魔法を、この普通ではない力の扱い方を教えてもらえるのは、とても嬉しい。いったいどんなことができるのだろう、とわくわくもする。 だが、魔術師の一門に加わることが自分にできるのだろうか、それがタイラントは不安だった。 一門に、ではないかもしれない。そう思ってみれば確実に違うとわかる。リオンを見ればいい。シェイティがどこにいるかなどわからなかったくせに、探しに来た。様子を知ることができればそれでいい。そんなことを笑って言った。 シェイティは認めないだろう。だがそこには強い絆を感じる。そこに自分が割り込んでいくことに対しての、不安だった。 「なに考えてるのさ」 黙りこんだタイラントに思わずシェイティは声をかけていた。むっつりとしている竜を見ているのはつまらない。 「え……? あぁ、なにって! 君の答えを待ってるんじゃないか!」 大きな声でタイラントは怒鳴る。シェイティはそこにある違和感を感じ取ることができないほど、鈍い男ではなかった。同時に、他人の心を土足で踏みにじって喜ぶ趣味もなかった。 「待ってるって?」 「だーかーらー」 「水柱は魔法って答えてあげたじゃない。あぁ……、もう一つ?」 「そうだよ! なんで君に水の中でかなわないのかだよ、私が聞きたいのは」 人間だったならば、さしづめ唇を尖らせてそっぽを向く、と言うところか。竜のタイラントは歯を剥いてあらぬ方を見ていた。 「あなた、覚えてるかな。僕は氷系のドラゴンと相性がいいって言ったの」 「うん、覚えてる。それが?」 「魔法も、その系統が得意。わかる?」 「まぁ、なんとなく」 本当はまったくわかっていないだろう、とシェイティがわずかに睨めば虚ろな笑い声を上げて天を見上げた。 「わからないんだったら、知ったかぶりしないでわからないって言いなよ。教える手間が増えるだけじゃない。それで、わかるの、わからないの」 「わかるかよ!」 シェイティを見上げ、タイラントは吼え声を上げる。拍子に、白い息がぽっと出た。それを恐れるわけもなくシェイティは微笑み、まだその場に漂う白い息を指に絡ませては散り払う。 「氷の別の姿は?」 「別って……。ん、水?」 「正解。氷の魔法が得意ってことは、水系統も得意なのは当然。ちなみにもう一つの形は」 「えー、氷だろ、水だろー。あとは……湯気?」 「まぁ、間違ってはいないか。湯気でも霧でも霞でもいいけどさ。つまりは大気の中に細かく浮かんだ水だよね。それはわかる? そう。リオンがあなたと僕が馴染みやすいだろうって言ったのは、そういうこと。おわかり?」 最後のほうは、少しばかり茶化すような口ようだった。話された内容よりもなお、その口調がタイラントを驚かせる。 「水は、風に馴染む……」 「そう。あなた、リオンが言ったことの意味を聞きたかったんじゃないの。違ったんだったら、よけいなこと言ったかな」 首をかしげるシェイティに、とてつもない勢いでタイラントが首を振る。風を切る音がするほどのそれに、シェイティが笑った。 「僕はあなたの本質がどうのなんて知ったことじゃないし、だいたい見えないし。それにしては――」 「なんだよ。そんなところでやめられたら気持ち悪いだろ!」 「なんであなた、フロストドラゴンなんだろう?」 「はいー?」 「本質的に風だって言うなら、そっち系統のドラゴンでもよかったはず。むしろその方が自然。なんで?」 不思議そうに首をかしげていたシェイティが、タイラントを掴んで眼前に持ち上げた。あちこちひねって見ているのをタイラントは呆れて口を開く気力もない。 「あー、あれだよ。運命? 君に出会う運命ってやつ」 「ごめんね、僕の耳には聞こえなかったんだ。さぁ、タイラント。もう一度言って?」 目の前でにっこりと悪魔が笑っていた。タイラントはシャルマークで魔族に出会ったことなどなかったけれど、それはきっとこんな姿をしているに違いない。 ぶんぶんと首を振るタイラントをシェイティは冷たい目で見据え、馬鹿なことを言うなと釘を指す。黙ってうなずくタイラントの目には涙が浮かんでいた。 「ねぇ、あなた。怖いんだったら僕をからかうようなことはしなければいいんじゃないの」 「からかってなんかいないよ! 本心だ」 「……捨てようかな」 「シェイティー。捨てないでー」 可愛らしく目を潤ませて見上げてくる竜に、シェイティは顰め面をして見せた。が、次の瞬間にはこらえきれず笑い出す。 「まったく、あなたなんて大嫌いだよ、面倒くさい」 「そういうことは言わないでって言ってるじゃんか。ほんと、傷つく」 互いに顔を見合わせ溜息をつきあう。次いで顔を見合わせ、にんまりと笑う。が、タイラントは思わず仰け反った。 「なにしてるの」 「えー。