読みにくい竜の顔色が、嘘のようにはっきり読めた。何を考えているのか、一人で慌てふためいているタイラントをシェイティは訝しげな顔をして見ていた。 この竜は、否、タイラントにはわかってなどいない。自分が理解させるつもりがないのだから、当たり前のことだった。 それでいてさえ、無性に苛つく。すべて自分のせいだとわかっているのに、まるで何もわかっていないタイラントに腹が立つ。 シェイティは溜息を一つ。それでも苛立ちを抑えて呆れ顔を作って見せた。 「あのね、見損なわないでくれる? 僕はとりあえずあなたに同行するって言ったでしょ」 「とりあえず、ね」 「やむにやまれぬ急用ができない限りって意味。その程度のことがわかんないの」 「え……」 「わからないみたいだから言っておくけど、急用って言うのは、例えば師匠が死んで一門が恐慌状態に陥った、とか。そういうことね?」 「喩えが悪い!」 「そう? でもわかりやすかったでしょ」 肩をすくめようとしたけれど、うつ伏せに横たわっていては、かなわなかった。無理をしたせいだろうか、背中が引きつれてシェイティはわずかに顔を顰めた。 「あ……大丈夫?」 途端に心配そうな顔をしてタイラントが覗き込んでくる。 シェイティには不思議でならなかった。自分を人間だと主張するこの竜は、いったいどういうつもりでこれほど側に寄ってくるのだろうか。 「邪魔」 一言の元に拒絶すれば、なぜかタイラントは飛び退る。怒られた、と思ってはいないらしい。 ならば彼には何か思うところがあったということだろうか。 シェイティはタイラントの内面になど、少しも興味はなかった。だからそのままやり過ごす。 それをどこか不満そうな顔をしたタイラントが見ていた。 「だったら……。シェイティ」 「だから、なに? 言いたいことがあるならはっきり言って」 口ごもる竜の相手をしているのが、いささか面倒になってきた。そんな態度に感づいたのだろう、タイラントは竜の体で器用に肩を落として見せる。 それにシェイティは胡散臭いものを感じ、やはり吟遊詩人だな、と内心で呆れていた。彼の態度にはいつも嘘くささがつきまとう。 大仰で、演技の匂いがして、好きになりきれない。そしてぎょっとした。別に好きになる必要などどこにもない。 「シェイティ?」 「なに?」 「いま、笑っただろ。なにかな、と思ってさ」 「別に。思い出し笑い」 本当のことを言ったのだが、タイラントは信じなかったらしい。 不思議なものだった。これほど他者をあっさりと信用するタイラントが、真実を口にしたときに不信の表情を浮かべるのは。 シェイティは、本当に思い出し笑いをしていたのだった。タイラントを好むかどうか。惑った瞬間に思い出したのは師のこと。 師と、その恋人がどういう成り行きで知り合ったのか、知っているシェイティは自分がおかれた状況が、あまりにも冗談のようでつい、笑ってしまったのだった。 「あなたなんか、大嫌いだからね」 「なんだよ急に!」 「別に」 「シェイティ。そういうことって言うもんじゃないだろ」 「どうして?」 「あのなぁ……。好かれてるとは思ってもいないけど、それでも傷つくでしょ、はっきり言われたら」 「好きなだけ傷つけば。僕には関係ないし」 言えば、タイラントがそっと肩を落とした。だからきっと、これは彼の本心だ、とシェイティは思う。 だからなんだ、とも同時に思う。思った途端、少し寂しくなった。 「それで。なにを言いかけたの」 改めて問いかけたのは、たぶんそのせいだ、とシェイティは思う。自分で思っているより、怪我が酷いのかもしれない。そうでなくては考えられない、惑乱だった。 「どうして、私を助けてくれたの。シェイティ」 ためらうような語調。そのくせタイラントの目はしっかりとシェイティに据えられていた。見つめるという行為にしては透明すぎる視線だった。 「さっきメグに言ったの聞いてなかったの。僕は自分の手元に――」 「最初は違った。最初から、君は私を助けてくれた」 出会ったときのことを、タイラントはすでに忘れているのだろうか。呆れた目をして彼を見れば、誤魔化されないとばかりに睨んでくる。 「ねぇ、あなた。馬鹿? 忘れたの、もう? 僕はあなたを殺そうとしたんだけど。手っ取り早く殺っちゃえば、牙が手に入るなって思ったの、言わなかった?」 「それでも私の叫びを聞いてくれた。ちゃんと思いとどまってくれた。シェイティ。どうして?」 急に、話していること自体がわずらわしくなった。シェイティは軽く目を閉じる。 「……気の迷い、じゃない?」 