呆然としているタイラントの視線を感じてはいた。けれどシェイティは気にしてもいない。魔術師ならば、いくら苦手だといってもこの程度のことはできるもの。 それに驚くタイラントは、やはり魔法には馴染みがないのだろう。それにしては訝しいと思う個所もあるにはあるのだが。 それも、シェイティにはどうでもいいことだった。いずれ遠からず違う道を歩いていく人間、あるいは竜。 「おいでよ」 シェイティの顔色は変わらなかった。それなのにタイラントはなぜか彼がにんまりとしているように見えてしまう。思わず腰が引けた。 「早く」 「シェイティ」 「なに」 怯えていることなど、わかっているだろう。それが大半は演技だということも、たぶんシェイティには見抜かれているだろう。タイラントは諦めて彼を見上げた。来いと言われても、自分では動けない。 「あぁ、そっか」 それを思い出したよう、シェイティは一人うなずき、立ち上がる。その手にあるのは、どういうわけか携帯用の、鍋。 「ちょっと待った!」 「うるさい」 言うなりシェイティはタイラントを包んでいた大きな葉をはがして鍋の中へと放り込む。 「シェイティ!」 悲鳴を上げたのは、抗議ではなかった。頭上から大量の水が降ってくる。また、水袋をひっくり返されたのか、と思って見上げれば、彼の手には水の玉そのものが乗っていた。 「あれ……?」 「水。呼んだの、面倒だから」 「あぁ……そうなんだ。魔術師って……ってそうじゃないだろ!」 「なにが?」 にこりととぼけてシェイティは鍋の中、今度は香りのいい草を放り込む。タイラントはぞっとして彼を見る。 「あの……」 返ってきたのは冷たい視線だけだった。タイラントはぞくぞくと寒気が止まらない。このまま調味料までかけられたら、いったいどうしたらいいのだろうか。シェイティは無言でそのまま鍋を火の側へとかけた。 「シェイティってば」 「うるさいよ」 慌てふためくのも極まると、反って悠長になるものだとシェイティは思う。鍋の中でタイラントは口を開けて目を丸くしたままだった。 小さな竜の、その顔が妙に可愛い。人間だったならば。これほど易々と自分は会話をすることもなかっただろうと思う。彼が人間だというのは、わかっている。姿形だけが、竜だ。それでも竜の姿こそが重要だった。 「なぁ、君。なにするつもりなの」 「知りたい?」 「……ちょっとね」 「ふうん? ドラゴンのシチュウ、香草風味って言ったら、どうする?」 鍋の中のタイラントを見下ろしてシェイティは微笑んだ。その顔が信じがたいほど無邪気で、タイラントは一瞬彼の言葉を容れてしまいそうになる。 「……私、食べるの?」 「そんなに悪食じゃない」 一転して冷たく言ってシェイティは視線を離した。鍋の中はタイラントの体に塗りつけられていた練った薬草が溶け出して、どろどろだ。確かに食欲をそそられる、とは言いがたい。 タイラントを茹でながら、シェイティは鳥の具合を見る。ちりちりと脂が垂れはじめていた。いい香りがするはずだが、薬草の強い匂いに押されて感じない。 「シェイティ! 熱い熱い熱い! 煮える、煮えるってば! にーえーるー!」 うっかりとしていた。鍋は火の側のまま。表情は変えずとも、シェイティは実のところ焦っている。そっと鍋を火から離して指先を水につけた。 「あぁ、やっぱりね」 「なにが――」 「体はドラゴンなんだね」 「見ればわかるだろ!」 憤然とする小さな竜をシェイティはおかしそうに見やる。首根っこを持って鍋から出してやれば、ぶるりと体を震わせた。 「シェイティ!」 「ねぇ、煮えるってほど熱くないんだけど?」 「嘘つくなよ!」 「そんなことして僕になんの利益があるわけ? あなたの体がどうなってるのか、調べてたの」 「どういうこと?」 自分を鍋で煮込んでいたシェイティは、心から楽しんでいるように見えた。いまの言葉を信じていいものだろうか。そんな心が彼には見えたのだろう。面白そうな顔をした。 「僕のことをあっさり信じたくせに、こういうことは疑うんだ」 言われてみればそのとおり。タイラントは言葉に詰まる。 「氷系のドラゴンは、暖かいところが苦手なの。風呂なんか、絶対だめだろうね。それを調べてたの。体がドラゴンなら、治療法もそっちにあわせていいし」 淡々と言ったシェイティの声を、タイラントは驚きと共に聞いていた。彼が、本気で自分の怪我を案じてくれている。 出会ったばかりの、得体の知れない人間だと主張する竜の自分を。