結局、それから二つの町を回っても新しい情報を得ることはできなかった。時間だけが無駄にすぎていく。
 諦めてシェイティは、漠然と北のほう、シャルマークの方角へと向けて足を進めた。
「シェイティ」
「なに」
「苛々してるね、君」
 疲れているのか、と聞きたかったのだけど、直接そう尋ねるのははばかれてタイラントはそんな言い方をする。
「当たり前じゃない。こんないい加減な情報で動きたくないよ」
 むっつりと呟いた声に精彩がなかった。この数日で、だいぶ彼の感情が読めるようになってきたタイラントだった。
「まぁ、仕方ないよ……」
「仕方ないってね。あなたのためだって、わかってる?」
「わかってるよ!」
「本当に?」
 訝しげな彼の声と共に、指先が首に巻いたタイラントの尻尾を撫でた。言葉とは裏腹に、それほど彼は不快ではないようだった。
「でも……情報。ないものは、ないし。まぁ、仕方ないかなって、さ」
 しゅんと、タイラントが肩の上で首を垂れたのをシェイティは感じる。落ち込んでいるのだろうか、と思う。それにしては言動が普段と変わりない、とも思うのだが。
「……お姫様は、無事だと思うけど」
 シェイティがぽつりと言った。一瞬タイラントは何を言われているのかわからなかった。それから慌てて身を乗り出して彼の顔を見る。
「王家の立て札とか、なかったでしょ、町に」
「え?」
「立て札。姫君に何かあったら、そういうのが出るでしょ」
 曖昧な言い方をしたのはタイラントを慮ったせいか。姫に万が一のことがあれば、いかに王家の中で重んぜられている姫ではないとはいえ、葬儀の通達くらいは出る。
 だが、とシェイティは思う。姫を救出せよ、との通達もない。竜を狩るために冒険者を集めることも、姫を助けるため、勇者を募ることも王家はしていなかった。
 あるいは、とシェイティには思うところもあるのだが、さすがにタイラントには言いかねる。それが彼の口を重くさせていた。
「そっか。そうだよね。まぁ、あんまり心配ってわけでもないんだけど」
「最低だね」
「シェイティ?」
 自分の気持ちを軽くするためにタイラントがあえてそのようなことを言ったのだとは思えなかった。そもそも気持ちを軽くする必要があるのは彼であって自分ではない、とシェイティは思っている。
 だから、ある程度それはタイラントの本心だ、と考えざるを得ない。そしてなぜ、と言う理由もなく真実を語っている、と感じ取ってしまった。
「大事な人なんじゃないの。好きなんでしょ。あなたの好きって、その程度?」
 まるで非難されているようだ、とタイラントは目を丸くする。思わず肩から飛び立って、シェイティの前に浮かんだ。
「あなたが人を思う気持ちって、そんなものなの」
 冷たい声。やはり、非難されているのだ、とタイラントは思う。それがわけもなく妙に嬉しい。
「そんなものなのって言われてもさー。人を信じないとか言うくせに、君はどうなのさ。そんなこと、知らないんだろ」
 ゆっくりと羽ばたきながら、ともに並んで進んでいく。シェイティが目をそらしたせいだけではなかった。タイラントもまた、彼の顔を真正面から見にくくなってしまった。話題のせい、かもしれない。
「まぁね。僕は知らないよ? そんな気になったことないし。でも、見てこなかったわけじゃない」
「君の師匠?」
 当てずっぽうが、どうやら図星だったらしい。シェイティをちらりと見れば、嫌な顔をしてうなずいていた。
 その彼の手が伸びてくる。あっという間に捕まって、肩の上に戻された。タイラントは何も言わず、ぬくぬくと肩の上に憩う。
「どんな風に過ごしてるのを、見たの」
 羨んでいるのだろうか、シェイティは。だから顔を見られたくないのだろうか。タイラントはわずかにそう思い、そして知らないものを羨むことはできない、と心の中で首を振る。
 可哀想だ、とは思わなかった。彼に同情できるほど、真剣な恋をしたことがない。それを言えばシェイティはどのような反応をするだろう、思うだけでタイラントは口にはしなかった。
「別に。普通だと思うけど。楽しそうに切りあいしてたよ」
「はいー?」
 師匠と、その恋人の話をしていたのではなかっただろうか。彼はいま、切りあいと言った気がする。タイラントは色違いの目を瞬かせた。
「さすがに最初は刃を潰した練習用の剣とかでやってるんだけど、そのうちどっちも収まりがつかなくなるんじゃない? 剣は召喚するわ魔法は使うわでけっこう、大惨事」
 くっとシェイティの喉が鳴った。なんだか聞いてはいけないことを聞いた気がするのだが、シェイティは非常に楽しげに話している。
 あるいは魔術師の日常とは、そのようなものなのだろうか。魔術師すべてが常識に外れているわけではない、と彼は言ったように思うが、どうも怪しいものだとタイラントは思う。
「剣の召喚? 魔法? 君の師匠はともかく恋人って言ったよな。女の人が?」
