目覚めるたびに、タイラントがいた。愛玩動物を装っているのだから致し方ないとは言え、いささか馴れ馴れしくも感じないではない。
 今朝も、そうだった。目を開ければすぐそこにタイラントがいる。自分の腕の中で丸くなっている小さな竜。本当に野生の火蜥蜴が人間に慣れることがあったならば、このような姿で眠るのかもしれない。
 昇りきらない太陽の薄明かりに、タイラントの肌が光を放つよう輝いている。白と言うよりは銀。銀と言うよりは真珠色。
 シェイティは不思議に思う。一般的な氷系の竜とは体表の色が違う。それは彼が竜に変化させられた人間であるせいなのかもしれない。
 それにしてはわからないことが多すぎた。眠る彼の精神を探る。慎重にやらなければ廃人になってしまう恐れがあるものの、シェイティは迂闊ではなかった。
 そしてやはり、わからない、と首をひねる。はじめに感じたものと同じもの。気のせいではなかった。心の中でそっと呟く。気のせいであったほうが話が早かったものを、と。
 考え込みすぎて、すっかり目が覚めてしまった。船で移動しているのだから、何も早く起きる必要はない。
 習慣だな、とシェイティはそっと苦笑する。師の元で暮らしてきた長の年月、修行のための早起きはほとんど欠かしたことがない。おかげですっかり身についてしまっていた。
 大きくあくびを一つ。そのときだけ、シェイティの顔は幼くなった。
「起きて」
 小声でシェイティは言う。まだ朝まだき、目覚めている人間はさほど多くはない。船員の立ち働く音だけが聞こえていた。
「ん――」
「声出すな」
「ごめ――」
 謝りかけたタイラントの口を掌で塞ぐ。すぐ側で眠っていた人が身じろいだ。静かにシェイティは立ち上がり、タイラントを腕に抱え込む。
 乗合船に客は少ないとは言え、なぜかみな眠るときは固まってしまう。シェイティとしては煩わしいものの、人間の習慣を守らざるを得ない。よけいな人目は引きたくなかった。
「ここ、邪魔じゃないですか?」
 あまりにも早起きだったせいか、船員がちらりと奇異の目を向けてきたのにシェイティは笑顔で言う。
「あぁ、大丈夫だ。早いな」
「なんだか目が覚めちゃって」
「着くのは昼過ぎだぜ、坊や」
 にやりとした船員にシェイティは肩をすくめる。考え事で目が覚めた、と言うより目的地につく興奮だと思ってもらったほうが都合がいい。
 許しをもらったシェイティは船端に背を預けて座り込む。荷物から取り出した干し肉で簡単な朝食にすることにした。
 乗船料は、正に乗船するためだけのものだった。食事も眠るための毛布も各自が用意することになっているらしい。
 旅慣れている、とは言えないシェイティは、そのことを知らなかった。荷物は持っていたから、さほど疑われなかったものの、実を言えば眠るときにかけている毛布は幻影だ。
「これ……」
 はじめの晩、タイラントは小声で驚きの声を上げた。シェイティはかすかに目を細め、唇に指を一本あてて見せた。それからわずかに、笑み。それでタイラントは黙った。
 シェイティは、驚いたものだ。よくぞ幻影を見破った、と思う。人目をはばかって、荷物から取り出すふりさえして見せたものを。
 だからいっそう、タイラントに対する疑いは濃くなっていた。
「シェイティ」
 心細そうな声。腕の中から見上げてくる左右色違いの目。星のよう、不安に瞬く。
「なに」
「君は、なにを考えてるの」
「別に」
 きゅっと唇を噛み、シェイティは答えない。無造作にちぎった干し肉を彼の口許へと運んだ。しばらくは黙ったまま干し肉を噛み続けた。時折、水袋から水を飲む。これも、本当は魔法で補給している。
「昼ごろ、着くって」
 ぶっきらぼうなシェイティの声にタイラントは首をかしげた。いままでも、温かみのある声音とは口が裂けても言えなかったけれど、今朝は輪をかけて酷い。
「私に聞かせていいことだったら、言ってくれない?」
「なにが。言ってるでしょ、着くよって」
「そうじゃない、シェイティ」
 真剣味の増したタイラントの声に、シェイティは視線を落とした。見上げてくる小さな竜の顔。じっと見据えられて、苛立たしいほどだった。
「考えてたのは、あなたのこと」
「それは嬉しいね」
「茶化すなら、話さない」
「ん、わかった」
 謝りもしなかった。だから、やはりタイラントもいまは殊の外真面目なのだとシェイティにも伝わる。諦めて溜息を一つ。
「ほんとにあなたのことを考えてたの。あなたにかかってる魔法のことをね」
「私の? どういうこと。この体に変えられて……」
「違う」
 あまりにもきっぱりとした声だったせいで、タイラントはシェイティが何を否定したのかがわからなかった。首をかしげて彼を見れば、すでにシェイティは遠くを見ている。
