今夜はもう、自分を欲しがらないかもしれない。思いつつシェイティはタイラントを追う。暗がりに消えた彼の姿はどこにもない。人の気配もどこにもない。 「タイラント……」 急に、一人ぼっちになってしまった気がした。立ち尽くし、強いて足を進める。振り払われた手が痛かった。 まっすぐ進めばタイラントの、右に折れればシェイティのねぐら。暗い路地の分かれ目に、シェイティは立つ。 このまま、自分のねぐらに帰ってしまおうか。彼は、待ってはいない。いつもならば、引きずるように自分を連れて帰るのに。 きゅっと握り込んだ手。そこにはない温もりを探してしまいそうで、シェイティはそっと首を振る。ゆっくりと息を吐き出して、右へと体を向けた。 「なにをしてる」 つい、と薄闇から人影が現れる。腕を組み、不機嫌な顔をした。 「――タイラント」 待っていたのか、この自分を。思うだけで氷に罅が入った心地。 「さっさとこいよ」 言うなりタイラントは背を返した。当然ついてくる、と背中が語る。結んだ銀の髪が揺れていた。小さな竜の尾のように。 シェイティは銀の糸に引かれるよう、ふらりと従った。自分のねぐらが遠くなっていく。かまわなかった。 ねぐらに着くなり、シェイティは少し驚く。すでに蝋燭が灯っていた。きゅっとどこかが痛んだ。 タイラントは無言で寝台代わりの木の台に腰を下ろす。襤褸が丸めて乗せてあるそれは、シェイティのねぐらよりずっとましだった。 「脱げよ」 言ったけれど、タイラントはシェイティを見てはいない。竪琴を、手持ち無沙汰に弾いている。シェイティは彼の指を見ていた。 「さっさとしろ」 ちらり、と向けられた目は険悪に細められていた。すでにタイラントは煩わしい目の覆い布を取っている。蝋燭の明りに色違いの目が映えていた。 シェイティの手が服にかかる。無造作に脱ごうとしたのを止められた。 「なに」 「俺をその気にさせろよ。できるだろ、淫乱」 「タイラント……」 「できるか、聞いてる。できるだろ?」 つ、と指が伸びてきた。シェイティの顎先に触れ、弾く。竪琴の弦のよう。震えたシェイティこそ、弾かれた気分だった。 こくりとうなずきシェイティはゆるりと襟元に指をかけた。じっとタイラントを見る。それから恥ずかしそうに伏せた。 タイラントが息を飲む音がかすかに聞こえた。それでいいのか。こんな簡単なことで。過去を思い出しつつシェイティは一つずつ服を脱いでいく。最後までタイラントに見せるつけるよう。 「ひざまずけ」 荒い息を隠そうともせずタイラントが命じた。諾々とシェイティは膝をつき、物憂げに彼を見上げる。いたるところに開いた隙間から吹き込む風が素肌に痛い。 「しゃぶれ」 何も感じなかった。そのようなことを言われても。わざとらしい下卑た口調にも、シェイティは揺らがなかった。 もう心を震わせるには、凍りつきすぎていた。すべては自分が招いたこと。だからシェイティは言われるままにタイラントに手を伸ばす。 「脱がすな。そのままでいい」 自分は服を着たまま、シェイティだけを裸に剥いて、奉仕をさせる。倒錯的で屈辱だ。が、シェイティの目を覗いたタイラントはわずかに舌打ちを隠せない。 シェイティは何も見てはいなかった。いつものことだった。淡々と、あのころとは違う無表情。どこでもない場所を見た目がわずかに潤む。 「君がその気になってどうする。自分だけ楽しむなよ」 言えば熱い息が彼にかかった。そこだけを露出していくシェイティの、なぜか慣れた手つきにタイラントは苛立ちを覚えた。 タイラントの息が止まる。熱い口の中に含まれていた。唇で挟み込み、先端だけを含む。それが好みだとすでにシェイティは知っている。タイラントが、教えた。 「舌、使え」 くぐもったタイラントの声にシェイティは彼を含んだままうなずいた。もっと、楽しんでくれればいい。それが自分の罰だから。タイラントが望むなら、それが自分の罰だから。 彼に手を添え根元をこする。唇をはずし、ねっとりと舐め上げる。そのたびに聞こえるタイラントの呻きが、シェイティに喜びをもたらす。 ひざまずいたシェイティもまた、高ぶっていた。歪んでいる、とどこかでわかってはいる。師が知れば、二人ともが殺されかねないほど、彼は怒り狂うだろう。 「何がおかしい」 顎にタイラントの指が触れては顔を上げさせられた。 「別に」 言ってシェイティは舌を出して見せる。そのまま彼を舐めた。タイラントの色違いの目を見たまま、ねとりと。あおられて、タイラントが溜息をついた。 「自分でやれ」 ぐっと唇を噛んでタイラントが何かを放ってよこす。器用にシェイティは彼を含んだまま受け止めた。 油だった。