まるで呪詛のよう、タイラントが絶え間なく文句をたれていた。もっとも、手鍋の上で羽ばたきつつ匙を使って中身をかき回しながらなので、様にならないこと甚だしい。
「黙ってやんなよ」
「うるさいなー。文句言うくらいいいだろ。ほっといてくれよ」
「耳障りなんだけど?」
「そりゃ、光栄で」
 ふん、と鼻を鳴らした竜を、メグが台所で笑っていた。つられて笑ってしまったシェイティを、タイラントがじろりと睨む。
 気づかないふりをして、シェイティは鍋の中に残りの薬草を投げ込んだ。
「ねー。まだー」
「いま薬草いれたばっかなの、見てなかったの」
「そりゃ、……見てたけどさぁ」
 いい加減、疲れてきたのだろう、タイラントの表情は曇っている。それでも必死に鍋の中をかき回しているあたりが、なんだかシェイティは可愛い、と思う。
「代わってあげようか?」
「いいよ」
「そう?」
「……君は、怪我人だろ。いいよ、私がやるから」
 むっつりと言ってタイラントは以後、黙った。時折、匙が鍋にあたる音だけがする。
 悪くない気分だな、とシェイティは思っていた。同時に、とてつもなく居心地が悪い。こんなに和やかな時間がすぎていくなど、想像をしたこともない。どう考えてもこれは悪夢だ。そう思ってしまう自分を嗤う。
「いいよ」
 どれほど経ったころのことだろうか。鍋の中はちょうどよく煮詰まって、薬草は溶けて形をなくしていた。
「もういいの?」
「いいよ、お疲れ様」
 いったい何をやらされていたのか、タイラントにはちっともわからない。それでもシェイティがぽろりと漏らした感謝の言葉に疲れが吹き飛ぶ思いだった。
「メグ。軟膏いれる容器、ある?」
「その辺にあるよ、探してご覧な」
「うん、ありがと」
 言ってシェイティがベッドを降りようとした。タイラントは慌てて彼に飛び掛る。その拍子に翼で顔を打たれたシェイティが顔を顰めた。
「なにするの」
「それはこっちの台詞だろ。なにしてるんだよ、怪我人!」
「別に……もう」
「平気じゃないだろ。メグがまだ平気って言ってないじゃんか。私がする。どこで何を探せばいいの」
 疲れ切って顔色も悪い、らしい竜の必死の言葉にシェイティは仄かに心が和むのを感じる。いつの間にか竜の顔色を読めるようになっている。それもこれもメグのせい、と言ってしまいたいほど、シェイティは内心で動揺していた。
「……蓋つきの容器。これが入れられるような、できれば、硝子の」
 渋々といった体で言うシェイティを一瞥し、タイラントは棚へと飛んでいく。本当は、飛びたくないほど疲れている。
 それでもシェイティのために何かをしたかった。自分にできることなど、たかが知れている。ならばできることを。タイラントはそう決めていた。
「これで、どう?」
 ようやく一つの容器を探し出す。受け取ったシェイティは蓋を開けて確かめたり、匂いをかいだりした後、こくりとうなずいた。
「いいよ。ちょうどいい」
「そっか。よかった」
「……うん」
 ためらいがちな声が、何にきざすのかタイラントにはわからなかった。それでも伏せた目が優しく見えて、少し嬉しくなる。
「なに?」
「え、なにが?」
「なにじっと見てるの。ドラゴンに見つめられてうっとりする趣味はないんだけど」
「シェイティ!」
 怒鳴ったのは、たぶん照れ隠しだ、と自分で気づいてしまった。だから言葉が続かない。幸い、シェイティはただからかっていただけらしい。それ以上何を言うこともなく、容器に軟膏を詰めはじめた。
「シェイティ。あんた、何してるのさ?」
「うん……ちょっと、待って。タイラント。何か書くもの」
「はいはい。メグ、どこにある?」
 諦め声でタイラントが飛んでいく。その間もシェイティは手を休めなかった。
 メグが、黙って興味深げに手許を覗いているのは知っていた。さすが、治療師だ、と思う。鼻をひくつかせて匂いを嗅いでいるところを見れば、大体これがどのような用途を持ったものか、気づいているのだろう。
「シェイティ」
「あぁ……ありがと」
「ど、どういたしまして!」
「なに、うろたえてるの。熱でもあるんじゃない? 疲れて熱出したとか、やめてよ。僕が悪者みたいじゃない」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
 喚くタイラントをメグが笑う。くつくつとした老婆の笑い声に、なぜか二人して顔を見合わせた。
「それで、シェイティ。あんたは何を作ってたんだね?」
 さぁ、遊びはここまで。とでも言われたような気がした。夕暮れ間近まで遊びふける子供をたしなめるような、声だった。
 そう思っても、シェイティにはわからない。そのような長閑な子供時代をすごしては、こなかった。
「ちょっと待ってて。いま書くから」
