ぎらり、とタイラントの目が光る。もしも闇が凝った光があるとするならば。 咄嗟にシェイティが何をすることもできないうち、タイラントが手を引いた。髪を掴んだままの手を。 「――ッ」 引きちぎられるような痛みに、けれどシェイティは声を上げない。床に倒されるまま、タイラントを見上げた。 「殺してやろうか?」 薄い闇に、タイラントが笑う。すらりとした長身をかがめてシェイティを覗き込む。唇に、滴るばかりの憎悪。 これほど憎まれているのか。それほどのことを自分はしたのか。シェイティは思う。そしてしたのだろうな、と諦めていた。 「抵抗しろよ。そのほうが、面白い」 蹴りつけられた。抵抗など、するまでもないとシェイティは思う。いくら荒んだ生活で暴力を身につけたとは言え、タイラントは吟遊詩人。魔術師の自分が抗えば、彼は何もできない。 だから、シェイティは一切の抵抗を封じた。彼がしたことは、ただ黙ってタイラントを見上げただけ。 苛立たしい、舌打ちが聞こえた。シェイティの腹に、再び衝撃。たいしたことはない、昔に比べれば。思ったことで蘇る、過去。 「何を考えてる?」 わずかに歪んだシェイティの表情に、タイラントが笑みを浮かべる。彼が苦しむことがこの上ない歓喜ででもあるように。 「なにも」 答えるシェイティは、いまだ床に上に転がったままだった。また、蹴られた。答えても、答えなくても、同じだった。 何度となく蹴るのは、彼が吟遊詩人のせいか。手を、傷つけたくはないのか。そう気づいたシェイティは、このような状況であるにもかかわらず、どこか心が温まるのを覚える。 「死ねよ」 「させない」 「だったら、抵抗ぐらいしろ、あいの子め」 「それで、あなたの気がすむなら」 言った途端だった。今までにない激しさで蹴られたのは。シェイティの体が床の上を転がっていく。やっと、彼の唇から呻きが漏れた。 「それで、いい」 くっとタイラントの口許がつりあがる。うずくまることもできず横たわったままのシェイティの服がめくれ上がり、腹が覗いていた。 「へぇ」 つい、とタイラントがそばに寄ってくるのをシェイティは感じていた。何を、と思ったけれど、シェイティは決めていた。抗わない、と。 間違っているのかもしれない。きっと、間違っているのだと思う。それでもタイラントに詫びる方法がわからない。だから、このまま。彼の気が、それで幾許なりとも、すむのならば。 「綺麗な肌だ」 タイラントの手が、シェイティの腹を撫でた。シェイティは、わずかに身をよじり、けれど黙ってタイラントを見上げるだけ。 「――化け物のくせに」 喉の奥でタイラントが笑う。嘲笑が、シェイティの心には届かない。すでに、凍っていた。 「殺すのは、やめた」 くすくすと笑い声を上げ、タイラントはシェイティの服を無造作に引き裂いた。咄嗟に、何をするつもりかわからなかった。が、すぐに見当がつく。シェイティの目に、諦めが浮かんでは、表情が消えた。 「殺すより楽しい――。屈辱を、味わえばいい」 タイラントでないと思えたら、どんなによかっただろう。シェイティは肌の上を這いずり回る彼の手を意識から放り出す。 汚い廃屋に、鈍い月の光が射し込んだ。狂気に染まったタイラントの色違いの目。見上げてシェイティは薄く笑う。 「なにがおかしい!」 あれほど追いかけたタイラントがいまここにいる。こんな形であれ、自分に執着している。たとえそれが気晴らしであれ、復讐であれ。それがシェイティには、嬉しかった。 「なにも」 答えれば、やはりきつい目で睨まれた。そのまま近づいてくる。乱れた銀髪が、顔にかかって煩わしい。 「抵抗くらい、しろよ」 したほうがいいのだろうか。そのほうがタイラントは楽しいのだろうか。昔のことを思い出す。客の要求。不意にシェイティが抗った。 「そのほうがいい」 目を細めてタイラントが言う。だから自分は正しかったのだ、シェイティは安堵する。無駄に暴れるシェイティの腕を捉え、タイラントは彼の口を塞ぐ。シェイティの唇は、かすかに血の味がした。 「気持ち悪いな、化け物」 柔らかい、人間のものと変わらない唇。ねっとりと舌を這わせれば、震えて嫌がった。タイラントの中の狂気が、爆発的な歓喜に変わる。 「化け物を抱きたがるあなたは、なんなの」 「そのほうが、いやだろう、君は? こんなこと、耐えられないだろう? だから俺は君を犯す」 言葉と共に、もう一度くちづけられた。圧し掛かってくる男の重さ。二度と感じることはないと思っていたもの。 口の中にタイラントの舌が入り込む。