最初に目をそらしたのはカロルだった。舌打ちをして、再びタイラントを睨み据える。その肩にリオンが手をかけていた。
「タイラント」
 カロルが口を開くより先、リオンが微笑んで言う。一度ぎゅっと拳を握り、タイラントは視線を上げた。
「はい」
 声がかすかに震えた。何を言われるのか恐れたわけではない。何もかもが怖かった。カロルも、リオンもメロールも。メグですら。
 いまここに自分がいること。生きていること。もしかしたらそれが怖いのかもしれないとタイラントは自嘲する。
 シェイティは、いまどこに。その師さえ居場所を知らないどこかに彼はいる。何をし、何を思うのか。
 もう一度だけ、彼と話ができるのならば、何を捨ててもかまわない。喉も指も失って、生きる歓びである歌をなくしてもかまわない。
 リオンに、それが通じるだろうか。無言の中にタイラントは己の思いのすべてをこめる。ゆっくりとリオンがうなずいた。
「私はね、フェリクスとそれほど仲が良かったわけじゃありません」
 突然のよう、リオンが言う。わずかにカロルが笑った。
「この人とね、あんまり仲がいいものだから、ちょっと焼きもちです」
「この期に及んでなに言ってやがる、ボケ坊主」
「うん、でもあなたはフェリクスが可愛くて仕方ないでしょ?」
「……まぁな」
 渋々、と言った口調でカロルがうなずくのを、メロールが微笑ましげに見ていた。タイラントは、彼らがどんな時間を過ごしてきたのか、知らない。フェリクスなど、知らなかった。
「カロルにとってね、フェリクスは自分の子供みたいなものなんです。心配するのも怒鳴るのも、殴るのだって、彼が大事だからです。わかりますか、タイラント」
「……わかりたい、と思います」
「いまのあなたにはわからないでしょうね。まぁ、そんな子供相手に焼きもち妬いても仕方ないんですが、フェリクスにしてみれば大事なお師匠様を横からかっさらった男ですし、私。仲がいいわけはないですよね?」
 朗らかに言われてしまって、タイラントは唖然と彼を見やる。カロルが頭を抱えているのも、メロールが顔を覆ったのもタイラントの目には入らない。
「ちょっと事情があって、フェリクスとカロルの仲を邪魔はしないと誓った私ですが、そろそろカロルを返して欲しいなぁ、と思ってたところなんです」
「……リオン、様?」
「あなたが現れたのは、丁度渡りに船と言うやつですね、私にすれば。よかったなぁ」
 何を言っているのか少しもタイラントにはわからない。また、尋ねることはできなかった。本当は、聞きそうになったのだ。が、眼差しにそれが現れた途端、カロルの目つきが険しくなった。
 だからタイラントは何も聞けない。リオンの言葉を疑ったわけではない。事情とは何か、気になったわけでもない。
 少しだけ、ここでシェイティが、どうすごしてきたのか、知りたくなっていた。馴染めないフェリクスと言う名で呼ばれる彼のことを考える。
 不意に胸に迫るものがある。自分に、フェリクスと呼ばれたくはなかったのだろうと思えば。シェイティにとってその名は大切なものだったのだろう。わけのわからない人間に、人間ごときに呼んで欲しくないものだったのだろう。
 胸の中で呟くよう、呼んでみる。シェイティの名を。答えることはない、聞こえるはずもない。悪口だった、とカロルは言った。それでもタイラントはその名でしか、彼を呼べなかった。
「だからね、タイラント」
「は……はい」
 うっかり、何かを聞きそびれてしまったのだろうか。全員に注目されているのが居心地悪くてたまらない。
「あなたを応援しようと思ってます、私」
「リオン様!」
「別にあなたのためじゃないです。私のためですから、気にしなくていいです。いいですね、カロル。それで?」
「けっ。勝手にしやがれ。俺の知ったことじゃねェよ」
「賛同いただけてやれやれですよ」
 疲れきったような顔を作ってリオンは自分の肩を叩いて見せた。タイラントが見つめるうち、ゆっくりと片目をつぶったから、ただの冗談らしい。少し、眩暈がしそうだった。
「と言うわけで、タイラント。フェリクスを捜してみますか?」
「はい! ……あ、でも」
「なんです?」
「……巧く、言えません。でも、俺が……捜すのは、シェイティです」
「だからそれがフェリクスだって言ってんだろうが、クソ派手め」
「また素敵な罵倒語ですねぇ。あなた、なんとかしないとこの呼び名が定着しますよ」
 どこがどう素敵なのか、少しばかり聞いてみたい気がしたものの、タイラントはそれどころではなくカロルを見据える。
「俺にとって、彼はシェイティです」
 それで、通じるだろうか。わかって欲しいと思う。望みすぎだろうか。
「……わかってらァ」
