二人が戻ったとき、シェイティはベンチでぼんやりしていた。中庭の草花を愛でているようにも見えただろう、彼を知らない神官の目には。 タイラントはリオンの傍らを飛びながら、息が詰まるかと思った。こんなに独りきりの彼は見たことがない。 まるで世界のすべてから見捨てられたかのような顔をしている。決してそれを彼自身が認めはしなくとも。 「気がつきましたか」 静かな声でリオンが言う。タイラントは黙ってうなずいた。 「――離しません」 リオンに言われたこと。何があっても彼の側を離れない。シェイティに、一人きりではないと教えることは自分にはできないかもしれない。荷が重い、そうも思う。 それでも側にいることはできる。黙ってじっと側にいれば、嫌でもいつかは知ってくれるだろう。情けないと思いはしても、自分ごときその程度の人間だ、とタイラントは思う。 「シェイティ! ただいまー」 明るい声を作ってタイラントは彼の肩へと飛び乗った。二人に気づいていなかったのだろうか、シェイティは驚いた顔をしたけれど、タイラントはそのようなことはないはず、と思っている。 見せてくれたのだ、と不意に悟った。いままで多少なりとも気を許した人間にしか見せてこなかった顔を、自分にも見せてくれたのだ、と。 「うるさいな、耳許で怒鳴らないでよ」 言いつつシェイティの指がタイラントの額を撫でる。無言で微笑むリオンにシェイティは厳しい顔をした。 「なに見てるの」 「いいなぁ、と思って」 「なにが?」 「言うとあなた、怒りますしねぇ。どうしようかなぁ。ほら! そうやってすぐ怖い顔をする。言いますよ、はいはい。よくお似合いだなって――」 茶化しているつもりはきっとリオンにはないのだろう。もしもそうならばこんなに恐ろしい人もいない、とタイラントは肩に止まって呆れていた。 「そうじゃないですって。変なことを言ってるつもりは無いです」 「どこが? ボケたことぬかすと、刻んで捨てるよ」 淡々と言い放ち、シェイティはけれどにんまりと笑った。タイラントはそっと溜息をつく。二人はどうやら、言葉遊びをしていただけらしい。 「だから、あなたの本質とよく響きあって、いいなって、そういう意味のことを言ったつもりなんですけどね」 「そうは聞こえなかったけど。言い方が悪いんじゃない。そんなことでよく総司教なんか務まるね。信徒も可哀想に」 「その辺は諦めてもらうしかないですね、お選びになったのは我がエイシャですし」 「あの……。総司教様? 本質が響きあうって、その」 二人の言い合いの間にタイラントは割って入る。放っておいてもよかった。もう少し、くつろいでいるらしいシェイティを見ていたかった。 だが、リオンの言葉が気にかかる。やはり魂の奥底まで自分は吟遊詩人だ、と思った。知らない言葉が気になって仕方ない。 「なに、あなた知らないの。メイザ女神を信仰してるくせに? エイシャの神官が何できるかくらい、知らないわけないと思うんだけど」 「それは知ってるってば! 愛すべきエイシャの神官様たちは、人間の本質を見るって。姿形ではないその人そのものを見るんだろう? それは、わかってるんだってば」 「ならば、あなたがわからないのは響きあう、と言うところですか?」 温顔のリオンが尋ねてきたのにタイラントは興味津々と言った風にうなずいた。シェイティが渋い顔をしているのにも気づかない。 「シェイティの本質は……言いえて妙と言いますか。いまの名のとおりですねぇ」 「師匠が昔そう呼んだんだよ」 「あぁ、なるほどね。あの人らしい、暴言ですね。……可愛い」 くすり、と笑ってリオンが口許を覆う。シェイティは黙って天を仰いだ。その様子を見るに、どうやら可愛い、と評したのはシェイティではなく彼の師のことだろう。 タイラントも知らず、天を仰いでいた。暴言が可愛いと言われるような男など、想像の外だ。いかに豊かな吟遊詩人の想像力をもったとしても。 「シェイティは、私の目にはね、小さく凍った氷にも似た存在です」 笑みを収めてリオンは言う。どんな顔かとタイラントが見れば意外な程に真顔だった。 「別にシェイティが冷たい人、と言う意味ではありませんよ。そのような輝きだ、と言うだけのことです。転じてあなたは――」 言葉を切り、リオンはちらりとシェイティを見やった。興味のない顔をしてどこかを見ている。が、リオンには長い付き合いでわかっている。思いがけず真剣に、耳を傾けていると。 「例えれば、風のようでしょうか。あなたは柔らかい緑の風にもなれる。冷たい冬の風にもなれる。とらえどころがない、と言う意味でもありますがシェイティには、相応しい――旅の道連れでしょうね」 わずかに言いよどみ、リオンは微笑んだ。タイラントには聞こえない言い換えた言葉が聞こえた。潤みそうになる目を瞬けば、ぺしりと額が叩かれる。 「なにするんだよ! 痛いじゃないか」 「気のせいだよ。僕はなにもしてない」 「しただろ! 