カロルが疲れたようどさりと椅子にもたれた。改めてじっくりとタイラントを見やる目つきは決して優しいものではない。
 タイラントはその眼差しに耐えていた。リオンに見られるのと同じほど、自分をさらしている気がする。
「おい派手。名乗れ」
「……は?」
「まだテメェの名前、聞いてねェ」
 ぼそりと言われ、タイラントは赤くなる。どれほど緊張し、興奮していたとしても、そんな基本的な礼儀すら自分が忘れていたとは思いたくなかった。
「タイラント、と言います」
 言った途端だった。カロルの目が険しくなる。視線に射抜かれそうで、タイラントはいたたまれない。
「支配者を名乗るか――」
 カロルの口許にかすかな笑みが浮かぶ。ぞっとするほど恐ろしい。その場で逃げ出したくなる気持ちをタイラントは必死でこらえる。
「シェイティから、何か聞いてませんか」
「あん? あの馬鹿がテメェのことなんか話すと思ってんのかよ。甘いな」
「俺の歌のことも?」
「聞いてない」
 きっぱりと言われタイラントは視線を床に落とした。寂しかった。それを招いたのが自分だとわかっていても、たまらなかった。
「俺には、魔法の適性があると、シェイティは言ってました」
「みてェだな。見りゃわかる」
「自分では、知りませんでした。でも、歌で何かできるのは、知ってました」
 それが魔法にも似た何かだとシェイティは言っていたこと。自分の歌にできること。それをタイラントは包み隠さず語る。うなずいたカロルは黙って背後を振り返った。
「ボケ。知ってたか」
「まぁ、ある程度は。慌しく話しただけですから、フェリクスから細かいことを聞く暇はありませんでしたしね」
「そりゃそうか」
「あなた、どう思います?」
「訓練次第でものになるのは、確かだ。もっとも、俺は面倒みる気はねェがな。テメェもだろ」
「そりゃね。あなたがその態度じゃ、私がタイラントの訓練をするのもなんですし。そもそも彼に教えることができるのは――」
「フェリクスだけだな。で、あの馬鹿はいない、と」
 どこか楽しげにカロルは言った。二人のやり取りをタイラントは無言で見ている。彼らの口から出るフェリクスという名。それがシェイティのことだとわかっていても、馴染めなかった。
「俺がなんで馬鹿を外に出したか、聞いてるか」
「……いえ」
 突然、問われタイラントは目を丸くする。話してもらえるのだろうか。自分に話すようなことだろうか。戸惑いも露なタイラントにカロルは語りだす。
「あの馬鹿はな、人間不信のどうしょもねェ馬鹿だ。能力的にはとっくに一人前だ。だがな、他人を信じられない魔術師なんか、一人で放り出せねェんだよ、わかるか」
「危険だから、ですか」
「それもある。あるが、それだけじゃない。魔術師は寿命が半端じゃなく長ェからな。一人っきりで生きてくにゃ、ちょっとばかしな。これは、俺の師匠が言ったことだけどよ」
 寂しすぎるから。カロルの言わなかった言葉がタイラントの心をえぐる。知らず胸元をきつく掴んでいた。
「だからあの馬鹿を旅に出した。誰でもいい、弟子に取れるくらい信じられる相手を探してこいって言いつけてな。結果は、これだ。俺がフェリクスをぶっ潰したも同然だ」
 苦い声。タイラントは違う、とは言えなかった。彼を苦しめたのは自分であってあなたではない。そう言いたかった。でも、とても言えない。
 ここにシェイティをこれほどまでに大切にしている師がいる。沈鬱な顔をして立ち尽くしているリオンがいる。
 言葉など、なかった。自分は何をしてしまったのか。正気でなかったと言えたなら、どれほど楽になれるだろう。
「……俺が、悪いんです」
「んなこたァわかってらァ」
「……はい」
「テメェはフェリクスが闇エルフの子だって言うだけで、たかがそれくらいであれを苦しめやがった」
「普通の人間の反応とも言えますけどねぇ」
「ボケたこと言ってんじゃねェぞ、クソ坊主。だったらテメェはどうなるよ? ……いや、テメェを普通の人間に勘定した俺が馬鹿だったな」
「ま、そういうことですね。ところでタイラントはフェリクスに会いたい、と言ってますが? いつまでもここで責めてても、話は進みませんよ、カロル」
 にこりと笑ってリオンが言った。タイラントは息が苦しくて喘ぐ。リオンに許されている。彼の言いつけを守ることができなかった自分なのに、リオンは許してくれている。
 許されると言うことが、こんなにもつらいことだとは、知らなかった。
「会いたかろうが、俺の知ったことじゃねェよ。いまはいい。後悔もしてるみてェだしよ。でもな、リオン。この野郎がフェリクスの面ァ見た途端になにしでかすか、俺にゃ自信がねェ」
「それも、もっともですね。だから、ちょっとした試験はいかがです?」
「なるほどな……。呼ぶか」
