ミルテシアも、王都を離れむしろシャルマークに近くなってくるとなるとそこはもう辺境だ。一夜の宿を求めようにも村はなく、ミルテシアには乏しい木立を探したほうがまだ早いほど。
 二人が野営を決めたのも、そんな木立の一つだった。リオンと別れてよりずいぶん日が経っている。彼からせめてもと持たされた食料は疾うに底をついていた。
「シェイティー。ご飯はー」
 夕暮れの木立をタイラントは飛んでいた。普段は彼の肩にいることが多いものの、こんな夕風の吹く日には翼を風になぶらせたくもなってくる。それほど心地良い風が吹いていた。
「なにがいい?」
 シェイティもまた、この風に機嫌をよくしているらしい。尋ねる声はいつになく険がない。
「そうだなぁ。うーん」
「牛の丸焼きとか言われても無理だからね。豚の焼肉とか、羊の炙りとかも無理」
「わかってるってば! 鳥か兎だろ?」
「その通り。こんなところに他に何がいると思うの」
 いるからと言って捕まるものでもないはずなのだが、シェイティに限ってはそうではない。遠くより獲物を発見するなり魔法を飛ばすのだから、獣のほうは何が起こったかわからないうちに彼らの食料となる。
「あ、鳥みっけ」
「じゃ、それで決まりね」
「あ、ちょっと待てってば!」
「待たない」
 笑みさえ浮かべて言い放ち、シェイティは口中で呪文を唱えた。タイラントが見守るまでもない、氷の矢が飛んだ、と思ったときには獲物は地に落ちていた。
「はい、行ってらっしゃい」
「私は猟犬かよ!」
 言い返しはするものの、最近ではこれがタイラントの役目となっている。シェイティは決してタイラントの牙を獲物の生き血に染めようとはしなかった。
 するりと羽ばたいて鳥が落ちた辺りまで一直線にタイラントは飛ぶ。案の定、獲物はそこで息絶えていた。
 これも、いつものことだった。とどめすら、シェイティは刺させようとはしない。彼が間違っても口にしない気遣いに、タイラントの口許がほころぶ。もっとも、竜のそれだ。他人がもしも目にしたならば卒倒しかねない。
 鳥を咥えて飛び戻った場所に、シェイティはいなかった。はじめのころはうろたえたものだが、旅も長くなってくると慣れてくる。
「あ、みっけ」
 ありえないものを竜の目が見つけた。小さな氷の粒が落ちている。点々と、木立の中に続いている。シェイティの、目印だった。
 それに従ってタイラントは飛ぶ。いささか獲物が重たくなってくるころ、シェイティを見つけた。彼はすでに焚き火をして待っている。
「遅いよ」
「うるさいなぁ、こんなに遠くまで行ってると思わないじゃんか」
「だからなに? 街道沿いに座り込んで夜盗に襲われたいんだったらそうすれば? 僕はごめんだね。もしかして自殺願望ってやつ? まわりくどいの。言ってくれればすぐにでもきっちり殺してあげるよ?」
「そんなにまくし立てるなよ! 死にたくないよ! 自殺する気もない。君に理があることはわかったから、そんなに怒るなってば!」
「誰がまくし立ててるって?」
「……君が。もう、いいから! 私が悪かったから! ご飯にしようよー」
 吟遊詩人の哀願に、シェイティは鼻を鳴らすだけで少しの感銘を受けたようにも見えなかった。小さく溜息を一つ。タイラントは足元に置いた獲物を再び咥えてシェイティへと放り投げる。
 それをシェイティは手早く処理していった。さすがに鳥の羽根をむしるのは、タイラントの竜の前脚ではできない。
 いったいどこで覚えたのだろう、と思いはするもののタイラントは問えないでいる。それほどシェイティは手馴れていた。あっという間に鳥は串に刺さって焚き火の側へと突き立てられた。
「なぁ、シェイティ」
「なに」
「ここって安全?」
「とりあえずはね。なにか見たの?」
 きゅっと彼の口許が引き締まる。他愛もない、どこにでもいる青年の顔が、こんなときには精悍になる。
「違うよ。その、歌ってもいいかなー、と思って。さ」
 言ってタイラントは虚ろな笑い声を上げた。本人は照れて笑っているつもりだろう。シェイティは違いを聞き取る。
 これで一流の吟遊詩人だ、と言うのだから、笑えてしまう。演技は見え見えで、感情は筒抜け。それを思ってシェイティはくすりと笑った。
「いいよ、歌えば」
 気のない素振りでシェイティは言った。タイラントががっくりと肩を落とすのが視界の隅に映る。
 だが、シェイティは楽しみにしていたのだ。タイラントは吟遊詩人としてはたいしたものではないかもしれない。それでも歌だけは飛び切りだった。
 落ち込みから立ち直ったのだろう、タイラントが首をもたげる。夕闇はすでに夜に席を譲っていた。甘い夜風が木々の梢を揺らす。
 タイラントは語るよう、歌った。黙してシェイティは聞き入る。タイラントもそれにはさすがに気づいた。
