「なにぼうっとしてんだ?」
 ウルフを回想から戻したのはからかうようなリィの声。なにを思うより早くウルフは半身を起こす。そこに迫ってくる圧倒的な光。まばゆさに目が眩む一瞬前に目を閉ざし、片手で目を庇い、反対の手で剣を抜き放つ。が、それだけ。そのときには攻撃の意志はない、と見定めていたウルフだった。単純に転がってよけただけ。首だけで背後を見やれば、目標を失くした光の網が遠くで消えた。
「お師匠様、冗談だったらわかりやすくやってよ。もう」
 文句を言いつつ剣を収めた。かちり、と鞘に鍔の当たる音。サイファがその時になってようやくほっと息をつく。
「大好きな私のリィ。どういうことだか、もちろん説明してくれるよね?」
 微笑みながら難詰するサイファにウルフは笑いだす。リィの冗談だ、と言うのはウルフにはわかっている。たぶんサイファにもわかっている。その上でそのようなことを言うのはもちろん。
「若造だって冗談だってわかってんだろ、可愛い俺のサイファ? ちょっとな、試してみたくってな」
「ウルフを? どう言うつもりで?」
「だからな」
 目の前にまで迫ってきては問い詰めるサイファに勝てるはずがない。そもそも勝ちたいとリィは思っていないだろう。ウルフもそうなのだから。もっとも、ウルフの場合はこの状況に陥ったとき、すでに何度か蹴られているだろうことが違いと言えば言えるが。
「だから、何?」
 自分ならば襟首を締め上げられているなぁ、と思いつつウルフは二人を眺めていた。それでも仲裁など馬鹿らしいことをしようとは思わない。いずれ、二人の睦言なのだ、あれは。少なくとも、自分とサイファにとってはそうなのだから。
「いや、なぁ。その。どの程度使えるのかなぁ、と思ってなぁ、お師匠様。心配なんだよ、可愛いサイファ。お前を預けとくんだぞ? 腕の悪いやつになんか預けておけないだろう?」
「あのね、リィ。こんな馬鹿でもね、これは一応は英雄とまで呼ばれた人間なの。そこそこ使えると私は思ってるよ」
「やった。サイファに褒められた」
「……そういうところが馬鹿なんだ、お前は! そこでよけいなことを言わなければリィも多少は認める気になるだろうに、どうしてお前はそうなんだ」
「んー、でもやっぱ嬉しいじゃん、サイファに褒めてもらえればさ」
「馬鹿か、お前は」
 言いつつそっぽを向いたサイファだった。ウルフは彼に見えないよう、リィに向かって片目をつぶる。彼もまた、苦笑でそれに応えた。
「まぁ、いい勘はしてるって言っとくぜ。なんでよけるだけで済ませた?」
「そりゃ、怪我させる気かどうかくらいはわかるしね。俺だってそれなりにサイファと一緒にいたからさ」
「……どう言う意味だ、若造。こちらにこい! いいや、動くな! 叩きのめしてくれる!」
「いや、だから! サイファ!? 俺はただ魔術師と一緒にいたんだからその魔法に攻撃の意志があるかどうかくらいわかるよって言いたかっただけで!」
「そうは聞こえなかったぞ、生憎な」
 満面の笑みでサイファがウルフに向かって歩いてくる。逃げたいな、とちらりと思ったウルフだったけれど、ここは黙って甘受しようと決めた。
「お前なんか大嫌いだ!」
 言い様に思い切り蹴られた。ウルフが魔術師とすごしたと言うのならばサイファとて。中々に力の乗った蹴りで、ウルフは呻く羽目になる。もっとも、すぐさま治癒魔法が効果を現すのだけれど。
「ほんっとにもう、俺だってあんたが大好きだよ、サイファ」
「そんなことはいま言ってはいない!」
「俺には聞こえたよ。だからそれでいいの。ね、サイファ?」
 気づけばサイファはにこりと笑ったウルフの腕の中。呆気にとられるより、ほっとしてしまう。柔らかな草の上、膝をついたままでウルフの胸にそっと頬を寄せていた。そこに響いてくるリィの笑い声。咄嗟にウルフの胸を押しやっては立ち上がるサイファに届く、小さな溜息。
「お師匠様、邪魔しないでよ」
「するに決まってんだろ」
「俺がしたら怒るくせにさー」
「俺は、怒らんよ。俺はな」
「サイファが怒るの、そうでしょ?」
 溜息まじりのウルフの言葉、大笑いをしているリィ。サイファは言葉もなく立ち尽くす。的を射ていると言うか当を得ていると言うか、あまりにも的確すぎて言葉もなかった。
「おい、若造。ちょっと付き合えよ」
「ん、何?」
「遊ぼうぜ」
 にやりと笑ったリィの目が少しだけサイファに向けられ、そしてウルフを真正面から見つめる。だからウルフは悟る。何も心配だと言ったのは冗談でもなんでもないのだと。それだけは、紛れもない真実。
「いいよ」
 立ち上がり何気なく剣を抜いたウルフにサイファが正気づく。そしてかすかに青ざめた。サイファは知っている。どれほどリィが体格に優れていようとも、たとえウルフの目から見て戦士のような体つきに見えたとしても、リィ・ウォーロックは魔術師だ。
「待て、ウルフ」
 ウルフが切りかかれば、リィには防ぐ術があまりない。並みの戦士であったならば、リィにも可能。それだけの技術を彼は持っているとサイファは知っている。けれどウルフ。
