きつく、背中を叩かれた。衝撃に見やれば厳しいメグの顔。ちらりと笑みを浮かべた。しっかりおしよ。無言のうちに励まされる。
「で。テメェは何がしたい?」
 リオンにしてもカロルにしても難しい問いを放つものだとタイラントは思う。はっきりと何をどうしたいかなど、自分でも良くはわからないものを。
「シェイティに、会いたい……。それだけです」
「会わせてやらねェ、とは言わねェよ。だいたい言えるもんでもねェしな」
「そう、なんですか……?」
「言ってんだろうがよ! 俺だってあいつの居場所は知らねェ。どんだけ――」
 心配してると思っているのか。飲み込んだカロルの言葉。タイラントはしっかりと胸の中に刻み込む。
「師匠」
「なに?」
「会わせていいと思います?」
「私に聞いても仕方ないだろう。フェリクスはお前の弟子なんだから」
 カロルの声が惑っていた。吟遊詩人の耳はそこに戸惑いを聞き取る。暴言としか思えない語調の中にある、懸念。
「おい派手。歌え」
「……は?」
「吟遊詩人だろうが、テメェはよ。だったら歌え。聞かせろ」
 突然の言葉にタイラントは息を飲む。呻き声すら上げてなぜかメグを見た。彼女は力強くうなずいていた。
「あんたの歌を聞かせておあげ。カロルもきっと気に入るさ。あんたの歌は素晴らしい。あれが本当のあんただと、あたしは信じてるよ、可愛い子」
「メグ」
「さぁ、聞かせておくれよ」
 タイラントは唇を噛んだ。期待されている。それが負担になる。同時に励ましにもなる。知らず、震える手で竪琴を袋から出していた。
 ゆっくりと息を吸う。呼吸を整え、細く出す。目はどこでもないどこかを見ていた。あるいは、シェイティを。
 室内に、タイラントの竪琴の響き。そして声。わずかに半エルフが目をみはった。それすら今のタイラントには見えていない。
 奏でられる音がカロルにどのように聞こえるのか。タイラントは気にもかけなかった。いま彼の心にあるのは、どこかにいる、この歌を聞くはずのないシェイティのこと。
 いつしかタイラントの声は二人の出会いを語る。タイラントは自分の耳でその歌を聞いた。意外に思う。このようなことを歌えるとは、思わなかった。
 シェイティの歌を歌う日が来るなど。ずきりと体に痛みが走る。わずかに乱れた竪琴の音。それがまた、タイラントの心を語る。
 出会いから、決別へ。そこにいたる互いの無理解を。そこにはなんの感情もない。感情のないことが、タイラントを語る。
 ゆっくりと音が消えていく。もう少し聞いていたい。歌い手自身がそう思ううちに、歌は終わっていた。
「……悪くない」
 遠まわしで嫌々なカロルの褒め言葉。タイラントは床に目を伏せて首を振る。いまの歌ならば、いつかもっと巧く歌える、そう思う。もしも自分の側にシェイティがいてくれるのならば。
 だから、あの歌を歌う日はもう来ないだろう。シェイティがいないから。彼がいないのに、なぜ歌ったのだろう。彼の師がいるからか。タイラントはそう思ってカロルを見やった。
「せっかくなのに、竪琴がよくないね」
 不意にメロールが言う。ぽん、とカロルも手を打ってその師にうなずいていた。
「あぁ、そうか。そんな気がしたんだ」
「もしよかったら、よいものをあげようか? 気に入るものが私の手元にもあると思うけれど」
 メロールの申し出にタイラントは驚いて飛び上がりそうな体を必死に抑えた。とんでもないことだった。
「申し訳、ありませんが」
「あん? テメェ、半エルフ――」
「違います! どこのどなたに言われたって、俺は断る!」
 タイラントの勢いに、リオンがそっと微笑んだ気がした。わずかにカロルは首を振り向けリオンを見る。やはり、笑みを浮かべて何も言うなと首を振る。
「聞かせてもらおうかな」
 メロールの言葉に、タイラントはほんの少し、言いよどんだ。それでもきっぱりと言葉を放つ。
「この竪琴は――」
 視線を移し、腕の中の竪琴を見る。愛しげな目をしていた。誰もが、だからタイラントが続ける前に答えを知ったことだろう。
「シェイティが、買ってくれたんです。だから、手放さない」
「お前の技量に見合っていなくとも?」
「はい。俺の腕がどれほどのものかなど、わかりません。評価されるようなものじゃない、それだけは知っています」
「あたしには卑下しているように聞こえるけどねぇ」
「メグ……。俺はね、一番大事なものを、自分の手で壊したんだ。それだけで、歌う価値なんかどこにもない。俺にあるのは――」
 竪琴から片手を離し、タイラントは掌を見た。なにもない。失ってしまったものだけが、そこにある。
「テメェは、何をしたい」
 再びの問い。タイラントは目を上げてカロルを見た。
「シェイティに――」
