緩やかな笑みを浮かべているくせ、冷たく輝くシェイティの目を、じっとタイラントは見ていた。口の中がからからに乾く。それでも言わなければ、と思った。
「……シェイティ。私も、人間だよ」
 彼には、言われなくともわかっているはずだった。案の定、薄く微笑んで答えない。
「人間がそれほど嫌いなら――」
「嫌いだよ、とても。人間なんか、大嫌い。いっそ滅べばいいのにと思うくらい、嫌い」
「じゃあ……」
「でもたまに、これだったら好きにはなれなくても嫌いにはならなくて済むかな、と思う人もいなくはない」
「リオン総司教様みたいな?」
 タイラントはぐっと歯を食いしばってシェイティを見る。自分もそうなのか、とは聞けなかった。それを察したのだろう、シェイティが笑みを浮かべる。今度のそれは、冷たくはなかった。
「リオンなんか大ッ嫌いなんだけど?」
 くすりとわざわざ声を立ててシェイティは言った。つられてタイラントも笑ってしまう。それでなぜか強張りが解け、いままで体中に力を入れていたことを知る。
「じゃあ、私は?」
 問いかけて、わずかに自分の声が震えたのを、タイラントは悔しく思う。シェイティは無言で彼の背中を撫でていた。
「僕は、あなたに魔法を教えたいと思っているよ」
「それって……」
「どう解釈してもかまわない。ただ、あなたに教えるとなると、魔法の方法論が変わるんだよね」
「はい?」
「僕は新しい方法論を確立させたいと思ってるの。それにはあなたが要る」
「さらっと言うなよ! なんかすごいこと言ってるぞ、君は!」
「だから最初から言ってるじゃない。あなたに魔法を教えると大変なことになるって」
 言われてみればその通り。シェイティは確かにそのようなことを言っていた。だがここまで大仰な話だとは誰が思うものか。
「……新しいって?」
 渋々とタイラントは口を開く。いかにも協力してやってもいい、話し次第では、と言わんばかりの態度だが、どちらの立場が上かは言うまでもないこと。
「魔法の歴史の授業になっちゃうね。まぁ、いいけど。魔法のはじめは、リィ・ウォーロック。すべての魔術師の祖」
「じゃあ、半エルフ?」
「どうしてそう思うの」
「だって……人間より納得できるかなって」
「あなた、僕の話しに影響受けすぎ。たぶん、僕が語るより人間は醜悪ではないし、半エルフだってけっこうずるい」
 すっと目を細めてシェイティは言う。どこまで本心かはわからなかった。ただ、それはある程度事実だろう、とタイラントは思う。
 影響を受けすぎる。そう言われたことにわずかな羞恥を感じた。子供のようだ、と言われたような気がして。
「リィ・ウォーロックは、人間だよ。名前に、どことなく覚えがない?」
「……あ」
「そう、リィ・サイファの師匠だ」
「それって、いつごろの話?」
「まだ神人がいた頃の話だって言うけど?」
 あっさりと言ったシェイティの言葉にタイラントは身震いをする。伝説と言うよりすでに神話の世界だ。
 神人がいた時代。いまはエルフ、妖精と貶められて呼ばれることも多い、偉大なる神の一族が君臨していた時代。それは正に黄金時代であっただろう。
 だからこそ、人間と半エルフはともにすごすこともできたのだろう。瞼の裏、タイラントはまざまざとその時代を思い描くことができた。
「魔術師リィの一門は、この世界に真言葉魔法を広めた。それが一変したのが、シャルマークの大穴が塞がったあと」
「どうして?」
「僕だって知らないよ。なぜかはわからない。魔法の暴走事故が増えてね」
「暴走? どうなるのさ。もうちょっと詳しく言ってくれないと私なんかにはさっぱりだよ!」
「言ってもいいけど。吐かないでね。魔法が暴走するってことは術者に制御できなくなるってこと。跳ね返ってきた魔法に腕を切り飛ばされたとかなんか、ざら。部屋中血みどろで挽肉になってた、とかもよくあったらしいよ」
「……聞かなきゃよかった」
 思い切り吐きそうな顔をしているタイラントの額をシェイティは笑いながら撫でていた。吟遊詩人の豊かな想像力は、色つきで脳裏に事故を再現してしまったらしい。
「これじゃいけないって、新しい方法論を作り出したのが、サリム・メロールと言う魔術師。彼が確立させた魔法論が、鍵語魔法と呼ばれてる現在の魔法」
「君は、また別の方法を持ってる?」
「まだ持ってるってほどじゃない。案があるだけ。実行できるかどうかは未知数だね」
「どんなって、聞いてもいいの」
「そうだね……元々魔法は、神人のもの。人間のものじゃなかった。だから半エルフのほうが、魔法に対する適性はずっと高い。そのせいだろうね、人間には扱いにくいのは」
「君は……人間に扱い易い魔法を作りたい?」
 意外だった。これほど人間を嫌うシェイティが、人間のために何かをしたいとは。それが顔に出たのだろう、タイラントは軽く彼に睨まれる。
「僕は、僕が使い易い魔法を作りたいの、わかる?」
