懐かしい食卓を二人で囲む。以前からサイファが来るときには料理に腕を振るうリィだったけれど、殊に今日は気合を入れた。おかげでサイファの機嫌がいい。 「これ、珍しいね。なんだか、前とよく似た味がする気がするの」 手料理にサイファが首をかしげる。その疑問ももっともなもの。ここは異世界、アルハイドではないのだから。 「気に入ってもらえて何よりだね」 嘯いて見せながらリィはこれ以上ない満足を味わっている。人界の物とよく似た材料を揃える伝手くらいならばリィにもある。中々に手間で、まだサイファにも教えていないリィの秘密だ。いつかは、教えてやろうと思ってはいるが。それを使ってウルフに食事を作ってやるサイファというものをいまは考えたくない。 「リィ、どうやって手に入れてるの?」 まるで思ったことを読まれたかのようでリィは慌てる。慎重に心の中を探ったけれどサイファの気配はなかった。杞憂だったらしい。 「さてなぁ? 教えてあげない」 「リィ! 教えてよ!」 「だーめ。これは俺の秘密」 ふふん、と鼻で笑うリィ。ねだるサイファ。けれどサイファはわかっている。こんなときのリィは決して口を割らないと。それでもねだるのは、そうしているのが楽しいから。 「だってなぁ、一つくらいサイファをびっくりさせることがあるって、思いたいだろ、まだ?」 「いくつもあると思うけど?」 「たとえば?」 間髪入れずに言えばサイファが黙る。その無言は居心地の悪いものだった。リィをじっと見つめたままのサイファは謎めかすよう、微笑んでいた。 「茶は、サイファ?」 「飲む。私がするからリィは座ってて」 「あいよ、頼む。茶葉は――」 「知ってる。あなたが昔と位置を変えてなかったら、ね」 にやりと笑いサイファは軽々と席を立つ。変わっているなど思いもしない。まさかそんなことはしていないだろうと仄めかすサイファにリィは苦笑するしかなかった。 そしてはたと気づいた。サイファにからかわれたのだ、と。こちらの世界に来てからもサイファはこの家で茶を淹れている、すでに何度も。 「サイファ、俺で遊んだな?」 「すぐ気がつかないリィって、どうしたの。それってお年寄りだから?」 「サイファ!」 声を荒らげリィは立ち上がる。サイファは笑って相手にしなかった。少なからず感慨深いものがあるリィとは気づかずに。 しみじみ大人になったのだな、と思わせてくれたサイファ。こんなことで、ではあったけれど他愛ないことのほうが実感はより深い。 「はい、リィ」 馴染み深いリィの位置にサイファは目を留め、ほんのりと笑う。差し出した茶器を受けとりながらリィはサイファを促した、自分の隣に。 「やっぱり、懐かしいね。人間だったらなんて言うんだろう。……故郷?」 「実家に帰省、かな?」 「ふうん。それって生まれた家ってことでしょう? だったら、そうかもね。私は向こうの世界にあったこの小屋で、生まれたんだもの」 魔術師として、いずれそう名乗ることになるリィ・サイファとして。そのときだけ、サイファの顔つきから幼さが消えた。リィとすごす、大人になったサイファ、ではなく魔術師リィ・サイファの顔なのだ、とリィは思う。 「だったらなんだ、俺はお前の生みの親か、え?」 「それは嫌。私は神人の子だもの。父親なんて会ったこともないし、親子の情なんかもっとわからない」 顔を顰めるサイファだったけれど、それ以上のことを語っているようでもある。リィは強いて見ないふりをした。 そうしていれば、懐かしい思い出に耽ることができる。二人並んで暖炉の前、床に直接腰を下ろして語り合う。ぽつりぽつりと、時には激論を交わし、ある日には黙ってそのまま過ごした。そうして暮らしてきたサイファとリィの日々。 「俺も、そうだな。やっぱり、懐かしいな」 子供だ子供だと思っていたサイファが示す真っ直ぐな、けれど神人の子らしい密やかな愛情がどれほど当時のリィには眩しかったことか。 「でもいまのほうがいいな、私は」 ゆっくりと茶を味わいつつ、サイファが隣から見上げてくる。首をかしげたリィに小さく彼は笑った。 「だって、いまのほうがもっとたくさん話せるじゃない。あのころは私が理解できなかったことも、色々」 「そりゃ、まぁ。でもなぁ。話していいものかどうか。気兼ねがしないわけでもねぇんだがな」 「リィ、何を言っているの? 私、魔法の話をしていたつもりだったのに。昔は私も子供だったから、ちっともわからないことがたくさんあったでしょって言ったのに」 「……サイファ。お前なぁ」 絶対にいまのは違う。サイファはそのつもりで言っていて、こうして茶化して見せる。溜息の一つも出る。けれど出たときには笑い声に変わっていた。 「魔法の話ももっともだよな。ほんと、色々覚えただろ。あれからも」 わざとらしくリィが言えば少しばかり唇を尖らせるサイファ。たぶん、ウルフが知らないサイファ。その思いにリィは内心で苦笑してしまう。