「会ってどうする」
 叩きつけられた。言葉で、横面を張られた。それでもタイラントはもうひるまなかった。唇を引き結んで彼を見る。
「伝えなきゃならないことがあります」
「なんだ。言え」
「俺は、シェイティに酷いことをした。だからシェイティは、きっともう人間なんか大嫌いになってる」
「んなもん、昔ッからだ」
「だから、伝えなきゃならない」
 タイラントの指が、気づけば竪琴の弦を弾いている。何かを弾こう、と言うのではない。ただタイラントの心のように、爪弾いていた。
「シェイティに、よく晩メシを奢ってた酒場の主人がいます。彼が……闇エルフの子だって知った後も、心配してた」
 視線を宙に投げ、タイラントは彼の面影を追う。それを聞いてシェイティは何を思うだろう。
「メグがいる。メグもやっぱり、知ってたよね。それでも、シェイティを心配してる。大事にしてる。……俺とは、違う」
「それを言いに行くのか、わざわざ」
「そう、したいと思ってます」
「違ェよ。テメェは違うってことを言いに行くのかよ?」
「え……」
「それだったら、行くんじゃねェ。この上あの馬鹿を傷つけんじゃねェ」
 静かな声だった。言葉の荒さとは裏腹の。タイラントはごくりと唾を飲み、カロルを見つめる。わけがわからなくて、メグに視線を移した。
「あたしもそう思うねぇ。あの子は、あんたから嫌いだって言われたら、やっぱり哀しいと思うけどねぇ」
「そんなこと! 俺は――」
「タイラント。聞かせておくれ。あんたは、あの子が心配じゃないのかい? いまお師匠様がどこにいるかもわからないって、言ってるんだよ。どこでどうしてるか、あんたは心配じゃないのかい?」
「……決まってるじゃんか、メグ。そんなこと、決まってるだろ!」
 あふれそうになる涙をタイラント声を荒らげることで抑えた。彼がどこにいるかは、問題ではない。どうしているか。
 タイラントの思いは一つだけ。自分のように闇エルフの子を迫害する人間に、酷い目に合わされていはしないか。
「だったら素直に言えよ、心配だってよ」
 むっつりと言うカロルを、なぜかリオンが笑い、直後に彼へと拳が飛んだ。かわすとも見えなかったのに、カロルの拳は宙を切る。
「正直言えば、あわせたくねェ。テメェは馬鹿弟子を、死なせちまいそうな気がしてならねェ」
「カロリナ! なんてことを……」
「すいませんね、師匠。でもね、俺はそう思えてしょうがねェ。――あの死にたがりめ」
 最後は、小声だった。タイラントがかすかに息を飲む音が聞こえでもしたかのよう、カロルは彼を睨んだ。
「馬鹿弟子は、人間が嫌いだ」
「そうかい? じゃあ、タイラントは人間じゃないのかい? あたしの目は曇ったかねぇ」
「黙っててくれよ、メグ」
 苦笑して、カロルは手を上げる。それにメグはにやりとして見せた。やり取りを見つつ、タイラントの胸は痛んで痛んで仕方ない。こんな自分の味方など、してもらえる価値などどこにもないのに。
「見てねェからなんとも言えねェがよ。正直、テメェと馬鹿弟子が仲良くしてたなんざ、信じらんねェよ。お日様が西から昇ったって言われたほうがまだ信憑性がある」
「カロル……そこまで言いますか、あなたは」
「あのな、ボケ。俺は、それくらい信じらんねェんだ。テメェが知らないことも、俺は知ってる。あの馬鹿は、それくらい人間が嫌いってことも、知ってる」
「私も嫌いだったんですかねぇ」
「今更なに言ってやがる」
「あ、そうだ。カロル。そう言えば、あなたも人間ですよね?」
「ちょっと待ちやがれ、ボケ坊主! そう言えばってなァ、どういう意味だコラ」
「えー。別にー」
 いかにも可愛らしく言ってリオンが胸の前で手を組んでは首をかしげた。唖然とするタイラントの目の前、カロルの拳が飛ぶ。
「よしなさい、カロリナ」
 溜息まじりのメロールの声など、聞こえてもいぬげにカロルはリオンを殴りつけ。そして見事に拳はリオンに捕らえられていた。
「お客様の前で殴られるのは、ちょっと。あとでゆっくり遊びましょうね、カロル」
 にこにこと言う神官が、信じられなくてタイラントは思わずメグを見ていた。メグもまた呆気にとられていたのだろう、目を瞬いている。そして彼女は大きく笑った。
「幸せなんだね、カロル?」
「おうよ。悪いか」
「悪かないよ。あたしもなんだか嬉しいさね。だからね、カロル。あんたのお弟子にも幸せんなる機会をおあげよ」
 そう言ってメグはタイラントをじっと見た。カロルもまた睨むよう彼を見る。リオンの視線、メロールの目。さらされてもタイラントは逃げなかった。




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