言ってみれば、あながち間違ってもいないような気がする。ただの気まぐれ。結果を見れば、それなりに面白いことになっている、とも思わないでもない。 それでもシェイティには、生きていることが幸福だ、とは思えない。生きてさえいれば、たまには楽しい幸せなことにも巡りあう。そう言った師の言葉にうなずくことができない。 以前は、それで仕方ない、あるいは当然だと思っていた。いまは少し、そんな自分が寂しいのかもしれない、と思う。 「ごめん。疲れたよね、シェイティ。少し眠ったほうがいい」 たぶん、自分は酷いことを言ったのだ。タイラントの悲しい声を聞いてシェイティはそう思う。そんな自分に、なぜ彼が優しくするのかが、わからない。 わからないことだらけだ、と思う。彼がわからないこと。自分がわからないこと。互いに一人胸にしまって教える気のないこと。 「おいでよ」 なぜそのようなことを言ったのか、シェイティには知り得なかった。度重なる気まぐれのひとつだったのかもしれない。 ためらいがちに側によってきたタイラントを片手の中に抱え込む。不自由な体勢に、竜が一声鳴いた。けれどそれはどこか甘えた声だった。 シェイティの傷から糸を抜き、彼が体調を整えるにはさらに一週間を要した。それでもメグはずいぶんと早い治癒に舌を巻いたものだった。 「若いってのは、すごいもんだねぇ。あたしにもそんな時期があったっけねぇ」 目を丸くするメグに、シェイティは肩をすくめる。ようやくそんな単純な仕種に体が耐えられるようになった。 「元々、治り。早いの」 「そうかい、そうかい。そりゃいいことだ」 「そう?」 傷の治りが人より早い、と知ることができるほど、シェイティは過去に酷い怪我をしているのだ。どうやらメグはそれには気づかなかったらしい。 「シェイティ」 気づいたのは、メグではない別の存在。シェイティは首を振って彼の口を塞いだ。 「ほんと、丈夫だよな! うん。ほらさ、歌の中で魔術師って、弱々しいだろ。君は丈夫だよなー。うん。ははは」 虚ろな笑い声を漏らす竜など、呆れて見ていられない、とばかりシェイティは軽くタイラントを睨む。それをメグが笑っていた。 利かない体を動かして、食事の支度をしている。シェイティも、横になっているだけでは体がなまってしまうし、手伝いたいのだが、この家にいる間は怪我人だ、と言って断固としてベッドに座らされたままだった。 「ねぇ、メグ」 「なんだい? 今日のご飯かい? 今夜は魚のシチュウだよ。川魚のいいのが入ってね。ちょいとばかし小骨が――」 「そうじゃないってば。ねぇ、体。痛いんじゃないの」 シェイティの言葉に振り返った彼女は、わずかに苦笑していた。わざとらしく足腰を叩いて溜息をついてみせる。 「そりゃ、あたしの年になれば当たり前のことさね」 「ふうん……そっか」 うなずいてシェイティは改めて家の中に視線を巡らせた。治療師らしく、たくさんの薬草や薬用動物を干したものがある。 「メグ。ちょっと薬草とか、使っていい?」 「なんだい、あんたがかい? かまわないよ、勝手に使いな」 「うん、ありがと。タイラント、手伝え」 「なんだよ、君は。ほんと人使いが荒いな」 「人使いじゃない。竜使いが荒いの」 「うるさい!」 怒鳴るタイラントの声にメグの笑い声がかぶさる。シェイティは耳を閉ざしたくなった。ゆっくりと呼吸をし、心の乱れを抑える。 「メルラーサの花とカラム樹の脂、それから――」 「ちょっと待てってば! 私にそんな薬草の名前なんか言たってわかるわけないだろ、どれって言えよ、どれって!」 「左の棚の一番上。右から三番目。その下、左。一つ飛んで、そこから三つ。次の棚。下から二番目、右から順番に五個。あと、手鍋と匙と携帯焜炉」 「そんなに一度に言われてわかるか!」 「うるさいよ、さっさとやって」 文句を言ったにもかかわらず、タイラントは一つも間違わずに持ってきた。わずかに驚いた顔をしたらしいシェイティにタイラントは誇らしげだった。 「吟遊詩人だからね、私は。歌詞と一緒。記憶力には自信があるしさ」 「そう、ご苦労様」 「シェイティってばさー。もうちょっと褒めてくれたっていいじゃんか」 「黙れ、うるさい」 言った自分の声がなぜか笑っているのを、まるで他人の声ででもあるよう、シェイティは聞いていた。 今度こそ驚きを顔に出さないようにして、シェイティは薬草の類をいくつか手鍋の中に放り込む。火にかけて、そして匙をタイラントに渡した。 「なに、これ」 「匙。はい、頑張ってかき回してね。僕、疲れちゃった」 「君ってやつは!」 |