愕然として立ち止まる。彼女はいったい何を。そんなタイラントを老婆はにやりと見やりその手を引いた。
「そんなとこに立ってちゃ、他人様の迷惑だろ」
 まばらながらにいる人々が二人を訝しげに見やり通り過ぎていく。そのようなことに気づかないほどタイラントは動揺していた。
「よもやあたしを忘れたなんて言わせないよ、可愛い子?」
 人目を引かないよう、ゆったりと歩き出す。タイラントは何気なく振り返ってみて驚いた。ラクルーサ側の衛兵に、注目されていた。
 ぎゅっと唇を噛み、仲のよい祖母と孫を演じる。それでいいとばかり彼女がうなずいた。
「メグ……」
「おや、覚えてたかい。嬉しいねぇ」
 喉の奥でメグが笑った。信じがたかった。会いたい、と思っていた。一時は彼女の村まで行ってしまおうかとすら思ったものを。
「メグ! それより、村から。どうして」
「あんたが気にすることじゃないって言ったろ。出てきたかったから出てきたまで。あたしは元々余所者さ」
「そんな……」
 さらりと言うようなことではないはず。いまだとてタイラントは彼女のこの先をどうしたらいいのかわからない。何かしたいと思うけれど、だが自分にはなんの力もない。
「あたしはね、ラクルーサに来たかったのさ」
 タイラントの心のうちなどわかってでもいるよう、メグは柔らかい声で言う。まるで、夢でも見ているような声だった。
「……どうして」
「なにがだい?」
「ラクルーサ。いや、それより、なんで、俺のこと……」
 今更ながらタイラントは気づく。メグは、自分の人間としての姿形を知らない。それなのに一度で言い当てられた。驚く暇すらなかった。
「なに言ってるんだい。あたしはあんたがただの火蜥蜴じゃないって一目でわかったよ。人間だって同じさ。あんただろ、タイラント?」
「そう、だけど……」
「えぇ、煮え切らない子だね!」
 ぴしりと背中を叩かれた。痛みより、懐かしさのほうが先に立つ。こらえ切れなかったものが喉からあふれそうだった。
「ラクルーサ」
 それだけをなんとか絞り出すよういえば、メグは優しく微笑んでうなずいた。
「あたしの話はあとにして。あの子はどうしたんだい、シェイティは?」
 その言葉だけは、聞きたくなかった。タイラントはうつむいて大地だけを見て歩く。握り締めた竪琴が、手に食い込むようだった。
「――あんた、あの子に何か言ったのかい?」
「そう、思う?」
「まぁ、なんとなく、ね。長く生きてると、若いもんには見えない色々が見えるもんさ」
 肩をすくめたメグの気配にタイラントは体を強張らせる。恥ずかしくて情けなくてたまらない。メグに会いたいと思っていた。が、会ってみればどの面下げて彼女に顔を合わせられるというのだろうと思い直すしかない。
「シェイティは――」
 言いかけて、タイラントは言葉を止める。話していいことではないかもしれない。少なくとも自分は、自分のいないところで隠してきたことを話されたくなどない。
「あの子、人間じゃないだろ」
 だがメグはあっさりとそう言った。伏せていた目を慌ててあげればメグはじっと前だけを見ていた。
「メグ……」
「見て、わかったさ。あたしの感触じゃ、闇エルフの子。違うかい?」
「……うん」
「そうかい。あの子も苦労したんだねぇ」
 そう、メグは遠い目をした。何か昔を思い返す、そんな目だった。タイラントははっとする。メグの出自。シェイティの過去。
 とても彼女には言えなかった。シェイティも、彼女と同じ過去を持っていたのだなどとは。言わなくともおそらくメグは悟っている、そんな気もした。
「あんた、それであの子を?」
「驚いたんだ――。そんなの、言い訳にならないな。俺は、シェイティに惨いことをした。酷いこともいっぱい――」
 何をしたかなど、言えるわけもない。再びうつむいたタイラントの背をメグは強かに叩いた。痛い、とすらタイラントは思わない。シェイティはもっと痛かったはず、そう思えばとても。
「ラクルーサにはね、あの子が行けって言ったのさ」
「シェイティが? そう言えばそんなこと言ってたけど、でも――」
「もしあたしが村を出るようなことになったら、ラクルーサで自分の師匠を捜せって言ってたよ」
「知らなかった……」
 自分はあのあとメグがどうなるかなど、考えたこともなかった。余所者を助けたメグが、狭い村の中で生きにくくなるかもしれないなど、思い浮かべたことすらなかった。
「シェイティ……」
 彼は、そこまで考えていたというのか。自分と言う思慮の足らない吟遊詩人の手助けをしつつ、メグのことまで。
 タイラントは、何もかも及ばない。つくづくそう思った。我ながらよくぞいままでこうも浮ついた生き方ができたものだと思う。
