小さな悲鳴が聞こえた。シェイティは、それが聞こえるより先に魔術師の居場所を嗅ぎ取っていた。正に嗅ぎ取っていた、としか言いようのない感覚だった。
 目で見るより、気配で捉えるより早く何もかもがわかる。魔術師の居場所も、家具の配置さえ。タイラントが怯えていないのも自分を注視しているのも。
 シェイティはひっそりと笑みを浮かべた。再び、悲鳴。目の前に、魔術師がへたり込んでいた。よもや襲撃を受けるとは思ってもいなかったかのように。
「さぁ、吐いてもらおうか」
 すらり、シェイティはどこからともなく氷の剣を出現させる。魔術師が、声にならない悲鳴を上げた。
「シェイティ! 違う!」
 今度の声は、タイラントのものだった。シェイティは魔術師の男に剣を突きつける。
「待って!」
 タイラントが飛び上がり、男の前に立ちはだかる。シェイティは、それでも剣を収めなかった。
「どいて。それが、あなたの敵だよ。とりあえずは、敵だね」
 静かに言って、シェイティは剣を振った。邪魔立てするならば、タイラントごと切るとでも言わんばかりに。
「だって! カロリナは、女魔術師だ! 私は見たんだ、彼女を!」
 眼前で羽ばたく小さな竜に何を思うのか、男は呆然としていた。そしてその目が限界まで見開かれる。
「お前は――!」
「そう。彼はあなたが、下手なギアスをかけた、あの吟遊詩人だよ」
「違う、私では……」
「そう? だったら、誰が? 少なくとも、あなたがカロリナのふりをしたのは、わかってる。僕は、知ってる」
 たじろぐ男の前にシェイティはずいと踏み出す。今度はタイラントも素直によけた。
 シェイティの言葉に、タイラントは混乱していた。カロリナのふり、とはいったい。シェイティは、何を知っていると言うのか。わななく口を押さえることもできず、タイラントは彼を見つめていた。
「そこに、あるね。変化の首飾り」
 すっとシェイティの目が細まる。男は咄嗟に自らの襟元を抑え、そして舌打ちをする。
「別に、隠さなくてもいいよ。もう――見えてるし」
 わずかに笑みさえたたえて言うシェイティに、男は何を思うのだろう。かすかな悲鳴を上げた。
 シェイティは、不快を抑えきれずにいる。自分は何もしていない。ただ、話しているだけだ。追い詰めてさえいない。それなのに男は怯える。これが不快でないはずがない。
「さぁ、まずは名乗ってもらおうか?」
「お、お前こそ――」
「人に要求できる立場?」
 淡々と言ってシェイティは男の喉元に剣を突きつけた。男の目が剣に吸い寄せられる。ぞっとした顔をしていた。剣に通う血の筋が、どくりと脈打つ。
「……グリフォン」
「師の名は。言えないの、言いたくないの。言えないほうだろうね」
 問うて、シェイティは一人うなずいた。歯を食いしばったタイラントが、ようやく肩の上に戻ってくる。問いかけるような鳴き声に、シェイティはわずかに首を傾けた。
「こんな中途半端な魔術師は、魔術師と名乗るほどのものじゃない。いまこの男はグリフォン、と名乗った。師の名をつけずにね。と言うことは、この男はまだ弟子の身分か、師の名を言いたくないか、あるいは、言えないか。言えないのが正しい、と僕は判断した」
「……どうして?」
「こんな馬鹿、師匠と名乗るほどの腕があったら、絶対一人でほっとかない。だから、弟子じゃない。師匠に放逐されたって所だろうね。以来、半端な腕を売って歩いてる。違う?」
 シェイティの目が、グリフォンと名乗った男を見据える。まるで剣で切りつけられたよう、彼は首をすくめた。
「ほら、あってる」
 シェイティは言い、タイラントに向けて首を傾けた。頬に竜の肌が触れて温もりを伝える。
「師匠に放逐されたなら、師の名は名乗れない。そんなことしたら師匠に地の果てまで追いかけられる。性格にもよるだろうけど、僕の師匠だったら、絶対殺す」
 びくりとグリフォンの体が跳ね上がる。どうやら、彼の師もそのくらいの道徳心は持ち合わせているらしい、とシェイティは微笑む。
 だがタイラントはそれを道徳、とはとらなかった。ぞっとしたよう二人の魔術師を見やる。そして魔法とは、それくらい用心して扱うべきものだと、今更ながらに知る。
「さぁ、まずは変化の首飾りをこっちにもらおうか」
 つい、と剣先でシェイティがグリフォンの襟元を掬えば、そこに鎖が引っかかる。タイラントの目が吸い寄せられる。そこには単純な、首飾りとも言えないような装身具があった。細い銀の鎖の先に、小さな黄色い石がついている。ただ、それだけだ。本当にこれが、とも疑いも露にシェイティを覗き込めば、彼はうなずいていた。
「やめろ! いったい、お前に、どんな権利が――」
「あなたに権利がないのと同じくらい、僕にはそれを取り返す権利がある」
 ぴしりと言って、シェイティは剣で鎖を引きちぎる。衝撃に、グリフォンが呻いた。
