くつくつと笑いながらシェイティが魔法を放つ。草原はすでに夕闇が濃い。巣に帰る鳥をシェイティは素早く狙い撃っていた。今夜の野営地、と決めた場所に立ったまま一歩も動かず。 「すごいね」 彼の指先から放たれていく白い筋。まるで矢のようだ、と思いつつタイラントは眺めている。実際、それは氷の矢だった。 「なにが」 「君の魔法」 「これが?」 たかがこのくらいのことで、とシェイティの顔にはありありと書いてある。それがタイラントはおかしくてならない。 「君ってさ、ラクルーサの人?」 落ちてきた鳥を体をかがめて拾ったシェイティの手が一瞬とまった気がした。 「そうだけど」 だからなんだ、と振り返った目が言う。タイラントは草の上から薬草に包まれたまま彼を見上げた。 「魔法に強いのって、ラクルーサの人じゃないか。だからきっとそうだろうなって思っただけ。ミルテシアの人間は、あんまり魔法に詳しくないし」 「ふうん」 いかにも不思議そうに首をかしげたシェイティだったけれど、タイラントは彼の誤魔化しを見抜いていた。 魔法を志した人間が知らないはずはない。ミルテシアで魔法が栄えない理由を。遥か昔に起こった諍いの伝説を。真実ではないかもしれない。それでも幾許かの事実は含んでいるはず。 「ねぇ、あなた。なんで知ってるの」 シェイティは諦めたよう、不機嫌に言う。自棄のように座り込んでは獲物の羽をむしりはじめた。 「だって、吟遊詩人だもん。知ってるさ、歌ったし」 朗らかに言うタイラントをなぜかシェイティは奇妙な目で眺め、肩をすくめた。それがどういう理由でなされた仕種なのか尋ねたい、タイラントは思う。けれど彼が答えないだろうことも悟っていた。 「君はさ、どうして旅をしてるの。どこかに行く途中だったの?」 「用事があるのに間抜けなドラゴンの相手してると思う?」 「あ、酷い!」 葉に包みこまれて身動きもままならないタイラントだったが、気づけば翼を広げて威嚇しようとしていた。 それがたまらなく情けない。自分は人間で、竜ではない。そう思うのに、この体に変えられて以来まるで生まれながらの竜のような行動をとってしまう。 「用事は、ないわけじゃないけどね」 わずかにうなだれたタイラントに気づいたのだろうか。シェイティは言葉を続けた。はっとして彼を見やる。 彼は一心に羽をむしっていた。気遣ってくれたわけではないのだな、とタイラントは少し寂しい。そしてこの程度のことで寂しがるとは、それほどまでに不安だったのだ、と知る。今まで状況のあまりの変化に自分の内面を深く考える余裕すらもなかった。 「そっか……。でも、あるんだったら……」 いま、シェイティに見捨てられてしまうこと。それがたまらなく不安だった。手助けをしてくれる魔術師がいなくなる、と言うだけではない。 シェイティがいなくなること。それが心細い。仮に彼が自分の代わりに、と誰かを推薦してくれたとしても、やはりタイラントは落ち着かない思いをすることだろう。 「急ぎじゃないし。急いでどうにかなるものでもないし」 「なんの用事なのか、聞いてもいい?」 「人探し」 あっさりと言ったシェイティを信じがたい思いでタイラントは見つめた。 「人探しって! だったら急がなきゃだめじゃないか。もしものことがあったらどうするんだよ!」 「さぁね」 「シェイティ!」 怒鳴った途端、冷たい視線が飛んできた。歯を食いしばってタイラントは彼を見つめる。 「事情も知らないのにうるさいよ」 「――ごめん」 「別に」 そっぽを向いて、また羽をむしる。あたりに柔らかい羽が飛び交っていた。 「聞いて、いい?」 「なにを」 「誰を、探してるのか」 「僕も知らない」 「……そっか」 タイラントの声に反応したのか、シェイティが短刀を抜き放つ。ぎょっとして体をすくめたのを彼が笑った気がした。 「はぐらかしたわけじゃなくて、本当に知らないの」 シェイティが鮮やかな手つきで獲物を解体しだした。その手つきより、彼の声音に含まれていたかすかな笑いにタイラントは惹きつけられる。 「どういうこと?」 「ある条件を課されていてね、それに見合う人を探すの。だから、どこの誰かなんかわからない。急いでも無駄って言うのは、そういうこと。これでいい?」 「うん、ありがとう」 シェイティが答えてくれた。おそらく、その条件とは何かを聞くのは無駄なのだろう。彼がここまでであったとしても、答えてくれたことこそを珍しいことと解釈すべきだろう、そうタイラントは思う。 「別に」 シェイティは肩をすくめ、なんでもないことのように終わりにしてしまった。だが彼の体に漂う気配がくつろいでいる。それを眺めているのは、いい気分だった。 