巧く言葉が見つからなかった。何をどう言えばリオンに納得してもらえるのだろう。言いよどんだタイラントにリオンが微笑む。 「好きなように言えばいいんですよ、タイラント」 それで、不意に気が楽になった。リオンには何を言っても理解してもらえる、そんな気がした。理解、ではないかもしれない。誤解されない、と言い換えたほうが正しいだろう。 「シェイティに、会いたいんです」 「それがあなたの望みですか?」 言葉の向こう側でリオンが問う。謝りたい、ではないのか、と。タイラントはそれにしっかりとうなずいた。 「謝って許してもらえるようなことじゃ、ないんです。ただ、会いたい。もう一度会って、できれば話しがしたい」 「話したいだけ?」 「たぶん。でも、そのときになってみなきゃわからない。いまはただ……会いたい」 やっとタイラントの声に悲痛が滲む。それをよしとするようリオンが笑みを浮かべてうなずいた。 「あなた、死ぬ覚悟はあります?」 問われた言葉の突然さにタイラントは目を丸くした。朗らかに言われるような言葉ではなかったはず。リオンの顔を覗き込んで意味を確かめれば、確かにそう言われたのだと知る。 「覚悟……」 「ないんですか?」 「あります。それが、シェイティにならば」 再び問われたタイラントの、きっぱりとした答えにリオンは満足そうにうなずいた。それこそが知るべき答えであったとでも言うように。 「余談ですが。彼以外に殺されたいとは思わない?」 「もちろんです!」 「それはよかった。でも殺したがってる人がいますからね。覚悟はしておくんですよ、タイラント」 実に爽やかに言われてしまった。一瞬、意味をとり損ねたタイラントが遅れて身震いをするのにメグが呆然と口を挟んだ。 「総司教様、それはちょいと酷くないですかね」 「リオンで結構ですよ。酷いですかねぇ。でも、あの人をなだめ続けるのは荷が重くって。疲れちゃいましたよ、私」 ぽんぽんと、肩を叩いてみせる。妙に年寄りくさい仕種にメグが唖然とした。無論、タイラントも。 「あの人って言うのは……」 タイラントが恐る恐る問うのに、リオンはにこりと笑って聞きたくなかった答えを返す。 「シェイティの、師匠ですよ。私の師でもありますけどね」 「ちょいと待っとくれ、リオン様! シェイティは魔術師のお弟子だったんだろ。なんでリオン様の――」 「あぁ、シェイティが言ってませんでしたか? 私も魔術師なんですよ、一応ね」 「タイラント……ほんとかい……?」 「総司教様は、その……」 なんと言ったものか迷ったタイラントにリオンは小首をかしげて迷うようなことかとでも言うよう、あっさり言った。 「シェイティは私の兄弟子なんですよ」 これにはさすがのメグも返す言葉もなくしてただただうなずくばかり。 神に仕えながら魔法も使う、そんな人がいるとは思ったことはなかった。ラクルーサの王都ほどの都となれば、そんな人もいるということか。疑問が顔に出たのだろう、リオンはにこにこと微笑んで言った。 「いまのところ私一人ですけどね、こんな変り種は」 メグの心を打ち砕くようなリオンの言葉は、タイラントをも打ち抜いた。二人顔を見合わせて虚ろに笑う。 「さて、あなたたちは二人ともシェイティの師匠に用があるんですから、とりあえずそちらに行きましょうか」 「そちら?」 「王城です」 「はい? リオン様、なんで、王城に……」 「あぁ、それも言っていなかったんですか。困った人だなぁ、もう。私たちの師は、宮廷魔導師団の次席を務めていますよ。だから彼がいるのは王城です」 もう何を聞かされても驚かなかっただろう。だがリオンの言葉はそう思ったタイラントを打ちのめす。 まさか、そんな人の弟子だったとは思わなかった。ならばどうだったらよかったのかと問われてもわからない。 ひたすらにタイラントは混乱していた。この中でも理解できたことが一つある。 ラクルーサの宮廷魔導師の作った魔法具。ミルテシアで悪用された。一つ間違えば戦争。ようやくあの時のシェイティの言葉に納得が行く。タイラントの体が震えた。 「さ、行きましょうね」 二人を促して、なんでもないことのようリオンは王城へと向かった。エイシャの本神殿は、王都アントラルの中でもあまり繁華な場所にはなかった。神殿の歴史が浅いせいだ、とリオンは言う。 三人は神官が仕立ててくれた馬車に乗って王城へと向かっていた。リオンはどうやって本神殿に来たのだろう、不意に疑問に思ったタイラントの問いにリオンは微笑んで言ったものだった。 「魔術師だって、言ったでしょう? 転移したんですよ、王城からね」 さらりとしたリオンの声にタイラントは我が身をかきむしりたくなった。シェイティと共に転移した記憶が蘇る。 あのときあった彼の存在がない。