 思いを振り切るよう、首を振ってタイラントが探してきてくれたものに薬草の種類と手順を書きつける。それから首をかしげてメグを見上げた。
「薬草の名前、あってる? ミルテシアでは、もしかして名前が違う?」
「あぁ、違うのもあるね。でもあたしゃ、ラクルーサの呼び方も知ってるからね。問題ないさ。わかるよ」
 そう言ってメグが肩をすくめた。その仕種に、シェイティは申し訳なくなる。
 確かめたのだった。一つの事実を。メグの語った話が、真実であるものかどうか、シェイティは試したのだった。
 彼女がラクルーサの言葉を知っているかどうか。そしてメグは知っていた、ラクルーサ独自の薬草の名を。まして古い話だ、同僚の容姿など騙る意味はない。メグは真実、ラクルーサの青薔薇楼にいたのだろう。
 タイラントに告げた言葉を思う。自分だけが知る理由で、メグは信頼するに足る、と。言ったくせ、最後のところで信用していなかった。
 いま、確かめて信じた。そして傷はすでによくなっている。メグと別れる日も近いだろう。彼女との別れを思うとき、シェイティは少し自分が悲しくなる。こんな自分と言う存在の、在り方が。
「これはね、関節の痛みを楽にする軟膏。メグ、使ってくれる?」
「そりゃあ、ありがたいね。でもずいぶん変わったもんも入ってるねぇ。あたしが知ってるのとは大違いだ」
「なんだっけな? 知り合いの神官が、自分の神殿の秘伝だって、教えてくれたの。効くことは、確かだよ」
「神官様がかい! そりゃ、なんともありがたい。……シェイティ」
「なに?」
「あたしなんかに教えて、よかったのかい。神殿の、秘密なんだろ、この配合は」
 驚きに目を丸くしたメグだった。震える手で容器を額に押し頂く。それほどのことはないのに、とシェイティは思うのだが、メグはまた違った感想を持ったらしい。
「そうだと思うよ。……あの神官。僕、大っ嫌いなんだ」
「なんだい、あんた。神官様を悪く言っちゃいけないよ」
 それはアルハイド大陸に住むものの、ごく普通の態度だっただろう。多神教のアルハイド大陸は、どの神を奉じるかは知らなくとも、神官は敬う。
 シェイティはそんなメグの態度に苦笑いをする。思わずタイラントを見れば、彼までこくこくとうなずいていた。
「だって、変人なんだもん。自分が信用した人が、誰かを信じたとして、自分ははじめに教えた人を信用してるんですから、その人の判断に何も文句はないです、とか平気で言う変なやつなんだもん」
「シェイティー。それって、すごくいい人って言うんだよー」
「うるさいな、変なやつなの。気持ち悪いの。嫌いなの」
 言い募る彼が、妙に子供のようでタイラントは笑ってしまった。嫌いだ嫌いだと言いつつ、しっかり神官の処方を覚えていたではないか。
 ならば、シェイティにとって、その神官はある意味では信用に足る人物、と言うことだろう。人間性が気に入らないだけ、と言うことは充分に考え得る。
「神官様をそんな風に言うのは、よくないよ、シェイティってばさー」
 自分は、大嫌いだという神官の足元にも及ばないのか。タイラントは苦い思いを隠してせめて明るくシェイティに文句を言う。
 賑やかして、その場を明るくして。一時なりとも華やかな慰めを。タイラントは吟遊詩人だった。ならば、それは詩人の務め。最も得意とするところ。
「ふうん」
「シェイティ?」
「あなた、聞いたことなかったけど。信仰持ってるんだ?」
「え……? そりゃ、持ってるよ? だって私、吟遊詩人だし」
 聞いた途端、わけもなくシェイティは嫌な予感がした。あるいは過去に何か聞いた覚えがあったのかもしれない。
「そう、どの神様?」
 尋ねたのは、たぶん自虐的な何かのせい。タイラントもメグも気づかない。気づかせるつもりもない。
 そうやって、生きてきた。シェイティ、小さな氷。その名のとおりに。
「知らないだろうなぁ。音楽の神様、メイザ様。エイシャ女神の名前も……知らないだろうなぁ。エイシャ女神の侍女神様だよ。私たち吟遊詩人は、エイシャ女神か、メイザ女神かを信仰するものが多いね。あとは楽器の神様とか」
 嬉々として語るタイラントは、ついに知っているか、とは尋ねなかった。尋ねていれば、また違った答えもあったものを。
 そう思いつつ、シェイティは聞かれなかったことにほっと安堵していた。嘘は、つきたくなかった。
 この旅の間だけ。彼が人間に戻れば、それで終わり。そう思っているのに適当なことが言えない。
 あるいはそれは、終わってしまうからこそ、嘘はつきたくなかったのかもしれない。嘘をつくくらいならば、隠し通したほうがずっといい。
 そう思うシェイティは、やはりどこか自分は甘いのだ、と唇を噛みたくなってくる。自分を取り囲む壁に罅が入ったような、嫌な気分だった。




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