 声をかけるのも気が引けて、袖口をそっと噛む。それでも彼は気づかない。腕の中から伸び上がっても、気づかない。だからタイラントはそのままシェイティに頬ずりをした。
「な……っ」
 これほど驚くとは思ってもみなかった。咄嗟にシェイティは、誰かが見ているかもしれないのも忘れてタイラントを払い落とそうとしたのだった。
「ごめん、驚いた? 話し中に考え事に耽るのは、よくないと思うなー」
 人間だったならばにんまりとしていたことだろう。シェイティはぐっと顎を引いてタイラントを見据える。
「わかったから、やめて」
 悪戯をした動物に言い聞かせている風を取り繕った態度。あっと言う間に冷静さを取り戻したらしい。タイラントは不思議でならなかった。この自制心は、いったい何に由来するものだろうか、と。
「それで、私がなに?」
 今度はシェイティ自ら、抱き上げてきた。居心地がいいよう、タイラントは彼の肩に顎を乗せる。そっと背中や翼を撫でられるのは心地良かった。
「あなた、変身の魔法はかかってないよ」
 小さな竜の耳に届いた言葉。信じがたげにタイラントは目を瞬く。ゆっくりとシェイティへと視線を巡らせれば、問答無用で手が頭を押さえつける。そのままでいろ、と言うことらしい。
「シェイティ、どういうことさ」
「そのまま。あなたにかかってるのはドラゴンへの変化を強制する魔法じゃない」
「じゃあ……」
「あなたがかけられてるのは、むしろ呪いだね」
「呪い?」
「そう、ギアスの呪文を感じる。人間に忌まれるように、呪われてる」
 聞かなければよかった、とタイラントは歯を食いしばる。そのほうが、ずっと悪い。そう感じる。シェイティの手が、背を撫でた。
 はっとする。だから、シェイティはこの姿勢でいろ、と示したのか。自分を慰めてくれるために。彼がそのようなことを考えるとは、信じられない。
 それでも、今のタイラントにはそうだとしか思えなかった。
「……君は、私を忌み嫌いは、しなかったね」
 色違いの目。邪眼。人間に忌まれるよう。呪い。タイラントの心に渦巻く言葉の数々。投げつけられた言葉、薄暗い場所で囁かれた言葉。シェイティの手に、薄れていく。
「これでも魔術師だからね。そんな中途半端な呪いは効かない」
 自負のあふれた声。シェイティ自身が、彼の能力としてそう言うのならば、それでもいい。いまここにシェイティがいてくれる、それで充分タイラントは満足だった。
「中途半端?」
「そう。呪うにしては対象が散漫すぎる。ま、僕に効かないのは、そのせいだけじゃないけどね」
「シェイティ?」
「……なんでもない」
「そっか」
 うっかり滑らせた口をシェイティは呪いたくなってきた。なんと迂闊なことか。唇を噛みしめて呼吸を整える。すんなり聞き流してくれたタイラントが、いまだけはありがたい。
「じゃあ、私はどうしてドラゴンに?」
 タイラントが聞きたくないことを聞くかのよう、渋々とした声を上げた。それほど聞きたくないのならば、聞かねば幸せなのに、とシェイティは思う。
「ちょっと」
 答えを、はぐらかされたのかとタイラントは思った。ぐっとシェイティの肩に頭が押しつけられる。息苦しい。かといって息ができないほどではない。
「ドラゴンへの変化は、あなた自身のものだ」
 聞いた瞬間、タイラントは悲鳴を上げそうになった。押さえつけられた顔は、動かせない。それで悟る。
 はじめから、シェイティはこのことを予期していた。だから、こうしたのだ、と。わかっても、少しも嬉しくなかった。
「はっきりとそうとは言い切れない。むしろギアスと絡み合って、僕にも定かには見定められない」
「シェイティ……」
「二つの魔法が、絡んじゃってるの。それも、相当に未熟な。一方はとんでもなく下手くそなくせに妙に強力。片方は生の魔力のまんま。こんなのどうしていいのやら」
 ふっと耳許にシェイティの息がかかる。深い溜息をついたのだと知った。
「絡んでるって、どういうこと。解けないの」
「あなたは、生の魔力に似たものを扱うことができる。だから、無意識にカロリナだっけ? 相手の魔法に抵抗しようとしたんだと思う」
「うん……」
「魔法に抗いきれないとあなたの精神のどこかが感じたんでしょ、僕は知らない。人間のままでは、耐え切れない。強靭な体を求めた」
「だから、ドラゴン?」
「安直だね」
 くっと笑った気がした。笑われて、気が楽になった。最強の生物。いま手にしているのは、その体。
「あなたが自覚的にしたことではないから、もう魔法はめちゃくちゃ。こんなの解きようがない」
「そんな……!」
 強く美しい竜の体。それは、嬉しくないと言えば半ばは嘘になる。困っているのが、本当だ。このままずっと竜で暮らせ、と言われれば、泣き出したくなってくるタイラントだった。




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