寝乱れていても軽く一撫ですればサイファの髪は梳いたような艶。目に馴染んでいたはずなのに、奇妙なほどに新鮮。それをサイファ自身も感じたのだろう、ほんのりと頬を赤らめる。 「起きて食事にするか。腹減っただろう、可愛いサイファ?」 言った途端だった、サイファが耳まで染めたのは。言葉もなく赤くなり、サイファはリィの胸元を打つ。乾いた音がして、リィは思わず笑った。 「お前ねぇ、何を勘違いした、うん?」 「違うの! そういうの、すごく嫌。……ウルフもそういうこと言うけど、恥ずかしいってことを理解して」 「理解、理解ねぇ。お師匠様、すっごい勘違いと言うか深読みのし過ぎだと思うけどなぁ」 「それが私の種族の在り方なの!」 声を荒らげていてすら、サイファは愛らしく映ってしまう。ウルフの目にはどう見えているのだろう、思ってリィは考えるのをやめた。どうせ似たり寄ったりだ。 「はいはい、怒らせちまったな。さて、どうやってご機嫌を取ろうかなぁ」 そしていいことを思いついた、とばかりリィはサイファを抱き上げる。まだなにも着ていないというのに素直に抱き上げられたサイファ。そちらのほうがよほど恥ずかしくないのか、と思ったけれどリィは問わない。触れ合う肌の感触を充分に堪能した。 「なにをするの、リィ?」 答えてほしくない時のサイファの語調というものをリィはまだ記憶している。サイファはおそらくリィがはぐらかしている、と言うのだろうけれど、リィ自身はサイファの楽しみを奪いたくないからこそしていることでもある。 「さてなぁ?」 言えばからりとサイファが笑う。首に柔らかなサイファの腕。巻き付いてくるそれにリィはほんのりと笑った。 「ちょっと、リィ……」 さすがにサイファはためらっていた。リィが自分を抱いたまま外に出て行こうとするのだから当然というもの。 「誰もいないさ」 リィが言うのならばそのとおりなのだろう、とサイファはうなずく。見る存在がないのならば家の中でも外でも同じこと。そのあたりが神人の子らの状況把握の大雑把さ、だとリィは思う。もっとも、リィに異存はなかったけれど。 片手にサイファを抱き、片手には着替えをさらう。神人の子だからこそ、そんな無茶ができる。人間の男性と同じ体格であってもサイファは軽い。 「不思議だね、リィ」 「なにがだ?」 「重たくないの、あなた」 「そりゃ、それなりに重いさ」 あながち嘘でもないけれど、真実でもない。それをサイファはリィの心から読み取ったのだろう。顔を顰めた気配がした。 「俺の感じ方で調整可能ってことだな。お前の重みを感じたいと思えばそうなるし、ちょっと横着したいと思えば軽くなる」 「……ほんとあなた、いい加減」 サイファはリィが言うようなことを誰でもが易々とできるはずもない、と知っている。己の感覚を自在に調整するなど、余人にできようか。 「さすがだろ、お師匠様は?」 「それが私をこうやって抱き上げたいからって理由なのがなんだか、ちょっとね。素直にすごいって言いにくいところだと思うの」 「理由は単純な方がいいぞ? そこから工夫を凝らして実行するのが魔術師ってもんだ」 それはそうだけれど。呟いたサイファが呆れている気がしてリィは小さく笑う。そのまま魔法の話をしていても楽しいだろう、たぶん。けれどいまはもっと楽しみたい。 「ほら、サイファ」 言うなり、リィは。あろうことかサイファを投げた。まさかそのような無体をされるとは思ってもいなかったサイファだった。受け身など取れず呆然とリィを見ているその青の目。そして盛大に上がる水柱。 「朝食前に水浴び、したくないか。うん?」 「……ねぇ、リィ」 「なんだ?」 「いま私、あなたの愛を疑っているところなんだけど」 小屋の側にある小さな泉だった。アルハイドにあったものと同じようにリィが作ったのだろう。そこからサイファはずぶ濡れでリィをねめあげていた。 「この俺の愛を疑う? なんて酷いことを言うようになったんだ、可愛い俺のサイファ。それはなんだ、あの若造のせいか、うん?」 言いつつリィもまたサイファの傍らへと飛び込む。もう一度水飛沫を浴びてしまったサイファがはっきりと顔を顰めた。 「リィ!」 抗議の声に混じる甘いもの。あの頃と同じ響きで、確実に違う。いまのサイファは己の心もリィの思いも理解していた。 「ご機嫌直せって、可愛いサイファ」 泉の中、サイファの肌を撫で上げれば甘美な悲鳴。寝台の上で漏らすのをあれほど嫌がったとは思えないほどに。 「リィ。あなた、時と場合って言葉、知ってるの」 「知ってるぜ? ここなら俺がそう言う振る舞いには及ばないだろうってお前の甘い観測もな」 「ちょっと、リィ!」 まさかと思っていたサイファはまたも不意打ちを食らう。抱きすくめられ、肌には愛撫の手。唇に、リィのそれ。 「……リィ」 「愛してるよ、俺のサイファ」 「あのね、私言ったと思うの」 じっと見つめてくる青い目。