彼に向け、人とどこか違っているのか、と問うことはできなかった。目の色が違う、たったそれだけのことで人間から排斥されてきたタイラントは、あるかもしれない傷を暴くことを好みはしなかった。 「その人ってさ、どんな人?」 だからタイラントは別のことを問う。彼ではないもう一人へと話題を移すとき、なぜか無性に胸が痛んだ。 「……師匠だよ」 シェイティは妙に苦々しげな声で言う。信頼かもしれない、とは言うもののシェイティにとっては信頼そのものだろう。その相手をどうしてこのような言い方で表現するのだろうか。 「きっと、すごく優しい人だね」 「優しい? あれが!」 言ってみたのは、たぶんきっと反論を待っていたせいだ、とあとになってタイラントは思った。そのときは彼の癇性な笑い声に驚くばかり。 「ねぇ、あなた。よもやと思うけど僕を優しいとか思ってないよね?」 「……答えに困るんですけど」 「いいよ、はっきり言って。たぶん、怒らないから」 そのたぶん、が怖いのだ、とタイラントは思ったけれど口をつぐむ。それから慎重に彼の顔色を窺った。 表情の窺いにくいシェイティにして、いまは多少、気分が良さそうな顔をしている。師の話をしているせいだろうか。 思ったとき、またずきりと胸が疼いた。慌てて自らの体を見下ろす。 どこにも傷などついていなかった。そして、はじめからそれを知っていた気がする。 「えー、あー。うん、その。君を優しいと表現するためには、ちょっと言葉の定義を変えないと……」 「ごちゃごちゃうるさいな。優しくなんかないって自分で知ってる」 「ごめん」 謝った拍子、ぺちりと額を弾かれた。悪戯のようで少し、楽しい。すっと胸の痛みが消えたのに、タイラントは気づかなかった。 「僕と師匠、人に言わせると態度が似てるらしいよ。僕からすれば、全然似てないけどね。あんな極悪非道な魔術師、そうはいない」 言ってシェイティはくっと笑った。タイラントは空恐ろしい気分で彼を見つめる。 たいていの場合、本人の自己評価より、他人の評価のほうがずっと当てにできる。ならば、極悪非道と言い切ったその師とシェイティはやはりどこか、似ているのだろう。 「あのさ、あのカロリナより……」 聞いてしまったのは間違いなくただの興味だった。タイラントにとって、非道な魔術師とはあの女魔術師カロリナのことを言うのだ。 他人が恋した姫に横恋慕の挙句、呪いはかける、姫はさらう、挙句の果てにタイラントが為したことのように見せかける。 これを非道と言わずしてなにを非道と言おう。あるいは、それ以上の非道とは自分のことかもしれない、とタイラントは苦く思う。姫のことをさほど心配していない自分にタイラントは早、気づいていた。 「師匠は、そんな間抜けじゃない」 きっぱりと言い切られた。タイラントは喉が詰まるような思いに駆られる。 「師匠がしたんだったらね、あなたは確実に死んでるし、安らかには死なせてもらえないよ。死ぬまで何ヶ月もかけてなぶり殺しだろうね」 「なぶり殺し……」 「そう、生きたまま生皮はいで海に放り込んで治療して、もう一度、皮はいで塩塗って、酒注いでのた打ち回って痛がるのを大笑いするような男だよ、あれは」 そんなことを楽しそうに言わないで欲しい、とタイラントは切に願う。タイラントの予想によれば、シェイティはその男に非常によく似ているのだから。 「魔術師ってみんなそうなの?」 「まさか。あれは例外」 「……よかった」 あからさまにほっとするタイラントにシェイティは指を伸ばした。甘えるよう、すりつけてくる額を弾くことはしない。 肩の上に、タイラントがいること。それに妙な慰めを感じてしまっている。シェイティは、気づいていた。 自分が他者を信じない、と言えば言うほど、言葉そのものが薄くなっていくことに。 タイラントは、人間だ。いまは竜の姿をしているけれど、間違いなく人間だ。彼はいずれ、人間に戻る。自分が戻してみせる、そう思っている。 そのときのことを考えたくなかった、いまはまだ。竜のタイラントは、あるいは信じているのかもしれない。少なくとも、いまだかつて感じたこともなく、その必要もなかった慰めを彼から得ている。 それを失ったときのことを考えるのが、怖いのかもしれない。不意にシェイティはそう思った。思う分、すでにタイラントの存在を受け入れているのだと苦い思いで自らに認めた。 「魔術師ってさ」 「性格がねじくれた変態ばっかじゃないよ?」 「そんなこと言ってないよ!」 仮にも師匠を、よくぞ変態と言い切るものだ、とタイラントは笑う。だが、もしもシェイティが語ったとおりの人物ならば、そう評されても致し方あるまい。 だがそのおかしな師匠が、シェイティをこの上なく慈しんだこともまた、確かなのだと、タイラントは不思議なものでも見たよう、目を瞬きつつ思う。 「じゃあ、なに?」 