互いに位置を入れ替えて、今度は二頭が揃って突進する。雪白の竜が尾を薙ぎ払い青い竜の腹を狙う。嘲笑うよう吼えて青い竜はよけた。
 この口から吐き出される突風に、白い竜が体勢を崩す。再び吼えて青い竜が突きかかる。だが、そこに襲いくる氷の礫。
 感じたことのない痛みに竜は悶える。あたりに風が渦巻いた。地上から、土埃が舞い上がる。凄まじい風に、木々が一様に梢をなびかせていた。
 涼しい音がした。雪白の竜の吼え声。梢がぴたりと止まる。見ればすべて凍りついていた。青い竜がちらりとそれを見ては、目を見開く。
 歓喜に見えた。戦うことの喜びに。白い竜はそれに目をすがめ相手を見据える。ゆっくりと息を吸った、その瞬間を狙いすましていたかの青い竜の攻撃。
 首に、衝撃を感じた。白い竜はかまうことなく攻勢に転ずる。鉤爪で色違いの目を狙った。相手がよける。そこに叩き込まれる長い尾。青い竜の翼を捉えた。
 轟、と空気が震えた。青い竜の悲鳴とも怒号ともつかない声。白い竜はそれを聞きたくないとばかり、更なる攻勢をかける。
 青い竜は焦っていた。翼を破られていた。巧く風を捉えられない。風竜が、風に乗りそこなうなど、屈辱以外の何物でもない、と思ったのだろうか。色違いの目が血走る。
 白い竜は歯を噛んでいた。人間ならば、唇を噛みしめた、と言うところ。まだ戦おうとする青い竜にもう一度尻尾の攻撃を浴びせる。
 風を捉えきれない青い竜は、やはりよけられなかった。今度は反対の翼が破られる。上がった吼え声は、はっきりと悲鳴じみていた。
「タイラント――!」
 どこからか、人の声が聞こえる。地上の目を走らせても、人間どもは影もない。声は、前から聞こえていた。
 ありえないことに、青い竜は耳を閉ざした。雪白の竜が人語を解するなど信じがたい。言われた言葉も、見当がつかない。
 それなのに、心の中がざわめいた。自分の体の中で、何かが悶える。不快で、気分が悪い。一声吼えれば、押し殺された怒りを感じる。自分の中に。
 白い竜はその間も攻撃の手を休めはしなかった。前脚の鉤爪が体を引き裂かんばかりに伸びてくる。なんとかよければ力強い後脚に蹴られた。
 完全に、体勢が崩れていた。このままでは落ちる。そう思ったとき白い竜が体ごとぶつかってきた。青い竜の目に歓びが浮かぶ。
 自分だけで堕ちはしないとばかりに。牙を鳴らし、白い竜に組みかかる。だが、雪白の竜のほうが早かった。
 がっきと、白い竜の歯が食い込む、青い竜の長い首に。悲鳴を上げ、青い竜は落ちていく。白い竜を抱いたまま。
「タイラント」
 耳に聞こえる人間の声。青い竜には聞こえなかった。ひたすら、共に大地に叩きつけられようとばかり白い竜をきつく抱く。雪白の竜は、逃げなかった。
 そのことを不審に思う余裕は、すでになかった。大地は目の前。白い竜の姿がぼやけたのを最後に、青い竜の意識はなくなった。
 衝撃に、目が眩みそうだった。容赦のない攻撃に、シェイティは自身も傷を負っている。流れる血にかまうことなく、タイラントを窺った。
 最後の瞬間、魔法を叩き込んだ。青い竜は、気づかなかっただろう。竜の中にいるはずと信じていた彼は、気づいたかもしれない。
 シェイティがしたのは、解呪だった。一瞬にして解かれた魔法は、タイラントの心も体も蝕んだことだろう。それしか方法がなかったとは言え。
「タイラント……」
 彼を探すのが怖かった。もし大地に叩きつけられたのが、あの青い竜であったならば。
 シェイティはきつく閉じていた目を開きタイラントを探す。見つからなかった。唖然として辺りを見回す。そしてシェイティは力なく笑った。
「馬鹿みたい」
 腕の中に、いた。温かい体を抱いていたのに、気づかなかった。動揺するにもほどがある。カロルが聞けば呆れた末に殴られるだろう。
 それでもよかった。タイラントがいた。人間の、姿で。ほっとするも束の間、シェイティは彼の息を確かめる。人間の姿に戻って死なれては、たまらなかった。
「タイラント?」
 何度も名ばかり呼んでいる気がした。届かない。はじめて、タイラントの歌っていた意味がわかる。その焦燥が。
「届かないと、思ってたの?」
 だからずっと歌っていたのか。その答えを聞きたいと思う。だから、生きて欲しいと思う。もう一度目を開けて欲しいと願う。
「起きて、タイラント」
 揺すりかけて、ようやく彼の無残な様子に気がついた。少し、手加減をしそこなったらしい。もっとも、加減をしていては倒されたのは自分だっただろう。
 腕の中、血の気を失ったタイラントが目を閉じていた。銀の長い髪が、惨いばかりに所々ちぎれ飛んでいた。体中、傷を負っていないところを探すほうが難しいほど。
「まずい」
 中でも酷いのが、首だった。うっかりきつく噛みすぎてしまった。いまだに出血が止まらない。シェイティの顔が、タイラントのよう白くなる。
「タイラント」
