気づいてしまったこと。それが不愉快でならなかった。この旅の間、誰かと同行する気持ちは微塵も持っていなかったはずなのに、と。 それではいけないのだ、とはシェイティにもわかっていた。人探しをしている以上、人間と接触せざるを得ない。 それでも人間は嫌いだ。シェイティはそう思う。醜悪で、猥雑で、すぐに群れたがる。群れなければ何もできないとも思う。そして群れからはぐれたものを排斥する。それが、人間だ。 「まぁ、いっか」 ちらりとタイラントを見た。少なくとも、姿形は人間ではない。それだけでも気が休まる。あのような輩がすぐ側にいるのかと思うだけで苛立たしくなってしまうから。シェイティにとって、心を許すことができる人間などと言うものは数えるまでもないほどしか、存在しない。 「なに?」 「別に」 「言いなよ、気になるじゃないか」 「好きなだけ気にすれば?」 素っ気なく言ってシェイティは遠くを見晴るかす。ミルテシアの草原に馴染みはなかった。見るものすべてが目新しい、と言うほどではなかったけれど、見慣れない景色は見ていると中々楽しい。 「ほんと冷たいよね、君」 「心温まる交流がしたかったら、僕じゃない誰かを探して」 「そう言うなって」 言ってタイラントは大きく笑った。竜の吐く息にシェイティは飛ばされそうになっては顔を顰める。それに気づいたのだろう、タイラントはもう一度笑った。 「さぁ、行こう!」 勢いよく言ってタイラントは体を持ち上げた。生乾きの傷から血が零れる。 「ねぇ」 「ん、なに?」 「行くのはいいけどさ。どこに行くわけ?」 無邪気を取り繕ったシェイティの問いにタイラントは体を固めた。ぴしりと音がするほど顔が強張る。元々恐ろしい竜の顔がいっそ凶悪と言っていいほどの凶相を帯びる。 「それは」 がりりと、音がした。どうやらタイラントは歯を食いしばったらしい。シェイティはどこ吹く風と聞き流しにこりとする。 「どこ?」 小首を傾げて見せた顔が、わざとだということくらい、出会ったばかりのタイラントにもわかる。思い切りよく踏み潰してしまったほうが後々のためかもしれない、とタイラントは思った。 「ねぇ。いま、僕のこと殺そうと思ったでしょ」 「思ってない、全然思ってない!」 「そう? 殺気を感じた気がしたけど」 「気のせいだって!」 「ふうん。別にいいけど。やってみたら? 死ぬのは間違いなく――」 言葉を切ってシェイティは微笑んだ。薄い唇がきゅっとつりあがる。わけもなくタイラントは見惚れた。 「あなただから」 シェイティの自信をタイラントは感じた。自然と首を振っている、縦に。彼が偽りを言っているとは思わなかった。 むしろ、シェイティはただの事実を口にしただけだろう。それくらいの実力はある、タイラントは彼の技量の程など見てもいないのに感じ取る。 「そう……だろうね」 わずかに震えたタイラントの声にシェイティは顔を顰めた。怖がるくらいならば愚かなことは考えなければいいのに、と思う。それを忠告してやるほど、親切でもなかった。 「それで? 目処はついてるの」 「姫……の?」 「他になにがあるわけ? あなた、馬鹿?」 「だって! 魔術師!」 「どうせ一緒にいるはずでしょ。姫君一人放っておいてどっか行っちゃうような馬鹿なわけ、その魔術師って」 「……違うと思います」 あまりにも滑らかな暴言に、ついへりくだったタイラントだった。それにシェイティは険悪に目を細めただけで何も言わない。 「で?」 ただ話の続きを促すだけだった。タイラントはそれが物足りない。吟遊詩人のせいかもしれない。語ってこその職業だ。暴言ならばいくらでも吐くくせに、心のうちは決して見せる気はないと態度で語るシェイティが少し、寂しい。 「さっさとしなよ」 「あぁ……うん。ねぇ、君さ。どうして私が言うこと信じてくれたわけ?」 「信じてない」 タイラントは言葉に詰まった。少しでも彼の心を見せて欲しいと思ったからこその問い。それをここまで無下にされるとは思ってもみなかった。 「だったら……」 「あなたを信じたんじゃない。自分の感覚を信じただけ」 「それって」 「あなたがどう思おうと、それはあなたの勝手。僕は僕。他人は信じない」 きっぱりと言ってシェイティはタイラントの目を見据えた。左右色違いの目が濁る。おそらくは、苦悩か悲しみに。 「あなたみたいに簡単に他人を信じてると、そういうことになるんだ」 シェイティが指差したのは、タイラントの体。竜の体。言葉もなくタイラントはうなだれる。