 タイラントは、信じられなかった。本当に、この男が、あのカロリナなのか。シェイティは、変化の首飾りと言った。ならば。
「ほら。これでね、カロリナに化けてたの。あなたに似せたドラゴンを飛ばしたのも、これのおかげだね。こんなことができる腕はこの男にはないもの」
「シェイティ、君は……」
「なに?」
「どうして。どうして、そんなことがわかる。断言できるんだよ! 君は――」
「僕は、知ってた。間違っても、カロリナが関わってるんじゃないことを、僕は知ってた」
「そんな……!」
 ならば、はじめからだと言うのか。最初にカロリナの名を出したその瞬間から、シェイティは知っていたというのか。
「なんで……」
「そんなことより、ねぇ。知りたい事は他にあるんじゃないの」
 呆れた口調の中、タイラントははぐらかされたのを感じる。ぐっと歯を食いしばり、グリフォンを見やった。
 シェイティの言葉の確かさを、男が証明していた。なんと、情けない。こんな男にいいようにされていたのかと思えば、腹を立てる気も失せる。
 グリフォンは、シェイティに剣を突きつけられたまま、がたがたと震えていた。シェイティの言葉に、反駁することもできずに。それは、彼の言うすべてが正しいからに違いない。
「さぁ、吐きなよ。お姫様……名前、なんだっけ? 僕、聞いたかな?」
「聞かれてないような気がするよ……」
「そう?」
「イザベラ姫。姫は、どこ? 早く、解放してあげて。あんたが何したかったのか、本気でわからないよ。どっちにしても、計画は頓挫。だから、姫を――」
 疲れた口調で言うタイラントを、グリフォンは恐ろしげに見ていた。竜が口をきく、と言うことが信じがたいのだろう。元が人間だと知っていてさえ。
 その顔が、タイラントが語るにつれて変化した。そしてシェイティの舌打ち。
「シェイティ?」
 何か、まずいことを言ってしまったのだろうか。タイラントは彼の顔を覗き、意外な、信じがたいものを見た。シェイティの苦痛。
「どう――」
 最後まで、問うことができなかった。タイラントの声はグリフォンの笑い声に遮られる。正気を失ったかの、唐突な笑いだった。
「お前は、あの女を探しに来た英雄様ってところか! お笑い種だな、なんにも知らないくせに!」
「やめろ」
 シェイティの制止が、男をよけいにあおったようだった。引きつって笑ったかと思うと男はぐらりと床に傾ぐ。そのまま笑い転げた。
「お前、そこのドラゴン! 元は、吟遊詩人だったかな、え?」
 指を突きつけて笑うグリフォンに、ようやくタイラントも不穏なものを感じ取った。それより早くシェイティが動く。
「やめろって言ってるの。聞こえない?」
 一振りで、血が飛んだ。血が飛んで、はじめてシェイティが剣を振ったのがわかる。グリフォンの狂気じみた笑い声がいっそう高くなった。だらだらと、切り飛ばされた耳から血を流し、男は笑う。
「やめるもんか! お前、そこの元吟遊詩人! 姫君はお前が嫌いだとさ! お前から逃れるための、策略ってやつだ!」
 シェイティの剣が再び、一閃。反対の耳を切られても、男はまだ笑っていた。肩の上、タイラントが凍り付いている。
「シェイティ」
「なに」
「君は――」
「ある程度は、予測してたよ。どの町に行っても姫君が誘拐されたって立て札はなかったからね」
 そんなことにも自分は気づかなかった。そうタイラントは罅割れてしまった心の中で考えていた。
「姫君が誘拐されれば、救出隊くらい出るだろうし、普通なら。出ないって事は、普通じゃないことが起こってるってこと」
「だから、君は。私を、連れてきたくないって」
「そう」
 タイラントは肩の上で喚いていた。意識してのことではない。悲鳴でも上げなければ、正気を保てそうになかった。
「言ってくれればよかった! こんな形で知らせるなんて!」
「忘れないで。僕ははじめから知らせたくなかった」
「関係ない!」
 タイラントの、色違いの目から涙が零れた。シェイティが腕を伸ばしてきたのにも従わない。身をよじって腕から逃げた。いま、抱きしめられたくはなかった。
 グリフォンが、笑いつづけていた。忌まわしい、とはじめて魔術師を名乗る男を見やる。こんな男が、なぜ存在するのか。それよりも、彼よりも。
「シェイティ」
 タイラントは羽ばたく。翼の一打ちで、男の前に飛んだ。何がおかしいのか、グリフォンが腹を抱えた。
「いまここで、死にたくなかったら、言うんだね。イザベラ姫は、どこにいるの」
 タイラントの無言の訴えに応え、シェイティは男を問い詰める。笑い続けるグリフォンも、浅くはあっても腹に切りつけられては正気に返るしかなかった。ついで上がる、悲鳴。




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