言っていたような気がする、と。サイファは神人がいた頃を知っている、らしい。彼らは知らないらしい。その間にいったいどれほどの年数があるのか、ウルフには想像もできない。聞いてもとんでもない年数、とだけしかわからない。いずれにせよ、人間が身を持って理解できる年月ではなかった。
「遥か昔。至高王が去った直後のこと」
「いったい、何が、あなたに」
 信じられないと言いたげな隻腕の彼にサイファは微笑んで見せる。
「人間に、殺されかけた」
 ウルフまでもが絶句した。サイファがそんな目にあっていたとはウルフも知らなかったのだ。咎めるような視線にサイファは目を向けて目許で詫びる。
「どうして思いとどまったのか、お聞かせ願えるだろうか」
 それにサイファは今度こそ声を上げて笑ったのだった。全員の視線を浴びてサイファは軽く片手を上げ、それでもこらえ切れなかった笑いを漏らしている。
「我が師が、やりかねなかった。二人でやれば本当に人間はいなくなっていただろうな。私は我が師に同族殺しをさせたくはなかった。ならば私が思い留まる他はあるまい?」
 珍しくウルフが天を仰ぐ。いつもはサイファの仕種だった。
「魔術師リィ・ウォーロックはあなたを溺愛していた、と聞いている」
 懐かしい呼び名にサイファは思わず口許を緩めてしまう。いまの世に、魔術師リィと呼ぶものはいてもリィ・ウォーロックと彼を呼ぶものはもうほとんどいない。
「確かに」
 うなずいたサイファに隻腕の半エルフが困ったような顔をする。不思議と嫌な予感がした。




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