自分の好物のほうが多い、とウルフとリィが二人して言い合ったり、自分の好物ばかりを作ったのだとサイファが主張したりという一幕はあったものの、和やかな食卓だった。三人がここに座っている、というのは、そしてこれほど親密であるというのはたぶん、はじめてだとリィは思う。 「リィ?」 それに逸早く感づいたサイファの眼差し。ウルフがきょとんとした顔をしていた。いまとなってはどこをどう切っても演技の匂い。リィは苦笑しつつサイファを見やる。 「いやな、ここにこんなに人がいるのははじめてだなぁと思ってな。それだけだよ、可愛い俺のサイファ」 「あぁ……確かに。そうかも。いつも二人きりだったものね」 「だろ?」 アルハイドで暮らしていたころも、こちらに移ってからも。リィの小屋はサイファのための平穏の場所。 「お客さんとかっていなかったの?」 ウルフの疑問にサイファが嫌な顔をしてみせる。割り込むな、と無言で言っていながらそんな自分を楽しんでいるらしい。そしてウルフが楽しむともわかっているらしい。捻くり返って、結局これはこれで素直なのかもしれない、リィは内心で肩をすくめた。 「いたぞ。いたが、私は姿を見せることはなかったからな」 「なんで? あぁ、お師匠様のお客さん?」 おそらくは魔術師リィの客なのか、と聞いているのだろうウルフの言葉。あまりにも稚拙で、頭痛がする。サイファが振り返っては許して、と言うように苦笑する。その瞬間を狙ってウルフが片目をつぶる。リィはついに笑いだす。 「あぁ、俺の客だな。こっちは生きて食ってるんだ。客がいなかったら干上がっちまうさ」 「あぁ、そういうお客かー」 「どう言う客があるんだよ、他に?」 「んー、なんかよくわかんないけど。お客さん?」 サイファが長い溜息をつく。どうしてこの男はこうなのだろう、と言わんばかりのそれ。それなのに、それこそどうしてだろう、こんなにもサイファが楽しそうなのは。問うまでもない。 「たいていの客は人間だったからな。私が姿を見せると騒ぎになる。面倒だ」 「そっか、あんた――」 「時代が違うからな、怖がられたり嫌がられたりするより、崇め奉られることのほうが多かったが。それでも不快に違いはないからな」 「そう言うの聞くとさ、なんかぎょっとするよね。長生きなんだなぁと思って」 「そのわりには動じていない気がするがな」 にやりとするサイファにウルフが力なく笑みを浮かべてリィに救いを求める。無論リィは助けてやる気などさらさらない。 「若造は嘘つきだよなぁ、可愛いサイファ?」 サイファだとて知っているではないか、ウルフがそれほど愚かではないと。無言の指摘にサイファの目許が困ったような笑みを浮かべる。 「ねぇ、リィ。ウルフはいつも私を嘘が下手だと言うの」 首をかしげるサイファにリィとウルフが笑う。本人に自覚があるのかないのか、下手なのは今でも変わっていないらしい。昔からだ、などとウルフに言ってやりながらリィは内心では違うことを考えていた。 今にも、二人が帰ろうとしているのではないか。そんな恐怖と嫉妬がないまぜになったもの。サイファが帰りたいのならば、引き止めることはしたくない。それは彼のためというよりは、ウルフへの見栄だ。 「えー、だってすっごい下手じゃん。俺、あんたの嘘だったらすぐわかるけどなぁ」 同時に、ウルフが同じことを考えているのがリィには気配として掴めていた。サイファが留まりたがるのではないか。様子を見にきただけの自分だ、もうこのあたりで帰ったほうがいいのだろうか。そんな疑念。魔術師特有の鋭い感覚がそれを捉える。 「なにを言うか! 私がわかるようにしているだけだろう」 サイファ一人、静かに満ちて行く緊張に気づかないのか、気づいていても無視をしているのか。あるいは、とリィは思う。リィがどう出るのか、サイファは試しているのかもしれないと。 「それはない。絶対にない」 ぱたぱたと顔の前でウルフが手を振っていた。サイファの言葉への返答に見せて、リィへの回答。驚きのあまり声が出るところだったリィは危ういところでこらえきる。 「なにを言うか、この若造が!」 「だってさ、昔っからでしょ? だったらそれってあんたの癖じゃん。ほんとさ、お師匠様相手だと素直なのになぁ。サイファって」 「うるさい、黙れ!」 顔を赤らめて声を荒らげるサイファなのに、ウルフは違うことを言っている。リィに向けて、話している。しみじみと、強い男だと思ってしまった。 「まぁ、若造の言うとおりだろうなぁ。可愛い俺のサイファ」 サイファがリィを試すようなことはしない。サイファにとってリィだけは安住の場所。自らそれを疑うような真似だけはサイファはしない。ウルフにたしなめられて、リィこそ頬に血が上る思い。 「あなたまで。酷いよ、リィ」 「事実は事実だもんなぁ。仕方ないだろ?」 「だって」 「愛してるよ、可愛い俺のサイファ」 真っ直ぐと目を見て言えば、ほんのりと頬を赤らめる。怒りのそれでも照れているのでもない、幸福の色。