身を乗り出してシェイティの顔を覗き込めば、ほんのわずかばかり、唇を尖らせていた。拗ねているのか、と気づく。 気づいたことよりも何よりも、タイラントはシェイティの表情を読むことができるようになった自分が嬉しい。 そして知らず気を許しているのだろう、シェイティの心の変化が。 「魔術師ってローブを着るだろ? カロリナは黒を好むって話だったけど。なんでかなーと思ってさ」 「なに、急に?」 訝しそうな声をしていた。タイラントはなんでもない、と言うよう彼の首に柔らかく尻尾を巻きつける。 「別に。なぶり殺しで思い出しちゃっただけ」 「なるほどね。黒、ね。返り血が目立たないからじゃない?」 聞くのではなかった、とつくづく後悔した。血溜りの中で高笑いをする魔術師の姿を想像してしまって、タイラントは身震いをする。 「もしかして……君も?」 タイラントはシェイティの衣服に視線を落とす。魔術師らしい格好とはとても言えなかった。ごく普通の、旅の衣類だ。簡素で、汚れてもさほど目立たないよう、黒味を帯びている。あるいは濃い茶色だったのかもしれない。 シェイティが、普通の旅人の衣服を選んだのは、ミルテシアに入国することを考えたせいだろうな、とタイラントは思っていた。 「そう。血だらけで人前に出たくないから」 人前に出る、と言う問題だろうか、と思いはするものの、シェイティは人間の血、とは言わなかったことに気づいた。 「一人旅だからね。魔物に襲われても、守ってくれる戦士はいないし。どうしても呪文が一歩遅くなる。おかげでよけいな返り血を浴びるんだ」 忌々しげに言うのは、戦士の不在か、それとも返り血そのものか。タイラントは思った、自分の技量が追いつかないことにシェイティは悔しさを感じているのだ、と。 それには深く共感することがタイラントにもできる。魔法は、わからない。だが、同じ特殊技能を扱う人間だった。 タイラントにも覚えがあることだった。涙するほど美しい歌を歌いこなすことができない悔しさ。人がどれほど褒めてくれようとも、納得のできない苛立ち。 「ちょっとだけ、わかる気がするな」 「なにが」 「シェイティの悔しさがさ」 「別に悔しくなんかない」 言ってシェイティはぷい、とそっぽを向いた。タイラントは声を忍んで笑い出す。その態度がどれほど明確に自分の思いを語っているのか、彼は気づいているのだろうか。 「なんで、わかると思うのさ」 タイラントは言った彼の顔を覗き込みはしなかった。間違いなく、唇を尖らせていることだろう。見てしまえば、ただではすまない、そんな気がする。 「私は吟遊詩人だよ? 歌いこなせない悔しさも知ってるし、歌にできない苛立ちも知ってる」 「できない?」 「そうだよ、できないよ! あのときの君は素晴らしかった。あれは氷の剣? 命のように美しかった。私の心にあるこの思いを、歌にしたいと思ってるけどね、できない。世界の歌い手とかって呼ばれるようになるころには、歌えるかなぁ……」 野望を語ってみてはじめて、そうだったのかと自らの思いをタイラントは知る。恐ろしいばかりではなかった、シェイティは。あのときの彼は、なんと美しかったことだろう。 燃え上がる炎のようではなく、清冽に聳える氷の美。冷たいくせに輝かんばかりの生命を宿しているシェイティの姿。 背筋が震えたのは、恐怖のせいだけではなかった。シェイティの、動きの一つずつに心が震えた。奮い立つよう、生きると言う意思が沸き立つ。 「シェイティ。君は、生きているんだね」 生まれてから二十数年。いったい自分は何をしてきたのだろうかと思う。ぼんやりと世界を紗を通して眺めていただけだ、とタイラントは思う。 これで、納得のいく歌が歌えたはずはない。王宮にも出入りする吟遊詩人、など自惚れていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。 「なに馬鹿なことを言ってるの。生きてるに決まってるじゃない。僕はなに、化け物だとでも言うの。魔物?」 「そんなこと言ってないじゃんか!」 「言ってるように聞こえたよ」 不自然に優しい声をしていた。咄嗟によける間もない。飛び立ったときには、シェイティの腕の中だった。 「ねぇ、あなた。物凄くとろくない? 魔術師に捕まるって、どれだけ鈍いの」 「君が速いんだよ!」 「そんなことない」 言い返した言葉に、微笑まれてしまった。タイラントは観念する。好きにしろ、とばかり腕の中でもがいて腹を見せた。 「いい心がけだね」 喉の奥でシェイティが笑った。いかにも楽しげで、タイラントは少しだけ後悔する。このあと何をされるのか、わかったものではなかった。 「可愛いかも」 すっと目が細められた、と思ったときにはタイラントは息ができなくなっていた。シェイティの指が、体中を触っている。くすぐられているのだと気づいたときには、意識が飛ぶほど笑っていた。 |