「あぁ、両方とも魔術師だから。それとあいつも男。師匠の趣味の悪さは最悪だね。もしかしてそういうの、気になる?」
「ならないよ! ならないけど……魔術師って……!」
「変人ばっかじゃないと思うよ? 師匠と、あいつが変なだけ。僕がまともだとも、言わないけどね」
 皮肉げな口調だった。言葉の意味以上に、何か含みを持たせている気がする。タイラントにはそれが何かわからない。もどかしかった。
「剣の召喚ってさ」
「この前、僕がしたの、見てたでしょ。あれのこと」
「うん、綺麗だったよ! みんな、ああいう剣を使うの?」
「違うんじゃない? 師匠も違うし。あいつも違うし」
 では自分の好みの物を使っている、と言うことだろうか。タイラントは考える。いずれにせよ、シェイティの剣は美しかった。あのような剣ならば、自分も持ってみたい、と思わせるほどに。
「魔術師が、剣も使うんだね……」
 吟遊詩人のタイラントには、それは今更ながら不思議なことだった。伝承の中の魔術師は、武器を持たず呪文一つでいかなる敵をも討つ存在だ。
 ミルテシアで、魔術師の歌は好まれなかったからそう多くは知らない。それでもタイラントは集められる限りの歌を集めた。魔法、というものに、それだけ惹かれていたのだと今にして思う。
 だからよけい、シェイティが連なる一門のあり方が不思議だった。剣も使う魔術師など、聞いたこともない。
「僕は、苦手なんだけどね。師匠は、剣も巧いよ。それでもあいつのほうが巧いけど。仕方ないか、そっちが本業だし」
「あいつ?」
「師匠の……恋人? 僕、あいつ嫌いなんだよね」
 顔を見ればきっと、唇を尖らせてでもいることだろう。見なくてもわかるから、タイラントは覗かない。代わりにこっそり、笑った。
「笑うな」
 伸びてきた手がぺちり、と額を叩く。戯れのようなそれが、楽しかった。
「ん、ごめん。私、君のことほんとに気に入っちゃったなぁ」
「あぁ……そうか……」
「シェイティ?」
 朗らかに言った言葉を、シェイティはまるで聞いていなかったらしい。少しだけタイラントは落胆した。
 彼にも気に入っている、と言って欲しかったわけではない。言うなど、ありえない。ただ、聞いて欲しかっただけだ。
 それが叶えられなかったタイラントは、首を伸ばして彼に頬ずりをする。嫌がるよう、首を振ったたと思ったときにはむんずと尻尾を掴まれていた。
「あなたの口のきき方、すごく気に入らないの。なんでかな、と思ったらあいつに似てるんだ。どうしよう……すごくいや」
 いやだと言うわけに、にんまりと笑っていた。掴んだ尻尾を離させようともがくタイラントを気にもかけず、シェイティは手を引く。
 それも、思い切り。あとになって、彼の首は痛まなかったのだろうか、とタイラントは思った。竜の硬い肌に擦られて、さぞ痛かっただろうに。
 ずるり、とシェイティから引き剥がされたタイラントは、逆さまのままシェイティを見上げていた。尻尾を持って吊り下げられる、と言う屈辱的な姿勢で。
「ねぇ、あなた。どうされたい?」
「どうもされたくないに決まってるだろ!」
「だって」
「私は私だよ、そんな誰かじゃないよ! 似てるくらいで嫌われてたまるか!」
「うん、その話しかたならいい。ついでに一人称も変えてくれたら、言うことないけどな」
「一人称?」
「私って言わないで」
「やだよ! 礼儀正しい話し方は、商売道具なんだからな!」
「礼儀正しい? 誰が? まぁ、いいや。嫌なのね。決めたの、あなただからね」
 シェイティが笑う。目を煌かせ、どことなく浮かんでいた憂鬱も吹き飛ばして。そんな彼を見て、うっかりタイラントは気分が良くなってしまった。あるいは、それが運の尽きだったのかもしれない。
「いやだって言ってるだろ!」
「ん、わかった」
 何が、わかったのだと言うのだろうか。尋ねる暇はなかった。唇の端を吊り上げてシェイティが笑う。
 次の瞬間、シェイティは無造作にタイラントを振り回し始めた。尻尾を持って、ぐるぐると円を描く。はじめは上がっていた悲鳴が途切れるころ、シェイティは手を離した。勢いよく。
「あぁ、巧く飛んだね」
 くすくすと笑ってシェイティは放り投げられたタイラントを追う。天高く上がった竜の姿を目で追って、シェイティは駆ける。
 距離は、だしていなかった。ただ、上に放り投げただけだ。それに、とシェイティは思う。いかに姿を変えられただけとはいえ、あれほどの適応力を持ったタイラントならば途中で抵抗することも、投げられたあとに体勢を整えることもできたはずだった。
 タイラントはそれをしなかった。まるで、無抵抗でいることが信頼の証だとでも言いたげに。シェイティの唇が皮肉に歪む。だが、その目はどこか楽しげな色に揺らいでいた。




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