半エルフが音楽好きだとは、思ったこともなかった。むしろ、半エルフが何を好むかなど考えたこともない、と言ったほうが正しい。 「半エルフって……」 「人間と、たいして変わらないよ。音楽も好きだし、小説読むのも好き。僕の知ってる半エルフは恋人だっているし、友達の人間が死ねば、泣くし」 「だから、まくし立てるなって。ちょっと驚いただけだろ!」 「ねぇ、あなた。半エルフと人間と、そんなに変わらないってこと、覚えたほうがいいんじゃないの、そろそろ」 「うるさいなー。そんなに簡単に納得できるかよ」 「納得。したほうがいいと思うけどな」 ぽつりと言われた言葉にタイラントが何かを言い返すより先、肩をすくめたシェイティが、テーブルの上に広げていた本を取り上げた。 「もういい?」 うなずくタイラントを振り返りもせず、行ってしまった。一人タイラントは取り残される。途端にまた、寂しくなった。 覚えたばかりの歌を少し、歌ってみた。先ほどのよう、楽しくはない。気持ちの問題だ、とタイラントにはわかっている。 いまだかつてタイラントは半エルフに会ったことはない。見たこともない。そのような伝説と紙一重の存在が、自分たちと同じように歌が好きだなどと言われても、混乱するばかりだった。 「おいで、タイラント」 不意に戻ってきたシェイティが腕を差し伸べる。考える間もなくタイラントは羽ばたいて彼の腕へと止まった。そのまま肩によじ登り、彼の首に尻尾を巻く。 「なに甘えてるのさ」 「いいだろ、ちょっとくらい」 「悪いとは言ってないじゃない」 くっとシェイティが笑う声。タイラントは体中で彼の声を聞いていた、その振動を。緩やかで心地良い。緊張がほぐれていくようだった。 「なぁ、シェイティ。半エルフの恋人になる人間って、どんな人?」 「知らない。知りたかったら暇なときにカルム王子の伝記でも読めば?」 「シェイティ! 君はいま言ったじゃないか!」 「僕の知り合いの半エルフの恋人が人間だ、とは言ってない」 「あ……。そっか。おんなじ半エルフなんだ? 半エルフって、綺麗なんだよな、みんな? さっきの肖像みたいに? その人も美人?」 「……美人」 呆然と繰り返し、シェイティは立ち止まる。それから盛大に腹を抱えて笑い出した。ありえないものでも見てしまった気分のタイラントは咄嗟のことに彼の肩から振り落とされる。 「おい! シェイティ!」 床に体を打ち付けて喚くタイラントをちらりとシェイティは一瞥し、それでもまだ笑い足りなそうにしていた。 「ごめん。あなた、ほんと楽しいこと言うね」 拾い上げて、珍しいことにシェイティがタイラントに頬ずりをした。ぎょっとするも束の間、タイラントは柔らかい彼の頬を感じてはどぎまぎとする。 「ほ、他に言いようがないだろ!」 思わず悲鳴じみた声を上げてしまった。それをシェイティがくつろいだ目で見ているのがどうにも落ち着かない。彼の顔を見ないですむよう、タイラントは再び肩へと這い上がった。 「それでも吟遊詩人なの? 確かにあの人も綺麗だけどね。美人は美人だと思うよ、男だけど」 「あ――」 シェイティが、ついでとばかり言い足した言葉にタイラントは頬が赤らむ思いだった。先ほど目にしたリィ・サイファの肖像。頭では理解しているつもりだったが確かにそうなのだ、リィ・サイファは男だ。 半エルフの美貌を思い出して、タイラントは愕然とする。あれほど美しい存在が生きて動いて喋るなど、想像もできない。 一種の、世界に対する冒涜のようにも思え――。そしてタイラントは身震いをした。この瞬間に、悟った。 だから、半エルフは人間に厭われるのだ、と。人間と同じ姿形。それでいて人間とはまったく違う、その存在感。 がらがらと、世界が崩れ果てるような気すらする。肖像を思い出した、ただそれだけで。直接目にしたならば、いっそうその思いは強まることだろう。 「半エルフも同じ、地上の生き物。その点では人間と、同じ。わかる?」 「……わかるよう、努力する」 「いい子」 くすりとシェイティが笑った。わずかに諦めたような、無理をしたかの声。吟遊詩人の耳はそれを聞き取る。 失望させてしまったのだろうか、とタイラントは案じたけれど、失望されても致し方ないことを言ったのだろう、とも思う。 「頑張るから」 そっと自分に言ったつもりだった。彼に見捨てられたくない。彼の力になりたい。その思いから口をついた言葉に、シェイティがこくりとうなずいた。 「なぁ。その半エルフの恋人って?」 「どんな半エルフか?」 「そう。えーと、半エルフって……」 「男しかいない。だから、同族と恋をすると、やっぱり人間からは変に思われるみたいだね」 さらりと言われた言葉にタイラントは喉を詰まらせる。言葉もなかった。一般的に同性愛が排斥されるわけではないが、信仰によっては異端であることがないとは言えない。