自分の手で捨ててしまった大切なもの。タイラントがじっと自分の手を見つめているのをリオンは黙って見ていた。 「タイラント」 沈み込みそうなタイラントは静かな声に目を上げた。すぐそこでリオンが微笑んでいるのを見ては力なく笑みを浮かべる。 「それ、怪我をしてるわけじゃありませんね? 外しませんか」 そう言って彼はタイラントの片目を覆った布を示した。思わずぎょっとした。リオンにわからないわけがない、なぜ自分が目を隠しているのかなど。そしてタイラントは納得した、彼はわかっていてなお言うのだ、と。 「外したほうが、いえ、外さなければ――」 「別に嫌ならかまいませんけどね。魔術師は外見がどうかなんて、気にしませんから。鬱陶しいでしょう?」 タイラントにはそれが真実の声に聞こえた。ためらった末メグを見る。彼女も力づけるよう微笑んでくれた。タイラントの手が布にかかり、結び目を震える手で解く。 「……久しぶりです」 「何がです?」 「人前に、両目をさらすのが」 何度か瞬きをし、タイラントは両目で二人を見た。特に何か変わるわけはない。二人の態度も、変わらない。 「綺麗ですよ」 にっこり笑って言うリオンに、やはりタイラントは力なく笑うしかできなかった。 王城、と一口に言っても、その敷地は広い。通常、王が執務をする場所も王城だったし、私的な空間である宮殿も通常は王宮と言いはすれども王城の一角だ。国家使節が滞在する離宮も王城のうちだ。つまるところ、敷地内すべてを総称して王城と言う。 「だから、ここも王城なんですよ」 そう言ってリオンは二人を王宮の裏手へと導いていく。人気は少ない。それが進んで行くに従ってほとんどなくなる。 かといって寂れているとか手入れがしていないとか、そういうことはなかった。花壇には美しい花々が咲き乱れていたし、その合間を縫う小道も丁寧に掃き清めてある。 「総司教様――」 「あなたもいい加減に慣れるんですね。シェイティとのかかわりで言うなら私を総司教と呼ぶ必要はありませんよ、あなたがメイザの信徒であってもね」 「はい――。あの……、ここは、その」 「魔導師団が拝領している離宮、星花宮と言いますけど、そちらに向かっています。元々研究用なんですけどね、魔術師って人たちは夢中になると時間の感覚が怪しくなる人たちですから、ほとんどの魔術師が住んでますよ、あそこに」 言ってリオンはようやく見えはじめた離宮を指差した。聞いていなければ、離宮だとは思わなかっただろう。 どこか、それは当たり前の建物に見えなかった。よくよく目を凝らせば普通の建物なのだ。離宮の名にふさわしく繊細な装飾がなされた外壁。幾つもの尖塔。 「あちらの塔が、首席魔導師の塔。こっちが、次席魔導師の、我々の師の塔ですよ」 タイラントはもう黙ってうなずいていることしかできない。なんだかとんでもない話を聞いている気がしなくもないのだが、何を聞かされているのか理解が追いつかないでいる。 タイラントの心のどこかがぼんやり感じていた。もしももう少し穏やかに聞かされていれば、あるいはもっと自分が楽しめる状況だったなら。きっとこのわくわくとする魔術師たちの住処をもっとよく観察したことだろう、と。そして歌うのだ。 「……誰のために」 ぽつり呟いた声は、優しい二人から無視された。歌いたい人は一人だけ。歌うことは今でもできる。でも、心から歌いたい人は、いまここにいない。これからも、きっと。 「ちょっと待っててくださいね、いま呼んできますから」 どうやら迷路のような内部の廊下を歩いて辿り着いたのは、次席魔導師の塔らしい。たぶんそうだろう、と思うのだがタイラントには見当もつかなかった。 「タイラント」 「ん、なに。メグ」 「シェイティのお師匠様って、どんなお人だい。あんた知ってるんだろ」 「知ってるって、言えるのかな……」 メグが励まそうとしてくれていることを感じる。こんなどうしようもない自分を、メグは気遣ってくれる。嬉しいけれど、同じくらいつらかった。 「どんなお人だい?」 眼を輝かせてメグは言う。非常に殊更めかした言い方だった。タイラントは苦笑して思い返す。あの時の情景は、あまり思い出したくなかったけれど。 「俺が見たのは本物じゃなかったし……。シェイティじゃない魔術師が作った幻影も見たけど……。だから話半分に聞いてね」 「あいよ」 「贋物だから、ちょっと違うかもしれないけど――。凄く綺麗な人だったよ。なんていうのかな……男に言うのは違うような気がするんだけど可憐っていうか、儚げなって言うか」 「風にあたったら萎れちまいそうな、かい?」 陳腐な恋愛歌の常套句を口にしてはメグが顔を顰める。だがそうとしか言いようがない人だったのだから仕方ない、とタイラントは肩をすくめた。 |