 どうしていいか、わからなかった。人間の姿で死なせたくてしたことではないはずなのに。うろたえるシェイティの腕の中、タイラントが身じろいだ。
「タイラント!」
「……ごめん」
「なにが!」
「ごめんね、シェイティ。どうしてだろ。魔法、解けちゃったよ」
 うっすらと目を開いて、タイラントは笑う。シェイティは拳を握り締めて黙って首を振る。それしか、できなかった。
「もう一度――」
「なに、聞こえない」
「もう一度、かけてくれる? ごめんね、俺。なんでだろ……」
 何を言っているのか、わからなかった。タイラントの色違いの目をまじまじと覗き込む。あるいは、解呪の瞬間に訪れた衝撃に、タイラントは耐え切れなかったのか。自分の手で彼を壊したのか。青ざめるシェイティに向かって、タイラントは微笑んだ。
「今度は、ちゃんと。死ぬから」
 その言葉に、正気だと悟った。震えた手で、殴る代わりに彼の頬を包み込む。本当は、殴ってしまいたかった。
「できない」
「……どうして?」
「できないって言ってるの! あなたを殺すなんて、僕にはできない!」
 振り絞られた声に、タイラントはゆっくりと息を吐く。少しだけ、いまだけと願って彼の胸に頬を寄せた。
 温かくて、心地いい。なぜ、シェイティが泣いているのかが、わからなかった。また、傷つけてしまった。そればかりが脳裏を巡る。
「ごめん、シェイティ。もう行って」
 静かに、体に力を入れてみた。それだけで悲鳴を上げたくなるほどの激痛。このまま放っておいてもすぐに死ねる、そんな気がした。
 本当は、竜の姿で消えてしまうはずだったのに、いったい何が起こったのだろう。疑問ばかりが浮かんでは消え、タイラントには何もわからなかった。
「人の話し聞いてるの。できないって言ってるの。僕はあなたを死なせない。聞いててよ、ちゃんと!」
 泣き叫ぶシェイティに、タイラントの頭がやっとのことではっきりする。それでも不思議そうに彼を見上げた。
「シェイティ?」
 信じられなくて、彼に手を伸ばしたい。それなのに、動かない。察したよう、シェイティが手をとっては自分で自分の頬に押し当てた。
 信じられなくて思わず目をそらした視線の先、竪琴があった。タイラントの目が和む。壊れた竪琴は、革袋も破れて完全に砕けてしまっていた。
 タイラントの視線を追ったシェイティが、そっと竪琴を胸の上に乗せた。触れるだけで、原形を失ってしまいそうな竪琴なのに、タイラントは嬉しそうに微笑む。それがシェイティの胸を痛ませていた。
「君は――」
「なに」
「俺を、許せるの。俺は人間だよ、シェイティ。一度許しても、また必ず同じことをする。今後、君を苦しめることはないなんて、俺は――言えないよ」
 途切れ途切れのタイラントの言葉。浅くなっていく息の中、彼はそれでも笑っていた。じっとシェイティだけを見つめていた。
「知ってるよ、そんなこと」
「だったら」
「わかっていて、言ってるの。僕は、いやだ。あなたを死なせない。あなたを、失いたくない。僕の我が儘なの。勝手なの。好きにさせてよ。一度だけ許す。いいよ、何度でも同じことすればいいよ。何度でも、一度だけ許してあげるよ」
 返り血だけではない血だらけのシェイティの頬が洗われていた、彼自身の涙で。酷く澄んだ涙が、頬に筋を作る。
「シェイティ――」
「あなたは僕を知った。僕もあなたを知った。なんて似た者同士なの、僕たち。馬鹿みたい。だから、タイラント――」
 もう、何を言っていいかわからなかった。伝えたいことはたくさんあるはずなのに、言葉がない。あの楽しかった旅の間、タイラントに歌を習っておけばよかったと思う。
「シェイティ、ごめんね」
「まだ謝るの。それともまだ詫びなきゃならないことがあるの。違うんだったら、黙ってて。うるさいよ」
「うん、ごめ――。ありがと」
 そっと笑ったタイラントが、そのまま消えてしまいそうでシェイティはいっそう青くなる。手が、震えた。
 このままでは、時間と共に彼を失う。それがわかっていて、シェイティには打つ手がない。震える指先をじっと見つめて息を吸い込む。
「僕に、治癒魔法はない。覚えてる?」
「うん、忘れてない」
「あなた、いま危険だってわかってるよね。だから、じっとしてて。僕に、賭けさせて」
 危険極まりない、賭けだった。響きは知っている。彼が、かけているところを見たこともある。だが、シェイティ自身は試したことすらない。
「シェイティ?」
「真言葉の治癒魔法。それしか、ないから」
「君は」
「使ったことないの。だからじっとしてて、黙ってて。僕にも、わからないんだから!」
 タイラントはその言葉に必死の思いで手を上げた。彼の手を取る。じれったそうに振り払おうとするシェイティにタイラントは言う。
「俺に、歌わせて」




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