彼の魔術師の目には、人間の姿が見えているのだろうか。本当に自分を人間だと信じてくれているのだろうか。信じてくれているからこそ、助けてくれているのだ。そう思いかけ、タイラントは悟る。竜だから、助けてくれているのだ、と。 「治療法?」 わずかに滲んだ悲しみを押さえつけ、タイラントは彼を見上げる。 「人間より、体が丈夫だからね。それほど面倒な治療しなくて済むよ」 「そっか」 「治癒魔法があればいいんだけどね」 肩をすくめてシェイティは鍋の中に水を足す。ほとんど温みがないほどにまで薄めて、タイラントを再び中へと戻した。 「熱い?」 「これなら平気。風呂くらいだな」 「ふうん」 感覚の差なのだろう。いまタイラントは竜の体をしている。だから、感覚器は竜並みだ、と言うことか、とシェイティは納得する。 「治癒魔法って……」 「僕は持ってない。魔術師は普通、持たない。特殊な事情がない限り」 「事情?」 「説明してわかるの。わかるわけないでしょ。ミルテシアの人間に」 「あ……」 「なに?」 「やっぱり、わかる?」 「そこまで魔法に疎いのってミルテシアの人間じゃない」 あっさりと言い、シェイティは鍋の中身をかき回した。どう見ても料理をしているようにしか見えないのがタイラントにはいささか恐ろしい。 「やっぱり疎いのかなぁ」 せっかく手当てをしてくれているらしいシェイティの気持ちを損ねたくなくてタイラントはのんびりと言う。 「声が震えてるよ、手乗りドラゴン」 「うるさいな!」 だが、シェイティには見抜かれていたらしい。それでも肩を震わせて笑っているところを見ると、不快には思っていないようだった。 「ほら、食べなよ」 そう、手ずから焼きあがった鳥をむしって口に運んでくれた。タイラントは思わず飲み込んでから、シェイティをまじまじと見る。 「なに?」 彼もまた、鳥を齧っていた。塩気が彼には薄かったのだろう、新しい塩を振り足していた。 「塩気、足りる?」 「うん……私は、ちょうどいい」 「そう」 体が小さいせいだろう、タイラントにはちょうどよかった。また、鳥をくれた。シェイティが、まるで親鳥のよう世話をしてくれている。あるいは、餌付けか。どちらかと言えば、そちらのほうが近い、とタイラントはかすかに笑った。 「もういい?」 「うん、足りた」 タイラントは満足そうに声を上げる。焼いた鳥はあらかたなくなっていた。 「じゃあ、来て」 言って、シェイティは答えを待たずタイラントの首根っこを持って鍋から上げる。そのままぴたり、と手を止めてシェイティは大笑いをした。 「なんだよ!」 ぶらりとぶら下げられたまま、タイラントはシェイティを睨みあげる。何を笑われているのかがわからない。 「これ」 つん、とシェイティの指先がタイラントの腹をつついた。満腹に、丸く膨れ上がった腹を。 「可愛い」 どうやら、本気で可愛いと思っているらしい。タイラントはその不可解な美意識に首を振る。吟遊詩人である以上、竜の歌はよく歌った。歌の中で竜とは、強くて怖くて恐ろしいものでしかない。間違っても、可愛いなどと言う修飾語は使わない。 「勝手に言えばいいさ!」 そっぽを向いてもいずれ、シェイティの手の中。まるで濡れそぼった猫の仔だ。ぽたり、と尻尾の先から湯が滴った。 くすくす笑いをしながらシェイティはそれでも手つきだけは優しく水気を拭っていく。新しい薬草を巻きつけるときも、葉で包み上げるときも、それは変わらなかった。 「できたよ」 また身動きもままならない姿にされたけれど、タイラントは気にならなかった。 「ありがとう」 言葉はともかく、彼の内実も横に置くとして、少なくとも彼は怪我を治そうとしてくれた。人間ではない、竜の怪我を。 「別に」 礼を言えば、驚いたよう視線をそらした。感謝されることに慣れていないのかもしれない。思った途端、タイラントはシェイティが悲しくなる。 彼はどのような生き方をしてきたのだろう。再び思う。尋ねれば、次は本気で殺されるだろう。そうまでならなくとも、協力はしてくれなくなる。それがわかっているから訊くことはできなかった。 それでも聞きたい、と思う。歌にしたいのではない。彼は、あるいはそれを誤解したのだろうかとも思う。どこかで違う、とも思う。彼と言う人を、知りたいと思う。 「なに」 「うん? なにが?」 「視線が鬱陶しいんだけど?」 素っ気なく言ってシェイティは夜空を見上げた。その横顔は、本気で言っているようにも、まだ話しを続けたいようにも見えて、タイラントは惑った。 |