これから同行しようと言う相手に易々と信じていないなどと言うことができるシェイティと言う青年は、いったいどのようにして生きてきたのだろう。 不意にわきあがってきた疑問がタイラントを捉えた。なんと興味深い題材がそこにいることか、などと思ってしまった。 「どうやって、生きてきたの」 だから、尋ねた。タイラントにとっては、どうと言うこともない問いかけだった。自分の一生ならば良いことも悪いこともそれなりに人に話すことができる。 「あなたには関係ない!」 言葉の冷たさに、タイラントは体を震わせた。叩きつけられたその激しさ、恐る恐るシェイティに目をやれば、青ざめたほどの頬。 「……ごめん」 訊かれたくないことだということだけは、わかった。たかが、人生。何程のこともない。タイラントはそう思っている。 いまここで、自分と価値観を異にする人間と出逢った。いままでも、いたはずだ、彼のような人間は。だがタイラントは気にもかけてこなかったのだということを知る。 「別に」 すっとそらされた視線が、彼の恥を浮かび上がらせる。だから、彼にもわかっているのだとタイラントは気づく。 たった一言。それがシェイティに何をもたらしたのかはわからない。それでもたかがそのくらいのことに反応する自分が異常だということは、シェイティも気づいている。 「魔術師はね、山のほうに飛んで行ったって」 彼を窺いなからタイラントは言った。無理やり話を戻してしまった。それを彼はどう思うことだろう。 「あなた、やっぱり馬鹿? 山ってどこ? どの山? そんな情報で動けると思ってるの。信じらんない」 一息に言ってシェイティはタイラントに顔を戻す。まだ青白い顔をしていた。だがかすかに浮かんだもの。目に和解。タイラントはふっと気持ちが明るくなるのを感じていた。 「そんなこと言ったってさー。私、ドラゴンだし? どうやって情報集めしろって言うわけ?」 「好きなようにやったら? 元々僕の用事じゃないし」 「ってそういうこと言う!」 「だって、本当だもん」 くっと笑った顔にタイラントは惹きつけられた。子供じみた言い方をしたくせ、妙に男らしい。背筋がぞくりとする。 「まぁ、とりあえず飛んで行ったって方角ぐらいはわかってるんでしょ」 「んー、まぁ」 「なに、その煮え切らない答え!」 「だから、その。ね。大まかに言うと――」 「いいよ、だいたいで」 「北のほう」 言った途端、前脚に衝撃を感じた。小さな小さな衝撃だったけれど、何かが起きたはず、と見下ろせばシェイティが睨み上げている。どうやら思い切り蹴られたらしい。 「大雑把すぎ」 「仕方ないだろ!」 怒るだろうな、と思って言ったことでやはりシェイティは怒った。タイラントはそれに安堵する。少し変わった人間かもしれない。だが、シェイティは普通の人間だった。 「しょうがないな……」 溜息をついて彼が見上げてくる。その目に不思議とすでに険はない。それなのにタイラントは思わず下がりそうになった。彼が笑みを浮かべるに至って、本気で下がった。滑らかに動かない脚に、青い草が絡まりついては大地に傷をつける。ぷん、と土の匂いがした。 「逃げるな」 にこりと笑ってシェイティは言う。軽く片手を掲げている魔術師がそこにいる。 「逃げるなって言われて逃げないやつがどこにいるんだよ!」 「そこにいるんじゃない?」 「私? 逃げるから!」 「逃げたら、手伝ってあげない」 非情なことをきっぱりと言ってシェイティはタイラントを捕まえた。諦めたよう、竜が震える。小さな青年に掴まれているだけなのに、まったく動くことができなかった。 「そのままだと、邪魔なの。あなた」 「え?」 「情報集めしようにもドラゴン連れじゃなんにもできない。それくらいわかんないわけ?」 「だったら!」 「あぁ、人間には戻せないから」 希望に満ちた声を上げたタイラントをシェイティはあっさり突き落とす。落ち込んでうなだれたタイラントが、ならばどうするのか、と問う間もなかった。 「あ――」 何かを感じた、タイラントは。次いで体がよじれるような感覚に強い吐き気を感じる。のた打ち回りたい、そう思ったけれど歯を食いしばって耐えた。すぐ側にはシェイティがいる。 「はい、出来上がり」 いかにも楽しげな声がする。どこで、と思って辺りを見回し、タイラントは目を回しそうになった。 「これって!」 タイラントが目を瞬く様子をシェイティが楽しそうに見ている。 「手乗りドラゴンって可愛いかもね」 竜のまま、小さく姿を変えられたタイラントは、シェイティの腕の中から、彼を見上げて呆然としていた。 |