「ねぇ、ドラゴンて焼いた肉食べるの」 ちらり、と視線を向けてきたシェイティの目は、タイラントが思っていたよりずっと和んでいた。 「私は人間だってば!」 「その体は焼いた肉を消化できるのって聞いてるの。わかる? 飢え死にしたかったらいつでも言って。好きなところに放り出してあげるから」 和んだはずの目が、一瞬にして険悪になる。タイラントはふるふると首を振っていた。あまりにも必死な様がおかしかったのだろうか、シェイティの口許が笑みを刻む。馬鹿にされているとは、タイラントは思わなかった。 「たぶん、平気だと思うけど」 「なにそれ。いままでどうしてたわけ?」 「あのね、シェイティ。ミルテシアの王宮から逃げてきてからそんなに時間経ってないんだってば。逃げてからだって兵隊には追いかけられるし、草原地帯に飛んできてからは箒持ったおかみさんにまで追いかけまわされたんだよ? おちおち食事してる暇なんかなかったんだって」 さも憐れな様子でタイラントはうなだれる。シェイティは吟遊詩人特有の大袈裟な物言いだとばかりに相手にしない。もっとも、半分の半分ほどは、真実だろうと思ってはいる。 「じゃ、その間なに食べてたの。なんにも食べてなかったの」 「どっかの村の軒先に積んであったチーズ。あと、商売に行くところだったのかな、荷車からハムを失敬したり」 「それって盗んだってことだね」 「うるさいな、こっちは死活問題だったんだってば!」 「別に僕が損したわけじゃないからいいけど。それより、ハムが食べられるんだったら平気だよね」 「もしかして……」 解体した鳥を手にシェイティが首をひねっている。本当にこれを食べさせても大丈夫なのか、と案じているようだった。 「私のこと、心配してくれてるんだ、君」 「フロストドラゴンでよかったね」 「なに?」 「フロストって言っても、氷系のこと。あなたのその体。氷系のドラゴンでしょ。相性がいいんだ」 「……殺そうとしたくせに」 初対面のときの彼の仕種をタイラントだとて忘れたわけではない。たかが人間の青年が手を掲げただけで、本気で死を覚悟したほど怖かった。 「まぁね。意思の疎通が図れるほど元気そうに見えなかったし。だったら殺して牙でも取ったほうがお役立ちだし」 「あのねぇ……。まぁ、いっか。ドラゴンと、話しできるんだ、シェイティ?」 「話せるわけないじゃない」 「だって!」 「意思の疎通って言ったの、聞いてる? 屈服させられれば、僕の言いなりだし。氷系で相性がいいってそういうこと。わかる?」 「……わかりたくないことを聞いた気がする」 溜息をつく氷竜などと言う世にも珍しいものをシェイティは笑った。それがあまりにも晴れやかな笑顔で、タイラントは笑われているというのにいやな気持ちになど少しもならない。 「せっかくの相性のいいフロストドラゴンを損ないたくないし、手乗りで可愛いし。腹下されたりしたら面倒だからね」 「物凄く私の人格を無視されてる気がするんだけどな」 「人格? 竜格じゃないの」 くすくすと笑うシェイティにタイラントは反論する気が失せた。もしも人間のまま彼と出会っていたら、その場で決裂していたことだろうと思う。 なんて鼻持ちならない青年だろうと思う。年のころは二十歳をそれほど超えたようには見えない。それなのに傲慢極まりない。 そんな彼が火打石を取り出すにいたって、タイラントはこっそり笑った。それが耳に入ったのだろう、じろりと睨まれる。 「魔法でやったら速いんじゃないの。面倒なことするなぁ」 「うるさいよ」 「実は……」 竜の顔から表情を読むのは難しかったけれど、シェイティは難なく感じ取った。タイラントはにんまり、に相当する顔をしていたのだから。 「そうだよ、悪かったね。火系の呪文は苦手で。でも、氷系は得意だよ? そのまま氷漬けになってみる? あっという間だと思うけど」 タイラントは口から泡を吹いていた。思い切りよく掴まれた首にシェイティの指が食い込んでいる。彼の顔は笑っていたけれど、目が笑っていなかった。 「あぁ、苦しかった?」 じたばたとするタイラントを危ういところで離しシェイティはにこりと笑う。あからさますぎてタイラントは文句を言う気にもならない。 「ちなみに――」 言葉を切ってシェイティが手を閃かせた。タイラントは目をみはる。彼の側に積まれた薪の山に、一瞬にして火がつき燃え上がる。 「苦手だけど、この程度のことはできるよ?」 目を丸くする竜に満足した顔を向け、シェイティはさばいて串を打った鳥を火の周りに並べはじめた。ちらりとタイラントを見やり、小袋から塩を取り出しては振り掛ける。 それはどこにでもいる青年の姿で、とても瞬きの間に火の山を作ってしまうような、しかもそれで苦手だと言うような、魔術師の姿には見えなかった。 |