「待たないよ」
 にっと笑ったウルフの目が、けれどサイファには向かない。きらきらと目を輝かせてリィに向かっていた。光の筋が見えるかのような一閃。
「へぇ」
 反転したウルフが体勢もそのままにもう一度剣を振る。それでもリィは捉えられなかった。す、とウルフの眼差しが真剣になる。
 単純に、自分に何ができるか、だけを見せるつもりだったウルフだった。それなのに、かわされた。切るつもりははじめからない。それでも、これほどあっさりとかわされた。それが、熱になる。
 腰を落とし、剣の切先がわずかに振れる。リィは笑みを浮かべたまま動かない。ふ、とウルフの目が細められ。
「待て、これ以上やると立ち合いじゃなくなるぜ」
「だね。殺し合いになる」
「やめとくのがいいと思わんか。誘っといてなんだがな」
「いいよ、それで。俺もちょっと怖い」
「ちょっとかよ?」
 ふふん、と鼻で笑いながらリィはその実、内心で冷や汗をかいていた。想像以上にウルフは出来る。確かに英雄と呼ばれるに相応しい剣の腕をその目で確かめた。
「ウルフ」
「ん、何?」
 それなのにサイファにはへらりと気の抜けるような返答をするウルフだった。それでたぶん、いいのだろう。サイファがほっとした表情を浮かべるのだから。
「なぜ止めた?」
 続けてもよかった、と言う含みではなかった。純粋にウルフの動機を知りたがっている。このあたりが魔術師だな、と思いつつウルフはちらりとリィを見る。
「言っていい?」
「いいぜ、別に。聞くようなことか?」
「だって魔法だし。俺がばらしていいのかなぁってさ。――あのね、俺にはお師匠様がそこにいて、いないってわかった。なんかちょっとずれたところにいる。だからあのまま切りかかってもお師匠様は切れない。だったらどこかって探しはじめたら、たぶん切ったときには勘になる」
「勘で切られりゃ、こっちは魔術師だ。防ぐ手立てはないからなぁ。これほどの腕じゃましてな」
「だから立ち合いじゃなくって殺し合い。そういう意味ね?」
 口々に言うリィとウルフに納得をしかけ、そもそもそのようなことをせねばよかったのだ、とサイファは立腹していた。
「危ないでしょ、リィ」
 それでも言葉はリィに向けて。リィだけを案じるようにウルフには聞こえてしまうかもしれない。本当は、違うのだけれど。
 ウルフはサイファの思いをきちんと感じていた。リィは防ぐ手立てはない、と言ったけれど本当にないはずはない。リィには最大の防御手段があったはず、とウルフは疑わなかった。すなわち必殺の一撃が来たはずだ。リィはだからやめたし、ウルフも同意した。長年、人間の社会にいたサイファであっても、そのあたりの人間の呼吸はいまだ理解できないことらしい。
「なんかさ、夏の休暇だよね。それっぽいと思わない、お師匠様?」
 ぽん、と草地に腰を落とし、ウルフは思い切り伸びをする。サイファになじられていたリィが嫌な顔をした。どうやら楽しんでいたらしい。救ったつもりがよけいなお世話だった、と言うことか。
「夏の休暇? あぁ、言われてみりゃ確かにな。なんかそんな感じではあるな」
 仕方ない、とばかりリィが肩をすくめた。ちょうど息を入れる頃合だったのか、軽く手を閃かせたリィの元、茶道具一式が現れる。そしてかいがいしく世話をするのはサイファ。昔から、そのようにして暮らしていたのだな、と言うのを充分に窺わせる仕種だったけれど、ウルフは羨まない。文句を言いながら、そっぽを向きながら、それでも茶を淹れ、菓子を切るサイファ、などというものをリィは知らないのだから。
「どう言うこと、リィ?」
 茶器から顔を上げ、サイファが首をかしげる。それにリィが苦笑してウルフを見やれば、ウルフはウルフで知らぬ顔。
「だからなぁ、まぁ、その。なんだ。夏は、暑いだろ?」
「夏だからね。私はそうでもないけれど」
「ま、普通の人間はってやつだ。でな、金があったり色々だったりするとな、暑さから逃げ出すわけだ」
「どうやって?」
 怪訝な顔をするサイファの髪にリィは手を滑らせる。ぽってりと重いサイファの髪。手に馴染んだそれに思わず口許がほころんだ。
「ちょっと涼しい地方とかにな」
「あぁ……そういうことね」
 サイファは失念していたことを思い起こす。ウルフはこれでも王子だった。こちらに来て知ったことにリィもそうだった。
「王宮の避暑ってのは、けっこうな大がかりだよな、若造」
「ま、ね。行事は嫌いだったけど、楽しかったこともあったよ」
 時代は違う、境遇も違う。それでも同じような経験が二人にはある。ふとサイファは苦笑したくなってしまった。
「その、なんというのか。休暇気分とでも言うのか? それがいまこの時に似ている、と?」
 ウルフに言えば、だって楽しいから、と呆気なくぽかんとした答え。他意はないのだ、とばかりに。それでも少しよけいなことを言ったかと後悔してでもいるようなウルフの表情。微笑むことでサイファはすべてを答えた。




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