 いっそう心をこめて歌い上げる、シャルマークの三英雄の物語を。ほんの少し、シェイティの唇が笑みを浮かべた。
「シェイティ?」
 長い歌物語だ。すべてを一晩で歌い尽くすことなどできない。タイラントが歌ったのはその中でも短い一節、英雄たちのひと時の安らぎを語る箇所だった。
 歌の中、英雄たちはこんな木立に野営したという。そのせいだろう、タイラントがそこを選んだのは。自分たちを彼らになぞらえる気など少しもないものの、なんとなく相応しいような気がした。
「間違ってるよ」
「え……なにが?」
「シャルマークの英雄は誰。言ってみなよ」
「そんなの簡単だよ! まずはミルテシアの末王子、カルム様。それからラクルーサのアレクサンダー、サイリルの両王子。な?」
 誇らしげに言うことでもないのだが、タイラントは胸を張ってそう言った。が、シェイティは仄かな笑みを浮かべるのみ。
「……違うの?」
 恐る恐る尋ねれば、シェイティは謎めかした目つきをする。彼の指がくるりと鳥の串を回した。
「ちょっと考えてみなよ。戦士が一人、軽戦士が一人。それから武闘神官。これで本気でシャルマークまで行けたと思うの、あなたは」
「だって! だから、すごいんじゃないか……シェイティ、違うの」
「もしもあなたが冒険をするとする。この面子に加えたいのは、誰?」
「誰って……。知らないし。まぁ、普通に考えれば、魔術師が、必要だよね」
 しかし彼らは魔術師抜きで大穴を塞いだのだ。それだからこそ、偉大なのだとタイラントは思い込んでいた。
 シェイティの顔つきを見るに、それが疑わしくなってくる。タイラントは想像する。そこに魔術師が加わったからと言って、彼らの偉大さに傷がつくだろうか。否。
「そう、いたんだよ。魔術師が一人、ね」
 タイラントの心を読み取ったよう、シェイティが言葉を発した。タイラントはあまりにもきっぱりと言われたせいで目を丸くする。
「見てきたみたいに言うじゃないか」
「僕が見たわけないじゃない。ちょっとは考えて物を言いなよ。僕じゃない、でも知ってる人は今でもいる」
「え……」
 大穴が塞がってより、二百数十年。そのようなはずはない。例外を除いては。
「そんな人間いるわけないじゃん。シェイティってば……」
 タイラントは笑い飛ばそうとした。が、シェイティの目が真剣だと語っている。すっと息を吸い込んだ。
「そう、人間だったら覚えていない。死んでるし。でもこの大陸にいるのは人間だけじゃない。半エルフだっている。まぁ、闇エルフもね。元は一緒だけど」
「そんな怖いこと言うなよ!」
「怖い? どこが?」
「だって……闇エルフって……半エルフって……。やっぱり怖いよ」
 それが普通の反応だろう、とシェイティはうなずいた。そうしてくれたことにほっと安堵するタイラントだったが、シェイティの仕種には裏がある気がして仕方ない。
 シェイティは、本気で恐れても仕方ないと思ってくれたのだろうか。むしろタイラントには理解されることのない失望に見えた。
「シェイティ。シャルマークの英雄の、もう一人って」
「そう、半エルフの魔術師がいた」
 ゆっくりとシェイティはうなずいた。だからやはり、あれは失望だったのだとタイラントは気づく。とても酷いことをしてしまった気分だった。
「どんな人?」
 明るく言えば、シェイティが呆れた顔をした気がした。焚き火のせいだろう、彼の表情がいつも以上に読みにくい。
「さぁね、知らないよ」
「だって!」
「直接知ってるわけじゃない。僕が知ってるのは、彼の友達だった半エルフ。彼は……とっくに旅に出たって言うよ」
 まるで自分もいつか旅に出てしまいたいとでも言いたげな口調だった。タイラントも吟遊詩人の常として、半エルフが帰らない旅に出る、と言う伝説を知らないわけではなかった。それでもこうして聞いてみれば、驚く。
「ミルテシアで、魔法が発展しなかったのは、それが理由なんだけどね。知らないでしょ?」
「なにそれ!」
 そのような話を聞いたことはない。タイラントは吟遊詩人として何も知らないわけではなかった。それでもミルテシアに昔、魔術師が絡む諍いがあったとしか知らない。そのせいでミルテシアでは魔法が発展しなかったのだと。
「シャルマークに行った半エルフ、リィ・サイファと言う魔術師だけど。彼はカルム王子の恋人だったんだよ。王子は、名誉も玉座も放り出して彼を選んだ。だから、ミルテシアでは半エルフも魔法も排斥される。気が長いよね、もうあれから二百年じゃきかないのにさ」
 肩をすくめてシェイティは言った。タイラントは初めて聞く話であったにもかかわらず、それが事実なのだと悟った。シェイティが語ったからではない。たぶん、それが人間の本性だからだ、と感じていた。




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