 一人うなずいてカロルは視線を宙に投げた。何が起こっているのかはわからない。だが聞けるはずもない。
「ねぇ、カロル。この子をあんまり責めないでおくれよ」
 不意にずっと黙っていたメグが口を挟んだ。カロルの視線はそのメグに対してすら、厳しい。
「ちょっとしたね、行き違いなんだとあたしゃ思うよ。あたしが最初にあったときのこの子達はね、そりゃ仲が良かった」
「メグ……」
「あんたがどう思ってたかは知らないさ、可愛い子。でもシェイティはね、あんたを大事にしてたよ。だから、あんたを庇ったんじゃないのかい」
 返す言葉がなかった。何を言っても、言い訳にしかならない。あのままでいたかった。言わなかった言葉がメグには聞こえたのだろう、わずかに顎を引いて彼女はうなずく。
「これがあんたたちが通る道だったのさ、可愛い子」
 ぽん、と背中を叩かれた。老女の老いた手の温もり。柔らかいそれにいつしか背をさすられていた。
「シェイティも、タイラントも意地っ張りだっただけさ。あたしから見ればね。そこを飲み込んどくれよ」
「あんたは優しいな。昔っからよ」
「そんなこたァないさ」
 見た目は祖母と孫ほども年が離れた二人。それでいて同じ時間を生きてきた目をしていた。リオンは彼らを微笑ましく見やり、メグに感謝の視線を投げる。
「メグ。あなた、このあとどうするんです? そういえば、カロルにご用だったのでは?」
「えぇ、まぁ、ねぇ。シェイティがね、何かあったら自分のお師匠様を頼れってね。それで会ってみようかと思ったんですよ」
 リオンにともカロルにともなくメグは言う。リオンがメグへと話しかけたのは、きっとタイラントのためだろう。
 それを感じながらカロルは黙ってリオンのするままにさせた。タイラントは許せない、とそう思う。だが、それを決めるのは自分ではないことも、知っていた。
「じゃ、帰るところはないわけですか」
 事の成り行きを話し終えたメグにリオンは考えるよう首をかしげている。それから何か思いついたのだろう、カロルに目を向けた。
「それでいい」
「まだ何も言ってないじゃないですか。せっかちさんなんだから」
「うっせェよ。テメェがいいようにすりゃいいって言ってんだろ」
「はいはい。じゃ、メグ。よかったら星花宮で働きませんか?」
「この離宮で、ですかい?」
「うん、そう。魔術師って変わった人が多くってねぇ。侍女も下働きもいつかなくって。あなただったら、平気そうでしょ」
「そりゃ、ありがたいですねぇ」
 にこりとしてメグはカロルを見た。それでいいのか、と問いかける目であり、新たな居場所を見つけた感謝と喜びでもあった。カロルは無言でうなずくだけ。ただ、その口許がほころんでいた。
「入るよ」
 そのときだった。ノックの音と同時に扉が開いたのは。
「申し訳ないですね、呼びつけて」
「なに殊勝なこと言ってるの。いつものことだろう?」
 言いつつ入ってきた男にタイラントは目を奪われる。思わず立ち上がって、彼を見ていた。痩身優美で丈高く、貫かれそうなほどに美しい隻腕の男を。
「メロール師だ。見りゃわかるだろうが、半エルフだ」
 ちらり、振り返ってカロルが言った。タイラントにはその声はどこか遠くから響くように聞こえている。
 目はじっと半エルフを見ていた。無礼だろう、と思わないでもない。だが、そこにタイラントはある意味では、別のものを見ていた。
「シェイティ……」
 似てなどいない。面差しも態度も、彼に似通ったところはない。それでもメロールはシェイティを思わせる。それは異種族、と言うことかもしれない。
「シェイティ? あぁ、お前の悪口。フェリクスのことだね?」
「その記憶力が恨めしくなりますよ」
「私にとってはさほど昔のことでもないのでね」
 さらりと言ってメロールは椅子に腰を下ろした。ふわりと黒髪が背に落ち着くのをタイラントは呆然と見ている。これほど美しいものを見たことはないと断言できた。
「それで、私になんの用?」
「ちょっとこの男に会わせたくなりましてね」
「ふうん」
 半エルフの視線が、タイラントに向く。立ったままのタイラントは、真正面から彼の目を受け止めた。ゆっくりと息を吸う。無言で一礼をする。それをよしとしたのだろうか、メロールがわずかに微笑んだ。
「見込みはあると、私は思うけど?」
「嫌なこと言いますね、師匠」
「自分が聞きたくないからって、事実から目をそむけるような弟子を持った覚えはないよ」
 ようやくタイラントにもカロルの目論見が読めた。自分が半エルフを見て、怯えて逃げるかどうか、試されたのだと気づく。腹立たしくなど、思えなかった。カロルの考えは当然だとすら思う。自分が何をしたかを思えば。




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