タイラントはずっと肩にいる。たぶん、船を下りたのにも気づいていないのだろう、とシェイティはこっそり溜息をついた。 二人にとっては好都合なことだったが、船は王都にはいかなかった。王都にまでいく船は特別の許可がいるらしい。防衛上、もっともなことだった。 幸い、王都に近い町の側で船は行き足を止めた。乗客みなが下りる中、シェイティは人目に立たないよう彼らに従う。 町に入るのも、最初でもなく最後でもなく。農家や行商だろうか、荷馬車が町の門にたむろする中にそっと紛れて入り込んだ。 「痛いよ」 時折、タイラントが鉤爪を肩に食い込ませる。本人は気づいてもいない。シェイティの声が聞こえた風もない。 だから言うだけ言って、シェイティは自分で鉤爪を緩めた。魔法のことを告げるべきではなかったのだろうか、とも思う。 けれどいつまでも隠しておいてよいことではなかったし、知ってしまったほうが対処のしようもあるというもの。 もっとも、吟遊詩人のタイラントは、そうは考えなかったらしい。まして、魔法に馴染みのないミルテシア人。 どうしてこんなものを拾ってしまったのだろう、と思う反面心細げに巻きついてくる尻尾は捨てがたいものだとも思う。 町は栄えていた。王都に近い場所のせいもあるだろう。呼び売りや、これから仕事に向かうのだろう人々の活気にあふれている。 シェイティは、このような様を見るのが嫌いではなかった。自分に接触してこなければ、人間を見るのも悪くはない、と思う。 そんな自分を知り合いは「伝記に出てくる伝説の半エルフ魔術師のようだ」と笑う。一緒にされると、さすがのシェイティも落ち着かない気分になる。 シャルマークの大穴を塞いだという伝説の魔術師。ラクルーサですら、魔法排斥の波にあって半ばその名が忘れ去られようとしている偉大なる半エルフ。 魔法の腕のほどに自信はあったけれど、リィ・サイファに比べられれば、まだまだ至らない、と痛感する。もしも存命であったなら、かの魔術師はタイラントをどのようにするのだろう。 不意にシェイティは自らの思いにぎょっとした。タイラントにかかっている魔法を、解いてやりたいと思っている。 このまま竜でいたほうが、確かにずっと気楽だ。自分は、だが。しかしタイラントは違うのだろう。その思いを汲み取りたい、と思っている自分がいる。 そしてその先を、シェイティは考えなかった。人間に戻ったタイラントに対して、自分がどのように反応するかは。 目が、さほど忙しそうでもなく、かといって寂れてもいない店を見つけた。この手の酒場は、簡単な食事もできるのが常だった。 シェイティはまるでこの町の住人ででもあるかのよう、自然に店の中へと足を進めた。 「いらっしゃい」 人気に気づいた女将が振り返る。笑顔が途中で凍りつく。 「それ、なんだい?」 「火蜥蜴の変種みたい。悪さはしません」 「……シャルマークのもんじゃないだろうね?」 「えぇ、違います」 にこりと笑ってシェイティは言う。が、女将は疑念を浮かべたままだった。彼女の疑いをそらすため、シェイティはぐったりとしたままのタイラントの口許に指先を近づける。 ひっと声がした。暴挙にも見えるのだろう、女将には。シェイティは気づかなかったふりをしてタイラントの口許を、それから頭を撫でる。彼は反応すらしなかった。そのことに心の中でだけ、溜息をつく。 「食事と、なにか飲み物をもらえますか」 何もなかったような顔をして言ってみたが、どうやら無駄なようだった。女将は引きつったままタイラントを見ている。 ふと気づいた。これはもしかしたら彼にかかっている呪いの反応かもしれない、と。思えばあの船の女もタイラントには嫌悪の目を向けていた。動きもしないタイラントをシェイティは腕に抱きなおし、女将に向けて猫でも見せるよう、首をかしげて見せる。 途端に押し殺した悲鳴が上がる。シェイティは「この人は獣が嫌いなんだな」とでも言いたげな顔を取り繕って、肩をすくめた。 「出てっとくれ」 女将が下がる。周りの客ももようやく何が起こっているのかざわめきだした。 「困ったな……お腹すいたのに」 少しばかり唇を尖らせて、幼い顔を作る。自分では大嫌いな顔だったが、効果があることは実証済み。案の定、客の幾たりかはシェイティしか見えていないと見えて、女将をとりなしだした。 「女将さん」 そっと硬貨を滑らせる。女将が首を振る。シェイティはあからさまな溜息をついて相場より上乗せした。それでも、女将は首を振る。 ちらり、シェイティの視界に何者かが映った。覚悟を決める。さらに、倍ほど硬貨を出した。何者かが、そっと店から滑り出る。 「出てっとくれ」 女将は繰り返すだけだった。シェイティは諦めた、そんな顔を作った肩をすくめ、とりなしてくれた客に軽く頭を下げる。 