まだ抗うべきか、考えた末シェイティは彼を圧し戻そうとする。すぐに、封じられた。 離れていった唇が糸を引く。目をすがめてタイラントがそれを見やるのに、シェイティはわずかな羞恥を感じた。 「やめ――」 首筋を噛まれた。甘い愛撫などではない。噛み砕かんばかりに、噛まれた。シェイティの心に蘇る一つの姿、小さな、竜。 「タイラント……」 ちろり、と舌を出し彼はシェイティの血を舐めていた。 「やめて」 そんなことは、して欲しくない。本気で押し戻そうとした体は、動けなかった、射竦められて。 「君なんか、死ねばいい。死ぬより酷い屈辱を知ればいい」 タイラントの手が喉にかかる。このまま絞め殺すつもりか、思ったけれどシェイティは動かなかった。 タイラントの声が、哀しかった。シェイティのことを語っていたのではない、彼は。それほどつらい思いをしたのだと、シェイティのせいだと。 首を絞められ、息苦しい。それでもシェイティは動かない。不意に手が緩んだ。思わず深く息を吸い込んだ隙、タイラントがまだ残っていた衣服を剥ぎ取った。 「ここは、人間と同じか」 身をよじったけれど、掴まれた。タイラントの手の中、包み込まれてわずかに熱を持つ。 「勃たせろよ。つまらない」 彼の手が、意図を持って動く。シェイティは唇を噛みしめ彼を見た。それが、望みならば。ゆっくりと息を吐き、シェイティは目を閉じた。 勃ち上がったものに、タイラントが顔を寄せては息を吹きかけた。シェイティの体がすくむ。食いちぎられるかもしれない、その恐怖に。 だが、タイラントはそのようなことはしなかった。そこが人間と同じであるのか確かめるよう、弄っている。つるりと雫が垂れた。 「淫乱。化け物で、淫乱。最低だな」 嘲笑われても、シェイティは何も感じない。タイラントが言うならば、それでもいい、そんな風にも思う。 「触れよ」 服をはだけたタイラントの体が目の前にあった。手を上げかければ、彼の目が違うと言う。かすかにシェイティは唇を結んだ。 「早くしろ」 顔の前につきつけられる男の体。シェイティは、そっと先端を含む、ためらうよう、戸惑うよう。それが、彼の望みなら。 わずかに、タイラントが呻いた気がした。ゆっくりと舌を這わせる。絡み付けて、飲み込む。時折タイラントを見上げるのも忘れない。 「どこで覚えた。え? あいの子」 仄かに上気したタイラントの顔にシェイティは首を振る。彼を含んだまま。押し殺した喘ぎが聞こえた。 このまま最後まで。そう思ったときシェイティの口から熱が逃げる。あっと思ったときには、体を転がされていた。 「これだけ巧いんだったら、こっちも当然初めてじゃないよな?」 うつぶせにされた背中をタイラントの手が這い、柔らかい尻で止まる。丸く撫でては、握る。弾むような弾力を手で楽しんでいた。 「やめて」 「こんなところで? 馬鹿な」 軽く叩かれた。いっそそれは愛撫と言ってよいほど。 「腰上げろよ」 シェイティは諾々と従う。けれどわずかに上げるだけ。苛立たしげな舌打ちが聞こえ、今度ははっきりと叩かれた。 「もっと」 高く、掲げる。ためらいながら。両肘で体を支えたシェイティの姿を、タイラントが笑う。 「足開けよ。それくらい、言われなくてもしろ」 少しだけ。叩かれた。今度はもっと広く。自分の腕の間に顔を伏せれば、上げろと怒鳴られた。半ば首を振り向けるようにして彼を見る。満足そうなタイラントがいた。 タイラントの手が腰を這う。背中を這い上がり、ゆっくりと下る。そこで、止まった。 「やめて、タイラント――」 後ろを指先が触っていた。ようやくシェイティの心に恐怖がきざす。彼は、わかっているのだろうか。それとも。 「油なんか、用意してないしな」 くすりと笑ってタイラントの手は、けれど動かない。いまだそこを弄る。 「だから、痛いだろうな、君は」 ゆったりと、彼が体を起こした。緩慢な動きで、シェイティの背後にまわる。 「やめて。いまは――」 「誰がやめるか!」 血を吐くような叫びと共に、シェイティは唇を噛みしめた。頭の中が白くなる。慣らしもしない、油も使わない。屈辱的な強姦などではなく、単なる拷問。それすら、はじめてではない自分がどこかで現在を嗤っていた。 目を開けたとき、日光の中に埃が舞っていた。ちらちらと動き回るそれが、妙に綺麗でシェイティは手を伸ばす。 一人きりだった。誰もいない。体を見やれば、いたるところに青い痣。身じろぐだけで、鈍い痛みが体を巡る。血と埃と男の匂いにまみれてシェイティは、ほんの少し。 ――笑った。 |