リィはそれを見つめ返しては体の奥に痺れるものを感じている。本当に、もう一度、そう思ってしまうほどに。 「その無精ひげをなんとかしてからにして! 本当に痛いの! あなた、わかってないね? どれほど痛いか、今度ウルフに実践させるよ、綺麗にしてくれないと」 「おい」 「だって私、ひげが生えないからね。これも種族特性だと思うけど」 自分にはできないことだから、ウルフにやらせる、とサイファは言い放って笑った。リィとしてはぞっとしないでもない。それ以上に笑っていたけれど。 「なにがおかしいの、リィ」 「いやなぁ。やられる俺も嫌だけどな、サイファ。やる若造はもっと嫌だろうなぁと思ったらおかしくって」 「あ……。それはそうかも。でも私が頼んだらやってくれると思うの」 にこりと微笑むサイファにリィはウルフを思う。苦労しているな、と。そしてこれからは自分も同じ苦労ができる。なんと言う甘美か、思う自分のおかしさも理解していた。 「だったら今朝は慎もうかね。可愛いサイファに嫌われたくないからなぁ」 嘯いてリィは天を仰ぐ。晴れ渡った朝の空。つられるようサイファも同じ空を見上げた。その顎先を捕え、リィはくちづける。それまでも嫌がりはしないサイファだから。 「お前の目の色の空だな、今日は。よく晴れるぞ、一日中」 「そう? 私はあなた色、と思って見てたけど」 「俺の目はもっと濃いだろうが」 「でも同じくらい綺麗」 微笑むサイファに返す言葉のないリィだった。あの頃にもかわしたはずの会話。いま繰り返して。 「ねぇ、リィ。私は思うの。私たちには時間が必要だった。神人の子の私が言うとなんだか変な感じだけれどね。でもね、リィ。そう思わない?」 つい、と水を蹴り、サイファはリィの首に腕を投げかける。すんなりと伸びたサイファの白い腕が水を滴らせ、落ちた雫が水面に波紋を作る。 「私は子供だった。あなたは大人だった。私は神人の子で、あなたは人間だった。私たちの間には多くの障害があったと思うの。それを乗り越えるのに、時間が必要だった」 「だがな――」 「でもね、それを除けばね、リィ。私ははじめから、あなたのものだった。こうやって、二人の間を形にするのに、時間が必要だっただけ。そうは、思わない?」 微笑むサイファにリィは黙って微笑み返した。何よりの言葉だった、思いだった。何よりここにサイファがいる。それで充分。 「後悔し続けるのって、血筋なの?」 「なに?」 「ウルフもよく悩んでるみたいだけど。私に見せるのは格好悪いからって、影に隠れてやってるよ。わかってるのにね」 「まぁ、そりゃ、なぁ」 「見栄って言ってたけどね。理解はしにくいけど、わからなくはないから。尊重はしてる」 くすくす笑ってサイファが離れて行く。他愛ない雑談だったのだとリィにもわかっていた。そんなことを言ってリィを救ったのだと、わかっていた。だからこそ。 「サイファ、冷えるぞ。上がって食事にしよう」 サイファをもっと楽しませたかった。それに感づいたのだろうサイファが振り返っては首をかしげる。真摯な眼差しにリィは苦笑していた。 「違う。お前が思ってるようなことじゃねぇよ。俺はお前を楽しませるのが好きなだけだ。次はなにするの、そのあとはってお前が目をきらきらさせてるのを見るのが楽しくってな」 「それじゃ子供みたいじゃない!」 「子供じゃないってのは知ってるけどな?」 言い様に手を伸ばしては肌をたどる。途端に上がる悲鳴じみた嬌声。あまりにも艶めかしくてくらくらとしそうだった。 「ほらサイファ。朝っぱらからそんなことになりたくないんだろ? だったら上がれって」 そうでないならば続けていいと判断する。きっぱりとしたリィの口調には充分以上にそれが匂っていてサイファは慌てて泉から上がろうとした。 「……別に嫌がってるわけじゃないからね?」 「時と場合を考えてほしいだけ?」 「そう言うこと」 「だったら考えた上で無視した場合は?」 戯れに尋ねてみたのは、魔術師の性というもの。サイファもまた、魔術師だった。そのあたりはよくわかると見える。にやりと口許で笑った。 「考えたうちに入ると思うよ?」 言うに至ってリィは盛大に笑いだす。それに危険を感じ取ったサイファだった。このまままた連れ込まれてはかなわない、と逃げ出そうとするものの。 「ねぇ、リィ。私の着るものがどこにもないの。あなた、持ってきてくれてたでしょう?」 隠したのはリィだと言わんばかりのサイファにリィは口許を歪めてみせる。その目はこれからはじまる遊びの予感に輝いていた。 「どっちが子供なんだか。リィ、あなただって言うのはわかってるの。返して!」 まるきり聞こえない顔をしてリィは泉のほとりに腰を下ろす。そうすれば、少なくともサイファもまた側に来るとわかっているから。案の定だった。変わらない素直さにリィはほんのりと笑った。 |