神官は、何を言うこともなくシェイティを案内していく。タイラントにはどこに向かっているかのすら定かではなかった。 いま、シェイティと言葉を交わすことができないことだけは、よくわかる。せめてもの慰めに辺りを見回せば、段々と静けさが増していった。 どうやら、とタイラントは見当をつける。神殿の中庭に向かっているらしい。普通ならば、信徒であっても入ることはない場所だ。いまは神官もいない。礼拝が終わったばかりでまだ神殿の中にいるのだろう。 「では」 一礼して神官が下がる。シェイティも無言で礼を返した。タイラントがいったいここで何が、と思う間もなかった。 神殿の影から一人の男が姿を現す。シェイティにはわかっていたのだろう、だがタイラントは息を飲む。まるで考えたこともなかった人がそこにいた。 「さぁ、リオン。説明しなよ。なんであなたがここにいるの」 現れたのは、総司教だった。それよりも何よりもシェイティの設問調の声にタイラントは驚く。 「シェイティ! 総司教様に、なんてことを……」 「うるさい」 「でも! あ……」 今更だったが、つい総司教の前で喋ってしまった。肩の上から彼を窺えば、ぼんやりとした笑みを浮かべて穏やかな目をしていた。 「シェイティ? あぁ、いまはそう名乗っているんですか。あなたらしいですね。とても素敵だ」 「うるさいよ、だまんな」 「おや、黙っていいんですか?」 にこりと笑ってリオンと呼ばれた総司教はそう言った。シェイティを覗き込めば嫌な顔をしている。どうやら、相性がよくないらしい。 「シェイティ……。その口のききかたは、ないと思う」 「いいの。僕のほうが立場が上だから」 「そう、なの?」 「そうなの。いいから、あなたは黙ってて。それで、リオン。白状しなよ」 つい、とシェイティがリオンに指を突きつけた。思わず仰け反るリオンだったが、タイラントにもそれがただのふりだということがよくわかる。 「白状も何もねぇ。私、エイシャの総司教ですし。神殿をまわるのは私の務めなんですけどねぇ」 「わざわざこの時期にミルテシアの神殿に? 馬鹿なことを言わないで。さっさと言いなよ、殺すよ?」 「それはご勘弁願いたいですねぇ。ところで」 「なに」 「シェイティ、と言うことは。あなた、そこの彼に素性を隠している、と言うことであってますか?」 「あってるよ。これが僕のことを知る必要はないから。別に話したいとも思わないし」 タイラントは声も上げられないほど驚いている自分を発見していた。あまりにも驚きすぎると、反って何も感じないものだな、などと思う。 リオン総司教は、特に疑問を持つこともなく自分を彼、と言った。それはすなわち自分を竜ではないと見抜いていると言うことではないだろうか。タイラントは恐る恐るリオンを見やる。 「あなたがドラゴンじゃないことはわかってますよ。私、エイシャの神官ですから。人の本質を見ます。あなたの本質は素敵ですね」 「またそういうことを言う。だから僕はあなたが嫌いなの」 さも嫌そうにリオンを見やって言ったシェイティに、タイラントは気づく。シェイティが似ていて嫌だ、と言った相手は間違いなくこのリオンなのだろう。驚きと共に戸惑っている間にシェイティは吟遊詩人のタイラントだ、とリオンに告げていた。竜の、ではなく。喜んでいいはずなのに混乱する。 シェイティが、わからなくなりそうだった。エイシャ女神の信徒は、確かに多くはない。だからと言って総司教が偉大でないわけではない。 その総司教と対等に会話をし、自分のほうが立場が上だと言い放つ。いったい彼は何者なのだろう、と思う。この期に及んでも隠したい素性とは何か、と思う。 思えば思う分、話す必要はないと言ったシェイティの心が突き刺さる気分だった。 「でも、素敵ですよ。まぁ、私の銀の星には敵いませんけど。あんなに素晴らしい人は他にいないですし」 「言ってろ。それよりここにいる理由を聞いてない」 ぴしりと叩きつけてシェイティはリオンを睨む。睨んでいるはずなのに、彼の顔を覗き込んだタイラントには、悪意が見えない。 あるいはそれは、嫌いだと言いつつもシェイティがリオンを信頼している証なのかもしれない。 「あなたの師匠ですよ。まったく、心配なら心配だと言えばいいんです。言えないで苛々するから、周りの被害は甚大ですよ。仕方ないから神殿の巡回にかこつけてあなたの様子を窺いにきた、と言うことです。まぁ、直接会えるとは思ってませんでしたけどね」 意外とあっさり言ったものだ、とシェイティはリオンを訝しそうな顔で見る。他にも理由があるのではないか、とでも言うように。 それをリオンは肩をすくめただけでいなした。二人の無言のやり取りが、タイラントは羨ましくて仕方ない。 「苦しい」 苦々しげにシェイティが言う声が耳に届いて、ようやく彼の首に巻きつけた尻尾に力が入っているのを知る始末。 謝ろう、と思ったときにはその尻尾を撫でられていた。あ、と思う。口調を裏切った仕種はいつものことだった。だが、今は違う。いつもよりもっと、優しい手。