わずかにシェイティの顔に羞恥が浮かぶ。それを満足そうにタイラントは見やり、体を離す。 「見せろよ、化け物」 寝台の上、長々と伸びたタイラントにシェイティは油の小壷を持ったまま視線を合わせた。彼はじっと見ているだけだった。何も言わない。 壷を握り締め、シェイティは床に腰を下ろす。ゆっくりと足を開いて見せた。タイラントが枕代わりの襤褸を投げた。 捉まえて、シェイティはそれを腰の下へとあてた。少しだけ、唇を噛んだ。蝋燭の明りに、シェイティの前も後ろもさらされる。伸びていたタイラントが、じっと身を乗り出しては見つめていた。 「早く――」 命じかけ、焦っているように聞こえるのが忌々しいのかタイラントが舌打ちをする。シェイティは聞こえなかったふりをして軽く前を押さえた。 「隠すな」 途端に飛んでくる厳しい声。恥らったふりをして、渋々外した。体をひねって、見せつける。壷に入れた指が、油でぬらりと光った。 片手をついて、後ろに触れた。自分で触れても、ぞくりとする。息を止めたシェイティをタイラントが笑った。 「もっと、見せろよ」 「……どうやって」 「片足、抱えろ。――そう、よく見える」 満足そうな溜息。シェイティは足を抱えた不自由な体勢で油を使った。指だけではなく、そこもがぬらぬらと光っていく。 「指、突っ込んで」 タイラントの声にシェイティの指がそこに沈んだ。細い、先のほうだけ。止めれば、叱咤が飛ぶ。 「動かせよ」 粘ついた油の音がした。床に横たわったシェイティは、タイラントの顔を見ることはできない。それでも息遣いは聞こえた。 「こい」 だから、そう命ぜられることがシェイティはわかっていた。引き抜いた指に、体が震える。起き上がるだけで、背筋を這い上がる刺激。 タイラントは寝台に腰掛けていた。床に足を下ろし、シェイティを見据えている。伸ばした手は払われ、嫌な顔をされた。今夜は、二度目。そんなことをシェイティは思う。 「乗っかれよ。俺をいかせてみせろよ」 傲岸と、タイラントは寝台に後ろ手をついた。仰け反ってシェイティを見やる。彼自身もまた、屹立してシェイティを見ているようだった。 タイラントの体に触れないよう、シェイティは寝台に手をつく。タイラントをまたいだ。冷たい手が彼に添えられ、シェイティにあてがわれる。息を飲んだのはどちらだったか。双方だった。 「熱い」 ぐっと腰を掴まれた。たったそれだけのことが、自分でもおかしいと思うほどシェイティは嬉しくてならない。繋がる場所ではなく、タイラントが触れている。それが、たまらなく。 「ひくついてやがる――」 シェイティの中でタイラントが蠢く。きゅっと彼の肩を掴んでシェイティは腰を揺すった。飲み込んだ彼が自分の中で動く。動いてはシェイティをもあおる。 「――淫乱」 耳許で囁かれる声。熱に浮かされ、潤んだタイラントの声。すがりつきたくて、シェイティはすがれない。掴まった肩だけが、よりどころ。 「動けよ、もっと」 「できない」 「やれよ!」 「……掴まっていい? もう少しだけ」 掠れたシェイティの声。何に掠れているのかタイラントにはわからなかった。自分が黙ってうなずいたのも、わからなかった。 ゆるりとシェイティの腕が首に巻きつく。化け物の肌なのに、温かい。人間ではないのに、快い感触。布越しの感触がもどかしくなって、タイラントはシェイティを膝に乗せたまま脱ぎ捨てた。 気づけばタイラントもシェイティの背を抱いていた。耳許で、シェイティの息遣いが聞こえる。苦しそうなのか、歓びなのか区別がつかない。繋がったそこだけが、熱い。 シェイティは動き続けた。引き抜き、深く埋め。先端だけを体に含んで腰を揺すりたて。次第に自分の体の熱が耐えがたくなる。 「……く」 タイラントの声がした。と、シェイティは床に引き倒されていた。転げ落とされた体が痛い。一瞬、正気に返る。 が、深く穿たれた。まだ、繋がったままだった。圧し掛かってくるタイラントの目。熱に歪んでいた。銀の髪がシェイティの顔の両側に垂れかかる。 よけはしなかった。怯えながら、シェイティは腕を伸ばす。拒まれなかった。タイラントの首を抱き、シェイティは溜息を漏らした。 すぐそこでタイラントの顔が歪む。打ちつけられた体が痛いほどの悦楽を呼ぶ。喉をそらせば、噛みつかれた。例えようもない気分に知らず声が漏れる。 「タイラント……」 快楽の向こう側、苦痛に歪む色違いの目をシェイティは見た。こんな顔をして自分を抱いた男はいままで誰一人としていなかった。 痛みを、取り去ってあげたい。望んでも、苦痛をもたらしいてるのは自分だとわかっていた。タイラントの目にある生の憎悪が、いっそ愛しかった。 |