 ぽつりと言った。ぐっと、喉の奥が痛くなる。思えばシェイティとは、彼の軽率な悪口だったのだ。その名で呼ばれていることを、カロルが悔いていたとしても無理はない。
 タイラントは泣きそうだった。これほどシェイティを大切にしている人々の間からすら、自分は彼を引き離してしまった。
 人間への希望を失った彼は、その師も仲間も捨ててしまった。
「俺はな、派手野郎。あいつが帰ってくるのを待ってる。一応、俺が死ぬ前に帰ってこいとは言ってある」
「そんな……」
「他に何が言える?」
 カロルの笑みは皮肉なものだった。タイラントは口をつぐむよりない。わかっている。何も言えたはずはない。たとえ、その師であろうとも。
「これも一応、言っとく。あの死にたがりの馬鹿弟子が、万が一にも死んでたら、俺に知らせをよこせ」
「……はい」
「そんときゃ、きっちりテメェをぶっ殺す」
「はい」
「テメェ、頭は平気か? なに笑ってやがる」
「平気です。たぶん、平気だと、思います」
 訝しげな顔をしたカロルの顔を見ていられなくて、タイラントは片手で顔を覆った。その背をメグが撫でてくれているのを、感じている。温かくて、和やかなとき。シェイティに、これを返すことができたなら。
「では、私からフェリクスへの贈り物、と言うことで」
 するり、カロルの背後からリオンが歩を進めてきた。いったい何が起こるのだろう、と思っているうちリオンはタイラントの傍らに立つ。
「髪、触られるの嫌いですか?」
「普通は。はい」
「まぁ、我慢してくださいね」
 聞いたくせ、にこりと笑ってリオンは無造作にタイラントの髪を手にとった。何をされるのか、とタイラントはほんの少し身構える。
 だがリオンは一房とったリオンの髪を、細く編んだだけだった。確かにそれだけだった。それでもタイラントは何かを感じた。
「いい勘してますよ、あなた。うーん、もったいないなぁ。ちゃんと訓練すればものになるのに」
「リオン様?」
「ちょっとね、魔法をかけておきました」
 にっと笑ってリオンが体を起こす。かがめていた腰を叩く様など、とても高位の神官とは思えない。あまりにも年寄りじみていた。
「手間ァかけやがって」
 タイラントの編まれた髪に視線を据えてカロルが呟く。半ば呆れた口調だった。
「……カロル様?」
「やめろ。気色悪ィ」
「え、と。シェイティの、お師匠様……」
「カロルでいいって言ってんだ、クソ派手野郎」
 段々と、罵倒が長くなってきた気がする。機嫌を損ねてしまったのか、と再びカロルの背後に戻ったリオンに視線を向ければ、彼は笑っていた。
「この人、気に入った相手ほどちゃんと呼びませんから。気にしなくていいですよ」
 言った途端、リオンが殴られた。なぜか今度はリオンもよけず甘んじて殴られている。不意にタイラントの頬がかっと熱くなった。
「あの、その。手間を、かけたというのは!」
 仲のよい恋人たちを見ていられなくてつい、タイラントは声を張り上げる。かすかにメロールにまで、笑われた。
「テメェの頭にかかってる呪文だ、派手」
「……と、言うのは」
「うん、フェリクスをね、探索しやすくする呪文なんです。しやすくするだけで、見つけるのはあなたの努力次第ですけどね」
「努力……」
 そんなもので、シェイティが見つかるのだろうか。あの闇エルフの子が、本気になったならば自分のようなたかが人間から隠れるなど、造作もない、そんな気がしてならない。
「フェリクスが見つかるかどうかはあなた次第、と言うよりフェリクス次第でしょうね」
 タイラントの思いを肯定するよう、リオンは言ってうなずいた。
「フェリクスがいる方向にね、少し引っ張られるような感じがするはずです。そっちに向かえば見つかるかもしれないなぁ、と言う程度ですが」
「俺が言ってる手間ってなァ、そっちじゃねェよ」
「おやカロル。優しいですね、今日は。教えてあげるつもりなんですか?」
「テメェのまどろっこしい話し聞いてたら、ちょっとばかし哀れんなったぜ」
 言って真実哀れみの目としか思えないものをカロルはタイラントに向けた。それがあまりにも真にせまっていて、タイラントは思わず仰け反りそうになる。
「それフェリクスの手でしかほどけねェよ」
「……え」
「テメェが自分の手でぶっちぎりゃ別だがよ」
「そんなこと! するわけがない!」
「別にしろたァ言ってねェ。喚くんじゃねェ。うっせェぞコラ!」
「……あなたのほうが大きな声を出してますよ、カロル」
 顔を顰めてリオンが言う。ちらりと視線をメロールに飛ばし、二人でそっとカロルを笑う。むっつりとしたカロルは憤然と立ち上がり、振り返りもせずに部屋を出て行った。




モドル   ススム   トップへ