すっとシェイティの表情が硬くなったのにタイラントは気づいた。メグは何事もなかったよう、笑っている。それがタイラントは誇らしく、同時に哀しい。
 短くとも、濃密な付き合いをしてきたからこそ、シェイティの表情に気づくことができた。ならば、それは本来彼が隠したいことであったはずだ。
 なぜそこまで自分と言う存在を消そうとするのだろう、そう思うとタイラントは哀しくなってくる。
 間違ってもシェイティを優しい、と言うつもりはない。厳しいわけでもない。それでも彼には芯がある。
 真っ直ぐな、自分というものを持っている。タイラントはそう思う。それは自分にないものだ、とも。
 タイラントは吟遊詩人で、誰にでも調子を合わせ、請われればなんでも歌う。それがたとえ己の望みとは違っても。
 それを不思議にも思ってもこなかった。当たり前の現実だ、と思って気にも留めてこなかった。
 シェイティを知ったいま、なんと自分はふらふらとした生き方をしてきたことか、と思う。彼のよう、確固たる自分を持ちたいと思う。
 気づけば、彼と言う人間に憧れていた。もっとシェイティを知りたいと思う。
 タイラントの視線がメグと笑みを浮かべて語り合うシェイティへと流れる。
 ずきり、とした。胸が痛むなど、初めてのこと。そして知った。憧れではないと。
「なに見てるの」
「え……! なに、なんでもないってば! 見てない、見てないって!」
「別にどうでもいいけど。なに慌ててるの」
「あ、慌ててないよっ!」
 言った途端、メグが笑った。シェイティには気づかせないよう、そっとタイラントにだけ向けて片目をつぶる。
「さぁ、晩御飯にしようよ。タイラント、手伝っておくれ。あぁ、シェイティ。あんたはそこにいるんだよ、いいね」
 彼に反論を許さず、よろりとメグは立ち上がる。すかさずタイラントは彼女の側を飛んだ。
「メグ」
 台所でそっと声をかけた。ためらいだ、と自分でもわかる声だった。
「黙っててあげるともさ。心配は要らないよ」
「メグってばー」
 困り声のタイラントにメグは微笑みかける。優しげな顔のくせ、皺くちゃの顔は茶目っ気に満ちていた。
「あの子は……なにかあったんだろうねぇ。素直な子に見えるんだけどねぇ。あんたのことは気に入ってると思うよ、あたしはね。ただ……」
「気にいってるのは、このドラゴンの体だよ」
「そうだろうね」
 自嘲したタイラントに、メグはあっさりと同意した。慰めて欲しかったわけではないけれど、そう言われると情けなくなってくる。
 しょんぼりと翼を畳んで棚にとまったタイラントの額をメグがちょん、と突いた。
「きっと、人間に戻ったら、嫌われちゃうだろうなぁ。このまま、ドラゴンでいようかな……」
「そんなことお言いでないよ。あんたはあんただろ、タイラント。姿形がなんだい。そんなこと関係ないって、あの子に言わせてご覧よ。情けない子だね、まったく」
 つるつると、一息に叱られてしまった。いっそう肩を落としたタイラントにそれでもメグは微笑む。
「いつかきっと、あの子もわかってくれるさ」
 そう言って。タイラントは目を上げ、彼女を見る。不意に悟った。理由などわからない。意味など知らない。それでもメグはシェイティが信用する、と言った人間だ。それが腑に落ちた。
「ん……努力、しようかなー。ねぇ、メグ。あんまり、その……驚かなかったね。私、一応、人間だったときには、男なんだけど」
「なに、今でもちゃんと雄のドラゴンに見えてるさね」
 からりと笑ったメグに、タイラントは度肝を抜かれてしまった。一目で自分を火蜥蜴ではない、と見抜いた彼女ではあったが、雌雄の別まで区別がつくとは。
 実際、タイラントは竜の姿をしているにもかかわらず、竜の生態をさほど知りはしない。見ただけで雌雄など、わかるはずもない。それが、アルハイド大陸に暮らすものの、普通の知識だった。
「言っただろ、あたしは娼家の出さ。男も女も関係ないやね」
 なんでもないことのよう言ってメグは肩をすくめた。タイラントは返す言葉がなかった。何を言っても下手な慰めにしかならない。
 呪いをかけられてみてはじめて知った、自分と言うもの。華やかなだけの吟遊詩人の生活では、知り得なかった数々のこと。
 詩人の自分は、どのような言葉でも操ることができたはず。どんなときでも相応の言葉を投げ返すことができた。
 いまは。タイラントは惨めだ、とは思わなかった。ぐっと腹に力が入る。
「そう、その意気だよ、タイラント」
 元気を取り戻した、と彼女は思ってくれたのだろう。だが、違った。タイラントはこの経験で知り得たものを糧にしたい、必ず歌にする、その思いを固めただけだった。
 歌にしたい、と思わなかったわけではない。いままではふわふわとした願望だっただけだ。いまは違う。夢ではなく、必ず来る明日だった。
 だからそれは、ある意味では元気を取り戻した、と言っても間違いではなかったのかもしれない。タイラントの色違いの目がきらきらと輝く。