叩いただろ!? 痛かったんだからな、シェイティ!」 「そんなに喚くほど痛かったわけないじゃない」 「ほら、叩いたことわかってるんじゃないか。とぼけるなよ!」 そこまで言って、タイラントは笑ってしまった。八つ当たりをされたのだとわかっていた。 リオンの言葉に思い当たることでもあるのだろう。それを彼には言えないで自分に当たった。これがタイラントに喜びをもたらさないはずはなかった。 「まぁまぁ、その辺で。シェイティ、このあとどちらへ?」 「とりあえず、シャルマーク方面」 いまだむっつりとしたまま彼は言う。タイラントはわずかに不思議に思う。彼には何も言わないのか、何も聞かないのか、と。 「リオンに言うと、師匠に筒抜け。だから細かいことは内緒なの。僕は師匠の後始末までしたくない」 タイラントの物言いたげな気配に気づいたシェイティの言葉だった。こくり、とうなずいただけのタイラントが何を考えているかまでは、わからなかったものの。 肩の上からは、満足げな気配だけが伝わってくる。何が嬉しいのか悲しいのか、また涙ぐみでもしているのだろう。感情豊かな吟遊詩人の感性が、多少は鬱陶しい。 自分に、ないものだとわかっているからこその思いだった。それを悲しいとはシェイティは思わなかった。 欲しい、手に入れたいとも思わない。ただ、それでも側にあると少しだけ心が弾む。そんな自分をシェイティは厭うた。 「シャルマーク方面ねぇ。大穴は開いてませんよ? また開きましたかねぇ」 「あんなもんとっくに塞がってるでしょ。馬鹿なこと言わないで」 「ただの冗談なのに……」 しょんぼりとするリオンに冷たい一瞥をシェイティは投げ、ふっと口許だけで笑った。 「とりあえずって言ったでしょ。別にシャルマークの奥に行くつもりはない。いまのところは、ね。予定が変わらないことを祈ってて」 「もちろん。あなたがたの無事を祈ってますよ、私の身の安全のためにね。あなたに何かがあったりしたら、絶対銀の星に殺されます、私」 珍しくシェイティが声を上げて笑った。否定はしない、と言うことはそのくらいのことを彼の師はしかねない、と言うことか。 ぞっとした。仮にも恋人に剣なり魔法なりを向ける男というものが想像できない。それを平然と受け入れているリオンがわからない。 「返り討ちにならなきゃいいけどね」 「私が彼を殺すかですって? 嫌なこと言いますねぇ、あなた。でもなぁ、あの人が本気になったらちょっと死んじゃうかも、私。死にたくないですからねぇ。相打ちかなぁ」 真剣に互いの技量を考えているらしいリオンにタイラントは目を見開いた。唖然として声もでない。 「どんな人たちなの、シェイティ……」 「見たまんまだよ、変なやつらでしょ。呆れるね」 「まぁ、うん……」 シェイティにまで言われては、リオンも形無しだろう。だが、タイラントはシェイティに同感だった。 先ほど二人きりで話したときと同じ人物か、とタイラントは我が目を疑いたくなってくる。違う人物だとは思えない。 思えないけれど、やはり自分に話したときとシェイティに話すときとでは何かが違う。信頼の差か、とも思った。 リオンにとって自分は突然現れた得体の知れない何者か、だろう。シェイティの信頼を勝ち得ているらしいリオンにとって、彼を託すに足る人物かどうかわからなくとも当然だ、とタイラントは思う。 「タイラント」 物思いに沈みそうになるタイラントを目覚めさせたのは、リオンの声だった。わずかにぴくり、とシェイティの肩が動く。無言で指が伸びてきては額をするりと撫でていった。 「シェイティを、よろしくお願いしますね」 タイラントはもしも人間の体のままだったなら、これ以上赤くはなれないだろうほど赤い顔を見られてしまったことだろうと恥じる。 いまだけは心底、竜の体でよかった。真っ赤になったとしても人間の目には気づかれない。もっとも、本質を見ると言うエイシャの神官の目には、明らかだったかもしれないが。 「なに馬鹿なこと言ってるの。よろしくお願いされるのは僕であってこれじゃないでしょ。面倒見てるのは僕だよ」 「それでも私はタイラントに言いたいですねぇ。とんでもない人ですけど、見捨てないでくださいね」 「絶対に!」 高らかに宣言したタイラントの額が思い切りよく叩かれた。思わず呻いて肩から転げ落ちそうになる。シェイティの腕がそこを掬い上げた。 「ちょっと。そこは否定するところじゃないの。誰がとんでもないって?」 「君、もしかして自覚はないの」 「……うるさい」 言った途端、揃ってタイラントとリオンが吹き出した。不機嫌そうにそっぽを向いたシェイティを一瞥したリオンは、タイラントが目を疑うほど穏やかな顔をしていた。 「さぁ。不本意でしょうが、私の祝福とともにお行きなさい」 静かにリオンが手を掲げた。唇から祈りの言葉が漏れだす。ふっと温かいものに包まれた気が、タイラントはした。シェイティとともに。それが何より嬉しかった。 |