当然、異性愛者のほうが多い世の中だ。 「僕は見慣れちゃってるし、なんとも思わないけど。あの人たちもそうだし、師匠とリオンもいるし」 「あぁ……そうか……うん、そうだよな!」 「なに慌ててるの?」 「別に! 全然! 慌ててなんか!」 「それの、どこが?」 冷ややかに言うシェイティだったが、かすかに声音には笑みが含まれていた。思わずタイラントは彼の肩口に頬を摺り寄せる。 「なんで、男しかいないんだろう。なんか、その……」 「変だって言っていいよ。差別はよくないけど、疑問は疑問だし」 「うん……」 その区別が難しいのだ、とタイラントは知った。半エルフのことをあまりにも知らない。だから何を問えば、的確な質問なのかがわからない。 同じ事は人間にも言えるのだ、不意にタイラントは気づく。半エルフの人間のと言う必要はない。差別と区別の差が、どこにあるかなどいままで考えたこともなかった。差別される側の人間であったにもかかわらず。 「僕にはわからないし、なんでかなんか知らない。ただ、その半エルフが自分の想像だけどって教えてくれたことはある」 タイラントの沈んでいく気持ちを感じたかのような、シェイティの口の挟み方だった。それに気づかないようなタイラントではない。ぐっと首をもたげて息を吸う。 「なに?」 「神人は、この世界を半エルフの、自分たちの子供のものにしたかったわけじゃないんだろうって」 「どういうこと?」 「ちょっと頭使いなよ。半エルフは殺されない限り死なない、いい? 死なない半エルフが同族の間で増えてごらんよ、アルハイド大陸はどうなると思うの」 「あ!」 「だから、半エルフに女はいない。そういうことじゃないかって、僕の知り合いは言ってる」 なんでもないことのようにシェイティは言った。その知り合いは、いったいどんな気持ちで言ったのだろうか。タイラントはそれが半エルフだということを、異種族だということを瞬間、忘れた。 「……むごい」 「タイラント?」 「酷いと、君は思わないのか! 親って言っていいのかな、神人の都合で、そんな風に作られた半エルフが、悲しいと、君は思わないのか!」 半ば、泣き叫ぶようなタイラントの声。シェイティは黙って腕を伸ばして彼の背を撫でた。タイラントの背が、震えている。 知らず、胸の中に抱きとっていた。半エルフが怖い、異種族が理解できないと震えていたのと同じ存在だろうか、これが。 タイラントはいま、哀しみに震えていた。言葉で理解するより先に、タイラントの体中が半エルフを同じ生き物だと認めて泣いている。 「思うよ。とても」 きゅっと抱きしめて言えば、腕の中でうなずいた気配。温かい竜の体がシェイティに染みとおる。ぬくもりを、手放したくなくて、シェイティはあえて彼を肩の上へと戻した。 「シェイティ……」 「なに」 「いつか、半エルフの歌が作りたい」 「誰も聞かないんじゃないの」 「君の知り合いは、聞いてくれないかな」 「……聞くと、思う」 「だったら、それで充分だよ。聞いて欲しい。聞いてもらえるような、そんな歌が作りたい。悲しいだけじゃなくって、楽しいことばっかじゃなくって……。なんて言うんだろうな、こういうの」 「――生きるってことだよ」 「そっか、うん。そうだな。生きるって、そういうことだな、シェイティ」 朗らかに、わざとらしく言って見せるタイラントにシェイティは返す言葉がなかった。 真実、信じてもいないことを口にした。それが生きるということだとは、理解していなくはない。たぶん、そうだろうとは思っている。 だが、生きるとはどのようなことなのか、と問われれば、言葉に詰まる。それほどシェイティにとって生きるとは難しい。ただ生きることが難しい。 「なぁ、シェイティ。生きるって、大変だけど、楽しいと思わない?」 まるで、シェイティの胸のうちの疑問を言い当てたかの言葉。喉の奥に何かが詰まってでもいるよう、言葉がでなかった。 「楽しいばっかじゃないけどさ、楽でもないけどさ。けっこう面白いかなって、私は思うよ」 「そんな体になってるくせに。呪われてるくせに」 「うん。それでもね。だってさ、こんなことがなかったら私は君と知り合う機会がなかったよ。それだけでもよかったなーって思う」 「楽天的だね、あなた。馬鹿なんじゃない?」 憎まれ口が出るばかり。シェイティは拳を握ってひたすらに歩き続けた。タイラントが肩の上で笑っている。その明るい声を聞きながら。 「私はさ、シェイティ。色々あっても結局、死ぬときに、あー面白かったって言って、死にたいんだ。そんな生き方っていいと思わない?」 瞼の裏、まだまだ遠い死の場面をシェイティは思う。そのような思いで死ぬことができたならば、どんなにいいだろう。 「僕には、無理かもね」 呟いた声がタイラントには、聞こえなかった。 |