「シェイティ、ご飯だよー!」
 棚から飛び立ち、彼の肩へと納まったタイラントは張りのある声を取り戻していた。

 ゆっくりと、食後の茶を楽しんでいた。ミルテシアの料理は、シェイティにとって馴染みがない。芋を茹でて潰して粉を混ぜてもう一度茹でてソースをかけるのならば、はじめから茹でた芋にソースをかければいい、と思う。
「それがラクルーサの料理かい? 無骨だねぇ」
 そうメグは笑ったけれど、シェイティはミルテシアの料理は面倒なだけだ、と思う。ふと気づく。
「料理……僕の周りって料理の上手な人がいた例がないや。あぁ、菓子作りだけは上手っていうのが一人いるけど」
「なんだいそりゃ。お菓子が作れれば、料理なんかどうってことないだろうに」
「だよね、僕もいまそう思った。あれは、やる気がないだけかも」
 くすくすと笑うシェイティをタイラントは見るともなしに見ていた。菓子作りの上手な人、と言うのはどんな人間なのだろう。菓子、と言うからには女なのだろう。シェイティの身の回りにいる人々が、憎らしくて羨ましい。
「私、上手だよ! 食べさせてあげたいなぁ。君の食生活って悲惨そうだもん」
 ぐっとこらえて言うタイラントに、シェイティは訝しげな視線を向ける。何か上調子で、本心で物を言っていない気がする。
「ドラゴンの料理って、生肉とか? さすがに火の通ったもののほうが、好きなんだけど」
「シェイティ! 私は人間だって言ってるだろ! ちゃんと料理くらいできるんだからな。吟遊詩人は旅暮らし。一人で料理ができなかったら、街についたとき飢えてみっともないだろ。美貌が曇っちゃう」
「美貌? 誰が? 僕、見たことないし」
 茶化して言った言葉に乗ってきた。それだけでタイラントは嬉しくなってくる。抗議の代わり、と見せかけてタイラントは彼の肩の上で甘えていた。
「もう、鬱陶しいなぁ。……メグ、話は変わるんだけど」
「あいよ、明日は出て行くってことかね?」
「まぁ……ね」
 なんとなく言い出しにくかった自分を気遣ってくれたのだろう、とシェイティはメグを窺う。皺だらけの顔が笑っていた。
「それで、聞きたいことがあるんだ。あなた、目は確かそうだしね」
「年はとっちゃいるけどね、まだまだ目は利くよ」
「わかってるよ」
 二人の視線がタイラントに向く。突然、話題の中心にされてしまったタイラントはどきりとして目を瞬かせていた。
「これが火蜥蜴じゃないって見抜いたあなたの目だからね」
 まるで説明してくれたようだ、とタイラントは思った。思う側から胸の中が温かくなる。シェイティが、この自分を気にしてくれている。くるりと彼の首を尻尾で巻いて、タイラントは目を閉じる。
「ねぇ、メグ。ドラゴン、見なかった?」
 彼の言葉に、閉じたばかりの目を慌てて開いたタイラントだった。気配を察知したのだろう、シェイティがかすかな溜息をつく。
「あなたのことだって、わかってるの。僕、やめちゃってもいいんだけど?」
「ごめん! そうだ、私のことだった。すっかり、その……」
「あたしのところに馴染んじゃったものねぇ、あんたも」
 メグが笑っていながらちらりとこちらを見た気がして、言葉の含みにようやく気づく。どうやら自分も馴染んだ、と言っているらしい。反発するより先に、そうかもしれない、と思ってしまう。
「なんかさ、このままでもいいかな、とかさ。思ったりね。でも、人間に戻りたいしさ、歌いたいんだよ、やっぱり、私」
 まるで自分の心のうちのようだ、とシェイティは軽く唇を噛んだ。このままタイラントが竜でいればいい。人間になど、戻したくない。心のどこかでそう思っている。
 思うからこそ、タイラントを人間に戻すと決めた。シェイティはそっと微笑む。
「だから、メグに聞いてるんでしょ。寝てるの、あなた。起きれば?」
「そんなこと言うなよ! 起きてるよ!」
「うるさいな、耳許で怒鳴らないでよ。それで、メグ」
 シェイティの柔らかい視線がメグを射抜いた。この場に留まってしまえばいい、二人でここで暮らせばいい。言いかけた言葉が口から出ないうちに消されていく。
「あぁ、見たよ。でっかいドラゴンだったね」
 仄かな溜息まじり、メグは言った。シェイティが、感謝するよう視線を下げる。それをメグはかすかな驚きと共に見つめた。
 どちらへの礼か。情報か、それとも。メグにはわかりえないことだった。
「シャルマークを目指して飛んでるように見えたね。方角は――ちとシャルマークとは違うかねぇ……うーん、あんたたちどっちか、サール神殿の場所は知ってるかい?」
「私が知ってるよ!」
 それははじめて得られた、具体的な情報だった。不安もためらいも、ぱっと吹き飛ぶ。二人ともが。決して語り合うことはなかった。だが、二人とも、初めて心の内側で同じことを感じていたのだった。




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