タイラントに語ったよう、シェイティにも道具に魔法をこめることはできる。それほど大変なことでもない。かつては様々なものに魔力を付与し、半ば遊んだものだった。
 実際、鍵語魔法による魔力付与は、真言葉魔法のそれよりずっと楽だ。と言う話であって、シェイティ自身は真言葉魔法が使えないから確かなことはわからない。
 両魔法共に駆使する師の言葉によれば、そうだというだけのこと。そしてシェイティは師の言葉を疑いはしなかった。
「シェイティ。なぁ、君もできるって」
「できるよ?」
「例えば、どんな? 魔法のこめられた道具って言われても、ぴんとこないよ……」
 力なく言ってタイラントは虚ろな笑い声を上げた。それほど驚くようなことだったのか、と反ってシェイティのほうこそが驚く。
 これが、魔術師と普通の人間の常識の差、なのかもしれないとふと思った。
「あなた、吟遊詩人なんだから、知ってることがあるでしょ」
「そりゃね。ほら、シャルマークの英雄の歌にあるさ、転移の首飾りとかだったら、知ってるよ。歌の中でな。あれってほんと?」
 疑いも露に言うタイラントに、シェイティは肩をすくめることで答えに代えた。
「そっか。リィ・サイファがいたんだよな、魔術師が」
「それも当代随一のね。いまだかつて存在しなかったほどの、これからも存在しないかもしれないほどの、強大な魔術師がね」
 タイラントは瞼の裏にリィ・サイファの姿を思い浮かべる。一見、神が彫り上げた美姫の像のようだった。とても強力な魔法の使い手のようには思えなかった。それが瞬きの間に、ただの肖像であるにもかかわらず、力の程がひしひしと感じられた。背筋を這い上がってくる、寒気とともに。
「……君は?」
 恐れを振り払いたくてタイラントは言う。それを感じ取ったのだろう、シェイティは前を向いて歩きながらかすかに眉を顰めた。
「僕に何ができるのか? たいていのことはできるけど。ねぇ、あなたが何を聞きたいのか、僕にはわからない。例えば何を考えてるの、あなたは」
「そう言われてもなぁ。そうだな……うん。転移の首飾りって物が存在するなら、君も装身具に魔法をこめることができる?」
「できるよ。指輪でも耳飾りでも」
「どんな魔法?」
「魔法、と呼ばれる限りどんなものでも」
 なんでもないことのよう言い、シェイティは一度言葉を切った。迷ったのではない。足場が悪かった。ひょい、と盛り上がった木の根を飛び越えれば、物音に驚いた鳥があわただしく飛び立っていく。
「そうだね、あなたにわかるように言うなら。魔法の明りが灯る燭台、とかも作ることができるよ。もうちょっと物騒な方面だと、氷の矢が飛び出す指輪とかね」
「いきなり物騒すぎだろ! うん、でもまぁ、よくわかったけどさ」
「実用的なことが聞きたい?」
 笑うタイラントにシェイティがつられたよう、悪戯めいた声を上げた。何事か、と彼の顔を覗き込んだタイラントは、非常に珍しいものを目にした。少し困ったような顔をした、彼だった。
「シェイティ?」
「あなたが望むならね、あなたの片目の色を変えることも、できるよ。変えるほうの目に、魔力付与した硝子を入れるんだ。薄いから、たぶん気にならない。いっそどっちも変えちゃってもいいけど。何色がいい、タイラント? 紫でも緑でも、望み次第だよ」
「なに馬鹿なこと言ってるんだ、シェイティ?」
 タイラントは言い、あっさりと拒絶できた自分に内心で汗を流していた。わずかに、ほんのわずかに、この目の色が揃っていたのならばどうだろう、と思わないわけではない。
 それでも変えたい、とは言いたくなかった。変えることをもしかしたらシェイティが望んでいないのではないか、そんなことを思う。
 ただそれは、タイラントの拒絶にあまり関係はなかった。彼が望もうと望むまいと、タイラントは目の色を変えたい、とは思わなかった。それが、事実だ。
 おそらく、とタイラントは思う。シェイティが可能だ、と言わなかったならば、変えてみたいと思っていたことだろう。
 変えることができる、普通の、当たり前の人間と同じ外見になることができる。たとえ魔法で作られたものだとは言え。
 それを知ったとき、タイラントは変えたいとさほど思っていない自分をも見つけた。どことなく、心が弾む。
「私さ、面倒は面倒だけど、これでけっこう自分の目が嫌いじゃないんだよな」
「そう? 別にできるよって言っただけ。変えろとは言ってないからね」
「わかってるって」
 強く言い、タイラントは首をもたげる。心の片隅に、同じ色の目をした自分がいた。思い浮かべても、やはり自分のようには思えなかった。
 それからタイラントは首をひねる。もしかしたらシェイティもまた、そのような手段を取っているのかもしれない。思わず尋ねようと口先から零れそうになった言葉を、ぐっと飲み込んだ。代わりに言ったのは、別のこと。
「魔法って、面白いな」
