シェイティは、思い切り草原を蹴る。目はずっと、頭上のタイラントを捉えたままだった。見る間に高度を下げるタイラントの下、間一髪のところにシェイティは滑り込んだ。 「巧くいったね」 くすり、タイラントを抱きとめたシェイティが笑う。その腕の中でタイラントは呆然としていた。放り投げられた衝撃ももちろんある。 だがそれ以上にタイラントを驚かせていたものは、シェイティ。彼自身だった。よもや、受け止めてくれるとは思ってもいなかった。 「シェイティ……」 「なに。不満なの。いいじゃない、ちゃんと受け止めたでしょ」 「そういう問題かよ!」 それで充分だ、と思っていたはずが、出てきたのはそんな憎まれ口。タイラントは訝しくてならなかった。 言葉を操る吟遊詩人。その自分が、こんなに拙い言葉しか言えなくなる日が来るとは。 「違うの」 言ったシェイティこそ、不満そうだった。そっとタイラントは抱かれたまま彼の顔を見上げる。彼は自分を見てはいなかった。それが少しばかり寂しい。 シェイティは、どこでもない遠くを見ている。見てはいないのかもしれない。タイラントは彼の視線を追ってそう思った。 「違うよ」 「なにがさ」 「投げるな」 「いいじゃない、それくらい」 「投げる君はよくってもね、投げられる私はいやなんだ。わかる?」 「わかんない」 にこりと笑ったシェイティだった。 「君、わかっててやってるだろ。そうだろ!」 「なんのこと? 知らないな」 「シェイティ!」 怒鳴った拍子、シェイティの視線がこちらを向いたのをタイラントはしっかりと捉えた。笑っているのに、彼の目の中には氷がある。 あの剣のようだ、とタイラントは内心で溜息をつく。美しかったシェイティの剣。一見、脆そうで、その実強靭な彼の剣は、彼そのもののように思えて仕方ない。 「投げないでよ、いいね?」 「どうしようかな? まぁ、いいや。次の町? 村? 見えてきたし。その話はまた今度ね」 「はぐらかすなよ!」 「うるさい」 すたすたと歩き出してしまったシェイティに、タイラントも口をつぐむしかなかった。 この先が、不安だった。まだ投げられたせいでかすかに目が回っている。タイラントはぐっと歯を食いしばりシェイティの肩へと移動する。 「黙っててね」 言ってシェイティは指先でタイラントの鼻筋を撫でた。それから尻尾を首筋に巻くよう、するりと撫でる。 彼からそうしろ、と示されたのははじめてだ、としばらくの間タイラントは気づかなかった。ゆっくりとその事実が染みとおるなり、不安が幾許なりともほぐれていく気がする。 いままでどの町でも情報を得ることができなかった。人々が竜の行き先になど注意を払わない、と言うわけではない。 タイラントがそこにいるせいだった。無言でシェイティの肩に佇んでいるだけなのに、人間はタイラントを見るなり恐慌に陥る。 怯えるくらいならまだしも、追い払われたり、武器を向けられたりしては、話を聞くどころではなかった。 それが呪われた、と言うことなのだといつの間にかタイラントは身をもって理解してしまっていた。嫌なものだった。 自分は何もしていない。ただ、そこにいるだけだ。それなのに人間から排斥される。 「同じ、だな……」 「なに?」 「呪われても、同じって言ったんだ。いままで、人間だったときもさ、目が、ね……。それがちょっと極端になっただけだなってさ」 「馬鹿みたい」 「シェイティ?」 「あぁ、あなたじゃないよ? 人間が。たかが目の色ごときのことで、なに? 同じ人間じゃない。だから、人間は――嫌い」 「シェイティ……」 彼の言葉の棘。シェイティがどんな生き方をしてきたのか、タイラントは知りたくはない、いまは痛切にそう思う。 「あのさ……」 「いいから、黙って。そろそろ村だよ」 「ん、わかった」 何を言いたかったわけでもない。ただ、声をかけたかっただけ。だからタイラントは黙る。シェイティの首に一度だけ強く尻尾を巻きつけて、すぐに緩める。 その尻尾をシェイティが撫でた。伝わった、とタイラントの心が明るくなった。慰める、などといえばきっとシェイティは怒るだろう。だが、タイラントがいましたかったのはそれだった。 そしてシェイティは受け入れてくれた。無言でなされたやり取りに心が温かくなる。いまだかつて、これほどの温もりを感じたことはなかった。 シェイティもまた、タイラントがそこにいることを認めている。この小さな竜に、心和む自分がいることも、認めている。 たとえ彼を竜、と思い込んでしまったとしても。どうしても人間だと考えたくはなかったとしても。それでも彼を人間と考えなくとも、タイラントとして考えることはできるようになりつつある。 そんな自分にシェイティは恐れを感じていた。