タイラントの甘えた声がシェイティの耳にかすかに聞こえた。 「あなたこそ。私がいるのを知ってて、よく顔を出しましたね」 「まぁね。頼みたいことと伝言があるから」 「伝言? あなたの師匠にですか」 「他に誰がいるの。考えて物を言いなよ」 叩きつけるよう言ってシェイティは言葉を切る。少し考えているところを見れば、タイラントには通じないよう、それでいて確実に伝言できる言葉を探しているとしか思えなかった。 「……師匠の盗難品を見つけたかもしれない。見つかったら回収してから帰るって言っておいて。たぶん、間違いなく見つけたと思うけど」 「例の、あれですか。ちなみにどこに?」 リオンの顔が一瞬引き締まる。それをタイラントは見た。見られているのを感じたのだろう、わずかのうちに茫洋とした顔に戻る。 「それがわかってるならもうここに持ってると思わないの、あなたは。だからボケなんだって、気づきなよ」 「そう罵っていいのは私の銀の星だけですよ。あなたはだめです」 「それ、やめなよ。気色悪い。影であなたにそんな風に呼ばれてるの知ったら、何が起こるかちょっと想像できない」 「やだな、シェイティ。あの人だったら知ってますよ? 時々、そう呼びますし。主に、他人の耳のない場所で、ですが」 どうやら銀の星呼ばわりしている人間は、リオンの恋人か何かなのだろう。にんまりとしたところを見れば、どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。 理解したタイラントが含羞む暇もなかった。シェイティが一足でリオンの元へと飛び進む。タイラントが声を上げるより先、リオンの喉元にはあのシェイティの剣が突きつけられていた。 それだけならば、驚きに麻痺してしまったタイラントは驚かなかったかもしれない。喉元に達する剣を弾いたもの。シェイティより先に、リオンの手にはハルバードがあった。 「遅いですね」 温顔ににこりと笑みを浮かべて言ったリオンは、それだけでハルバードを収める。いったいどこに持っていたのだろう、とタイラントが見つめるうち、武器は宙に溶けて消えた。 シェイティもまた、舌打ちをして剣を消す。してみれば、二人の武器は同じような性質を持つ魔法の産物なのかもしれない。いずれにせよ、タイラントの想像の外だった。 「それはともかく。あなたは他の用で大変でしょうに。回収は、本人に任せては?」 まったく何事もなかった顔でリオンが言った。シェイティは、どんな反応をするのだろう、とタイラントは彼の顔を覗き込む。そこで見たものは、タイラントを悲しませるに充分なものだった。シェイティは穏やかに笑みを浮かべていた。 「ねぇ、リオン。あなたそれ本気で言ってるの。本気だったら、軽蔑する」 「言ってみただけですよ。ミルテシアに乗り込まれでもしたら、大変なことになりそうですしねぇ」 「大変! そんなもんですむもんか。ラクルーサの魔術師が、ミルテシアで暴れることを考えなよ。冗談抜きで外交問題……下手すりゃ戦争だよ?」 「ですねぇ。それは避けたいですねぇ。私、平和ないまが大好きですし」 「あなたが普通かどうかはおくとして、それが普通の反応だね」 一々リオンには反論せずにはいられないシェイティに、タイラントは微笑ましくなる。それだけ、切なかった。こうして、本来の彼を知っている人を相手にするシェイティを見てみれば、よくわかる。 どれだけシェイティとの間に深く広い溝があるのかが。高く聳える壁があるのかが。タイラントは壁の側にいくことすら、許されていない。思わず鉤爪に力が入りそうになって、タイラントは歯を食いしばる。ゆっくりと呼吸をして、シェイティに尋ねた。 「なぁ、シェイティ。やっぱり、お師匠様に任せるわけには、いかないの。私を優先しろって言うんじゃないけどさ、君が大変なのは、ちょっと見てて、つらいかなってさ」 「別に大変じゃない。師匠の後始末するほうがずっと大変」 「後始末?」 通常、後始末と言うものは、師匠が弟子の面倒をみるものであって、逆ではないはずだ。だが見ればリオンも深々とうなずいている。 「ねぇ、あなた。僕の師匠が仮に盗難品を見つけたとして、どうすると思う?」 「どうって、そりゃ……」 「なに? 考えてないならそう言いなよ」 言ってぷい、とシェイティは顔をそむけた。不意に、なぜかタイラントは嬉しくなる。シェイティにとって親しい人物の前で、いつもどおり接してもらえたせいだ、とはあとになって気づいたこと。いまはひたすら嬉しいだけだった。 「リオンは。どう思うの」 「そうですねぇ、関係者一同集めて――」 「イルサゾート一発どん。終了」 「……同感です」 二人言い合って、同時に溜息ついた。タイラントには何を言っているのかはわからなかったけれど、深刻なことだけは、よくわかる。 きゅっと、胸が痛くなった。二人にわかることが、自分にはわからない。会話の中に入っていくこともできない。取り残されたタイラントは、シェイティの肩の上で一人だった。 |