ウルフが仄かな眼差しでそれを見ていた。 「どうだ、羨ましいだろう、若造め」 それで感謝と伝わる気がしてしまった。そしてウルフは確実にリィの思いを汲み取った。実に気色の悪いものだとリィは思いつつ、それでも笑いが止まらない。サイファを介して、ウルフともまたどこかで繋がるものがある、その事実。気色の悪さを否定はしないが、悪くはないとも思わないでもない、その高揚感がリィにして悪戯をさせる。サイファを抱き寄せ頬寄せれば途端に悲鳴が上がった。 「リィ! よしてって言ってるじゃない!」 「ん、何がだ?」 「無精ひげ!」 また少し伸びたそれがサイファの柔らかな頬を傷つけたのだろう。けれどリィは知っている。彼がそれほど嫌がってなどいないと。にんまりとしてきつく抱き寄せれば向こうでウルフが苦笑していた。 「だってなぁ、可愛い俺のサイファ? お師匠様、お年寄りだからな。すぐ忘れちゃうんだよ」 「誰がなの! そんなこと、絶対にないくせに。私のことなら何一つ忘れてないくせに! ――そこの若造、見ていないで助けろ!」 再び寄せられた頬にサイファが甘い悲鳴を上げる。ウルフに無茶を言うのはたぶん、照れくさいからだ。そう気づいたのはリィとウルフが同時。互いに見交わした目の中にそれを見る。 こんなにも幸福そうなサイファ。今日、彼の元に留まるのはどちらか。互いに相手の目の中、探りを入れてしまう。その瞬間、二人して自分の行為に気づいては目をそらすのだけれど。そして苦笑してウルフが立ち上がろうとしたその時。 「若造。どうする」 にやりとしてリィが言った。サイファが腕の中で文句を言っている。離して、と抗議の声が聞こえたけれど、リィはじっとウルフを見ていた。 「お師匠様、けっこうな無茶言ってるって気がついてる?」 「子孫が無茶なんだぞ? 先祖は無茶苦茶だって相場が決まってる」 「そう言う否定しにくいこと、言わないでよね」 肩をすくめたウルフだった。一人、話題から取り残されたサイファが怪訝そうに二人を見やる。交互に彼らを見ても、二人して答えをくれなかった。 「リィ?」 結局はリィに問うのだな、とウルフは思ったかもしれない。ただこれは習慣的なものだろうとリィ自身は思っている。若い人間の男であったウルフがサイファの疑問に解答を与える機会は多くはなかっただろう。同じよう、リィもまた人間の男ではあった。けれど仮にも魔法の師だ。サイファはリィに問い、リィは答える。そのやり取りに慣れている。ただそれだけだ。 「なぁ、サイファ。俺のこと好きか?」 リィから問うことが珍しいわけでもない。師として、弟子に質問を投げるのは修業の一環のようなもの。何より問いが問いだった。この質問ならば何度となくしている。サイファが莞爾と笑った。 「もちろん。今更どうしたの、大好きな私のリィ?」 ちらりとした笑い声。サイファのものではなく、リィのそれでもない。ウルフのもの。あまりにもおかしかったのだろう。リィはそれと悟ったけれど、サイファは振り返る。 「なにが言いたい、若造」 「だってさ、あんた。そのやり取りどうなのさって、俺でも思うよ?」 「それは……その……」 「あぁ、別に俺の前だからとかじゃなくってさ。だってサイファ、あんた今どこにいるの?」 言われたサイファは自分の体を見下ろした。ウルフに言われるまでもない。サイファはリィの腕の中。 「聞くお師匠様もお師匠様だし、生真面目に答えるあんたもあんただなぁと思ってさ」 「羨ましいだろう、若造?」 「別に? 口に出して言わないだけでサイファは俺のことも大好きだもん。俺、知ってるし」 「そういうことを言うな、と言っているんだ、この若造が!」 リィの胸に抱かれたまま腕を振り上げても少しも怖くはない。むしろ微笑ましくなってしまうのをこらえきるほうが大変だ、とウルフは表情を引き締める。その微妙な顔つきに気づいたのだろうリィが小さく笑った。 「だったらな、可愛い俺のサイファ? 俺が無茶やっても俺を見捨てないでいてくれるか?」 「あのね、私のリィ? 話したじゃない、私たちはどう言う関係なの。私があなたを捨てるなんて言うことができると思うの、あなたは」 そっとサイファはリィの胸元に手を置いて微笑んだ。そこに自分がいる。ここにリィがいる。そう示すように。彼のその、無垢なまでの信頼感を粉々にするのかもしれない。 「ほんとサイファはお師匠様が大好きだよね」 その恐怖を払ったのはサイファではなく、ウルフの一言。サイファを信じて。そう言ってでもいるような声音にリィは苦笑する。 「ほんっとお前、ろくな男じゃねぇな」 「提案したあんたが言わないように」 「だよな」 なにが起こっているのか理解していないのはサイファ一人。首をかしげている間にリィは軽々とサイファを抱き上げる。 「リィ? どうしたの、その……」 額に落ちてきたくちづけに、わずかに目をそらした。ウルフが見ているから。そうと気づいたリィが彼の視線を誘導すればそこで屈託なくウルフが笑っていた。 |