思いを振り払うよう、ゆっくりと息を吸う。目を前方に向ける。しっかりと見据えたそこに、一つの村があった。 今までの町とは違う。栄えてはいるが、牧歌的な村だった。風に乗って牛の鳴き声が聞こえてくる。鈍く響く鈴の音。あるいは羊も飼っているのかもしれない。 シェイティは、何気ない足取りで、村の中へと足を進めた。町の中と違って、石畳の道路もなければ、背の高い建物もない。 見回せば、すぐに何をしている家なのかがわかるほどだった。シェイティの目が酒場へと吸い寄せられた。情報を得るなら、そこにしくはない。 「行くよ」 タイラントのためにぽつりと呟いてシェイティが歩き出したそのときだった。 「なぁ、それなんだよ?」 そこにいるのは気づいていたものの、話しかけてくるとは思わなかった少年だった。彼の目はシェイティの肩に据えられている。 「火蜥蜴」 「嘘つけよ。そんな火蜥蜴がいるもんか。火蜥蜴って赤いじゃねぇか」 「色変わりでね。仲間からいじめられてたから」 「ほんとかよ? 羽はえた火蜥蜴なんか、聞いたことないぜ」 「見聞が、狭いね」 婉曲に挑発したシェイティの言葉が、少年には通じなかった。だが、別の男を引きつける。タイラントはそっと鉤爪を彼の肩に立てて注意を引く。ぽん、とシェイティの手がタイラントの頭を撫でるよう叩いた。 「ちょっとあんた。変なもん村に持ち込まないでもらおうか」 「変? どこが? ただの火蜥蜴なのに、難癖つけてきたのはそっちじゃない」 「ただの火蜥蜴に見えりゃそんなこたァ言わねェ。ちょいとごめんよ、よこしな」 「やめて!」 伸ばしてきた男の手を咄嗟にシェイティは払い落とす。あまりの素早さに、男の顔が紅潮するのにシェイティは内心で舌打ちをしたい思いだった。 ぱっと少年が駆け出していくのが目に入る。見えているからと言って、どうにもできなかった。まず、目の前の男をどうにかしないことには。 「よこせって言ってんだろ。村に危ないもん持ち込むんじゃねェよ!」 「そんなこと言って、売り払うつもりじゃないの」 村を思う気持ちを前に出してはいるものの、男の顔は欲望に歪んでいる。シェイティの言葉にかっと見開いた目が血走った。 「なに!」 「図星? やだな」 すっと、後ろに跳んで男の手をかわす。タイラントが肩の上で怯えているのを感じないではなかった。 中途半端な呪いのわりに、効果が的確に出すぎる、とシェイティは忌々しく思う。ごく普通の生活を送っている人間ほど、この手の魔法は効き易い、と言うことかもしれない。 「誰が、売り払うだと! 俺は、村のために――」 「なんにもしない、責任は僕がとる。そんな話しも聞かないうちに攻撃してくる人間を、信用しろって? 無理だね。村のためだって言うのも、怪しいものじゃない」 真っ赤になって掴みかかってくる男の手をかわしながら、シェイティはこの村でも情報を得るのは無理だと悟っていた。 あとは、どうやって村から脱出するかだった。いっそ、タイラントを飛ばしてしまったほうが早いかもしれない。 「こっち」 一言で、タイラントが腕へと降りてくる。男がぎょっとしたよう、下がる。その隙にシェイティは腕を振ってタイラントを空へと上げた。 「待ちやがれ!」 シェイティが、何をする間もなかった。男が咄嗟に拾った石粒をタイラントに投げつける。 「よけろ!」 鋭い声に、タイラントは危ないところで翼をひねって石をかわした。ぞっとする。自分の体のすぐ側を飛んでいく石に、頭の奥が冷たくなる。体勢を崩した、と思ったときには遅かった。 「ジム!」 シェイティは、走っていった少年が、男に向かって何かを放るのを目の端で捉える。だが、いまはそれよりタイラントだった。なんとか羽ばたこうと努力はしているが、依然、落ち続けている。 「この野郎!」 ぎらり、何かが日の光を反射した。シェイティの目の奥を鋭く射す。男の手斧が、いやらしく光った。 「な……」 小さな火蜥蜴にしか見えないものに、それだけのことをするのか。怒りと恐怖がないまぜになったものがシェイティを焼く。 「タイラント!」 落ちてくる竜もまた、男の手斧を捉えていた。ここまでか、と思ったときタイラントはシェイティの顔を見ている自分に気づく。必死な顔をしていた。いままでの、感情の窺いにくいそれではなく。なぜかしら、それが妙に嬉しかった。 「あ……」 それは、誰が上げた声だったのだろう。いつの間にか辺りに集まっていた、村人の声だったのかもしれない。落ちてくるタイラントの声だったのかもしれない。あるいは、手斧を持った男の。 落下したタイラントを腕に抱きとめ、男から彼を庇う。そのシェイティの背を、手斧が深々と切り裂いていた。 |