「行こうか」 仕方ないね、そんな幼い顔をしてシェイティは無害な青年の顔のまま店を出た。ゆるり、と足を進める。 目は次の店を探してでもいるよう、辺りを見回している。タイラントは、肩に戻した。それにも、彼は気づいているのかどうか。 次第に、人気が少なくなってきた。どうやら路地に入ってしまったらしい。困り顔でシェイティは足を止めた。 「おい、あんた」 突然現れた人影が、路地の前後を塞ぐ。あっと言う間の出来事だった。 「なに、おじさん?」 無邪気に笑って見せた。頭の足らない馬鹿だと思ってもらえれば、好都合。そう思っていることなど相手は知りもしないだろう。 「小僧が大金もってやがんな。有り金おいてきな」 話しているのは、シェイティの前に立つ男の背後に隠れた男だった。 「大口叩くわりに、卑怯だね」 「なに?」 「巻き上げたいんだったら、自分で出てくればいいのに」 にんまりと言った瞬間、男の顔が赤くなる。シェイティは自分の後ろからも怒りの唸り声が聞こえるのを耳にしていた。 「白昼堂々、夜盗が出るとは、思わなかったな」 くっと笑ってシェイティはタイラントに視線を向ける。ようやく異変に気づいたのだろうか、目を開けていた。 「腕に移って、早く」 何を言うより先に、タイラントは行動した。そのことにシェイティは安堵する。腕に移ったときだった。後ろの男が駆けてくる。 「せっかちだね。――行け!」 振り返ることもなく、半身になって突撃をかわした。その動作をそのままにシェイティは腕を振りぬく。初速をつけられたタイラントは息を飲む間もなく飛び立った。 上空から、竜のものとも人のものともつかない悲鳴が聞こえる。どうやら案じられているらしい、とシェイティは聞き分けた。 非力が常の魔術師が一人。対して相手はただの物取りとはいえ、大の男が数人。普通だったら、敵うわけがない。 タイラントは自分が邪魔なのだ、と空から見ていた。情けなかった、手助けができないことを。いままでぼんやり自分ひとり、悲しみと混乱に浸っていたことが、恥ずかしくてならない。 「……リゼー」 呟きは、誰の耳にも届かなかった。上空を舞うタイラントにさえ。そして次の瞬間、シェイティは剣を手にしていた。 「な――ッ」 一様に男どもがどよめく。振ってもいない剣の圧力に、圧されたように。 タイラントは剣に生命の輝きを、見ていた。 圧倒される。あまりにも美しい。どこから出現したのかなど、考える隙もない。タイラントの眼が剣を捉える。 「氷の剣……」 冷たく輝く剣は、紛れもない氷の輝きをしていた。身のうちが、ぞくぞくと震える。次々と男たちが倒されていくのさえ、あたかも華麗な舞踏のよう。 「タイラント」 血脂を落とそうとでも言うよう、シェイティは剣を振った。ぴっと、血が壁に飛ぶ。どこに隠れていたものか息を潜めていたのだろう、人々から声が上がりはじめた。 シェイティは気づいた風もなく、腕を伸ばす。タイラントが重さを感じさせない動きで降りてきた。甘えたよう、くぅと鳴く。 「次の相手は?」 振り返ったシェイティは、無表情だった。タイラントの甘えさえ凍ってしまいそうなほどに。 腕から肩へと移動して、タイラントは辺りを見回す。つくづく呆れ果てた。こんな路地とも言えないような裏道に入るなど、シェイティは襲ってくれと公言したに等しいではないか。 そしてぞっとする。シェイティは全身でそう言ったのだ。返り討ちにするつもりで。確実に倒す自信があるからこその誘い。相手はまんまとはまって地べたに倒れる。 「竜を、探している。だいぶ前に、王都のほうから飛んでいった、竜だ」 「あんたは……」 「僕が、なに? ただの人間なんかに興味はない。聞こえてる? 竜を、探している」 「魔術師、なのか……?」 「だったら?」 薄い笑みを浮かべてシェイティは言い、手にした氷の剣を掲げた。それが瞬きの間に薄らぐ。気づいたときには大気に溶けていた。 それを見て取った男の中、一人が前に出ようとする。竜のことを話そうとする顔ではなかった。シェイティが再び笑う。 悲鳴が上がった。前に出た男が、地面に縫いつけられていた。どこからともなく現れた氷の剣が、男の服を貫いている。へたり込んだ男の前、ゆっくりと剣は溶けた。 「き……北だ!」 「北?」 「シャルマークのほうへ、飛んでいったのをうちのかみさんのダチのガキが見たって――」 「信用ならないね」 シェイティが足を踏み出す。いつの間にか人垣ができていた。それがわっとばかり崩れる。 「ほんとだ! 嘘じゃねぇ!」 「嘘だったら……戻ってきて、御礼はするから」 にっと笑ったシェイティを、誰が見ていただろう。蜘蛛の子を散らすよう誰もいなくなった。見ていたのは、タイラント一人。呆れとも賞賛ともつかない感嘆の色を色違いの目に浮かべて。 |