 言葉通りだとは、思えなかった。それでもタイラントはうなずく。彼がそう言うならば、それでもよかった。
「例えばさー。人間にはどんなとこが扱いにくいの」
「はっきり言って、全部。そうだね、例えば。半エルフと人間とでは世界を認識する方法自体が違うの」
「そんなこと言われてわかるか!」
「ねぇ、これは何に見える?」
 つい、とシェイティが両腕をタイラントの前に差し伸べた。穏やかな顔は、いまこの時間を楽しんででもいるようで、タイラントは引き伸ばしたくなってしまう。
 もしも人間の戻ることができたならば、ずっと彼とこうして魔法の話をして過ごせるのだろうか。それはとても幸せなことのよう、思えた。
「……何って、手。あえて言えば右手と左手」
「だね。人間は、そう捉える。半エルフにとって、手は手だ。右も左もない。少し形が違うだけ。彼らの世界はそうやってできてる。火も水も大地も大気も全部、世界を構成する要素の一つ、そう捉えてるからすべての魔法を難なく操る。人間は違うね」
「うーん、少なくとも火と水がちょっと形が違うだけ、とはいかないね」
「だから、基礎は基礎でいいけど、人間が使うなら適性ごとに特化したほうが、やりやすい。僕はそうしてみたいの」
「……私に、何ができるの」
 人間の世界にさらに広がっていく魔法。シェイティが確立させた魔法が、広がっていく。その手伝いが、自分にできるのならば誇らしい。
 だが、いったい何ができるのかなど見当がつかなかった。何もできない。自分は魔法を習ってみたい吟遊詩人に過ぎない。
「別に難しいことをやれなんて言わない。あなたは少なくとも魔法を覚えてみたいと思ってるし、僕との相性も、悪くはなさそうだしね」
 さらりと言って、シェイティがあらぬ方を見た。飛び上がりたい気持ちをこらえ、タイラントはそっと伸び上がる。
「シェイティ」
 彼の頬に額をこすりつけ、肩に顔を埋めた。背中を支えてくれる彼の手。どちらも無言だった。シェイティの手が、タイラントの背を撫で下ろし、翼に触れる。
「綺麗な翼だよね」
「シェイティ?」
「ちょっと、破りたくなるくらい、綺麗」
「ちょっと待て! シェイティ! どうして君ってやつはそういうことを平気で言うんだよ!」
「だって、本音だもん」
 和んでいた気持ちが一度で震え上がった。笑みを浮かべている、シェイティは。だが、笑っているからと言ってやらないとはとてもタイラントには言えない。
「やるなよ? 痛いんだからな、特に翼!」
「ふうん、痛いんだ。そうか。痛いんだね」
 くすくすと笑うシェイティにタイラントはぞっとする。いつかきっと、やられる。確信めいたものが胸の中をざわめかせる。
「無駄話はこの辺にして、用事を済ませちゃうよ」
 するりと立ち上がったシェイティは、胸の中にタイラントを抱いたままだった。首をかしげて見上げるタイラントに、シェイティは眉を上げて見せる。
「用事ってなに? 用なんか、あったの、ここに?」
「別に休憩しに来たわけじゃないんだけど」
「だったらなんの用なのかくらい、教えてくれたっていいだろ!」
「この塔、カロリナも入れるんだよね。きたのかどうか確かめにきたの」
「はいー?」
 あまりにもあっさりと言われてタイラントはぞっとすることも忘れた。唖然としてシェイティを見る。見られた彼は、少しばかりばつが悪そうにそっぽを向いた。
「どうしてそういうことを……!」
「言って何になるの。あなた、怖がるだけじゃない。扉を抜けた瞬間にカロリナがきてないのはわかったし」
「そういう問題かよ!」
「じゃあ、何が問題?」
 全部を話せ、とは言えなかった。言ってもいいのかもしれないが、いまのシェイティには少なくとも言うべきではない、タイラントは歯を食いしばってシェイティを睨みあげる。
「いいよ、わかった。それで、あとの用事って?」
「書庫で調べ物が一つ。それからカロリナの追跡」
「……追跡が先じゃ、だめ?」
 おずおずと言うタイラントを、おかしなものだとシェイティは見ていた。人間に戻ると言ったり戻りたくないと言ったり、一瞬先に彼が何を考えているのかがわからない。
 翻弄されている、とは思わない。眺めているだけで面白い。娯楽、とも思わない。側に置きたいとも、決して。
「だめ。調べ物をしない限り、追跡のしようがない」
「……そっか」
「あなた、ここにいる? 僕は書庫に行くけど」
「一緒に行くよ!」
「きても……あぁ、歌集がどっかにあったかな。探してあげる。それでも見てなよ。暇だろうしね」
 珍しく優しいことを言うシェイティが、わずかにタイラントは訝しかった。こくりとうなずいて、彼の腕から這い出して肩へと登る。その間にもシェイティは無造作に歩きはじめていた。




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