 もしも自分が望むなら、あるいは姿形を変えてしまうこともできるのだろう。タイラントは人間に戻りたいとは思っても、姿を変えたいとは思わない。それでもできるのならば興味があった。単に、遊びの範疇として。
「面白いよ。色んなことできるし」
「早く、帰りたいな」
「どこへ?」
 不思議そうに言うシェイティに、タイラントは溜息をつく。思い切り首を伸ばして、非難の目をしてシェイティを見やった。
 見られたほうは、たまらない気持ちを隠すので精一杯だった。簡単に口にされた帰る、と言う単語。共に帰っていくことができたならば、どれほど。
「私さ、こんな調子だけど、焦ってないわけでもないしさ、君との約束を楽しみにもしてるんだよ、シェイティ」
「焦る? 約束?」
「酷いだろ、それ! これでも友達のことは心配だし――」
「あぁ、お姫様のことね。なんのことかと思った。ふうん、気にしてたんだ。あんまり口にも出さないし、薄情なやつだと思ってたけど」
「じたばたしたって仕方ないからだろ! 君に任せてるんだから、私が喚いたってしょうがない」
「へぇ、けっこう潔いね」
 くすりと笑ってシェイティは手を伸ばし、軽くタイラントの背を叩いた。不満そうな唸り声が聞こえて、シェイティはもう一度笑う。
 本気で彼が姫君を忘れていると思っていたわけではない。それにしては泰然としているから、意外と大物なのかもしれないとは思っていた。
 大物、と言うより鈍いだけかもしれない、とシェイティは内心で思う。あるいは、考えられないほど繊細なのかもしれない。
 シェイティは、心底から不思議に思っていた。タイラントは、聞きたいことがあったはずだ。シェイティははぐらかす用意をしていた。
 それなのに彼は、尋ねなかった。どうでもいいことを言い、タイラントのほうこそがはぐらかした。不思議、と言うよりは、胸の中が温かい。
 そしてシェイティは、温まってしまうことを、恐れていた。
「聞いていい? いいと思うから聞くけどさ。シェイティ、いまだから聞くけど。姫は、無事かな」
「無事だと思うよ」
「あのなー。もうちょっと考えてから答えろよなー」
 呆れ声の中に苛立ちが混じる。シェイティは、そこにタイラントの本心を見た。彼が言っていることは、本当だったのか、と。
「今更考えてどうするの。僕はずっと気にしてる」
「え……」
「あなた、僕に任せてるって言ったじゃない。そのとおりだよ、僕はお姫様のことも気にしてるし、魔術師のことも気にしてる。本当に、大変」
 恩着せがましく言い、シェイティはわずかに首を傾けた。言葉に詰まったタイラントが取り繕うよう、頬ずりをするのを待っている。
 案の定、シェイティが思ったとおりのことを彼はした。それをくすりと笑えば、拗ねたタイラントがシェイティの髪を甘く噛んだ。
「シェイティ……」
「なに」
「色々、その。ごめん」
「なにが? 別にいいけど。謝りたかったら好きなだけ謝りなよ」
 突き放すよう言われ、タイラントはうなだれた。謝罪は、容れられなかった。
 そう思ったのは、一瞬だった。シェイティの指先が額を撫でていったからではない。それより先に悟っていた。
 シェイティはこう言ったのだ、謝罪の必要はない、と。それを知ったタイラントは勢いよく頭を上げ、いつものようにゆったりと、彼の首に尻尾をまわした。
「ほんと、立ち直りが早いよね、あなた」
 シェイティが呆れ交じりの笑い声で言っても、タイラントは情けなく思いはしなかった。むしろ、褒められたのだとわかっていた。
「なぁ、シェイティ」
 柔らかく揺れるシェイティの髪に頬を撫でられつつ、タイラントは問いかける。山の緑は覆いかぶさってくるように深い。
「あとどれくらい? 疲れないか? って言うか、休んだほうがよくないか」
「もうちょっと行ったらね」
「なんで?」
「もう少しで、近づくからね」
 言葉に、ぎょっとした。もっとずっと遠くだと、なぜかタイラントは思い込んでいたのだ。
「こんな早く!?」
「僕はずいぶん歩いたような気がするけど? ねぇ、魔術師だって人間なの。特にいまは、あなたの敵は人間の魔術師だって、わかってる。人間はね、タイラント。食べなきゃ死ぬんだよ? あんまり山奥に行ったりしたら、食料の調達だって大変じゃない。もうちょっと考えなよ」
「そりゃ、ほら! だって! 魔法でちょっと、なんとか――」
「魔法は万能じゃないよ。特に、あなたの敵みたいに腕の悪い魔術師にはね」
 半ば嘲るようなシェイティの口調に、タイラントはぞっとする。久しぶりにシェイティを怖いと思った。
 つくづく思う、彼を敵にまわしたくはない、と。シェイティはいったい何を根拠にカロリナの腕が悪い、と言うのだろう。
 タイラントにはわからなかった。ただ、シェイティがそう言うには理由があるはずだ、とそれを信じていたに過ぎない。そしてそれは正しかった。




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