 それにシェイティが腹も立てずに付き合ってくれたことを思えば、タイラントの足は止まりがちになる。そのたびに、メグに手を引かれた。
 それさえタイラントは気づかない。これではどちらがどちらの付き添いだか、わかったものではない。メグは仄かにそれを笑ったけれど、タイラントはまだ大地を睨んだままだった。
「メグ」
「なんだい?」
「シェイティの、お師匠様のこと」
「あぁ、知らないよ」
 ごく簡単に言われ、タイラントはようやく顔を上げた。シェイティが、何を考えているのかわからなくなりそうだった。
「あの子が言うにはね、捜されてることに気づかないほど間抜けじゃないから、捜しだせば向こうから見つけてくれるってね、そういう話だったさ」
「そういう……」
「ものなんだろうねぇ。魔術師の考えることはよくわからないねぇ」
 からからとメグは笑った。人生と言うものを、メグはそのように見てきたのだろう。なるようになる、ではなく、なるようにしかならない、と。
「メグ」
 呼びかけたわけではなかった。それを心得たよう、メグはうなずいただけ。言うべきだろうか、一瞬タイラントは迷った。
 タイラントはすでに彼の師の名も姿も知っている。幻影ではあったけれど、顔も見ている。それを告げるべきかどうか、迷った。
 そしてはたと気づいた。突如としてタイラントの脳裏にシェイティの笑みが浮かぶ。鋭い痛みに涙が滲みそうになるのをなんとかこらえた。
 シェイティは、メグに師との出会いと言う楽しみをとっておいたのだ、とタイラントは気づいた。だから自分がここで言うわけにはいかない。二度と会えないかもしれないけれど、シェイティの楽しみを奪いたくない。
「だからね、タイラント。あたしはどうとでもなるんだよ。自分で生きてけなかったら、シェイティのお師匠さんとやらを頼ればいい」
 だから、自分のことをしろ、メグはそう言っているように聞こえた。ならばこの自分にできるのは、何か。タイラントは考える。
 シェイティを捜すこと。漠然と考えているわけにはもういかなかった。彼に会いたいと心底思うのならば、手段を。
「メグ」
「うん?」
「俺ね、怖いんだ――」
 本心だった。タイラントは何を思うでもなく空を見上げる。晴れ渡った空に気の早い星が一つ、見えていた。
「なにがだい?」
 尋ねたメグの声は、もう答えがわかっている、と言わんばかりだった。それにタイラントはかすかに微笑む。
 そして笑える自分に気づいた。メグと話して、己の過去と向き合った気持ちになる。ならばいっそ、このままきちんと向き合いたい。
「シェイティに、酷いことしたよ」
「あぁ、聞いたよ」
「それで、あいつはいなくなった。捨てられたんだ、俺」
 皮肉に言ってみたけれど、メグは肩をすくめるだけ。タイラントにもわかっている。粋がって見せただけ。そうでもしなければこのまま崩れ落ちて泣き出しそうだった。
「もう一度、会いたいんだ」
「酷いことしたのにかい? またあの子を泣かせるつもりかい?」
「できれば、シェイティに嫌な思いをさせたくないさ、俺だって。でも、俺の顔見るだけで、きっとやな気持ちになるだろうな……」
 それが当然だ、そんな気がして仕方ない。口に出せば、本当に会えない。そんな気がしてしまう。
「でも、会いたいんだ。俺の自己満足だとわかっちゃいるんだ。もう一度、会いたい。会って、話がしたい」
「それだけ?」
 悪戯をするようなメグの声に、タイラントは顔を歪ませる。メグに、隠し事はできなかった。あのときにも、すぐに心の中を言い当てられてしまったではないか。
「シェイティが、今でも俺――」
 言えなかった。それ以上はとても言えなかった。こんな自分に心寄せられてシェイティが喜ぶものか。
 彼がいなくなって、捨てられて、初めてわかる彼の大切さ。愚かな恋人たちを歌った陳腐な歌のようだった。まさか自分がそれを演じることになるとは、思ってもみなかったものを。
 だが、それが事実だった。シェイティに会いたい。もう一度、会って、できればやり直して。心の中ではいくらでも想像できる。だがタイラントはそれがただの妄想だとわかっていた。シェイティに、許しを請うことすら、できない。
「だったら、捜すんだね」
「メグ」
「あんたの気持ちが通じるといいね、タイラント」
 メグは非難をしなかった。一度たりとてタイラントを叱らなかった。面と向かって痛罵されるより、それはずっとこたえた。
「捜す方法はあるんだろ?」
 メグはないの、とは言わなかった。それにタイラントはわずかに驚きを隠せない。彼女はシェイティが、手がかりを残さなかったはずはない、そう信じてでもいるようだった。




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