何くれとなく、彼と比べてしまう自分を。あるいはウルフのほうも日々そうしているのかもしれなかったけれど。 「覚えたよ。あなたが残してくれた複数転移の概論も自力で完成させたしね」 「ほう、そりゃすごい。俺もあれはけっこう時間かかったぞ、理論構築がな」 「私はあなたが残してくれたものを完成させただけだからね。それほど手間でもなかったよ」 肩をすくめたサイファに滲む誇り。リィ・ウォーロックと言う稀代の魔術師に誇ってほしいと願う弟子としてのサイファ。ほんのりと目許を和ませたリィがサイファの髪を撫でていた。 「あれな。ほんとは内緒で完成させて、お前をびっくりさせたかったんだ」 「そうだと思った、やっぱりね。きっと、完成の暁には内緒でいきなり一緒に飛んで、どうだサイファって嬉しそうに言うんだろうなって、思ったの」 「そのとおり。よくできた弟子もいたもんだ」 それだけで、済ませた。そうはできなかったリィだから。リィのできなかったことを、一人でやり遂げたサイファだから。サイファも眼差しに淡い悲哀が浮かんだだけで、それ以上言い募りはしない。もしかしたら言葉になどならない苦痛であったのかもしれなかったけれど。 「あの理論の覚書、どうして私に教えておいてくれなかったの、リィ。私が独り立ちした後だと思うんだけど、あれ」 「そうだったと思う」 「だったら、どうして?」 手伝えたことがあったはずだ、その頃の自分ならば。リィと共に研究に励むことができたはずだ、自分ならば。 「未熟だったと思う、あなたから見たら私は。それでも」 「というより、本当に驚かせたかっただけだな。お前がどうのじゃない。強いて言えば、まぁ……危険を伴う研究ではあったからな」 転移魔法の失敗は己のみが死ねば済むというものでもない。周囲一帯を死の大地に変えかねないほど木端微塵もおろかな大爆発が起こりかねない。それが複数転移となれば、なおさらだった。 「だと思った。やっぱりね。リィ、あなた」 「なんだよ?」 「過保護って言葉、知ってる?」 にっこりと笑う神人の子にリィはきょとんとして見せる。無邪気この上ない顔をして。それにサイファが溜息をついた。 「リィ、いまはあなたと一緒にいるの、それやめて」 「あぁ、若造?」 「あの馬鹿。私は知ってるんだから。それほど馬鹿でもないんだって、知ってる。でも……」 「お前がお馬鹿な小僧のほうが可愛いと思ってるから、あの若造はそうしてるって? そこまで賢いかねぇ?」 首をひねって笑いながらリィは舌を巻いていた。ある意味では当然。サイファはウルフの姿を見抜いていたのか。その上で彼は演技をし、サイファも受け入れている。回りくどいにもほどがある。思ったけれど、ちらりと違うことも考える。自分たちも、同じかもしれない。この期に及んでまだ、師弟の皮を被っている。一面の事実ではあるけれどそれだけでもない関係なのに。ウルフとサイファもそうなのかもしれない、リィはふと思っては苦笑した。 「若造、ほっといていいのか」 「いいんじゃない? 行けって言ったのはあれだもの。食べるものなんかは用意してきたし。あっためて食べるくらいは自分でもできるでしょ」 「冷たいやつだな」 「行けって言ったウルフが悪い。一人で寂しい思いでもなんでもすればいいの」 拗ねてでもいるようなサイファにリィははっきりと苦笑する。サイファがそれと気づいて見上げてくるほどに。 「リィ?」 「そんなに若造が心配だったら、帰ってもいいんだぞ、可愛いサイファ。送っていってやろうか?」 それにサイファは答えない、言葉では。代わりと言うよう、リィにそっと寄り添った。子供時分にしていたと同じ仕種。意味は今は違うのだろうか。違うはずはなかったけれど。 「そう言うことするとなぁ、可愛い俺のサイファ?」 悪戯めかしたリィの言葉にサイファが嬉しげに顔を上げた。こんな口調のとき、リィはいつも楽しいことをしてくれたと言わんばかりのその笑顔。 「ご期待に添えず恐縮だがな」 なんのこと、と言うよう首をかしげたサイファの肩を抱く。そのまま引き寄せ。触れ合う唇。押さえつけもしなかったのに、サイファは逃げなかった。 「お前な。ちょっとは嫌がるとか戸惑うとか。抵抗するとか!」 「どれも必要ないと思うの。嫌でもないし戸惑う意味もない。抵抗? 私があなたに?」 「自分でやっといてなんだけどな。俺は若造に対して胸が痛い。ものすごく」 サイファがこればかりは本気で抵抗するだろうと思ったからこそ、リィは数多の言葉を態度を、考えていた。あっさりと予測は裏切られ。 「あのね、リィ。ウルフは私に言ったんだよ? お師匠様に口説かれてきなよって」 言わなかったかな、と呟くサイファに聞いていない、と声を荒らげたいリィだった。けれど出てきたのは溜息。 「なるほどな。そーゆーわけか」 沸々と滾るのはウルフへの敵意にも似た感嘆。あの小僧の目論見に乗るなど言語道断。しかしサイファだった。 |