逃げようかな、と」 「どうして?」 「って、君! いま、なんかする気満々じゃないか! これで逃げなかったら私は本気で阿呆だ!」 「でも、逃げないよね、タイラント?」 にこり、シェイティが笑う。つい、うなずきかけたタイラントは慌てて首を大袈裟なほどに振った。ここで乗ってしまっては、言い訳のしようもなくなる。 「逃げる逃げる。そりゃ、もう全速力で逃げるってば!」 「ふうん。じゃ……」 「ちょっと待った! シェイティ――」 止める声を聞かぬふり。シェイティは無造作にタイラントを掴んで高々と掲げ、そして。 「あれ、シェイティ?」 投げられるはずが、その場にいまだ留まったまま。不思議そうに首を伸ばしてシェイティを見れば、溜息をついている。 「どうしたの」 ゆっくりとおろされた。もう一度しげしげと自分を見ている視線を感じ、タイラントは落ち着かなくなってくる。 「リオンの大馬鹿野郎を、叩きのめさないとちょっと気がすまなくなってきたかも」 「シェイティ! 総司教様になんてこと言うんだよ!」 「あれの神殿での地位なんか僕には関係ない。馬鹿でとろい弟弟子ってだけだから」 「それはそれでいいけどさ。いや、よくないか……? まぁ、ちょっとおくとしてさ。おいといて……いいのか?」 うろたえてわけのわからないことを言いはじめたタイラントにシェイティはかすかな笑い声を上げた。改めて自分の膝の上に抱える。 「なにが言いたいの、さっさと言いなよ」 緊張して硬くなっているタイラントをゆっくりと撫でる。彼が膝の上で丸くなるまで。そうしたとき、シェイティは自分の心も静まったのを嫌でも感じた。 「なんで君が怒ってるのかな、と思って」 「理由はあなた以外になにがあるの」 「そりゃさー、間抜けだよ? でもいきなり怒られたって――」 抗議しようと体を起こしかげるタイラントをシェイティは指一本で押さえつけた。ぶつぶつと文句を言うタイラントの声を聞いている。それに笑みが浮かびそうになるのを、シェイティは知らずこらえた。 「そんなこと今更言わなくってもわかってる。そうじゃないの。あのクソ坊主はあなたの本質云々することで、僕が変わったって婉曲に言ったの。わからないだろうね、あなたには」 シェイティはそう言った。だがタイラントはに思い当たる節がある。節どころか、そのものずばりをリオンは言っていた。 「シェイティ……」 「なに、リオンはあなたにまでそんなこと言ったの」 「ん……まぁ」 「なんて?」 詰問されているわけではない。それでもタイラントは答えずにはいられない、そう感じた。頭上から降り注いでくる、圧倒的な存在感。シェイティが、そこにいる。 「……私が側にいるのを、君が許してるって、そんなようなことを言ってた。ほんとは、あんまりよく、わかんなかったんだ、総司教様がなに言ってるか」 「そう」 「うん」 言葉少なにシェイティはうなずき、忌々しいと思う。思うはずだったが、リオンを恨む気にはならなかった。 自分で彼の指摘どおりだと思っているせいだろう。膝の上のタイラントを撫でる。心地よさそうに声を上げているタイラント。 自分は、こんなことをする男だったか、と訝しい。舌打ちより先、タイラントの額をかいていた。 「運命、ね……」 「な、ほら! やっぱり君もそう思うだろ!」 途端に顔を上げてタイラントが生き生きとした目を向けてくる。綺麗だな、とシェイティは彼の色違いの目を見ていた。こんなに綺麗なのに、人間はなぜこれを嫌うのだろう、とも。 「思うわけないでしょ」 「だって、いま君だって言ったじゃんか!」 「あなたには皮肉って物がわからないの?」 「だってさー」 「運命なんてあやふやなものに頼りたがる気持ちがわからないね、僕は」 「君は強いからな……」 呟かれた言葉にシェイティは目を細める。じっと見つめれば、卑屈にタイラントが目をそらす。 「僕が、強い?」 「君は、強いよ。魔法がどうのっていうんじゃない。私が言ってる意味は、君だってわかってるはずだ。君は、とても強い。目が眩みそうだよ」 「真面目に言えないの」 「吟遊詩人に真面目を求めるな! って言うか、精一杯真面目! 言葉がきらきらしいのは、職業的な習性!」 叩きつけるよう言ってタイラントはそっぽを向いた。シェイティは、だから信じてしまいそうになる。ここまで自分をさらしたタイラントを、信じてしまいそうになる。 「職業的な習性、ね。だったら僕も自分の職に忠実に行こう」 一瞬にして怯えたタイラントにシェイティは微笑みかける。シェイティの目の奥がこれからするはずのことを如実に語っていた。タイラントは虚ろに笑って肝に銘ずる。可愛い笑顔なんて絶対信じない。 |